昨日ラジオでたまたま首相の施政方針演説を聞いていたところ、思わず耳をそばだてた箇所があった。
かつて薬害エイズ問題に共に取り組んだ盟友・山本孝史議員に触れ、政治は不条理を正さなければならないと。
演説全体の評価はさておき、ちょうど山本議員の妻・山本ゆきさんが書かれた『兄のランドセル ーいのちの政治家 山本孝史物語ー』(朝日新聞出版)を読ませていただき、そのひたむきな人生の軌跡に胸ゆさぶられていたところだったので、演説の言葉が強く心に響いた。
全文が今朝の各紙に掲載されているものの、これを丹念に読む人はそう多くはないだろう。備忘のため、ここに引用させていただく。
……私(菅首相)がかつて薬害エイズ問題に全力で立ち向かった原動力は、理不尽な行政で大変な苦しみが生じている不条理への怒りでした。
当時、この問題に共に取り組んだ一人が山本孝史議員でした。山本さんは、カネのかからない選挙を展開して国政に飛び込み、「命を守るのが政治家の仕事」と社会保障問題に一貫して取り組みました。
5年前に胸腺がんに襲われた後も、抗がん剤の副作用に耐え、やせ細った身を削りながら、がん対策基本法、そして自殺対策基本法の成立に尽くしました。
党派を超えて信頼を集めた彼の行動力、そして世の中の不条理と徹底的に闘う情熱。私はそれを引き継いでいかなければならない。
先月、山本さんの3回目の命日を迎え、決意を新たにしました。……
2006年5月の参議院本会議で自らのがんを“告白”し、「がん対策基本法」と「自殺対策基本法」の成立を訴えたことをニュースで知ったのが山本孝史議員の名に接した最初だが、その翌年7月には参院選で当選を果たしながら同年末、12月22日58歳で亡くなられた。お目にかかれるものなら、一度はお会いしたかった。
この本を読み、山本さんの活動の出発点が学生時代に関わったボランティア活動にあったこと、さらにその原点には5歳の時、小2の兄を交通事故で失った痛恨の記憶があったことを知った。「兄のランドセル」はそんな不条理な現実の象徴である。
「孝史たちの活動を『行政のやることではないか』と冷ややかに見る学生もいた。しかし、理屈を並べても現実は変わらない。自分たちでできることをまずやらねばと孝史たちは思った」と、妻ゆきさんは熱く記している。
できることをやる。人の役に立つ。そして世の中をよくする。これが山本さんの終生変わらぬ一貫した姿勢だった。その姿勢だけでも、いささかなりとも学び継いでいきたいと改めて思うオヤジであった。
2日たっても、まだ湘南の敗戦を引きずり気味。サッカー日韓戦を観るか。
★オヤジの心を癒す昭和の歌 (72)
今回は、やっぱりこの歌だろうなあ。
♪ 赤い風船 (加藤登紀子/1966)