ランニングおやじの野望!

50歳を目前に突然走り始めた鈍足おやじランナーのトレーニング雑記です。

山西先生

2007-08-29 22:40:07 | その他の雑記
昨日(8/28)の日経新聞文化欄に山西哲郎先生が記事を執筆されていた。
「走るは楽し ラン学事始」のタイトルで市民ランナー指導30年の経緯を語っておられる。

その中で、若き日に訪ねたセラティとの出会いについてこう触れている。
(1971年、当時山西先生28歳、セラティ76歳。80歳で亡くなる4年前)

「母校(東京教育大)の助手だった71年に豪州を訪問したことが転機だった。
40歳を過ぎてから本格的にランニングを再開して、多くの世界的アスリートを育てた伝説的コーチ、パーシー・セルッティさんに出会えたのだ。
彼の著書『チャンピオンへの道』に感銘を受けた私は、はっきりした住所も知らないままポートシーという海辺の町に行き、彼の家にたどりついたばかりか、自宅兼合宿所に滞在させてもらい、直接指導を受ける幸運に恵まれた。
型にはめず、動物や子どものように走ってランナーの力を引き出そうという斬新な理論と思想に大きな影響を受けた。帰国後、早速、大学の教え子たちにそれを伝えた」

今春、新宿御苑で山西先生の講習会に参加した時のことを思い出す。芝生で裸足ジョグ、馬のようなギャロップ、心底走るのが楽しい表情で樹間を自由自在に駆けめぐる……まさにセラティの自由と野生のランニングそのものだった。若き日に受けた師の薫陶を何十年経っても今なお実践に生かしておられることに改めて驚きを覚える。

世界陸上、日本選手の残念な結果を次々見ているうちに、9月の自分の目標レースに対する先取り不安がつのってきて(お笑い草ではあるけれど)、いささか意気消沈ぎみだったが、そんな目先の結果にとらわれるな!と叱咤激励されたような思いのオヤジであった。


この前の日曜は、ひさしぶりでトライアスロンごっこ。月例川崎で3km13分29秒/5km22分40秒/10kmは暑さのため5kmに変更22分25秒。会場まで往復と登戸まで多摩川サイクリングロードを前後カゴ付きチャリ走40km2時間半。ラストにプールで平・クロール各500m。
月曜は休走。朝、その場腿上げ10分、心拍133。
火曜、芝生で地下足袋ゆっくりジョグ40分+流し5本。夜、ステップ昇降45分。
今朝は地下足袋クロカン走11km、1時間5分。流し7本、心拍158。
夜、しばらくぶりで木刀素振り20分。
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世界陸上

2007-08-24 22:43:34 | その他の雑記
いよいよ明日から始まる。
「第11回 IAAF世界陸上競技選手権 大阪大会」

久しぶりで郵便局に行き、記念切手を買った。
日本選手10人が図柄になっている。

(左上から) 為末大(400mハードル)/ 池田久美子(走幅跳)
金丸祐三(スプリント)/ 末続慎吾(スプリント)
福士加代子(1万m) / 内藤真人(110mハードル)
醍醐直幸(走高跳) / 成迫健児(400mハードル)
澤野大地(棒高跳) / 室伏広治(ハンマー投)
の各選手。

期待の女子マラソンから一人も選ばれていない(世界陸上後に福士選手がマラソン転向を正式表明するそうだが)、逆に男子ハードラーが3人も選ばれている……など、いささか??? という感じもしなくもないけれど、ともあれ活躍を期待したいものである。

とりわけ注目は為末選手。著書『日本人の足を速くする』(新潮新書)で「これまでに手にした2個のメダル(銅)とは違う色のメダルをどうしても獲りたい」と悲願を熱く語っており、新刊『走りの極意』(ベースボール・マガジン社)でもハードリングの技術ではなく「走り」に対するあくなき追究を熱く鋭く説いている。
2つ目の銅メダルを獲得したヘルシンキ世界陸上から500日間、一切ハードルを跳ばずに走りに専念した、思いきったトレーニングの成果をぜひ見せてほしいもの。


朝、いつもより速めのペースで地下足袋クロカン走60分(約11km)、流し7本。心拍160。
夜、プールへ。平・クロール各500m。
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路面電車

2007-08-23 21:01:31 | ナンバ・古武術・動き

メルボルンを訪ねたのは昨夏に続いて2度目。
落ち着きのある街並みと縦横に走る路面電車(トラム)、市街地をゆったりと流れる川沿いの道……記憶の中にある仙台の街の思い出とも重なり合って、不思議な懐かしさを感じるオヤジであった。

市街地の中心をぐるりと30分ほどで循環するトラムは、なんと無料。タダで、好きなだけ乗れる。
一番の繁華街であるフリンダース・ストリートでもトラムが行き交い、観光客目当ての馬車も多数。

オーストラリアは今年干ばつに見舞われ農作物は大打撃を受け、マーケットでも野菜類は異常高値であった。
それがなくてもオーストラリアはインフレ傾向にあり、5~6年前にワシが日本で留守番に残って妻と息子たちが初めて訪ねた頃は1豪ドル=68円くらいだったのが今や100円を超えている。

経済動向は気になるものの、現地で発行されている日本語フリーペーパーを読むと、ある調査で世界主要都市の住みやすさランキングでメルボルンは11位とのこと。ワシの実感としてはもう少し上位でもいいような気もするが……。


朝、走休。体操とその場腿上げ10分、心拍158。
夜、ステップ昇降30分。

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メルボルンの「皇居」走

2007-08-22 22:59:54 | トレーニング
メルボルン滞在中の約1週間、ほぼ毎日走ったのが市街地のすぐ近くに広がる「王立植物園」(Royal Botanic Garden)。
外周は、ほぼ土の道がぐるりと囲んでいて絶好のジョギングコース。1周3.827kmの標識あり、250mごとの表示もあってスピード練習にも便利である。
途中、400m近くありそうな長い急坂があり、ここも坂道トレーニングに最適。


とくに昼下がりの時間帯は、短時間に数周回しようというランナーがビジネス街から参集してくる。速い速い。さながらレースのよう。
長身長脚でロングストライドの迫力あるラン。ワシもつられて頑張ってみるものの、とてもついていけない。1周17分台がやっとのオヤジであった。

ずっと外周をぐるぐる回るばかりのランニングおやじであったが、ようやく最終日に家族4人で中に入った。すばらしい芝生が広がり、大きな池には多種の鳥たちが浮かび、時折り水面を猛スピードで突っ走るのがおもしろい。

最終日の早朝、今回のラストランとして走ったのも、このコース。冬の朝6時前後はまだ暗く、吐く息が白かった。
40℃を超える猛暑の日本を一時的ながら脱出して1週間で約130kmの走りこみができたのは(申し訳ないが)、トレーニング的には良かったといえるかも。


朝、地下足袋クロカン走1時間31分8秒(約15km)、流し10本、心拍170。秋には、これくらいのタイムでハーフを走りたいものである。
夜、しばらくぶりでプールへ。平・クロール各500m。やはり暑い夏場の泳ぎは、遅くてもそれなりに心地よい。
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セラティ・オーバル

2007-08-21 20:29:37 | トレーニング

メルボルン市街から郊外へ向かう電車で1時間。終点のフランクストン駅からポートシー行きバスに乗り換えてさらに1時間半余りで終点の「国立公園入口」に着いた。

地図によると、この付近にセラティの旧宅跡「セラティ・オーバル」があるはずだが。
高校留学中の息子が運転手さんに尋ねると、「それなら1つ手前のバス停のほうが近い。これからまた戻るから、このまま乗ってなさい」とのこと。

ちょうどスコールのような雨が降り出したので、バス内で雨宿りする。メルボルンでは晴れていても不意の雨がしばしばあるので旅行者は雨具常備が必須である。

20分ほど待つが雨はなかなかやまない。バスはもと来た道を戻り始め、最初の停留所で止まった。礼を言って降りる。雨の中を探して歩くが、なかなか見つからない。小1時間ほども歩き回って雨も上がった頃ようやく、それらしい場所に行き当たる。

案内板も何もない (と思った) が、たしかにオーバル(楕円形)の草地が足下に広がっていた。すでに家屋敷はなく、かつてセラティ邸にあったというトラックの跡が1周400m弱の公園になっているようだ。
「犬を引き綱から放してよい」との大きな看板が立っていて、ちょうど黒犬を走らせている親子連れがいた。年輩のオジサンにセラティのことを(息子が)尋ねると、「ああ、あの風変わりなランナーだね」と答えが返ってきた。

