ランニングおやじの野望!

50歳を目前に突然走り始めた鈍足おやじランナーのトレーニング雑記です。

あぶさんがナンバ歩き?

2009-10-25 21:02:38 | 本・漫画・映画など

当ブログのコメンテイターD-01氏から、あぶさんがナンバ歩きを始めてますよ、との情報あり。

あぶさんとは、水島新司センセー描く野球漫画の主人公、景浦安武。通称「あぶさん」がそのままタイトルに。1973年に連載開始以来36年、スポーツ漫画では最長連載記録更新中である。
酒豪でバットに酒しぶきを吹きかけて打席に向かう代打専門バッターというのが当初の設定だったはずだが、久しく見ない間に3年連続三冠王は達成するわ、行きつけの飲み屋「大虎」の看板娘サチ子と家庭を持つわ、すっかり状況は変わっていたようだ。
1946年12月17日新潟市出身というから現在62歳、今シーズン限りでついに引退との報が今月初めに新聞に載り、まだ連載が続いていたのかと驚いた。
10/6には、実際の福岡ヤフードームで引退セレモニーが開催され、秋山監督から作者に感謝と慰労の花束贈呈が行なわれたそう。昔、「あしたのジョー」の力石の葬儀が執り行われたのを思い起こさせる。

で、主人公は引退してもなお連載は続いて。
引退フィーバーも去って静かな朝を迎え、福岡の拠点にしているマンションのすぐ近くにありながら知らなかった公園を散歩するあぶさん。ラジオ体操が始まるのを眺めていると、見知らぬジイサンから竹刀を振り回して怒鳴りつけられる。「80歳のわしが体操やるっちうに、いい若いもんが座っとるのか?」
このジイサン、周りの人から「剣豪」と揶揄され、「歩き方ひとつわかっとらん」と馬鹿にされている。その歩き方が、いわゆるナンバ歩き。

野次馬「ほらほら見ろや、右足と右腕を一緒に出して歩くか~~?」「ちがうだろと言うても、これでええちうて直さんとよ」
あぶさん「ナンバ歩きだ」
ジイサン「あ…あんた。い、今、なんて言うたと」
あぶさん「ナンバ歩きでしょ。今のは?」
ジイサン「いたー、この歩き方を分かる奴がいたとー」
野次馬「なんね、ナンバ歩きって」
あぶさん「くわしくは知らんのですが、昔の侍の歩き方ですよね。腰に差してる大小が邪魔にならないように、右腕右足を同時に出して、しかも腕はあまり振らずに歩いたんですよ。さらに飛脚は同じ方法でナンバ走りをして、毎日100kmを走ったんでしょ」
ジイサン「気に入ったー。これから池を3周するからナンバ歩きで付き合わせてやるタイ」

といった成り行きでジイサンと3周歩いたあぶさんがバテバテになってしまい、「明日からわしがそのひ弱な体を鍛え直してやるタイ!!」と叱り飛ばされる場面で第874話は終わり次号へ続く。

なぜナンバを持ってきたのか作者の意図はまだ不明だが、これからどうなるんだろうと興味はそそられる。
ただ、Wikipediaで「あぶさん」を調べると、全体的に好意的な文章で紹介しているものの、連載が超長期化するにつれ主人公が「過度に偉大化。ちょっとした言動に対して『やっぱり、あぶさんは凄い』と感動するシーンが目立つ」とあるとおり、今後の展開がいささか不安でもある。

本日は10月最終日曜なので月例川崎へ。10日ぶりのラン。
雨なのに、以前から見たら参加者ほぼ倍増。最後方からゆっくりスタートする。

[1km] 5分30秒 [3km] 15分13秒 [5km] 23分6秒 [10km] 56分4秒

まだまだではあるけれど、痛みが出ずに走りきれてホッとした。
いつもどおりチャリ往復32km、帰途プールで2km泳ぎ30分ほど水中ジョグ。
帰宅後、きょう仙台で開催された「全日本大学女子駅伝」をTV観戦。仙台国際ハーフとコースが重なっているところも多いので自分が走っているような気分で熱くなったオヤジであった。

★オヤジの心を癒す昭和の歌 (11)
 赤い鳥の名曲「翼をください」を夜な夜な聴いているうちに、赤い鳥が解散してできた2つのグループ「紙ふうせん」と「ハイ・ファイ・セット」の曲も関連で聴き続けることに。季節柄、この歌がいいかな。
 ♪冷たい雨 (ハイ・ファイ・セット)
 ♪冬が来る前に (紙ふうせん)

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

強く、夢みる

2009-10-20 20:50:52 | 本・漫画・映画など

本屋さんのレジ周りに置かれているPR誌『新刊展望』(日販)11月号に、原田マハさんが「強く、夢みる」と題して巻頭エッセイを寄せている。

ちょうど、新刊で平積みされている『翼をください ーFreedom in the Skyー』(原田マハ作/毎日新聞社刊)をタイトルにひかれて読んでいたところ。
マハさんは3年前、『カフーを待ちわびて』(宝島社文庫)で第1回日本ラブストーリー大賞を受賞し作家デビュー。その頃の経緯と新作をめぐって、「強く望んで具体的に夢想すれば、ときとして奇跡が起こる」と述べている。

「4年前の夏、『カフーを待ちわびて』を書いていた。別に、どこかの文学賞に送ってみようなどと思っていたわけではない。その前年に出かけた沖縄の離島の風景や伝統があまりにも興味深かったので、文章にしてみたい、と軽く思い立っただけだった。そして、その島で出会った一匹のラブラドール犬--『カフー』という名、現地の言葉で『幸せ』という意味の名前を持つ犬だった--がのびのびと浜辺を走りまわるさまに、奇跡のような恋愛譚を重ねてみたい、と夢想していたのだった。
島の印象があまりにも鮮やかだったので、書いていく端から次々に頭の中で映像に置き換わっていった。この物語は映画になったらきれいだろうなあ、などと、またもや夢想を働かせて書き上げたのだった。」

マハさんの夢想は実現した。

「書き上がる数週間前に、『日本ラブストーリー大賞』という文学賞が新設されたことを新聞で知った。記事の最後に『なお、大賞受賞作品は映画化される予定』とあるのを見て、ピンときた。ものは試し、と応募してみたところ、私の夢想が現実になった。本作は今年映画化され、DVDも発売された。『具体的に』夢想することが、ときとして現実を引き寄せることもあるのだ、と知った。」

最新作も同様の経過で完成したそう。70年前、太平洋戦争勃発直前に世界初の世界一周飛行を果たしながら歴史から抹消されてしまった「ニッポン号」(毎日新聞社機)の史実をベースに、草創期のアメリカ人女性飛行士の夢を重ね合わせた、時空を超えた壮大な物語。

「私は飛行機は詳しくなかったが、史実のポテンシャルと友の熱い思いに動かされて物語を書き始めた。調査と執筆に3年を費やし、ようやく完成した。自由を求めて飛ぶ女性飛行士と世界一周機の冒険譚。もちろん恋愛のスパイスも入っている。世界一周などできっこない、と言われた時代に実現してしまったのだ。強く望んで具体的に夢想すれば、ときとして奇跡が起こることを、私はこのニ作を通して十分に知った。」

思い続ければいつか実現する、ことは多くの成功者が語ることではあるけれど、マハさんの場合は、ちゃんと「強く」「具体的に」「ときとして」「…こともある」と留保を幾つも付けているところが老獪か。ただ漠然と妄想しているだけじゃダメなのだ。

ワシも、走れない今のうちに、具体的に夢想を強く脳裡に刻み込むことにしよう。ときとして実現することもあるかも。


★オヤジの心を癒す昭和の歌 ⑩
 もちろん、マハさんの新作と同じタイトルのこの歌。何年か前、息子の使っていた音楽教科書に載っているのを見たときには驚いたものだった。

 ♪翼をください (赤い鳥)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高島平、無念の欠場…

2009-10-17 21:45:10 | レース
明日は「第34回 高島平・日刊スポーツ・ロードレース大会」。
本来なら、早朝決起に備えてもう就眠態勢に入っている頃。
昨年も、記録によると前日朝に刺激走として5kmを1本だけ21分41秒で走り、日中はプールで1km泳いでほぐし、夜9時過ぎには寝。翌朝4時前に起きて5kmジョグ後に高島平へ向かい、4年連続・4回目となる20kmレースを1時間28分台でゴールしている。

今年5回目も同じパターンで迎えるはずが、先週土曜に思わぬアクシデント。km4分半ペース走の最中に右足底(踵からアキレス腱周り)に鋭い痛み。6年前、初めての10kmレース中にまったく同じ個所に足底炎を発症し2ヵ月走れなくなったニガイ経験あり。
この1週間、なんとか回復を試みたものの今も普通に歩くことさえできない状態。やむなく明日の出場は断念した。

この数ヵ月、シンスプリント、ギックリ腰などに相次いで見舞われ、ようやく練習できるようになったと思った矢先にトドメを刺された感じで傷心のオヤジである。

あまりに哀れというわけか、東京マラソンの当選通知が届いた。第1回で10kmの部に参加したことはあったがフルは初。2月までにはなんとか間に合わせたいもの。

★オヤジの心を癒す昭和の歌 ⑨
 まさかの訃報に呆然…。人知れぬ悩み苦しみがあったとしても自ら終止符を打つようなことだけはしてほしくなかった。「音楽でやるべきことがなくなった」にせよ、ただ淡々と生き続けていればいいじゃないですか。加藤さん !!   悲しくてやりきれない

 ♪あの素晴しい愛をもう一度 (加藤和彦&北山修)
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

めっせー字

2009-10-09 20:05:48 | ことば・歌


予備知識なしに、この書き文字を初めて見た時、いったい何だろうと首をひねった。
それでも、字を文字通り じーっと見つめていると何か思いが伝わってくる感じがする。
だいぶたってから、ようやく夢の中に「ありがとう」があることに気がついた。(ニブい……)

「文字職人」を自称する杉浦誠司さん(1976年、岐阜県生まれ)の作品。昨年末に単行本『夢・ありがとう』(サンマーク出版)を刊行して話題となり、今発売中の健康誌『安心』(マキノ出版)11月号にもカラーグラフで作品が紹介されている。

「僕は書道家ではありません。これまで書道は習ったことはありませんでした。(中略) いうなら、『文字職人』でしょう。だって、作品を見てください。学校の書道のテストでこれを書いたら、間違いなく0点ですよ。(笑) 僕はこの作品を『めっせー字』と呼んでいます。一期一会から学んだ感動を、僕なりのメッセージとして伝えたい。そんな気持ちを、僕の名前“誠司”(せいじ)にかけました。」(『安心』11月号)

3年前、最初に書いた作品が「夢(ありがとう)」。それまで家電量販店の店員や塾講師、ドラッグストア店長などさまざまな職を転々とし、仕事でも家庭面でも最もつらいことが重なった保険セールスマン時代に「めっせー字」を書き始めた。

「夢うつつになったときのこと。『夢』という漢字と、『ありがとう』というひらがなが頭の中で、まるでフラッシュバックのように浮かんできました。(中略) 翌朝……。あの朝のことを僕は一生忘れないでしょう。ぼーっとした目で、メモ用紙に書かれたふたつの文字をながめているうちに、『ありがとう』でできた『夢』という字が完成してしまったのです。自分でも驚きましたが、今まで味わったこともないくらいに、『これだ!』という確信に近い思いがふつふつと湧いてきたのでした。」(『夢・ありがとう』)

次々と出来上がる「めっせー字」を友人に見せると「おもしろい!すごい!」と絶賛され、口コミで広がり、2007年秋には地元で初の個展を開くまでに。人間、どこから道が拓けるか、わからないものである。

感化されやすいワシ、すぐマネしてみた。
自分にとって最も思い入れの強い漢字、といえば当然、「走」。
そのめっせー字は?
じっと見つめるうちに自然と脳裡に浮かんだのは「しあわせ」。
走れる幸せに感謝をこめて、しあわせを「走」のかたちになんとか書き上げ自己満足のオヤジであった。

杉浦誠司さん公式HP

日曜に「いすみハーフ」を走った以降は台風と諸事情が重なり、今週はまったく走れず室内補強のみ。明日からの3連休で、1週間後に迫った高島平20kmに向けて少しは上昇していきたいもの。

★オヤジの心を癒す昭和の歌 ⑧
 高校時代のワシがしびれた熱唱がこの歌。英語の歌詞なので意味はあまりよくわからなかったけれど、熱い思いは胸に響いた。
 ♪メリージェーン (つのだ ひろ)

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いすみハーフ

2009-10-04 23:11:23 | レース

1時間38分24秒。現時点では、これが精一杯のオヤジであった。

「第2回 いすみ健康マラソン(増田明美杯)」(千葉県いすみ市)に参加。
10時40分スタート。本日ここに立てたことを感謝する。

 24'15"ー23'11"ー22'41"ー23'34"ー4'41"

結局、ハーフのレースペースの目安であるkm4分半で走れた5km区間はなく、わずかにラストだけ。
20km地点通過が1時間33分43秒。当面の目標レースである10/18高島平20kmで制限時間内(1時間30分)にゴールするには、あと4分縮めねばならぬ。あと2週間で、これはいささか難題か。

★オヤジの心を癒す昭和の歌 ⑦
 昨日(10/3)の朝日新聞夕刊に中山千夏さんのインタビュー記事が出ていた。昨夏に母を84歳で亡くし、母との関係を総括した新著をめぐって。天才子役、俳優、「ひょっこりひょうたん島」で博士の声、歌手、ウーマンリブの闘士、参議院議員そして作家と多才ぶりを発揮してきた彼女の歌といえば。
 ♪あなたの心に

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする