ランニングおやじの野望!

50歳を目前に突然走り始めた鈍足おやじランナーのトレーニング雑記です。

復刻版 『UTOPIA』

2011-08-28 22:00:41 | 本・漫画・映画など

漫画のページをどきどきしながらめくるのは久々。
半世紀以上も前に刊行された藤子不二雄唯一の書き下ろし単行本。昭和28年8月10日発行の初版本をそのまま復元した復刻版(小学館クリエイティブ発行)で、作者名は足塚不二雄。
その足元くらいには及びたい思いが込められたペンネームからも手塚治虫の圧倒的影響がにじみ出る。画風もストーリーも。

最終兵器・氷素爆弾により凍りついた地球。わずかに生き残った人間たちはロボットに依存した文明を生みだしたが、ロボットによる反乱が起こり、ついに人類は滅亡の危機に瀕した……。

もう30年ほど昔になるだろうか、当時中野にあった某有名マンガ古書店のガラスケースに鎮座するこの原本を文字通り垂涎のまなざしで眺めたのであった。当時30万円ほどの価格がつけられていたと記憶する。現存するのは10冊程度といわれ、TVの鑑定番組では300万円と査定されたりもした。その後、2回にわたり復刻はされたのだが、原本そのままではなかった、らしい。
今回、付録としてつけられた解説冊子を読む前に漫画本体を読んだのだが、いくつか「あれっ?」と違和感を覚えた点があり、解説を読むとまさにそこが原本の問題個所だった。
肝心のラストシーンは出版社側が勝手に描き加えたものだそう。作者の一人・藤子不二雄A氏(Aを〇で囲むのが正しいのだが出せないのでご容赦を)によると、最後のコマの下は奥付用にスペースをあけておいたのに、そこへ無断で加筆してあったと。
また、UTOPIAは96ページで完結している作品なのだが、単行本にはその後ろにほぼ同じ長さの「覆面団」なる1編が収録されている。これが誰の作品かもわからないもの。おそらく本の厚みを出すためか。
到底考えられないようなひどい仕打ちだが、A氏は「まあそういうものかな」とさして気にしなかったそうだったのに対し、この作品にプロ漫画家として全身全霊を傾けていたF氏のほうはそうではなかったようだ。その手元にあった単行本には、改竄されたラストシーンに大きくバッテンが書き込まれているそうで、無念の思いが伝わってくる。

月刊『少年』に連載されていた「シルバー・クロス」以来の藤子ファンでA氏の名作「まんが道」を愛読してからずっと手にとって見たかった幻の『UTOPIA』。
実際に手にすると、初恋の人に50年ぶりで再会したようでいささか幻滅も正直あるけれど、しかしそこに込められた燃えるような情熱はたしかに伝わってきてオヤジの胸を打つのであった。


先週の「部活」連続練習でやや疲れ気味のため今週の平日は走ったのが2日だけ。
土曜は夜来の雨の中、通算21回目の足柄峠。このところ3回続けて峠から金時山へ遊びに行っていたので、久しぶりに峠越え往復ロング走、47km5時間47分。
峠道は霧の中、路面がぬれていることもありこわごわの下りとなり、タイムはまるでダメだが、往路復路とも登りを歩かず走りきれたのは自分の中ではうれしい達成感であった。

きょう日曜は息子の出場する囲碁大会が浦安市内で開催されるというので付き添いに。対局が始まってしまえば閉会までワシはヒマなので、近くの葛西臨海公園で超スロージョグ2時間で10kmほど。速めのウォーキングの人には抜かれるくらいのペースで普通ならガマンできず上げてしまうところ、海辺の景色と起伏に富むコースをたのしみながらピッチだけは落とさぬよう心がけて楽しく走ることができた。
最近出た写真ガイド『高橋尚子 ジョギングコースガイド』(幻冬舎刊)の中でQちゃんが絶賛しているとおり、すばらしいコースであった。
午後は浦安市民プールへ移動してクールダウン。全国各地で公共プールのお世話になっているオヤジだが、ここの市民プールは実にリッチである。滝を模した落水に打たせ湯みたいなスポットもあり、滝行の練習にもなりそう。

午後3時すぎ、会場に戻るとちょうど閉会式が始まるところ。関東1都6県に山梨を加え8チーム各10人の小中学生による団体戦。東京は決勝で埼玉チームに敗れ準優勝。主将を務めた息子も埼玉の主将に敗れ通算3勝1敗で悔しそうであった。それぞれの思いとともに帰路につく。

★オヤジの心を癒す昭和の歌 (103)
  渚を走っているとこの歌が流れてくる。

  ♪ 渚のシンドバッド (ピンク・レディー/1977)

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ほぼ毎日、刀水

2011-08-21 22:15:36 | トレーニング

今週は仕事が休みだった。
で、火・木・土・日の計4回、刀水練習会に参加できた。
普段はせいぜい月間2~3回なので、濃い1週間であった。
気分的にはほとんど「部活」である。

前半2回は猛暑のため木陰を利用した200m走を中心に。
200mのうち100mをコーチが24秒(km4分ペース)でリズムをつくり、そこからは各自のペースで。10本までは全員一緒に、おまけの5本は希望者で。ワシは火曜15本、木曜11本。

後半2回は一転して涼しくなり急に秋のような雨模様の空。
土曜は月例の5000mタイムトライアル。前日の峠走が効いて脚重く全然動かず、それでもピッチはできるだけ落とさぬよう踏ん張りかろうじて21分21秒。
   4'08"ー 4'17"ー 4'18"ー 4'23"ー 4'11"
全員そろったところで監督から「上体強化もタイムアップに重要」との指導あり。
鉄棒で普通の懸垂の他、地面反力を利用して飛び上がる「ぴょんぴょん懸垂」を各5セットほど。(きょうは腕と腹筋がしっかり筋肉痛。腕力だけでなく腹筋もかなり使っているようだ)

本日、日曜は適度な雨で走りやすい中、400m×10本(200mジョグでつなぎ)を全員で。200mまでコーチが48秒(km4分ペース)で引っ張り、あとは各自のペースで。
給水後、km5分から入って1.1kmコース5周をビルドアップ。
監督から「体操ひとつでもただ漫然とこなすのではなく、足先がまっすぐかどうか、しっかり意識しながら丁寧に」と指導あり。そのうえで、実際のランニングではあれこれ意識しすぎて力まずに「あくまでもやわらかく、しなやかに」走ることが大切と。たしかに、まだ自分でも走りがカタイ感じがする。今後の課題である。


練習会の合間、金曜には通算20回目の足柄峠走。電車のアクシデントでいつもより1時間ほどスタートが遅れ、山北駅前を出発したのが8時近く。金時山にも登ったが頂上は霧と風で視界不良。雨の降り出しと競走するように山を下り、麓まで降りてきた午後1時頃に雨となった。
これまではすべて単独行だったが20回を記念して(?) 今回はゲストおふたりと同行。ずっと気になっていた「万葉うどん」も味わうことができ、午後3時半に山北駅前になんとか無事帰還。7時間半の小さな旅に大満足のオヤジであった。いつもどおり「さくら湯」でほぐす。
プールにもほぼ毎日通った1週間であった。

★オヤジの心を癒す昭和の歌 (102)
  にわかに秋の気配。この時季にはこの歌声が脳裡に響く。

 ♪ 夕暮れ時はさびしそう (N.S.P./1974)

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セラティ

2011-08-14 22:19:12 | 本・漫画・映画など

久々にその名と出会った。パーシー・セラティ。

日本女子短距離界のエースとなった福島千里選手をはじめ女子スプリントのトップ選手を育てた「北海道ハイテクAC」中村宏之監督の本『日本人が五輪100mの決勝に立つ日』(日文新書/日本文芸社)。
いかにして速く脚を動かすかとの明確な目標達成のため、「フレキシブルハードル」「レッドコード」など独自の練習法を編み出してきたその発想の原点はセラティの著書にあると。


強くなろうと一途に思い込み、「自分に合ったトレーニング法とは何だろう」と必死に模索していた大学時代。私は『陸上競技 チャンピオンへの道』という本を手にした。
著者はオーストラリアのコーチであるパーシー・セラティ氏。彼は独自のトレーニング方法を考え出し、(略)1960年のローマ五輪1500mで金メダルを獲得したハーブ・エリオット選手を育てた名コーチだ。
その本に掲載された写真のセラティ氏は白髪で穏やかな表情をしていた。70歳をすぎてまで指導者であったその姿を見て私は「いい年のとり方をしているな。自分も将来、こんな指導者になれたらいいな」と、漠然と考えていた。

中村監督は北海道から続々とトップアスリートが輩出する背景として、「北海道には元々開拓者精神というか、あまり常識や伝統などにはこだわらない」風土があったこと、そのうえで「走るだけが陸上の練習ではない」とする独自の練習法が成果に結びついたのではないかと述べている。

セラティの著書にはワシも深く感銘し、4年前2007年夏にはついにメルボルン郊外のポートシーという海辺の町にある旧居跡を訪ねたのであった。「セラティオーバル」とごく小さなプレートが置かれたトラックの跡地は小公園になっており、雨上がりの草むらを裸足で走った。(ブログのプロフィールに置いてある写真はその時の後ろ姿)
選手らとともに駆け上がったという砂浜の急峻な坂道は猛烈な傾斜で足は砂に埋まってしまうし、なるほどここで写真のように美しくダッシュできたら相当の走力がつくのは間違いないと納得した。


猛暑で練習意欲もいささか減退ぎみではあるが、やはりそれなりに工夫していこうと思いつつ、土曜は定番化しつつある足柄峠走、通算19回目。今回も峠頂上から金時山へ。山頂は残念ながら雲にまかれ富士山や箱根の山々は見えず。山道を下って夕日の滝まで降りる。

前回初めてこの滝に行った翌日、たまたま見たNHKTVの昼番組でアナウンサーが決死の形相で滝壺に入り滝水に打たれている中継を見ていたからワシもチャレンジ。ゴーグル着用、足はサンダル。
高さ23mから落ちてくる奔流はさすがにすごい衝撃。脳天がビリビリバリバリと水鉄砲の機関銃で連打されるよう。10も数えていられない。下から見上げると、まさに天上から水流が襲ってくるような迫力である。
すっかり冷えてきた頃、にわかに雷鳴とどろき雨降り出す。先週の奥武蔵の豪雨が脳裡をよぎり、急いでラン装備に戻り山北駅まで約1時間速めのジョグ。雨は適度なお湿り程度で済んだ。トータル7時間の小さな旅は無事終わった。いつものさくら湯小プールでほぐす。

本日朝はしばらくぶりでロードバイクに乗り駒沢公園サイクリングコース2.1kmを20周、約2時間。フルマラソンの距離をほぼマラソン世界記録と同じペースでラクに走れるのは楽しい感覚。それにしても、生身であのペースで走るとは信じがたいことでもある。

夕方、これも久々に400mトラックで5000m×4。総勢100人くらいの参加者がそれぞれ自分の走りたいペースメーカーにつき35分毎スタート。km3分45秒~6分半まで6~7組で。
5分組に入ってみたものの、5分ってこんなに速かったっけ?と焦る。いっぱいいっぱい状態でやっと1本目25分3秒。2本目は5分50秒組で29分。3本目は再度5分組でラスト1kmだけ4分半に上げて24分33秒。4本目はダウンジョグのつもりで6分半組に入ったが徐々に上げてしまい27分40秒で終了。ここからだんだん秋に向けて上げていこうと思うオヤジであった。

★オヤジの心を癒す昭和の歌 (101)
 夏の懐メロ定番「思い出のメロディー」。今回最も心にしみたのはこの歌。河島英五の娘と息子+加藤登紀子の弾き語りがすばらしかった。

 ♪ 生きてりゃいいさ (河島英五/1979)

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オーストラリアの国勢調査

2011-08-10 21:42:23 | その他の雑記

先週末から中3息子とともにメルボルンに滞在中の妻からメール。
すでに高校から5年メルボルンに留学中の兄を追うように来春には弟も。その学校を決めるのが今回の目的で、役に立たないワシはひとり留守番中である。

で、何事かとメールを読むと、全然別件。


:事件発生。オーストラリアの国勢調査CENSUSに巻き込まれました。89日にオーストラリアに滞在している人すべてに義務があるとかで、なんと、55項目のシートに記入しサインなければならない(涙)。移民の国らしく、出身国、先祖、英語以外の母語、英語のレベル、宗教、学歴、職業の状態、職種、収入。勤め先の住所って、外国人にまで聞くの~~? 5年に1回だそうです。日本でも国勢調査の書き込みは夫にやってもらっているのに、オーストラリアで、しかも英語でやる羽目になるとは!




なんと5年に1度の国勢調査の日に当たってしまったらしい。旅行者を含め、2011年8月9日在豪者全員が対象とのこと。上の息子は留学初年に記入しているはずだが、もう忘れてしまったのかそんな話はしていなかった……。
まあ不運というか、貴重な経験というか。ご苦労さま。

奥武蔵ウルトラの影響は3日後のきょうになって強く出始め、前モモや脚の付け根などにいささか痛みと違和感あり。故障につながらぬよう、頼みのたけ先生(整骨院)参りや連日のプール通いで回復に努めているオヤジである。
走ったのは火曜の朝に芝生で地下足袋ジョグ30分のみ。しばらくぶりでフラフープ回しや新聞パンチなども。


★オヤジの心を癒す昭和の歌 (100)
  あまり意味もなく続けてきたこのオヤジ歌シリーズが100回を迎えた。第1回は2009年8月末、ダ・カーポの「夏の日の忘れもの」。その名のとおり始めに戻ってダ・カーポのさわやかな歌声を。

 ♪ 結婚するって本当ですか (ダ・カーポ/1974)

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奥武蔵77km

2011-08-07 22:29:26 | レース

「第18回 奥武蔵ウルトラマラソン」に初参加。77km、8時間36分34秒。
(今回はただひたすら完走目標だったからラップは一切とらず。ゴールタイムも即発行の記録証で知った)

朝7時スタート。自宅から会場(埼玉・毛呂山町)まで2時間以上かかるため当日朝出発では間に合わず前泊。
スタート直前、大震災で亡くなられた方々や別のレース中に飲酒運転トラックによる交通事故で落命された方、この大会にエントリー後に急死された方へ全員で黙祷。静寂のなかセミの声だけが耳にしみてくる。きょうここに立てたことを深く深く感謝する。

ほとんど平坦なところがないと言っても過言ではない起伏たっぷりのコース。路面はすべて舗装されているのでトレイルランでないけれど、雰囲気は近いものがある。
そもそも坂道をニガテとするワシには過酷なレースであった。が、この半年余りしつこく通い詰めている足柄峠走の効果もあってか、なんとかゴールできた。

途中24ヵ所もある豪華エイドのおかげでもある。多種多彩な給水と果物、そして氷と水かけがありがたかった。
抜いたり抜かれたり何度も出会った刀水仲間Mさんから序盤に適切なアドバイスをもらえたのも大きかった。
助言に従って前半は頑張らず急坂は歩きを入れたのがよかったようで後半、自分でも意外なほどしっかり走りきることができた。Mさんありがとう。

70km地点を過ぎた午後3時頃、にわか雨が降ったりやんだり。天候も走りも大崩れはないうちにゴール。
更衣室になっている体育館のシャワーを行列してようやく浴び、駅へのバスに乗り込んだのが夕方5時少し前。と、途端に雷鳴とともにすさまじい豪雨。
ぎりぎり10時間切り (制限は12時間以内) めざして続々とゴールに駆け込んでくるランナーの姿がかすんで見えないくらいの激しい風雨となった。
その後2時間余り、最終ランナーまで大会運営スタッフの皆さまはそれぞれの持ち場で豪雨にめげず奮闘されたとのこと。ほんとうに頭が下がる。

ともあれ、これで5月の「つくば100kmウォーク」、7月の「所沢3種耐久」、本日の「奥武蔵ウルトラ」と続いた 『ど根性養成シリーズ』は完了。「なでしこ」には及びもつかないけれど最後まであきらめない気持ちは多少なりとも強化された、ならよいのだが。
これからは秋の大田原フルと来年2月の本命レース延岡フルめざして普通に練習していく予定のオヤジである。


★オヤジの心を癒す昭和の歌 (99) 
 都電100周年なんだそう。今は都電荒川線のみ存続し、ワシもたまに荒川方面に行く時に乗車する程度だが、路面電車は独特の風情を感じさせる。その駅の一つ「面影橋」にちなむこの歌。

 ♪ 面影橋 (NSP/1979)                     

 

コメント (2)
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