さまざまな思いをかみしめながら、託された願いを1歩1歩にこめながら、裸足でオーバルを5周する。雨に濡れた草がいささか冷たいけれど、セラティゆかりの地を足裏に実感できた。土はやや固めであった。ラスト1周はほぼ全力で80秒。

はずむ息とともに草地から上がってきた時、ごく小さな記念碑(プレート)が地表すれすれの低い位置に設置されてあるのに気づいた。以下、息子が採録してくれた碑文。  

             MORNINGTON
                 
PENINSULA           
                Shire Council<o:p> 

    THIS OVAL WAS NAMED THE
  
Percy Cerutty Oval

  IN MEMORY OF PERCY  WILLS CERUTTY
  BORN  PRAHRAN 1895  DIED  PORTSEA 1975

   
 WORLD RENOWNED SPORTING COACH
    WHO TRAINED HIS ATHLETES ON THIS OVAL
    AND NEARBY SAND DUNES
   
    UNVEILED BY MRS NANCY CARNEY
    ON 24TH APRIL 2000


   運動場名 パーシー・セラティ オーバル   

    パーシー・ウィルス・セラティ
  1895年 Prahranに生まれ、1975年 Portseaにて没す。
  世界でも有数のスポーツコーチであり、
  この運動場と近隣の砂丘にて日々練習に明け暮れていた。

     設置 ミセス ナンシー・カーネイ
         2000年4月24日


セラティ・オーバルを走ったこの日は8月12日。その翌々日の8月14日がセラティの命日であり、日本式に言えば33回忌となる。


朝、芝生の公園で地下足袋クロカン走40分(約6km)、流し5本、心拍158。

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メルボルンから帰還

2007-08-20 22:55:57 | トレーニング

日曜の早朝メルボルンを出発。シドニー経由で夜、成田着。小5息子と家に帰り着いたのは夜11時過ぎであった。

メルボルンは冬の寒さがぶり返し、ワシは手の指がしもやけになるほど。
環境変化の激しさに体調はいまひとつではあったが、走るには絶好の条件がそろっている中で走らないのはもったいない。

当初はゆっくり、だんだんスピード練習も入れて、実質滞在期間1週間で総計130kmほど(約13時間)のランニングができて満足のオヤジであった。

今回のハイライトは、なんといってもポートシー訪問と海岸の砂丘実走。
70回の長きにわたり紹介させていただいたオーストラリアの伝説的名コーチ、パーシー・セラティ(1895~1975)師がこよなく愛したメルボルン郊外に広がるリゾート地ポートシー。
著書『陸上競技 チャンピオンへの道』の中には魅力的なモノクロ写真が多数掲載されているが、とりわけ惹きつけられるのが急な砂丘を駆け登るランパン1枚の男たちの雄姿であった。

メルボルン到着の翌朝、高校留学2年目の息子に同行してもらいポートシーへ。
冒頭ごらんいただいた写真のように急峻な、「これを登るのか!?」と躊躇せざるを得ないような猛烈な砂丘が海岸からすぐに続いている。
息子が登り始めて半ばであきらめて降りてきた。距離は100m足らずだが角度がなにせ急激である。高さ30m近くあろうか。

こうなるとガゼン燃えてくるオヤジである。セラティの本の写真のように上半身裸というわけにはさすがにいかぬものの (南極方向から寄せてくる海風吹きつけ寒いのなんの) 短パンに裸足で懸命に駆け上がる。
もう半分くらいで歩きに近くなってしまう。1分20秒。何度か挑戦し、ついに56秒。よし、やった!!
セラティの愛弟子エリオット選手はこの砂丘登りを毎日40回、しかもラスト5本を常に最速で走ったそう。さすがは世界チャンピオンである。

というわけで、体感的思い出がぎっしりのメルボルンの旅であった。また、おいおいと紹介させていただく。

朝、芝生で地下足袋ジョグ30分(約4km)、流し5本、心拍161。

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セラティの言葉 (最終回)

2007-08-07 20:30:00 | ことば・歌

★セラティ・きょうの言葉 (70)
  [オーストラリアの伝説的名コーチ、パーシー・セラティ(1895~1975) 著『陸上競技 チャンピオンへの道』(ベースボール・マガジン社1963年刊)より]


