ランニングおやじの野望!

50歳を目前に突然走り始めた鈍足おやじランナーのトレーニング雑記です。

それでも足柄峠

2011-10-30 19:33:43 | トレーニング

富士山はいつもどおり落ち着いていた。
通算28回目の足柄峠走。

山北駅から足柄万葉公園までの上り約13kmはほぼ全力で。1時間13分42秒。
今年1月7回目の峠走での上り自己ベスト1時間18分20秒を5分近く更新できた。
(もっとも、今回はスタート地点のさくら湯コインロッカーに荷物を預けて身軽だったから、リュックを背負って走った1月とは条件が異なるが)

客観的に見れば「ランニングどころではないだろう」状況であり、主観的にも「ランニングに逃げている」側面は否定できないけれど。
それでも、一瞬であれこんな自分でもやればできることもある、と実感できたことはプラスになる。ふさぎこんだりヤケになったりするよりはずっとマシ。そう無理やり思うことにしたオヤジである。

万葉公園からは折り返さずそのまま峠頂上を経て、いつもの駿河小山駅方向への長い下りに行かず隣の足柄駅方向への分岐道を下る。約5kmの短く適度な傾斜の下り坂は快適。
万葉公園から40分足らずで足柄駅に到着。電車で山北駅に戻り、さくら湯のプールでほぐす。
本日開催の大阪マラソンや手賀沼ハーフなどでランナーは出払っているらしく、いつもよりすいておりプールは初の一番乗り。誰もいないプールでのんびり泳ぐ。

これで今月の走行距離はちょうど400km。久々に400kmに達して内心喜んでいた。
月間走行距離にこだわる弊害は常々、監督から強く戒められているところだが、日々の頑張りの証しとしてついつい距離の多さを気にしがちであった。

きょう往復の電車内で読んだ新刊本はそんな「距離信仰」を木端微塵に打ち砕くものだった。
『毎日長い距離を走らなくてもマラソンは速くなる!』(吉岡利貢著/ソフトバンク新書)

著者は中学で陸上競技を始め大学まで長距離走を続け、現在は筑波大学関連研究所の研究員。ランニング学会が最近まとめた『走って読んで再発見! ランニングリテラシー』(大修館書店)の執筆者の一人でもある。

『毎日……』の中で著者はトップ競技者から市民ランナーに至るまで日本に根強く蔓延する距離至上主義が諸悪の根源と断じ、それに代わるクロストレーニングの重要性を提唱している。

「市民ランナーレベルでは、週64km、月間走行距離が240~260kmを超えると故障が増えるという報告があります。ベテランの市民ランナーの多くは、月間250km以上走っていますから、故障していない人を探すほうが難しいくらいです。
ところが、ランニングだけではなく、自転車を使ったクロストレーニングを取り入れることによって、故障が減るばかりでなく、走行距離を減らして効率的にマラソンなど長距離走のタイムを縮めることが可能なのです」

自転車を組み入れた具体的な練習内容も明記され、最重要ポイントは高い回転数を維持することにあるようだ。それがランニングでのピッチ数アップにつながることを自らの体験を踏まえて詳述。非常に説得力がある。
ワシも昨年、ロードバイクを購入しながら今は月1回乗るかどうかくらいで完全に宝の持ち腐れ状態。この際、大いに活用していくことにしよう。


★オヤジの心を癒す昭和の歌 (109)
   気持ちよく坂を下っている時、なぜか脳裡に流れてきたのが懐かしいこの歌。

 ♪ 道標ない旅 (永井龍雲/1979)

