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ランニングおやじの野望!

50歳を目前に突然走り始めた鈍足おやじランナーのトレーニング雑記です。

おやじブログ10周年

2015-07-12 18:35:47 | その他の雑記

2005(平成17)年のきょう、7月12日に初回記事を投稿してから10年が過ぎた。といっても、ここ数年は開店休業状態が続いており、ナサケナイ有様であるが……。

ブログといえば、ある小説の中にこんなくだりがある。

『「毎日、ブログを更新するような人間は、表現したい、訴えたい、自分を理解してほしい、という強烈な欲望の持ち主だ。こういう奴は最高のカモになる(中略) うちが狙うのは、大手が見向きもしないようなブログだ。アクセス数は関係ない。大事なのは更新数だ。誰も見ていないブログをせっせと更新するような奴は必ず食いついてくる」

「本を書くモチベーションとブログを書くモチベーションは同じでしょうか」

「同じだ。共通しているのは強烈な自己顕示欲だ。根底にあるのは、自分という存在を知ってもらいたい! という抑えがたい欲望だ」』

 

自費出版ビジネスを舞台にした実録風小説『夢を売る男』(百田尚樹作/幻冬舎文庫)の一節、顧客拡大のため大手出版社が目をつけないような無名ブロガーをターゲットにしようと目論む企画会議の場面である。うーむ、一理ある。二理もある(笑)。百田氏といえば名作『永遠の0(ゼロ)』の作者であり、、近頃は沖縄に対する問題発言で渦中の人物でもあるが、この作中で、作者本人自身もネタにしているのが笑える。

年老いた作家がなぜ売れなくなるか、について主役格の編集部長が若い部下と語る場面。

「才能が枯渇したからですか?」「もちろんそれもあるが、一番の大きな理由は読者が死んでいなくなるからだ。人間は歳を取ると、だんだん本を読まなくなる。あるいは若い時とは読む本の好みが変わっていく。本当に死んでいく読者もいる。だから、作家は歳を取ると、次第に読者が減っていき、本が売れなくなる」「読者が死んでいくのは止めようがないですね」「そうとは限らない。常に新しい読者を開拓すればいいんだ。若い世代の読者の心を摑む作品を出し続けていれば、読者が死に絶えることはない。固定客だけを相手にして、同じメニューばかり出している店が、やがてじり貧になって閉店してしまうのと同じだ」「でも、新しいメニューに挑戦して失敗したら、元も子もないですよ」「それはそうだ。だからたいていの作家は、自分の得意料理だけを後生大事に作り続ける」』

と、作家論を語った後に、

『「かといって、元テレビ屋の百田何某みたいに、毎日、全然違うメニューを出すような作家も問題だがな。前に食ったラーメンが美味かったから、また行ってみたらカレー屋になっているような店に顧客がつくはずもない。しかも次に行ってみれば、たこ焼き屋になってる始末だからなーー」

「馬鹿ですね」

「まあ、直に消える作家だ」』

と笑わせる。

なんだか引用だらけの10周年記念ブログという妙な展開になってしまったが、ご容赦を。

 

6月の柴又100kmで燃え尽き状態となり、それでも下旬には月イチの大山登山走は欠かさず出かけ、6月の月間走行距離は220km。

今月に入り、雨の中、朝ジョグとラジオ体操は続けている。8日には2カ月ぶり、通算62回目(SINCE2010~)の足柄峠走。峠越え往復45kmを6時間かかって、なんとか走りきった。

 

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近況

2012-07-31 13:02:18 | その他の雑記

7月も末となった。昨日は通学中の介護福祉士養成校で系列専門学校合同の運動会(スポーツフェスティバル)があり、本日は休校。休養がてら、この1月ほどを振り返ってみる。

6月30日、練習会で月末恒例の5kmタイムトライアル。22分35秒。真剣に走って5kmでkm4分半を切れなかったのは何年ぶりだろう。
翌週、足の違和感が気になるので、何度かお世話になった整形外科へ。X線検査では骨の異常はみられないものの、症状から右足の中足骨に疲労骨折あるいは腱鞘炎の疑いあり。検査機関に行きMRIで精密検査の結果、「疲労骨折の手前」の状態とのこと。以後、今に至るまでランニングはほぼ休止中。
夏場の恒例レースになりつつあった7月の「所沢3種耐久」と8月の「奥武蔵ウルトラ78km」はすでに申込済みだったが欠場に。

7月中旬にはデイサービス施設で初の実習5日間。授業で学習してきた内容が目の前に現実としてあることに、ようやく自分が何を学んでいるのか実感が湧いてきた。
勝手に独断で動いてしまったり、何をどうしていいかわからない場面があったり、見習いの悲哀と無力感をたっぷり味わった一方で、大正生まれの利用者の方々とのコミュニケーションは亡き父母と再会したようで心うれしい時間だった。

実習終了直後には義母(昭和ひとケタ世代)が両膝の人工関節置換手術を受け、親族として立ち会った。オペ室に入ってから無事完了して出てくるまでの4時間半は長かった。杖なし歩行を長期目標に、現在は膝関節を120度まで屈曲できることを目標にリハビリ中で、ワシも学校がない日には付添・見学させていただいている。

その間、長年気になりながら敢えて行かなかった葛飾柴又を訪ね帝釈天や寅さん記念館を見学したり、初めて行った六本木・ミッドタウン内の美術館で沖縄の紅型の精巧さと描写のすばらしさに感動したり。

また7月16日に代々木公園で開催された「さよなら原発 10万人集会」では志願して集会プログラムのビラ配りボランティア。午前10時前から昼1時すぎまで人波はまったく途切れない。ひたすら配り続ける。主催者発表17万人、警察発表7万5000人とのことだったが少なくとも10万人は超えていただろう。とりわけ、80代以上とお見受けする女性が猛暑にもかかわらず多数来場され、そのやむにやまれぬ思いに胸打たれた。

映画で面白かったのは『GIRL』『愛と誠』、昨夜観た『The Lady アウンサンスーチー』も不屈の人生に感動して涙があふれた。ただ、イギリス人の夫が病に倒れても咳きこみながら喫煙を続ける場面には首をひねらざるを得なかったけれど。
小説ではなんといっても原田マハさんの『楽園のカンヴァス』(新潮社)。今回の直木賞候補にも挙げられた傑作だが惜しくも受賞はならなかった。ピカソが大きく影響を受けたといわれるアンリ・ルソーの名画の真贋鑑定をめぐり展開される時空を超えたミステリー仕立てのストーリーに思わず引き込まれる。

そういえば、比較的年齢の近い同級生によびかけて「読書会」も立ち上げた。固定メンバーはワシを含めて3人にプラス1~2名程度のこぢんまりした会だが、憧れだった読書会というものを主宰できただけでもう感激。
7月初の第1回に課題書としたのは近未来を描いた介護小説『七十歳死亡法案、可決』(垣谷美雨作/幻冬舎)。2020年、強行採決で「七十歳死亡法」が成立。日本国民は70歳を迎えた日から30日以内に安楽死を義務づけられた。施行は2年後の4月1日。少子高齢化による国家財政の破綻を救う窮余の方策の成否は……。緊迫した社会情勢のなか、物語は閑静な住宅街に暮らす平凡な家族の介護に焦点を当てていく。
自分ひとりで読んだのとは全く異なる視点や意見・感想に触れることができるのが読書会の醍醐味。この後、第4回分までお題の本が決まっており、なんとか続きそう。

かつての青春の日々は先が見えず鬱々とした暗い日々だった。今、思いがけず訪れた「青春の再来」に心踊らせているオヤジである。

走れないため体重増が懸念されたが、話題の「ロングブレスダイエット」に取り組んで2週間。とくに食事制限せずに体重は3kg減で久々の54kg台に、体脂肪もマイナス2%で11%台となり、ほぼベスト時と同じになった。
これはダイエット法というよりも、まぎれもなく呼吸法と一体となった筋トレの一種だろう。

本日、授業は休みだが夕方から合唱部の練習があるため、これから学校へ。

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学生生活1ヵ月

2012-04-30 21:42:41 | その他の雑記

4月初から「通学定期」で専門学校に通い始めて1ヵ月になる。
1月に退職後、さまざま考えた末に「介護福祉士」の養成校(2年制・昼間)に入学したオヤジである。

同期生は60人ほど。半数近くが高校新卒かそれに近い年齢層で、ワシから見ると親子ほどの年齢差がある。1ヵ月たってもまだこの世代とはあまり会話が成立していない。

久々の本格的な学習で記憶力の衰えなどは否めないものの、おたがい頼りになるのが比較的年齢の近い層の方々で互助的共同体制が構築されつつある。
ちなみに男の1年生では57歳のワシが最年長。女性には2歳上のお姉さんがいらっしゃる。また、同じ科の2年生には5歳上の頼りになりそうな「兄貴」がいるのが心強い。