古代ギリシャ人がオリンピックの開会中は戦争を停止し、選手は肉体そのものの力を競い合うばかりでなく、優雅と美の極致を示すことを要求され、また同時に自作の詩を提示せねばならなかったという事実を思い起こしてもらいたい。

ところが、われわれ現代人の世界において、陸上競技がめざすものは美的なものというより肉体的なものに偏してきている。つまり、美しい立派な“芸術”よりは、勝利という結果のみが重視されるのである。

本書のねらいはまさに、この2つをいかに結合させるかという可能性を探ることにあったのである。

以上で、パーシー・ウェルズ・セラティ著『陸上競技 チャンピオンへの道』は結ばれている。(原著執筆は1959年、邦訳刊行は1963年)
記録や結果よりもその過程を重視し、何よりも自由と野生、人間解放の陸上競技を謳い上げたセラティらしい結びの言葉である。

今年2月に神保町の古本屋で幸運にもこの書と出会い、とりわけ感銘を受けた記述を中心に僭越ながら当ブログで70回の長きにわたり断続的に「連載」させていただいた。

若き日に本書と出会い多大の影響を受け、晩年のセラティをそれぞれに訪ねた高部雨市・山西哲郎両氏による共著『永遠のセラティ』(ランナーズ 1989年)も刀水ACのFコーチから貸与いただき読む機会を得、その後に山西先生ご自身から同書をご恵贈いただく幸運にも恵まれ、感謝あるのみのオヤジである。

今週末から約10日間、高校留学中の息子を訪ねて家族3人でメルボルンへ。市街からおよそ100kmのリゾート地・ポートシーにも足を伸ばし、セラティがこよなく愛した海辺と砂丘を走ってみたいものである。

準備などでいささか多事多忙につき、これにてしばし当ブログも「夏休み」とさせていただきます。暑さ厳しい中くれぐれもご自愛を。

朝、芝生の公園まで往復ジョグ6km+園内でクロカン走6km、1時間10分。流し5本、心拍153。そのまま駅まで小5息子を見送り(3日間の囲碁合宿)。
夜、プールへ。平・クロール各500m。

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歩数

2007-08-06 22:11:24 | トレーニング

昨日のハードル練習のためか、いつもと違う部位 (とくに股関節周り) の筋肉痛が徐々に来ているオヤジである。

ともあれケガをしなくてよかった。着地もヘタ (すべてヘタなのだが) なので多少ねじり気味になったりして若干不安材料もあったが、今朝のゆっくりジョグの感じでは大丈夫のようだ。

普段の走りでは「歩数」というものは全く念頭にないけれど、ハードル走では「歩数」が非常に重要で、要するに奇数の歩数でいけないと利き足でないほうで踏み切らざるを得なくなる。

男子110mハードルの場合ハードル間は9.14m、女子100mは8.5m。この距離を3歩で行くそう。(400mハードルになると間隔35m、男子で13歩、女子15歩が標準という)

ワシの場合は間6mを3歩がやっとであった。長身の方々は7mで行けていた。
そもそもハードル走は長身選手が有利な種目らしい。
「オリンピック入賞者の平均身長を出すと、トラック種目のなかでは最も高い競技となることもある。特に400mハードルでは、ハードル間の歩数を少なくすることが記録短縮の大きな要因になる。大きなストライドが可能な、長身で脚の長い選手が有利なのだ」(『日本一わかりやすい陸上の教科書』成美堂出版刊)

しかし、2001年と2005年の世界陸上400mハードルで銅メダルを獲得している為末選手は身長170cmとほぼワシと同じだがハードル間35mを13歩で走る。「高い柔軟性のなせるワザだ」と同書は述べている。

それにしても、男子400mハードルでは高さ91.4cm、110mハードルに至っては高さ106.7cmもある。今までは何気なく、あたりまえのように眺めていたが、ほんのわずかながら自分でやってみて (高さ50~60cmにすぎないけれど) その恐るべき高さに改めて感嘆しきりのオヤジであった。

朝、芝生でゆっくり地下足袋ジョグ30分(約4km)、流し5本。心拍142。

★セラティ・きょうの言葉 (69)
  [オーストラリアの伝説的名コーチ、パーシー・セラティ(1895~1975) 著『陸上競技 チャンピオンへの道』(ベースボール・マガジン社1963年刊)より

私は人生において何かを獲得することよりも、むしろ立派に生きるためひたむきに努力することのほうが、はるかに大事であると思う。

このオーストラリアで私が手がけた、名もない平凡な選手たちが記録を片っ端から破り続けて、しまいには、かつてはレースの優勝を常時わがものとしていた素質ある選手たちが記録更新の壁に突き当たってとまどっている間に、国内新記録を次々と打ち立ててオリンピックにも出て行くようになったのである。

われわれは、誰が誰に勝ったかということをすっかり忘れてしまった後になっても、新記録で走った偉大な選手たちの載っているリストを熱心に読み続けるだろう。
偉大な選手たちが新記録樹立に向かってどのような努力のしかたをしたかというその態度によって、われわれはその人柄を知ることができるのである。

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ハードル練習!

2007-08-05 21:41:41 | トレーニング
まさか自分がハードル走の練習をすることになろうとは思わなかった。

府中市民競技場で行なわれた「日本体育協会公認 指導員養成講習」(全6回)
の初回講習会に参加。
座学だけでなく実技練習も毎回あり、今回はいきなりハードル走であった。

受講者は22名で、うち女性が6名。小中学校教員の方々が多いようで、すでに公認審判員資格を持っている方も。ワシのような、ただのジョギングおやじで受講しているのはごくわずかと見受けられた。

AM10時から2時間ほどの実技講習、前後のジョグを含めても走行距離2kmちょっと程度だろうが、その10倍以上疲れた……。
高さ3種類でハードル5台、一番低い組(小学生練習用、高さ50cmくらい)に入れていただいたが、それでも「怖さ」があって、先生のお手本のようなハードリングはとてもとても。

それでもだんだんリズムが出てきて、最後は「中学生練習用」の高さ70cm組で跳び、多少は面白さも体感できたオヤジであった。

ポイントは、
①踏切りはハードルからなるべく遠く、着地はできるだけハードル近くに。
②後ろの抜き足をできるだけ腰に近づけて高く上げて前に。
③ハードル上ではできるだけ前傾姿勢をとる。

で、何よりもリズムが一番大切。

実技指導いただいた三浦先生の「指導力よりも観察力が大事。その子に教えることは、その子に教えてもらうんです。ハードル練習もたのしさを感じさせることが特に小学生には重要で、斜めに跳ばせたり、いろいろ工夫して子どもたちが『きょうはどんな練習だろう?』とワクワクするような場面設定するのが指導者の役割だと私は考えて実践しているつもりです」とのお言葉が胸に深く響いた。
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8/4 刀水AC練習会

2007-08-04 22:32:16 | トレーニング

気温35℃を超え、この夏一番の「猛暑日」であった。
午後3時から、埼玉・越谷の健康福祉村で刀水AC練習会。

Fコーチから「この暑さの中でペース走などをするとダメージが大きい。短い距離の流しでピリッとしたスピード練習でいきましょう」。

ということで、1kmのショートコースを各自のペースで5周。
各周を1~2周目は100mの流し各5本、3周目は300mの流し3本、4~5周目は再び100mの流し各5本(間はすべて100m歩またはジョグでつなぐ)。

書くとなんだかややこしいが、要するに100~300mの流しで5周。
給水休憩の後、さらに3周。1・3周は100m流し各5本、2周目だけ300m流し3本。

ラスト100mはほぼ全力で18秒。一流選手はこのペースでフルマラソン
を走りきるわけだから、いやはやスゴイものである。

★セラティ・きょうの言葉 (68)
  [オーストラリアの伝説的名コーチ、パーシー・セラティ(1895~1975) 著『陸上競技 チャンピオンへの道』(ベースボール・マガジン社1963年刊)より

もうひとつ、私がマラソン練習に取り入れるべきだと主張しているのは、マラソンの全距離を区分して、そのひとつひとつの区分を分習することである。

特に、たとえばちょっと外を走って来て――必ずしも長い距離でなく、5マイル(約8km)くらいでもよい――競技場に入り、最後の1/4マイル(約400m)をできるだけ速く走る練習をすることが大事なのだ。

これは一種の「条件反射」をめざすもので、私が技術と筋力に次いで重要度をおいている要素である。

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