4月初から「通学定期」で専門学校に通い始めて1ヵ月になる。
1月に退職後、さまざま考えた末に「介護福祉士」の養成校(2年制・昼間)に入学したオヤジである。
同期生は60人ほど。半数近くが高校新卒かそれに近い年齢層で、ワシから見ると親子ほどの年齢差がある。1ヵ月たってもまだこの世代とはあまり会話が成立していない。
久々の本格的な学習で記憶力の衰えなどは否めないものの、おたがい頼りになるのが比較的年齢の近い層の方々で互助的共同体制が構築されつつある。
ちなみに男の1年生では57歳のワシが最年長。女性には2歳上のお姉さんがいらっしゃる。また、同じ科の2年生には5歳上の頼りになりそうな「兄貴」がいるのが心強い。
この道を選んだ理由としては3つ。
①今後の社会的必要性
②自分自身の老後に備える職業選択として
そして最大の理由は、③亡き両親、とくに母への思いゆえ
5年前、郷里の母は88歳で枯れるように天寿を全うして逝った。最期の2年を過ごした特別養護老人ホームを何度か訪ねた程度で、姉兄たちに任せっきりで何もしなかった。今も思い出すと胸が痛む。
だから、というほど単純ではないけれど、自分が介護の仕事をできるのか不安もあるけれど、だからこそやろうと思った。
これまでの1ヵ月と6月いっぱいまでは座学中心で、最初のデイケア実習が7月に予定されている。
ここがワシにとって第1関門となるだろう。
先週の土曜から明日、明後日を含めて学校は休みで9連休。東北など遠方から来ていて里帰り中の学生さんも多いかも。
連休に入る直前の金曜夜、妻は成田から息子たちのいるメルボルンに飛び立った。1週間の滞在予定。皆メルボルンに行ってしまい、ワシは留守番。
この状況を話すと、たいていは「じゃあさみしいでしょう」という反応が一般的。が、ランナーは全然違った。とくに女性ランナーは。
「いいなあ!」「ウラヤマシイ!!」「走り放題じゃないの!!」「ワタシと代わってくれない?」
その、心からの叫びは彼女たちが日々いかに苦闘しながらランニングを続けているかの裏返しの証明とも思え、グッときたオヤジであった。
というわけで、連休序盤の3日間のうち2回は刀水AC練習会。
土曜は、ラダーやミニハードルなどを用いた特設サーキットコースでの練習。
「他のどんなスポーツでも基本練習を重視して、みっちり取り組むのがあたりまえ。ところが市民ランナーの練習となると、基本練習も何もなくてただただ走るだけ。だから伸びない」と監督から指導あり。そのとおりです。
全員で取り組んでから各自のやり方で45分の自由練習。ワシは500m走+サーキットを6セット、かなり息上がる。
日曜は「第434回 月例川崎マラソン」に参加。今回で連続100回参加を達成した。(実際の出走は7割程度。欠場時は棄権届でつなぎ)
[3km]13分24秒 [5km]23分5秒 [10km]48分57秒
脚重く、最初の3kmでkm4分半がやっと。5kmは23分が切れず、10kmはkm5分ペースから終盤に若干上げるのが精いっぱい。
本日は刀水の4月最終練習会。恒例の5kmタイムトライアルはゴールデンウィーク特別企画(?)で連続3本実施。45分毎にスタートなので、たとえば22分で走れば次まで23分休める。
[1本目]21分38秒 [2本目]22分4秒 [3本目]23分15秒
見事なビルドダウンになってしまったが、前日の月例ではkm4分半で5km走れなかったことを思えば、まずまずの結果か。
一昨日のサーキットトレーニングで普段あまり使わない筋肉を動員したせいか、あまり経験のない腹筋の筋肉痛が強く出て、お腹を伸ばしたり咳払いしたりすると痛い。明日は休養だな。
☆オヤジの応援歌 ⑧
たぶん最後の学生生活。できるかぎり何でも挑戦してみようと、思い切って部活も。自分にできるとは思えないが合唱部に入部。先週、最初の練習では先生と先輩にリードしていただいて15人の新入生とともに、懐かしいこの歌を思い切り声を出して歌った。気持ちよかったけど、はたしてこの先どうなるやら。
♪ We Shall Overkome (ジョーン・バエズ/1960) TAEKOさんバージョン
※この映像でTAEKOさんと並び前列で張りきって盛り上げているのがご指導いただくクーミン先生