ランニングおやじの野望!

50歳を目前に突然走り始めた鈍足おやじランナーのトレーニング雑記です。

柴又100k

2015-06-07 17:43:12 | レース

6月6日土曜日「第3回 柴又100k ~東京⇔埼玉⇔茨城の道~」に初参加。12時間42分01秒でゴール。

還暦記念で初挑戦した100kmウルトラマラソンは、(予定どおり?)惨憺たる結果に終わった。

(10kmラップ)

58'46"ー57’07”-62’07”-72’32”-91'10"ー73’21”-78’47-88'20"ー91’09”ー83’40”

前半50km 5時間42分 / 後半50km 7時間

スタートは朝7時。A~Hまでブロックごとに3分間隔のウェーブスタート。制限時間は14時間。100kmには1800人が出走したとのこと(他に60kmの部あり)。

葛飾・柴又の河川敷公園発着、江戸川沿いに遡上し埼玉・三郷、春日部などを経て茨城・古河市の手前の五霞町(ごかまち)で折り返す往復100kmのコース。2週間ほど前にコース試走で片道だけ走ってみた際、江戸川沿いに来たはずが最後はいつの間にか利根川と表示されており、???。調べてみたら、江戸川は利根川の支流のひとつで長さ60kmほど。その分岐点が関宿(せきやど)ということを初めて知った。

初めての100kmではあるけれど、2011年つくば100kmウォークでは徹夜約17時間で歩いており(走ってはいけない)、今回は走っていいわけだから最低5~6時間は縮められるだろうと臨んだのだが……。

中間点の手前、五霞町に大規模エイドが設営されており20分ほど大休止。ここで食べたスイカは実に美味だった。多くの人はうどんを食べていたが、この時点でワシはもう胃の調子が悪く食べられなかった。胃薬も飲み、留意はしていたのだが。その後、70km以降は水分も食べ物も受け付けなくなり、ふらふらで走り続ける。km9分台まで落ち、ラスト40kmに6時間近く要してしまう。これはつくば100kmウォークの時に練習で参加した荒川40kmウォークとほぼ同じタイム。ナサケナイ。

3月1日の静岡マラソンを起点に3カ月で1000km走り込み、それなりに練習を積み、準備も整えてきたはずが、この始末。ラスト、すでに日没から30分以上が過ぎ宵闇迫る中、フィニッシュゲートが見えた時、自分への怒りがこみ上げてきた。このまま終わっていいのか、と。土手から河川敷への下り坂を駆け下り、先行するランナーをすべて抜き、怒涛のゴール。時々、最後だけ猛スパートしてる人を見かけるが、まさにあれ。みっともないかもしれないけれど、そうせずにはいられなかった。

ともあれ、ゴールできてほっとした。川沿いの土手をひたすら走るコースながら応援の方々も少なからずいらっしゃって勇気づけられた。とくに春日部では刀水AC関係の方々からご声援をいただいた。ありがとうございます!

ゴール後、精も根も尽き果て動けなくなり、這うようにして救護のテントに行き休ませていただく。ようやく回復し、帰り道に柴又帝釈天のお店でねぎらいの声をかけていただく。もう2度と100kmなんて走らないと決めていたはずなのに、よし次こそは! ともう心変わりして帰路についたオヤジであった。

 

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連続10回目の仙台国際ハーフ

2015-05-10 21:18:04 | レース

約3年ぶりの更新。永らくのご無沙汰をお詫び申し上げる。仙台でハーフマラソンを走り、帰ってきたオヤジである。 

10年前、このブログを始めたのは、ようやく初出場を果たしながら15km関門止めに終わった仙台国際ハーフマラソンの未完走記を書くためだった。あれから10年、東日本大震災をはじめさまざまなできごとがあった中で、開催中止になった2011年の大会を除き、今回で10回連続出場することができた。感謝。

ここ数年、記録は長期低落傾向を続け、ハーフマラソンでも2010年の千葉マリンハーフの1時間34分05秒以来1時間35分(km4分半ペース)を切れなくなっている。初出場した頃の仙台国際ハーフの参加資格タイムはまさにその1時間35分以内の公認記録だったから、そのタイムをクリアすることがワシにとって至上命題であった(その後、緩和され1時間40分以内になり現在に至る)。

今回は久々に、ある程度練習も積めてkm4分半ペースをめざし臨んだのだが……。

結果は、1時間37分55秒。 23分16秒ー23分03秒ー23分01秒ー23分38秒ー4分57秒

どの5kmも22分台では走れず。これが今の精一杯の走りだった。ともあれ、来年の参加資格を一応確保でき、ほっとした。

 

これまでの10回を振りかえると、

①2005 第15回 (15km関門止め) ②2006 第16回 1時間38分02秒

③2007 第17回 1時間36分15秒  ④2008 第18回 1時間32分59秒

⑤2009 第19回 1時間33分32秒  ⑥2010 第20回 1時間35分57秒

(2011 第21回 震災のため中止)     

⑦2012 第22回 1時間39分21秒  ⑧2013 第23回 1時間40分15秒

⑨2014 第24回 1時間44分43秒  ⑩2015 第25回 1時間37分55秒

 震災前は陸連登録選手のみ出場の1000人規模レースだったのが、震災後の第22回からは一般参加による1万人規模の大会となった。

その第22回大会ではかろうじて1時間40分をクリアして翌年も登録選手の部で出場したものの15秒オーバー。その年は他のレースでも参加資格タイムを確保できず、昨年の第24回大会はついに一般参加となった。これまであたりまえと思っていた仙台市陸上競技場への入場もできず場外でのアップ、スタートも後方となり渋滞でkm5分ペースがやっと。実にクヤシイ思いを味わい、ようやく気合が入り、秋のレースで参加資格タイムをゲットし、今回に臨んだのであった。

50歳時に初出場してから10年、今年還暦を迎えた。今回、登録選手の部で60歳以上は数十人程度。年々、参加資格確保は年々至難となるだろうが、できるかぎり継続したいものである。 

なお、女子では前田彩里選手(佛教大~ダイハツ)が1時間10分24秒で初優勝。ちょうどゴール直前の快走を、当方はまだ15kmくらいの地点ですれ違い目撃できた。世界陸上でも結果を期待したい。

※5/25追記:今回の大会記録に年代別出走者数がようやくアップされた。登録の部出走者は男子939人、女子216人。うち、60歳代は男子26名、女子8名、70歳代は男子2名のみ。あと10年、登録の部で出走を続ける……うう、きびしいだろうなあ。でも、やってみたい!

 

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初のOWS

2012-06-25 23:47:35 | レース

オープン・ウォーター・スイミング、つまりプールではなく海や湖などの自然環境で泳ぐこと。
写真はレース当日の朝、普段は遊泳禁止となっている幕張海岸の沖合250mあたりに浮設するブイをスタッフの方々が運ぶところ。

日曜、「幕張チャレンジトライアスロンフェスタ2012」(千葉)に初参加。といってもこの場所自体は毎年1月に連続出場を重ねている「千葉マリンハーフ」の会場で、なじみがある。

初心者向けのアクアスロンの部、スイム750m+ラン5kmで初めての海レースを体験した。
一般男女合わせて76人(うち女性13人)でスタート。スイムで男子4名がリタイア。
タイムは合計52分17秒、総合72名中61位。内訳は、スイム29分35秒(69位)、ラン22分42秒(25位)。

スイムは惨憺たる結果に終わり、30分の制限時間ぎりぎり。実質ビリである。
海のレースが初めて、着用義務のウェットスーツで泳ぐのも初めて。
レースで「初めて」は禁物なのに初めてだらけ。スタート直前に試泳した時点で激しく後悔した。
プールとまったく勝手が異なり、海水は黒く濁って視界が全然利かず恐怖心で呼吸ができない。
やめられるものならやめたい気持ちでいっぱいになったけれど、あっという間に8時半スタート。

本番になっても状況は変わらず、普通に泳げない。クロールは断念し、カメのように顔を突き出したままの平泳ぎでのろのろと前へ。海岸から沖合まで250mのブイまでがとてつもなく遠かった。
ブイから海岸線と平行して横に250m、そしてスタート地点近くまで向かう途中で20分遅れでスタートするメイン種目のトライアスロン第1ウェーブが一斉に泳ぎ出したのが見えた。

そのあたりからようやく平常心が戻ってきて、まず顔を浸けて普通の平泳ぎ、ラスト100mはクロールで。
浜で応援する方々が「あんなに泳げるのにこの人、なんでビリなの?」などと話す声がよく聞こえる。すみません、普通に泳げたのは最後だけなんで。

トランジット(更衣)へ走ろうとするも脚がもつれて走れない。最終走者への拍手が温かくも痛い。
ランはマリンスタジアム付近の1.7km弱コースを3周回。2周目に入ったあたりからようやく普通に走れるようになり、なんとか10人ほど抜いたか。

海の波に揺られてとてつもなく心細い思いをしていた時はもう二度と出るまいと誓ったはずなのに、ゴールすればすべて忘れ、よし来年こそはと当然のように決意するいつものオヤジであった。
何はともあれ、無事帰還できてよかった。

☆オヤジの応援歌 (11)
幕張前日の土曜は、これまた初体験。荒川区内の障害者施設合同運動会の支援ボランティアをさせていたき、全員参加でたのしくノリノリで踊ったのがAKBのこの歌。

 ♪ ヘビーローテーション (AKB48/2010)

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仙台国際ハーフ

2012-05-13 22:32:34 | レース

1時間39分21秒。仙台ハーフでのワースト記録を更新してしまったが、登録男子の部の参加資格1時間40分はかろうじてクリアした。
発着地の仙台市陸上競技場は写真のように、最近流行のブルートラックにリニューアルされていた。

「第22回 仙台国際ハーフマラソン大会(杜の都ハーフ2012)」に参加。2005年に初出場して以来7年連続(昨年は震災で中止)。
前回までは、参加資格タイムの公認記録を持つ陸連登録者のみの1000人規模のレースだったのが、今回は一般開放で一挙に1万人超のマンモス大会に。
これまでの仙台国際ハーフに強い思い入れを持つ方々の中にはその変容を受け入れ難く出場を取りやめた向きも少なからず。ワシも思い悩んだ末に、それでもやっぱり仙台の街を走りたいと参加を決めた。

スタート時刻が近づく。従来は競技場内から先に女子、5分後に男子がスタートしていたが、今回から登録者は競技場内で待機するもののスタートは競技場付近の道路上からブロック別に整列し一斉スタート。号砲の前に、震災で亡くなられた方々に全員で黙祷を捧げる。
10時5分スタート。本日ここに立てたことを深く深く感謝する。

 23'41" ー23'39" ー23'22" ー23'42" ー4'57"

先週の春日部大凧ハーフが1時間43分半くらいだったので、1時間40分切りは容易でないことは充分に想定しており、そのとおりすれすれの展開となった。春日部よりも4分縮めたのは、現時点の走力としては上出来か。

コースも大きく変わった。最大の変更点は、スタート/フィニッシュがともに仙台市陸上競技場(付近)となったこと。従来は競技場内周回後に周辺を回ってから市南部の長町方向へ向かった後、市街中心部をめざして北上。ラストは仙台の代表的ストリート、けやき並木が美しい定禅寺通りを駆けぬけて仙台市役所前広場にゴールだった。
新コースは前半に定禅寺通りを往復など主要市街地を走行し、後半は競技場周辺を周回する。

序盤に広瀬川を2回渡るため橋のアップダウンがあるものの後半はほぼフラット。以前はラスト近くに長い上りがあったのと比べれば走りやすくなった。

ただ今回のコースは市街地走行後に競技場前まで戻ってから6kmほど周辺を走って競技場内を3/4周してゴール。
いったんフィニッシュ地点に近づきながらまた離れていくコースは他大会にも見られるけれど、ランナー心理からすればいささかつらいものがある。できるものなら、フィニッシュ地点に近寄らずに周辺で距離調整してほしいものである。

大規模大会への変貌に伴い運営スタッフも市民ボランティア含め2000人に大増員。気温が上昇したこともあり給水体制に一抹の不安があったけれど、大きな混乱やアクシデントはなかったようだ。感謝。

受付でゼッケン類と一緒に「感謝とともに前へ、仙台のちから。」と記されたシールが配布され、ワシも含め多くのランナーが背中や袖に貼って走った。
タイムはともかく、走れることの幸せを改めて強く実感したオヤジであった。


☆オヤジの応援歌 ⑩
 帰宅したらNHKBSでちょうどこの歌を合唱していた。震災直後に仙台市内の中学生たちが歌い多くの人の心に灯をともしたこの合唱曲。

 ♪ あすという日が (仙台市立八軒中学校吹奏合唱部/2011)

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土日2連戦

2012-04-15 18:02:46 | レース

土曜はフル、3時間56分29秒。かろうじて4時間は切った。
日曜は5km、22分34秒。km4分半ペースに届かず。

3月の大山登山レース以来1ヵ月ぶりのレース。
土曜日に初参加したのは、「第7回 戸田・彩湖フルマラソン&ウルトラマラソン」(埼玉)。
メイン種目の70kmが朝8時にスタートした1時間後、9時5分頃にフルの部スタート。
人造湖である彩湖を周回する1周4.652kmのコースをフルは9周+327m、70kmは15周+220m。
前夜からの冷たい雨が降り続き、時折り風が吹きわたるといっそう寒さが身にしみる。

タイムを狙って走れる状態ではないので、当初考えたのは30kmまでkm6分ペースで行き、そこからkm5分ペースでゴールして4時間を切るというプラン。
実際に走りだしてみると、どれほどゆっくりペースで行ったとしても終盤にペースを上げるのは難しそうな予感が。
最低限4時間は切りたいので、リミットペースのkm5分40秒を超えないよう、1周26分20秒以内を目安に周回を続けた。ラスト3周は、本来ならkm5分ペース、1周23分15秒以内で走らなければならないところだが、結局一度も23分台はなく、ラスト1周は脚にきてkm6分近くまでペースダウン。ほぼ予想どおりの展開で、なんとか4時間以内でゴールした。

[周回ラップ]
29'38"(+327m)ー26'03"ー25'06"ー26'17"ー25'07"ー26'39"ー24'13"ー25'32"ー27'48"

終始風雨にさらされる厳しいレースとなったものの、スポーツエイド・ジャパン主催大会の名物ともいえる豪華「これでもかエイド」は健在で励みになった。とりわけ、ワシの好物おしるこには元気が出た。
帰路につくランナーのうち、足をひきずるようにつらそうに歩く方々の多さが目についた。どの大会でも目にするけれど今回は妙に多い印象で、急な寒さぶり返しの影響もあったのかも。

一夜明けて本日は「第2回 大井中央海浜公園スポーツの森ロードレース」(東京・大田区)5kmの部に昨年に続いて参加。昨年はこの時期ほとんどの大会が震災の影響で中止になるなか第1回大会が開催された記憶も強く残っている。
9時、5kmの部が大井競技場内からスタート。外周コース2.5kmを2周する。フル翌日の重い脚で精一杯走ったが、km4分半ペースに届かず。

前回に続き、ゲストランナーのお一人が刀水ACでご指導いただいている「よしこコーチ」。41歳時に東京国際女子マラソンで2時間42分18秒の自己記録(18位) をマークしたすごい方だが、少々翔んでるところがあって今日もスタート2分前に号砲を誤射したのはご愛嬌。「ごめんね」ポーズに皆笑い、緊張がほぐれたのは人柄ゆえだろう。

5kmレースで「完走」を本気で目標にしたのはたぶん初めて。タイムはともかく、ゴールまで走れてホッとした。

5kmの後、10kmが「女子」「一般男子」「壮年男子」の3部に分かれて時差スタート。応援に回りたかったが、メルボルンで暮らし始めた高1息子から「これが必要、あれも必要」と連絡あり、親が買い出しに行かねばならず会場を急ぎ後にする。
長野、かすみがうらの2大マラソンに出走された方々の結果はいかに?

☆オヤジの応援歌 ⑥
 週末の朝日新聞別刷り1面「うたの旅人」で紹介されていたのがZARDの永遠の名曲。
直筆詞作ノートの写真も掲載されており、推敲の跡が心にしみる。

 ♪ 負けないで (ZARD/1993)




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2年ぶりの石段登り

2012-03-11 22:54:14 | レース

本日、「第27回 大山登山マラソン」(神奈川県伊勢原市)に参加。通算4回目。
9km、58分29秒。今回もすれすれながら1時間は切ることができてホッとした。

総勢約2000人を年代別に3組に分け30分ずつずらしてスタート。
距離は10km足らずだが、標高差650m。ラスト2kmは参道の石段1610段が待つ。
先陣は男子50歳代と60歳以上の部、10時スタート。

スタートに先立ち、開会式では1分間の黙祷。きょう開催された名古屋、京都をはじめ多くの大会でも同様だったようだ。
本日ここに立てたことを深く深く感謝する。

2007年に初参加して以来、前回まではかろうじて1時間を切ってゴールしてきた。
天候にも左右されるが、全参加者のうち1時間以内にゴールできるのは1/5から1/4程度。
とりわけワシら50代以上の物好きオヤジにとってはこの大山登りで1時間切れるかどうかが重大関心事となっている。
※今回の記録を見ると、50代男子完走者347名のうち1時間切りは63名(18%)、60歳以上は225名中16名(7%)にとどまる。

 ①2007 57分7秒   8'54"ー29'05"ー19'07"
 ②2008 58分50秒  9'11"ー29'58"ー19'40"
 (2009は申込忘れ)
 ③2010 57分53秒  9'09"ー29'07"ー19'37"
 (2011は震災の翌々日で中止)

ラップは、最初の2km(駅前から山に向かって市街地を走行する緩い上り道)⇒中盤5km(次第に傾斜が増し歩き出す人多し)⇒ラスト2km(1610段で標高差370mを登る山道)
それぞれ、10分以内⇒30分以内⇒20分以内 をクリアするのが1時間切りには必須。

これまでの経験からワシの場合、最初2kmのタイムの6倍ちょっとがおおむねゴールタイム。
で、今回は9'59"。やはりスピード不足で10分ぎりぎり。これまでで最も遅い通過で、1時間切りに黄信号だが、もうそういうことは考えない。

あとは時計も見ずひたすら目の前の坂道に集中する。速くはないものの、もう抜かれることはなく徐々に前のランナーを抜いていく。ラップボタンは押し、後で見たら29'13"。元気だった5年前に8秒差は上出来か。

この大会はローカルながら豪華なゲストランナーも名物で、今回も6人の女性アスリートが。真木和さん(アトランタ五輪マラソン代表) 小幡佳代子さん(セビリア世界陸上マラソン8位) 高橋千恵美さん(シドニー五輪1万メートル代表) 市川良子さん(アトランタ・シドニー五輪5000m連続代表) 市橋有里さん(シドニー五輪代表) もうお一人、弘山晴美さんも予定されていたが、お子さんの具合が悪いとのことで残念ながら欠場。
ワシらオヤジ組には小幡さんと市川さん。5kmすぎに坂の傾斜がきつくなってきたあたりで小幡さんを抜く。わーい。スピードランナーの市川さんにはついに追いつけず。

石段が始まる。前3回はただもうがむしゃらに駆け上がるばかりだったけれど、年々体力低下は否めず今回は近所の階段で登り方を研究してみた。結果、2段ずつ駆け上がるのがもちろん最速だが、2段ずつ歩いて上がるのも大差ないとわかり、今回の石段は最初から走らず2段歩きを基本として進んだ。最後の最後だけ頑張って駆け上がり、19'17"。石段部セカンドベストとなった。ゴール58分29秒。

山の上にはまだ雪が一部残っていた。気温は3℃。おしることお粥にみかんをいただいてすぐ下山。
ちなみに今回の全完走者2046名中1時間切りは399名(19.5%)、うち女性は273名中わずか11名。われと思わん女性ランナーはぜひこの物好き大会へ来たれ。(いつも名古屋と重なるけど)
なお、今回のトップ走者は40分32秒(大会記録は39分37秒)、最終走者は2時間58分だった。

今回なんとか中盤以降に踏ん張れたのは、やはり一昨年からの足柄峠通いのおかげであろう。というわけで、午後は伊勢原からほど近い足柄峠へ。通算34回目。
いつもはJR御殿場線の山北駅から出発するのだが、ちょうど電車が出たばかりで次は1時間近く待たねばならず、小田急の新松田駅から走り出す。途中で道に迷ったりしながら山北駅を通過したのが50分後、8kmほどの距離か。
すでに午後2時近く、こんな遅い時間に足柄峠に向かうのは初めて。空もどんよりうす暗く一抹の不安を感じながら、しかし念のため用意してあるヘッドランプも持っていることだし、とにかく暗くなるまでに戻ってこようと峠をめざす。
通常の「足柄万葉公園」往復、26kmのコースだが午前の石段登りと松田からの8kmプラスが効いて、上り下りとも最後はへろへろ。

しかも、下り始めた時に単独で登ってきた速そうな女性ランナーがいて、時間的に見てどうやらワシと同じく石段+足柄峠組らしい。なんで名古屋に行かないの?  って超余計なお世話か。
このままではすぐ追いつかれると必死でペースアップして下るも結局あっさりと高速抜かれ。
ガックリきてついに走れなくなってやむなくウォーキングを混ぜながらようやく夕方5時少し前に「さくら湯」にゴール。ともあれ無事に帰還できてよかった。

距離だけは午前と午後を足して45kmくらいになり、名古屋で頑張っておられる刀水女性陣15名にいちおう顔向けはできそうだが、内容は???
帰宅して、その名古屋の録画を結果知らずに観戦。手に汗握る。ラスト勝負で敗れはしたものの、中里麗美選手の積極的なレース展開はさわやかな印象を強く残してくれた。惜しい。


☆復興支援ソングが数多く作られている中で、きょう初めて聴いたこの歌はストレートに心に伝わってくる。
   ♪ 未来へ(YUSAKU1114/2012)

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静岡ハーフ、勝負なし

2012-03-04 20:32:25 | レース

1時間36分57秒。精一杯走ったが、どうにもkm4分半ペースには上がらず。
 22'59"ー22'39"ー22'59"ー23'19"ー4'59"
静岡ハーフでのワースト記録。折り返してくるトップ集団とすれ違う地点がひどく手前だったのも道理。
(地元出身ゲストランナー・佐藤悠基選手の走りを間近に目撃できたのはよかった)

自分のタイムのことよりも、今年で8回目を数えるはずだった高校同期生O君との対決は本人が姿見せず、勝負不成立に終わったのが残念でならない。

「第37回 静岡駿府マラソン」ハーフの部に8年連続8回目の参加。

2005年に静岡ハーフに初参加。同年秋に岡山国体で一般ランナーも出場できるハーフマラソンが開催された折り、高校時代に校内マラソン大会(12km)で優勝したO君に偶然32年ぶりの再会。ワシも驚いたが向こうはもっとたまげていた。「おめえが走ってるなんて……ありえねえ」
そう、高校時代のワシはランニングに限らずスポーツ・体育まるでダメ。態度も悪いので体育の成績は最悪で、かろうじて赤点をつけるのだけは教師の温情により免れていた。

秋に岡山で再会した年の静岡ハーフでのO君のタイムは1時間30分。その時点では同じレースを走っているとはおたがい知らなかったがこれを第1回として故郷の静岡で同級生勝負が始まった。
  2005  ● 1:33'08"   1時間35分を初めて切り仙台ハーフ出場権得るも負け 
  2006  ○ 1:36'17"   不調ながら向こうはもっと不調……
  2007  ● 1:32'57"   自己ベストタイだったが追いつけず
  2008  ● 1:35'25"   気管支炎の病み上がりで3分差の負け
  2009  ○ 1:31'08"   現在も破れずにいる自己ベストで快勝
  2010  ○ 1:35'06"   冷たい雨で後半ペースダウンも相方はさらにダウン
  2011  ○ 1:35'58"   初めて先行したが後半抜かれるも終盤に再逆転

50歳ころまで1500mで5分を切っていたスピードランナーであるO君が先行して逃げ切るか、あるいは後半落ちてきたのを粘って抜くか、が基本パターン。昨年は初めて異なる展開の末にワシが3連勝し通算4勝3敗と勝ち越したのだが。

帰りの列車内でプログラムをよくよく見ても記名なし。帰宅してネット検索してみたが、他部門にもエントリーしていなかった。おーい、どうした?

年に1度か2度、静岡でのレース前に「よお」「おお」と再会し、ゴールして「じゃ」「おお」と別れるだけで、年賀状のやりとりすらしておらず連絡のつけようもない。
念のため今年の東京マラソンをチェックしてみたら、やはり出走していた。しかし、これまでも東京の1週間後に静岡ハーフというのはおたがいに何度もあった。しかも、今回はそもそもエントリーしていなかった。もう終わりかよ~?

というわけで、いささか心さみしいオヤジであった。
勝手に第40回大会までに10回勝負、さらに第50回大会ではともに70歳を迎えて制限時間2時間(一般的にはハーフマラソンは2時間30分制限が多いが静岡はやや厳しい)に共におびえながら老骨に鞭打って勝負する姿を夢想していたのだが。

前日は刀水練習会。東京マラソン後で名古屋・京都などの直前からか参加者少な目。サブ3ランナーH氏が板橋フル対策でkm4分ペース20周(1.1km周回)する中、他のメンバーは各自ペースで10周プラスアルファ。ワシはkm5分で入り5周目までに4分半まで徐々に上げて9周まで維持。ラスト1周は4分15くらいに上げるつもりが女子メンバーに抜かれ最後は4分くらいまで上げるも結局追いつけず。

そういえばきょうの静岡でも終盤競り合いになった某クラブのユニフォーム女子にゴール前抜かれ届かず。クヤシイ。2日続けてクヤシイ。
以前なら絶対に抜き返していたのに。はやばやとあきらめてしまう弱い自分がいる。まだ枯れるには早すぎる。もう少し血の気を多くしていかねば。  

★オヤジの心を癒す昭和の歌 (127)
   ワシらが高校卒業する頃、大ブレイクしていたのが陽水のこの名曲。

 ♪ 夢の中へ (井上陽水/1973)

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東京マラソン、撃沈…

2012-02-26 23:15:57 | レース

3時間31分00秒。ダメだった。

24'00"ー23'38"ー23'29"ー23'43"ー23'50"ー24'31"ー26'01"ー29'06"ー12'42"

いちおう設定ペースの23分半あたりでペースを刻めたのは25kmまで。30km以降はもうダウンジョグ状態に。初の3時間20分切りをめざしたのに、結果は3時間半をオーバー。
中間点を1時間40分ちょうどで通過。前回のフル、昨年11月大田原でも前半1時間40分で後半5分落ちの3時間25分台だったから、きょうこそはイーブンで行くはずだったのだが。結果はさらに大きく10分以上のダウン。

あと2km地点で、恐れていた3時間30分ペースセッターに抜かれた。なんとかついていこうとしたものの、それまでkm6分近くまで落ちていたペースを5分半くらいに戻すのがやっと。
結局2kmで1分以上の差をつけられて失意のゴール。3時間半がなかなか切れなかった頃に何度も味わったあの切なさなさけなさをまたきょう思い知るとは。

ゴールしたとたん苦しさは消えて、エネルギー不完全燃焼を実感。ただちに着替えてゴール地点に最も近い有明スポーツセンターの温水プールへ。悔しさを水に流しつつ、これだけエネルギーが残っているのにどうしてあんなに走れなかったのか不思議。

曇天やや低温ほぼ無風と絶好の条件に恵まれ、言い訳はまったくできない。故障なく練習も順調に積めて、当日の体調も良かった。前半もけっして無理なペースではなかったはず。
なのになぜ? まったくわからない。
事実として言えるのは、苦しくなってから踏ん張る力、乗り越えていく力がなかったこと。客観的に見れば、やはり現時点の走力に対し「オーバーペース」だったのだろう。

4月以降は、今までのようにはレースに好き勝手に出られなくなりそうなので、きょうはなんとしても自己記録で一区切りをつけたかったのだが。
そんなカッコイイ幕引きは残念ながらさせてもらえず。「持っていない」オヤジとしては、これからもできるかぎり粘り強く前へ進むほかはないようだ。

応援してくださった方々に深く感謝申し上げます。

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東京マラソン1週間前

2012-02-19 22:23:11 | レース

本日は東京マラソン1週間前の最終調整レース10km。44分21秒。
前日は通算33回目の足柄峠。夜来の雪が凍結していて、こわごわ走る。富士山はすばらしく美しかった。

「第12回 結城シルクカップロードレース大会」(茨城) に初参加。最長種目が10kmで他に5kmや親子ペアなど。全体でも3000名ほどのエントリーで、近頃の過密マンモス大会を思えば適正規模で落ち着いた雰囲気。

所属する刀水ACと、監督が代表を務めるアミノバリューランニングクラブin栃木のメンバーの方々が集まった陣地に荷物を置かせていただき、ゆったり準備。
レース後の表彰式では女子の入賞者が両クラブから数名出て、自分自身は年代別でも52位といつもどおりの低レベルながら、心うれしいオヤジであった。

フルの調整なので事前のプランとしては前半5kmを現実的なフルのレースペース23分半くらいで行き、後半は理想に近いペース21分15秒に上げて、なんとかトータル45分以内でゴールが目標であった。実際は。
 22分47秒ー21分34秒

最初の1kmが5分だったのでいささか焦り、上げ過ぎてしまった。後半は思うように上がらずラスト1kmでやっと4分15秒に。残念ながら前半後半ともに課題をクリアできず。

去年の本命フル延岡の直前1週間時点でも別の10kmレースに出走したが、その時は余力を残して43分25秒。
スピードも練習量も今年は不足しているのが明らかながら、だからフルもたぶんダメかというと、そうとも言い切れないのがフルマラソン。

延岡では18km80分、中間点1時間35分のワシにとっては相当厳しい関門を通るために前半から全力でいくほかはなかった。結果、関門はぎりぎりで通過できたものの後半ガタ落ち。前半1時間34分ー後半1時間48分。

今年の延岡の記録を拝見していたら、中間点を1時間40分を超えて通過しながら3時間20分を切ってゴールしている方がただ一人。今回は関門が10分緩和されたのを活かしたペース配分といえる。そのあたりのゴールタイムの方々がほとんど1時間30分前後で入り後半大きく失速しているのと対照的で非常に参考になる。

23'38"-23'57"-23'43"-23'39"-23'32"-23'40"-23'58"-23'34"-9'56"
   3時間19分37秒 (前半1時間40分3秒ー後半1時間39分34秒)

5kmラップは見事にすべて23分台後半、ラストで10分を切っているのも立派。
このお手本をトレースするように東京を走りたいものである。


前日はこれまた昨年の延岡前と同じく足柄峠走。ただ今年は去年より走力がダウンしているのは否めず、いつもの山北駅出発コースだと片道だけで13km。往復26kmの上り下りはいささか負荷が大きすぎると考え、山北の3つ先の足柄駅から峠をめざした。
ここからだと往復でも12kmほどで標準コースの半分以下。傾斜も適度で調整トレーニングには最適と思われたのだが。
実際に朝行ってみたら前夜の雪が凍結しており、とくに下りは超こわかった。

結局、上りも下りもほぼ同じく1時間を要したものの無事帰還できてホッとした。
足柄駅から歩いて10分ほどの町営「あしがら温泉」(3時間500円) の露天風呂からは眼前にでっかい富士山の絶景。いやあ、あしがらの湯はたまらねえよ、と思わず見とれたオヤジであった。


★オヤジの心を癒す昭和の歌 (125)
   GSシリーズ第4弾は、「王者」の大ヒットナンバー。

  ♪ ブルー・シャトウ (ジャッキー吉川とブルー・コメッツ/1967)
 

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雨の千葉マリンハーフ

2012-01-22 19:45:10 | レース

1時間39分57秒。退職して最初のレース、快走で飾りたかったが撃沈。それもまたワシにふさわしいかも。

「第36回 サンスポ千葉マリンマラソン」(公認ハーフの部)に2年ぶり、6回目の参加。
9年連続で参加している静岡駿府マラソンに次いで参加回数が多い大会である。

一般ハーフがスタートする5分前、10時スタート。本日ここに立てたことを深く感謝する。

 23'51"ー22'47"ー23'13"ー24'17"ー5'47"

最初の5kmのタイムを見て愕然。あとは一切タイムを見ず懸命に走るのみ。
終盤は撃沈フルのラストのように、やめたい気持ちとの闘いに。
投げ出したくなった時、刀水AC「応援団長」さとちゃんの熱烈声援で気力をふりしぼってゴールへ向かうことができた。おかげさまで、かろうじて1時間39分台に間に合った。ありがとう。

6回目ながら、自分史的にはこの大会にはこれまでもさまざまな「歴史」がある。

 ①2005年 初参加、1時間36分46秒 ようやく1時間35分切りが射程圏内に入る。そして3月の静岡で1時間33分台、念願だった仙台国際ハーフ出場権をゲット。(当時は1時間35分以内が参加資格)

 (2006年 積雪10cmのため開催中止)

 ②2007年 (1時間21分17秒) 先頭ランナーの誘導ミスにより3kmほど距離不足。

 ③2008年 1時間44分40秒。正月から気管支炎で2週間走れず、病み上がり。

 ④2009年 1時間32分52秒、2年ぶりでハーフ自己記録更新。

 ⑤2010年 1時間34分5秒、普通の走り。

昨年は湘南国際マラソンに新設されたハーフの部が同日開催となったため欠場。(湘南は1時間31分51秒のセカンドベスト相当タイムながら1時間30分が制限時間のため「記録なし」に終わる)

きょうは冷たい雨でいささか寒すぎたが、それは言い訳になる。
やはり、走る基礎量が不足しているのが決定的だろう。
以前は冬場も手に霜やけつくりながら毎朝暗いうちから11kmを原則として走りこんでいたのに最近は起きられず室内トレーニングの日が多い。
ランニングに限らず、ごまかしは通用しないと痛感させられたオヤジであった。


★オヤジの心を癒す昭和の歌 (122)
 40年ぶりに復活したザ・タイガース「ピー」(瞳みのる)のドラムスが冴えるこの曲。GS界で人気最高だったタイガースのラストシングル。

 ♪ 誓いの明日 (ザ・タイガース/1971)



[おまけ] 妻から続々と励ましメール届く。とりわけ、これはグッとくる。泣けた。

 ⇒ 「あるレジ打ちの女性」の話   動画版







 

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