この道を選んだ理由としては3つ。
①今後の社会的必要性
②自分自身の老後に備える職業選択として
そして最大の理由は、③亡き両親、とくに母への思いゆえ

5年前、郷里の母は88歳で枯れるように天寿を全うして逝った。最期の2年を過ごした特別養護老人ホームを何度か訪ねた程度で、姉兄たちに任せっきりで何もしなかった。今も思い出すと胸が痛む。
だから、というほど単純ではないけれど、自分が介護の仕事をできるのか不安もあるけれど、だからこそやろうと思った。

これまでの1ヵ月と6月いっぱいまでは座学中心で、最初のデイケア実習が7月に予定されている。
ここがワシにとって第1関門となるだろう。

先週の土曜から明日、明後日を含めて学校は休みで9連休。東北など遠方から来ていて里帰り中の学生さんも多いかも。


連休に入る直前の金曜夜、妻は成田から息子たちのいるメルボルンに飛び立った。1週間の滞在予定。皆メルボルンに行ってしまい、ワシは留守番。
この状況を話すと、たいていは「じゃあさみしいでしょう」という反応が一般的。が、ランナーは全然違った。とくに女性ランナーは。

「いいなあ!」「ウラヤマシイ!!」「走り放題じゃないの!!」「ワタシと代わってくれない?」
その、心からの叫びは彼女たちが日々いかに苦闘しながらランニングを続けているかの裏返しの証明とも思え、グッときたオヤジであった。

というわけで、連休序盤の3日間のうち2回は刀水AC練習会。
土曜は、ラダーやミニハードルなどを用いた特設サーキットコースでの練習。
「他のどんなスポーツでも基本練習を重視して、みっちり取り組むのがあたりまえ。ところが市民ランナーの練習となると、基本練習も何もなくてただただ走るだけ。だから伸びない」と監督から指導あり。そのとおりです。
全員で取り組んでから各自のやり方で45分の自由練習。ワシは500m走+サーキットを6セット、かなり息上がる。

日曜は「第434回 月例川崎マラソン」に参加。今回で連続100回参加を達成した。(実際の出走は7割程度。欠場時は棄権届でつなぎ)

[3km]13分24秒 [5km]23分5秒 [10km]48分57秒

脚重く、最初の3kmでkm4分半がやっと。5kmは23分が切れず、10kmはkm5分ペースから終盤に若干上げるのが精いっぱい。

本日は刀水の4月最終練習会。恒例の5kmタイムトライアルはゴールデンウィーク特別企画(?)で連続3本実施。45分毎にスタートなので、たとえば22分で走れば次まで23分休める。

[1本目]21分38秒 [2本目]22分4秒 [3本目]23分15秒

見事なビルドダウンになってしまったが、前日の月例ではkm4分半で5km走れなかったことを思えば、まずまずの結果か。

一昨日のサーキットトレーニングで普段あまり使わない筋肉を動員したせいか、あまり経験のない腹筋の筋肉痛が強く出て、お腹を伸ばしたり咳払いしたりすると痛い。明日は休養だな。


☆オヤジの応援歌 ⑧
 たぶん最後の学生生活。できるかぎり何でも挑戦してみようと、思い切って部活も。自分にできるとは思えないが合唱部に入部。先週、最初の練習では先生と先輩にリードしていただいて15人の新入生とともに、懐かしいこの歌を思い切り声を出して歌った。気持ちよかったけど、はたしてこの先どうなるやら。

 ♪ We Shall Overkome (ジョーン・バエズ/1960) TAEKOさんバージョン

   ※この映像でTAEKOさんと並び前列で張りきって盛り上げているのがご指導いただくクーミン先生

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スポーツ指導者研修会

2012-04-22 22:49:01 | その他の雑記

土曜、「東京都スポーツ指導者研修会」に出席。
日本体育協会公認のスポーツ指導者資格さまざまあるなかで、僭越ながらワシも「陸上競技指導員」として認定を受けている。

2007年。所属する刀水ACの監督から取得を勧められ、「えーっ!?  体育1の運動音痴なのに」と内心驚きつつ、ともあれ半年にわたる全6回の講習をなんとか修了(ハードル走やハイジャンプなどの実技には難儀した)。2008年10月1日付けで認定いただくことができた。
4年毎に更新のための研修受講が義務づけられており、今年は初更新の年にあたる。

代々木のオリンピック記念青少年センターで開催された研修会には定員130名のほぼ全員が出席し満席状態。ワシより年配とお見受けする方々も多く、その元気さに圧倒される。トレーニングウェアに身を包んだ集団は迫力がある。

「水分補給」と「競技力向上」に関する2コマの座学の後、実技講習。今回は「キネシオテーピングの活用法」を2人1組になって演習した。
フルマラソンの大会などで、しばしば脚部などにピンクの派手なテーピングを施したランナーを見かけることがあり、かねてより関心はあったので、興味深い実習となった。

キネシオテーピングは、アメリカでカイロプラクター資格を取得して開業していた加瀬建造氏が考案。関節痛の多くは骨そのものの異常よりも、関節を動かす筋肉・筋膜に原因があることを究明し、伸縮性テープによるテーピング法を開発したという。
一般的にテーピングは故障部位の固定を主眼として伸縮性のないテープが用いられるのに対し、キネシオテーピングでは固定よりも筋肉の動きをサポートする。
用いられる伸縮性テープには薬剤などは塗布されていないのだが、テーピングにより痛みがやわらぎ、ランニングでも動きがスムーズになるため愛用されているようだ。ワシ自身はテーピング自体あまりしたことがないが。

講師先生の実演に従って、各自隣席の方とテーピング。腰、膝、踵からふくらはぎにかけてなど。伸縮性があるからといって、あまり引っ張らずに、押さえるように貼るのがコツ。伸ばすのは、貼る側の皮膚で、膝であれば少し曲げてやや皮膚が伸びた状態で貼っていく。均等に貼るのはけっこう難しい。
90分の演習はあっという間に終わり、更新講習は無事修了した。

帰途、せっかくなので隣接する代々木公園でジョグ。この週末は「アースデイ」に当たるため、テント村ができていて賑やかであった。

日曜はようやく校了したゲラを編集部へお届けラン。寄り道含めて約21km、2時間余。


☆オヤジの応援歌 ⑦
 ご縁あって微力ながら震災支援させていただいている宮城・女川から近況レポートをいただいた。3月には女川2中で卒業生2人の卒業式が挙行されたとのこと。震災後1年間、ほとんど復旧の手つかずのままだった島の母校での卒業式開催は大変だったようだが、それだけ感動も大きかったに違いない。
この日、卒業の歌として歌われたのがこの歌。

   君と出会った奇跡が この胸にあふれてる
   きっと今は 自由に空も飛べるはず
   夢を濡らした涙が 海原へ流れたら
   ずっとそばで 笑っていてほしい
   ゴミできらめく世界が 僕たちを拒んでも
   ずっとそばで 笑っていてほしい


 ♪ 空も飛べるはず (スピッツ/1994) 中学生合唱バージョン

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ひまわり

2012-04-06 19:10:44 | その他の雑記

きょう、ある会場でこの歌「ひまわり」の合唱を聴き、もう涙あふれて止まらず。
帰宅してからも、YouTubeでTAEKOさんが歌う同曲の復興支援バージョンを聴きながらまた涙のオヤジであった。

「ひまわり」というタイトルの楽曲が多数ある中で、これは2001年にカズンが「ボランティア国際年」のサポートソングとしてリリース。その後、繰り返しカバーされている名曲である。


       ……私にできなくて あなたにできること
          足りないものが みんなあるから
          誰かを想う 愛になる
          
       ……約束をして どんな時でも
          決して 決して うつむかないで

       ……悲しい時は 泣いてください
          うれしい時には 歌をうたって
          咲いたひまわり 咲いたひまわり
          今年も あなたは 空に向かって


もともと涙もろいほうではあったけれど、近頃は何であれ「本気」に接すると心揺さぶられてしまう。
とりわけ圧倒的に不利な状況・条件下でも投げずあきらめることなく全力を尽くし役割を果たす、という姿(人に限らず物や自然でも) には胸が熱くなる。

新たな道を行く不安はずっとあるにせよ、前に進んでいこうと改めて思う。

昨日の3時間ゆっくりジョグでなんと筋肉痛。走力は残念ながらかなり落ちているようだ。
今朝はステップ昇降30分のみ。

☆オヤジの応援歌 ③
  歌詞がことのほか胸にしみてくる。  

  ♪ ひまわり (TAEKO)
   

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サザエさん

2012-03-28 17:41:43 | その他の雑記

「サザエさん」一家の銅像ができたそう。リアルタイムで新聞連載(~1974年)を読み、朝日新聞社文庫版の全45巻を愛読したオヤジは早速行ってみた。

あった。東急田園都市線・桜新町駅(地下鉄)の地上出口3ヵ所にそれぞれと、駅から「サザエさん通り」を歩いて6~7分の「長谷川町子美術館」手前にある交番前、計4ヵ所に。
南口前にはサザエさんとタラちゃん、北口はカツオとワカメ、メインの西口前には一家7人が勢ぞろいしている。交番前のはサザエさんが一人で美術館のほうへ手を差し伸べるポーズ。

一番背の高いマスオさんが150cmくらい。原作マンガの絵に忠実に製作されたとのことで、アニメの絵より古風な感じだが、ブロンズ像にはむしろふさわしいか。

この町は原作者の長谷川町子さんが郷里の福岡から東京に来て亡くなるまで暮らしたゆかりの地。原作に出てくる三河屋さんも現存する。(今はコンビニになっているが)

アニメで人気の猫「タマ」はいない。あれはあくまでもアニメのキャラだからなんだそうだが、少々さびしい。
とくに一家全員がそろう西口の銅像は波平とフネ、カツオ、ワカメの4人と、サザエ、マスオ、タラの3人が2mほど離れて立っているので、その間にタマの像を置きたいところ。ワシがそう思うくらいだから、イタズラ心と創作力のあるアーティストにより近々ハリボテのタマが勝手に置かれているかも。


昨日の火曜は刀水AC壬生練習会に参加。壬生(栃木)での練習会には今年の年明け早々に初参加して以来2度目である。ここは400mの土(クレー) トラックが使えるのと起伏ある公園内コースが魅力。

練習会にはできるだけ早めに行くよう心がけ、この日も10時開始に充分間に合うよう午前6時ちょっと過ぎには家を出発したのに途中の乗り継ぎで勘違いして失敗してしまい、乗り換え駅で40分近く待つハメに。結局、最寄りの国谷駅に着いたのが10時ちょうどで、約2kmの道を走って行ったものの10分余遅刻。

いつもどおり準備体操と筋トレ後に動きづくりの調整運動。原因はわからないがこのところ左右の脚長のズレが大きくなっており、左右のバランスが崩れている感じ。骨盤にゆがみが生じているやも。
コーチからのアドバイスでタイムを取らず気にせず、大きな動きでスピード練習を繰り返すうちにだんだんよくなってきた。
200m×5、400m×3、1000m×1、2000m×1。

昼過ぎに練習会が終わり解散後、せっかく来たので一人居残り、公園内の芝生アップダウンを中心にファルトレク1時間ほど。
冠雪した日光連山の遠望、とりわけ富士山を思わせる広い裾野をもつ男体山の堂々たる山容がすばらしい。
帰路プールに寄りクールダウン。平日の練習会に参加できるのは、おそらく当面これが最後になりそう。


★オヤジの心を癒す昭和の歌 (128)
  春は別れと出会いの季節。今年はことのほか身にしみる。自分への応援歌として、懐かしいこの歌声を。

  ♪ いい日 旅立ち (山口百恵/1978)

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昭和史検定

2011-12-19 20:00:52 | その他の雑記

昨日、午前中にランを終えた日曜の午後。久々に受験した。
趣味の検定とはいえ、脳がしびれてくるような緊張感はなかなか他では味わえない醍醐味である。

「第1回 昭和史検定」(上級)を埼玉会場にて。(東大宮・芝浦工業大学内) 受験者は中高年男性がほとんど。女性は2人だけか。

全100問、時間60分。80問以上正解で合格。
問題用紙は持ち帰らせていただけたので自己採点したところ、70点がやっと。
試験には強いと自負していたワシだが残念ながら今回は遠く及ばず。

事前に公式テキスト&練習問題集でいちおうの勉強はしたものの到底歯が立たない難問ぞろいであった。4択式なので最後の切り札である直感も不発。2つまでしぼり、このどちらかだろうと選んだほうがことごとくハズレてしまった。
テキストの巻末に掲載されている練習問題100問のうち20問は本試験にも出題すると書いてあり実際に出た。ほぼ丸暗記していたからその20問はさすがに全部取れ、残り80問中60問を取ればスレスレで、大好きな「第1回」に合格と目論んだのだが。

思わず「えーーっ」と叫びたくなるようなトンデモ難問が並び、文字通り頭を抱えたオヤジであった。帰宅して正解を求めて検索するも結局わからずじまいの問いさえある始末。

テキストに記述がなく、直感もハズレて正答できなかった問題をいくつか。

(イ) 戦後、GHQ(連合国軍総司令部)の指令で公布された電気事業再編成令によって電力事業が再編成され、東京電力をはじめとする9電力会社が誕生しました。では、戦前に発電と送電を独占的に管轄していたのは?
 ①通産省
 ②日本電信電話(株)
 ③日本発送電(株)
 ④大本営

(ロ) 昭和32年、近鉄(近畿日本鉄道)の特急列車の編成全車に初めて採用され、その後、広く普及したサービス設備とは?
  ①車内放送
 ②自動扉
 ③自動販売機
 ④冷房

(ハ) 昭和9年に陸軍省新聞班によるパンフレット『國防の本義と其強化の提唱』が配布されました。その冒頭部分「たたかひは◆◆の父、文化の母である」の◆◆に入るのは?
  ①勝利
 ②経済
 ③平和
 ④創造

(ニ) 太平洋戦争開戦時、東條英機内閣の閣僚だったのは?
  ①吉田茂
 ②鳩山一郎
 ③岸信介
 ④広田弘毅

(ホ) 昭和16年11月、アメリカが戦争を回避する最終案として示した「日米協定基礎概要案」、いわゆるハル・ノートで日本側に要求した事項に含まれないのは?
  ①昭和天皇の将来的退位
 ②中国からの即時撤兵
 ③中国における国民党政府以外の政権の否認
 ④日独伊三国同盟の空文化

(へ) 昭和天皇は生物学の研究者としても知られていました。天皇が研究のライフワークとしていた生物はどれ?
  ①ヒドロ虫
 ②イソギンチャク
 ③ウミウシ
 ④粘菌

(ト) 昭和50年、テレビCMの「わたし作る人、ぼく食べる人」が女性差別的と批判され、放映中止に追い込まれました。これはどんな商品のコマーシャルだった?
  ①サラダ油
 ②カレールウ
 ③即席めん
 ④フライパン

(チ) 日本初のインスタントラーメンは、昭和33年に日清食品から発売された「チキンラーメン」。これは麺とスープが一体になっていました。では、その後主流となるスープ別添方式のインスタンチラ-メンで最初に発売されたものは?
  ①サンヨー食品「サッポロ一番 みそラーメン」
 ②日清食品「スープ付きチキンラーメン」
 ③明星食品「スープ付き明星ラーメン」
 ④東洋水産「マルちゃんのたぬきそば」

(リ) 昭和35~39年に内閣総理大臣を務めた池田勇人が、蔵相時代に発した「貧乏人は麦を食え」といった趣旨の失言はあまりにも有名。さて、昭和35年当時、自民党の総選挙用CMのなかで使われ、当時の流行語となった言葉は?
  ①「政治は数である」
 ②「日本を守る、責任力」
 ③「とめてくれるな、おっかさん」
 ④「私はウソは申しません」

(ヌ) 第一次世界大戦後、国際社会では戦争でなく平和を求める機運が盛り上がり、日本も協調外交と経済重視の"幣原外交"を展開。しかし、昭和5年のある事件をきっかけに、日本の協調外交路線は終止符が打たれました。その事件とは?
  ①金輸出解禁
 ②濱口雄幸首相が右翼青年に狙撃され、退陣後死亡
 ③満州事変
 ④五・一五事件

(ル) 昭和45年11月25日、作家・三島由紀夫が自衛隊の決起を促すため、楯の会のメンバー4名とともに市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部へ向かう際、その車中で合唱したといわれるのは? 
  ①海ゆかば
 ②王将
 ③唐獅子牡丹
 ④起て! 紅の若き獅子たち

(ヲ) 戦後、着物から洋装へと日本人の身につけるものが変化するにつれ、ブラジャ-やスリップなどの下着も進化。下着メーカー・和江商事(現・ワコール)が昭和27年に日本で初めて「下着ショー」を行なったのはどこ?
  ①大阪・阪急百貨店
 ②京都・清水寺
 ③銀座・三越百貨店
 ④横浜・横浜水族館 

ふう~、いかがだろうか。何も調べずに正答できたらアナタはえらい!! (答えはコメント欄に)

出題は公式テキストの全6章に準じて各分野から16,7問ずつ。上記には各2問を紹介した。
それにしても、最初の下着ショーの会場なんて知らんわ。

正答を求めて検索する中で三島由紀夫の楯の会の歌も初めて知った。YouTubeにレコード音源があるのを聴いてさらに驚いた。
この世には知らないことがたくさんあるのを改めて実感したオヤジであった。



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すれ違い足柄峠

2011-12-11 23:43:02 | その他の雑記

白内障手術後のドクターストップにより、ランニングはまだ再開に至らず。
きょうは所用のため御殿場へ。

いつもの足柄峠通いと同じルートをたどり、いつもの山北駅を通過、峠越えロングコースの折返し点である駿河小山駅も素通りしてその先の御殿場駅まで直行。

一昨日の降雪で富士山は麓まで雪化粧でいっそう優美に荘厳に輝いていた。
峠走の醍醐味を味わうことはかなわなかったけれどすぐ近くまで行き、新雪の富士山を目にすることができただけでも来た甲斐があったというもの。

それにしても、走れないとなるともうたまらなく走りたくなってくるオヤジであった。
本日開催されているホノルルマラソン、奈良マラソン出走中の皆さまの快走に思いを馳せつつ。

★オヤジの心を癒す昭和の歌 (115)
  由紀さおりさんの大ヒットアルバム"1969”所収カバー曲の1つは、当時のラジオ深夜放送から生まれたこの歌。混沌とした時代の匂い漂ってくるような。

 ♪ わすれたいのに (モコ・ビーバー・オリーブ/1969)
 

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明るい未来

2011-12-08 20:12:10 | その他の雑記

片目ずつ2週続けての白内障手術が無事完了。両目開眼、視界良好!
今朝、通院して眼帯を取ってもらった時の感動は忘れられない。

いつもワシを励ましてくださる大切な友からいただいたメールのタイトルに「明るい未来」と記されていた。
そのとおり、いろいろあるだろうけれど前へ踏み出せばきっと道は開ける。そう実感した。

今回とくによかったのは、すでに5年前に白内障手術を受けている先輩である妻からの提案で、左右の人工レンズの焦点に若干の差をつけたこと。
人工レンズには単焦点と多焦点レンズがあり、機能的には遠近ともに見やすくなる多焦点レンズがすぐれているのは確かだがかなり高額であることと焦点が合った地点での単焦点レンズほどの鮮明さに欠ける、乱視には対応できないなどの難点がある。

予算面の制約もあり単焦点レンズを選び、最初の右目は遠くに合わせて視力1.2を得た。
が、手元は50cm以内になるとボケ始めキップの文字も見えづらい。これでは今後、日常的にも不便が予想される。
で、昨日の左目手術では右目よりは一段階手前に焦点を合わせたレンズを入れていただいた。

結果は大正解。左目視力は0.9となり、右目の1.2には及ばないものの、文庫本がメガネなしで読めるのはありがたい。
何より驚いたのは、長年愛用している「岩波国語辞典」の小さな活字がはっきり見えること。最近はメガネをかけた上にルーペを使わないと判読しづらく校正者としてはつらく哀しい状況だっただけに、心底感激しうれしくなった。これで退職後に校正アルバイトがどんどんできそう。

なお単焦点レンズは保険適用となるため治療費は3割負担で両目計8万5000円ほど。多焦点レンズの場合は適用外で10倍かかる。

このブログを入力している今も文字の黒さが目にしみるほどくっきりして実に清々しい。
街を歩けば遠くの女性もつやつや輝いて美しく見えるし、まさに視界良好、気分爽快のオヤジであった。


実をいえば、今回の手術は前回と比べて倍近く時間がかかり、けっこう大変だった。前回も、同日に手術した70代とおぼしきお姉さんたちが10分程度だったのに比べるとワシは20分くらい要した。執刀医によると「眼圧が高いため眼球が不安定」な状態だったらしい。今回の左目はその傾向がさらに顕著で安定を待ちながらのオペとなったため長時間(といっても40分くらいだけれど)となったようだ。

★オヤジの心を癒す昭和の歌 (114)

ずっと目を見開いてまぶしい中心を見続ける苦痛に耐えている時、脳裡にエンドレスで流れていたのは。
今朝の朝日新聞「ひと」欄で「新作アルバム"1969"が欧米で大ヒット」と紹介されていたこの人の懐かしい澄みきった歌声。

 ⇒ 夜明けのスキャット (由紀さおり/1969)

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白内障手術

2011-12-01 20:42:03 | その他の雑記

昨日午後、白内障の手術を受けた。まず右目、1週間後に左目を。

同じ日に手術待ちしていたのは70代とお見受けする女性ばかり。50代半ばというのは早いほうだが実は40代後半からすでに「かなり進んでますね」と眼科医から指摘されていた。当時小学生だった息子の眼科検診に付き添ってついでに診てもらった時に。

気にはなったが日常生活にはさほど支障を感じなかった(感じないようにしていた?) のでずっと先延ばしにしてきた。
「手術」と名のつくものは一度も経験したことがなく正直こわかった。

どうせいつかはしなければならないならこの際と思いきって。

おかげさまで無事に最初の右目手術完了。

ネット情報でも「ごく簡単な手術」と書かれているし実際にも正味20分足らずだった。が、ずっとまぶしくてジャバジャバ水かけられても目をつぶれない(あたりまえだけど) のはつらかった。以前は入院が普通だったようだが現在は日帰りできる。

 


今朝通院して眼帯をはずしてもらい、もうビックリ。
見えるものすべてがツヤツヤ輝いてる! 
韓国ドラマの画像のように異様なほどくっきり。

体験談で「世の中が全然違って見えた」と語る人もいて、なんておおげさなと思っていたけれど本当だった。

外に出て歩くと遥か遠くの人の顔まではっきり見えていっそう驚く。

スポーツ観戦に愛用している双眼鏡がそのまま肉眼にインストールされたよう。マラソン応援力は超アップするかも。

 

ただ、焦点を遠方に合わせたレンズを選択したので近くのものは今までと同じくぼやける。

「白内障手術でよく見えるようになった」と言うと、女性は申し合わせたように23歩引くのだが実は少し離れたほうが鮮明に見えるのだ。

息がかかるほど近づけば見えづらいので安心して接近してね。(笑) 

 

年内はプール厳禁。激しく走るのもドクターストップのため今月エントリーしていたレース、11()駒沢10km23(金・祝)足立ハーフは残念ながら出られそうにない。
再始動は年明けとともに。


手術直前まで読みふけっていたのが新刊のマラソン小説『ヒート』(堂場瞬一作/実業之日本社)。
同じ著者による箱根駅伝・学連選抜チームの激しい葛藤と熱い激走を描き思わず引き込まれて読んだ『チーム』(実業之日本社文庫)の数年後を舞台にした続編にあたる。

『チーム』で孤高の姿勢を貫きつつ最後にはアクシデントにも負けずチームのためにエースとして最高の走りを見せた山城選手が主人公。自他に厳しい視線は一段と鋭さを増し、実業団チーム内でも孤立を深めているもののマラソン日本最高記録保持者ゆえに監督も半ば放任せざるを得ない。

その山城に世界最高記録を狙わせるためにだけ開催される「東海道マラソン」が県知事の肝いりで横浜市庁舎前をスタート地点として企画される。
実務担当に抜擢されたのはかつて一度だけ箱根駅伝に出場経験をもつ40代の一介のスポーツ課職員。①新記録を狙える高速コースの設定 ②km2分55秒で30kmまで引っ張れるペースメーカー ③ベルリン以外のレース出場を拒絶している山城選手の招聘 3つの難題を懸命の努力と策略でクリアし、ついにレース当日を迎える。とりわけ最難関だった山城の固辞を覆したのはあの箱根駅伝・学連選抜の絆だった。
日本人選手によるマラソン世界新記録という奇跡は果たして達成されるのか……。

ネタバレになってしまうが、結末のゴールは小説中には書かれていない。いかなるラストになったのか手術中ずっとあれこれ思い描いて気が紛れたオヤジであった。


大震災後の仙台で中学生の合唱で被災者を励まし、その後この方の歌声でリリースされたこの歌も脳裡にずっと響かせてストレスフルな手術に耐えていた。
 
 ⇒ ♪あすという日が (夏川りみ/2011) 

 

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