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北杜夫の本を貪り読んだ頃

2011-10-27 22:45:02 | その他の雑記

昨日ニュースで訃報を知った。その前日、たまたま寄った渋谷の書店で新刊の文庫本『マンボウ家族航海記』(実業之日本社文庫)を買ったばかりだったので驚いた。

水曜夕方のTBSラジオ「時事川柳」のコーナーでも入選5句のうち2つが追悼句だった。

   悠久の海にマンボウ帰りゆく

   またひとり違いのわかる男去り

作者ご本人が読み上げるのだが、声からするとワシと同年輩の方々らしかった。

40年余も昔、高校に入って間もない頃、3歳上の兄貴の本棚にあった『どくとるマンボウ青春記』をこっそり読んだのが始まりだった。仙台の同じ大学へ行ったのは多分にその影響があった。
学力不足かつ典型的な文系傾向のため残念ながら氏と同じ医学部には入れなかった。アルバイト先の近くにある医学部の学生食堂に勝手に入り浸って文庫版の『青春記』を読んでいた。

著作リストに沿って仙台の古書店街を探書に歩いたのも懐かしい。
その後の度重なる引っ越しでほとんどの本は失ってしまったが、とくに好きだった初期単行本、函入りの『幽霊』『牧神の午後』や代表作『楡家の人びと』『夜と霧の隅で』は今なお手元に残っている。いつも持ち歩きボロボロになった文庫版『どくとるマンボウ青春記』も。
久しく手に取ることがなかったそれらの本のページを捲ると、あの頃の時間が巻き戻ってくるようだ。

報道によると、夫人は「少年のまま楽しく人生を生きた人」と語っている。本人は作家としてのみならず家庭的にも幸せな人生だったようだが、とばっちりを受けて育った一人娘の由香さんはなかなか大変だったらしい。冒頭の文庫本「解説」から。


「私は父の本をほとんど読んだことがない。というのも、(中略) 『文士は家をかえりみるものではない。家を出て行ってくれ』と宣言。夫婦別居になったために、小学校1年生の私は近所の公立小学校だったにもかかわらず、電車通学をさせられる羽目になった。そしてついに破産し、てんやわんやの日々になったのである」

文庫本の解説文を書くために「何十年ぶりかで父のエッセイを読んだ」ところ、ただ単に懐かしさだけでなく、父の存在自体から大きな影響を受けていたことに改めて気づいたという。


「こんな父のもとで育った私は、『人間というのはいろいろな人がいて、つらく悲しいことがあってもそれが人生なのだ』と思うようになった。(略) 人間が生きていく上でのつらさ、悲しさ、大変さ、そして楽しさを、父は身をもって教えてくれた。
本書のエッセイは家族で食事をしたり、父と母がケンカしたり、たわいのない話ばかりである。(略) でも、つまらない日常生活がどんなに大切なのかと思う」

まことに、そのとおりである。とりわけ、今のワシには日常の大切さが身にしみる。

27年近く勤めてきた現在の勤務先から、3年先の定年を待たず年明け1月に早期退職を先週月曜、社長から言い渡された。ここ数年、売上急減で業績不振はわかっていたものの、あと数年どうにかもつだろうと根拠のない楽観を決め込んで何の準備もないまま過ごしてしまった自分がナサケナイ。

自己否定感いっぱいのまま迎えた高島平ロードレース20kmは心境そのままの惨憺たる結果となってしまった。
その後、親しい方々からいただいた厳しくも温かなありがたい叱咤激励により、ようやく腹をくくりつつある弱虫オヤジである。

思えば、大学を卒業する間際まで若きワシは何の目標もなく進路も見えず途方に暮れていた。偶然手にした一冊の雑誌から道は突然拓けてその版元に就職が決まり東京へ。
7年間、雑誌記者を務め、ずっと続けていくはずだったその職場を思いがけず去ることになり、29歳「これで人生は終わった」と絶望にとらわれた。

が、小さな出版社に拾われ、以来27年近く。ある意味で長過ぎたリハビリ期間だったかも。さまざな思いはあるにせよ、絶望の淵に立っていた自分を生きながらえさせてくれたこの会社に感謝し、新たな道を進んで行こう。

いささかトシとってはいるけれど、今度もなんとかなるだろう。

★オヤジの心を癒す昭和の歌 (108)
 新たな出発とくれば、やっぱりこの歌。

 ♪ 出発(たびだち)の歌 (上條恒彦+六文銭/1971)

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高島平、無念の関門止め

2011-10-23 23:33:39 | レース

17.5km関門、1時間23分で今年の高島平は終わった。

前日の雨が上がり蒸し暑い中、「第36回 高島平・日刊スポーツ・ロードレース大会」20kmの部に6回目の参加。5km周回コースを4周する。
9時50分スタート。ここに立てたことを深く感謝する。

2005年に初参加以来、これまでの5回はいずれも制限時間90分ぎりぎりながらゴールできており、今回もなんとかなるのではと甘い気持ちもあったけれど全然ダメだった。

 22'32"ー24'28"ー23'55"ー(12分 関門閉鎖)

1周目、自分としてはかなり頑張ったつもりが結局リミットペース22分30秒も切れず。イーブンで行ける見込みはなく完全に気落ちしてしまい、おまけに右わき腹が痛み出し(ランニングで腹痛なんて何年ぶりだろう) あっという間に最後尾近くまで後退。

2周目の4km地点手前で早くも学生選手トップに周回抜きされ、ゴールは絶望的。
もうやめようと何度も思ったけれど、刀水ACの仲間たちの熱烈叱咤声援に背中を押され、次第に「このまま終わっていいのか!」とこみ上げてくるものがあり、わずかながらペースを徐々に上げ、とにかく19km関門までは行こうとした4周目の中間点で監察車が背後から追い抜き、「はい、ここまでです」と制止。あっけなく終わってしまった。

2005年に念願かない初出場した仙台国際ハーフマラソンで15km関門止めとなって以来2度目。
あのクヤシサとやりきれなさ、やるせない思いは2度と味わいたくはなかったのに。
帰宅して本日仙台で開催された「第29回 杜の都 全日本大学女子駅伝」を録画で観戦。まさかのリタイアなど思いがけないアクシデント相次ぎ、鍛え抜いた選手であっても予測不能な事態が起こる怖さを改めて思い知る。その心中はいかばかりか。


週初めに自分にとっては「災難」のような大きな出来事があり、心崩れたままでは、今までどおりの走りはできなかった。ナサケナイがそれがワシの現実であり走力だった。

ともあれ、関門で止められるまで自分からは投げ出さなかったことだけはせめても良しとしよう。


★オヤジの心を癒す昭和の歌 (107)
  哀しい時には悲しい歌を。

 ♪ 悲しくてやりきれない (ザ・フォーク・クルセダーズ/1968)

 

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

復活の道遠し…

2011-10-17 06:17:08 | レース

日曜午前中、職域健康保険組合の皇居1周レースに参加。
おかげさまで左ハムストリングの肉離れと右ひざは大事に至らず。なんとか練習再開したもののスピード練習ほとんどできていない状態なのでたぶんダメだろうと思ってはいたがそのとおりの結果となった。

21分27秒。2006年に初参加した時の20分25秒が皇居1周の自己記録で、今回も更新ならず。せめて21分は切りたかったのだが。

参加者増加には驚いた。プログラム冒頭の大会委員長あいさつ文に「今年は史上最大の579人参加」とあり、実際の出走も500人は超えていたようだ。とくに女性ランナー激増で5年前の4~5倍にあたる150名くらい。ひっそりとしたレースだったのが昨今のランニングブームそのままのにぎやかな大会風景となった。

それにしても真夏に戻ったような暑い日だった。報道によると荒川で開催されたタートルマラソンでは熱中症で23人が緊急搬送されたそう。
2003年のこの大会がワシの初ハーフだった。当時は9月開催、その日も35℃に迫る猛暑でふらふらになり2時間7分かかってようやくゴールした後、救護のお世話にはならなかったものの橋下の日陰で1時間ほど倒れこんでいたのを思い出す。


来週は20km90分制限の高島平ロードレース。これまで出走した5回はすれすれながらすべて完走できたものの今回はまったく自信なし。逃げ出したくなっている弱気なオヤジである。

★オヤジの心を癒す昭和の歌 (106)
  小田和正さんのヴォーカルが冴えるこの歌。60代半ばの現在も全然衰えを知らない高音の伸びがすばらしい。
 ♪ 秋の気配 (オフコース/1977)

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする