ランニングおやじの野望!

50歳を目前に突然走り始めた鈍足おやじランナーのトレーニング雑記です。

サザエさん

2012-03-28 17:41:43 | その他の雑記

「サザエさん」一家の銅像ができたそう。リアルタイムで新聞連載(~1974年)を読み、朝日新聞社文庫版の全45巻を愛読したオヤジは早速行ってみた。

あった。東急田園都市線・桜新町駅(地下鉄)の地上出口3ヵ所にそれぞれと、駅から「サザエさん通り」を歩いて6~7分の「長谷川町子美術館」手前にある交番前、計4ヵ所に。
南口前にはサザエさんとタラちゃん、北口はカツオとワカメ、メインの西口前には一家7人が勢ぞろいしている。交番前のはサザエさんが一人で美術館のほうへ手を差し伸べるポーズ。

一番背の高いマスオさんが150cmくらい。原作マンガの絵に忠実に製作されたとのことで、アニメの絵より古風な感じだが、ブロンズ像にはむしろふさわしいか。

この町は原作者の長谷川町子さんが郷里の福岡から東京に来て亡くなるまで暮らしたゆかりの地。原作に出てくる三河屋さんも現存する。(今はコンビニになっているが)

アニメで人気の猫「タマ」はいない。あれはあくまでもアニメのキャラだからなんだそうだが、少々さびしい。
とくに一家全員がそろう西口の銅像は波平とフネ、カツオ、ワカメの4人と、サザエ、マスオ、タラの3人が2mほど離れて立っているので、その間にタマの像を置きたいところ。ワシがそう思うくらいだから、イタズラ心と創作力のあるアーティストにより近々ハリボテのタマが勝手に置かれているかも。


昨日の火曜は刀水AC壬生練習会に参加。壬生(栃木)での練習会には今年の年明け早々に初参加して以来2度目である。ここは400mの土(クレー) トラックが使えるのと起伏ある公園内コースが魅力。

練習会にはできるだけ早めに行くよう心がけ、この日も10時開始に充分間に合うよう午前6時ちょっと過ぎには家を出発したのに途中の乗り継ぎで勘違いして失敗してしまい、乗り換え駅で40分近く待つハメに。結局、最寄りの国谷駅に着いたのが10時ちょうどで、約2kmの道を走って行ったものの10分余遅刻。

いつもどおり準備体操と筋トレ後に動きづくりの調整運動。原因はわからないがこのところ左右の脚長のズレが大きくなっており、左右のバランスが崩れている感じ。骨盤にゆがみが生じているやも。
コーチからのアドバイスでタイムを取らず気にせず、大きな動きでスピード練習を繰り返すうちにだんだんよくなってきた。
200m×5、400m×3、1000m×1、2000m×1。

昼過ぎに練習会が終わり解散後、せっかく来たので一人居残り、公園内の芝生アップダウンを中心にファルトレク1時間ほど。
冠雪した日光連山の遠望、とりわけ富士山を思わせる広い裾野をもつ男体山の堂々たる山容がすばらしい。
帰路プールに寄りクールダウン。平日の練習会に参加できるのは、おそらく当面これが最後になりそう。


★オヤジの心を癒す昭和の歌 (128)
  春は別れと出会いの季節。今年はことのほか身にしみる。自分への応援歌として、懐かしいこの歌声を。

  ♪ いい日 旅立ち (山口百恵/1978)

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99回目の月例川崎マラソン

2012-03-25 19:53:50 | トレーニング

本日、「第433回 月例川崎マラソン」に連続99回目の参加。
[3km] 13分35秒 [5km] 22分25秒 [10km] 46分10秒
今の力としては精いっぱい走った。km4分半ペースがかなりキツイ。

アップとダウンジョグ各1kmと合わせて計20km。自転車(ロードレーサー)で会場まで往復、32km、帰路プールに寄りクールダウン。

初めてこの月例マラソンに参加したのは2003年12月。前年の秋に突然走り始めて1年余、当初は3種目全部走ることは考えられず5kmのみ。3種完走したのは半年後だった。

当時すでに330回を超え30年近い歴史があったが、ゼッケンナンバーは男子1100番台。このゼッケンを各自の個人ナンバーとして毎回使用する。
その後の8年余で参加者は急増し、今回は5100番台の真新しいゼッケンをつけた方々が目についた。毎年500人くらいずつ新規参加ということになる。

女子も2009年5月に1000番台へ達した後、急ピッチでナンバーは増え続け、今回1700番台を目撃。30年以上かかって1000人だったのが、わずか3年足らずで700人の激増である。
参加者急増に対応すべくバーコードシステムを導入するなど運営努力にはただただ頭が下がる。感謝あるのみ。

月例川崎には「連続賞」という表彰制度がある。最多で連続300回(名誉会員に) までが対象となり、回数に応じて記念品などがいただける。ワシも本来なら今回が連続100回目となるはずだったけれど、昨年3月の回は震災直後で中止となっているため次回に持ち越しとなった。
※連続100回といっても実際は出走7割程度。他大会と重なるなどして欠場の場合は参加費分1000円を添えて棄権届を出せば連続記録は継続できる。


1月に退職してから2ヵ月。4月からの「進路」は、おかげさまでいちおう定まった。
オヤジの行く末を案じてくださる面識のある方には、お目にかかった時に近況報告させていただきます。


★オヤジの心を癒す昭和の歌 (番外編)
  4年間楽しませていただいたNHKラジオの番組「ラジオビタミン」が惜しまれつつ終了。元・歌のお姉さん神崎ゆう子さんと、ワシと同世代の村上アナとのトークが絶妙だった。
ゆうこお姉さんの懐かしいこの歌を。昭和じゃなくて平成だけど。
 
 ♪ あしたは はれる (神崎ゆう子)

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旅立ちの日に

2012-03-19 17:33:01 | 家族・交友

きょうは中3息子の卒業式。
淡々と式次第進み、最後に卒業生と在校生合同の全員合唱。前後に向き合ってスタンバイする全校生徒の中央に立った指揮者は、なんとウチの息子であった。

以下は、同じ中学の6年先輩でもある在豪の兄に写メ送信した妻のレポート。

立派な卒業式でした。

「旅立ちの日に」の指揮は、卒業生と在校生の間に立って、

前を向いて卒業生を指揮したり、後ろを向いて在校生を指揮したり、よくやりました。

顔はきりっとしていて、手の動きがエレガントで、惚れ惚れしました。

 終わった後、演劇部の後輩の女の子に迫られ、制服のボタンをとられていました。

うれしそうでした。

演劇部顧問からは、「絶対忘れられないよ」と言われていました。

担任の先生が定年退職で、クラス生徒一同から「卒業証書」を渡しました。

すごく盛り上がっていました。

 きみの弟は立派に君の後を継いだよ。


今や卒業式の歌として圧倒的定番となったこの歌。卒業生たちは泣きながら歌い、聴いている親たちも涙、涙。無論、ワシもサビの ♪勇気を翼にこ~めて~ のあたりからもういけない。息子の姿がにじんで見えてきた。

 ♪ 旅立ちの日に

昨日の日曜はしばらくぶりで一緒に市ヶ谷の日本棋院へ。
息子にとってはおそらく「国内最終戦」となるジュニア囲碁本因坊戦東日本大会。ベスト4に残れば全国大会進出だが、結局その手前の手前、ベスト16で息子のジュニア大会は幕を閉じた。

待ち間に皇居へ走りに。5周。km6分から5分半くらいのゆっくりペースで。
8年ほど前に初めて棋院から皇居に走りに来て以来、いったい何度このパターンを繰り返しただろうか。まだ東京マラソンも始まっていなかったあの頃と比べると、皇居ランナーは激増した。
この日も数百名規模での駅伝大会他、レースがいくつか同時進行であったが、かなりしっかりした運営で特に道幅の狭い箇所では「追い越し禁止」措置を取るなど配慮が感じられた。

花粉症らしき鼻のムズムズは、処方薬が効いたのか快方に向かっている。
このまま収まってほしいオヤジである。

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2年ぶりの石段登り

2012-03-11 22:54:14 | レース

本日、「第27回 大山登山マラソン」(神奈川県伊勢原市)に参加。通算4回目。
9km、58分29秒。今回もすれすれながら1時間は切ることができてホッとした。

総勢約2000人を年代別に3組に分け30分ずつずらしてスタート。
距離は10km足らずだが、標高差650m。ラスト2kmは参道の石段1610段が待つ。
先陣は男子50歳代と60歳以上の部、10時スタート。

スタートに先立ち、開会式では1分間の黙祷。きょう開催された名古屋、京都をはじめ多くの大会でも同様だったようだ。
本日ここに立てたことを深く深く感謝する。

2007年に初参加して以来、前回まではかろうじて1時間を切ってゴールしてきた。
天候にも左右されるが、全参加者のうち1時間以内にゴールできるのは1/5から1/4程度。
とりわけワシら50代以上の物好きオヤジにとってはこの大山登りで1時間切れるかどうかが重大関心事となっている。
※今回の記録を見ると、50代男子完走者347名のうち1時間切りは63名(18%)、60歳以上は225名中16名(7%)にとどまる。

 ①2007 57分7秒   8'54"ー29'05"ー19'07"
 ②2008 58分50秒  9'11"ー29'58"ー19'40"
 (2009は申込忘れ)
 ③2010 57分53秒  9'09"ー29'07"ー19'37"
 (2011は震災の翌々日で中止)

ラップは、最初の2km(駅前から山に向かって市街地を走行する緩い上り道)⇒中盤5km(次第に傾斜が増し歩き出す人多し)⇒ラスト2km(1610段で標高差370mを登る山道)
それぞれ、10分以内⇒30分以内⇒20分以内 をクリアするのが1時間切りには必須。

これまでの経験からワシの場合、最初2kmのタイムの6倍ちょっとがおおむねゴールタイム。
で、今回は9'59"。やはりスピード不足で10分ぎりぎり。これまでで最も遅い通過で、1時間切りに黄信号だが、もうそういうことは考えない。

あとは時計も見ずひたすら目の前の坂道に集中する。速くはないものの、もう抜かれることはなく徐々に前のランナーを抜いていく。ラップボタンは押し、後で見たら29'13"。元気だった5年前に8秒差は上出来か。

この大会はローカルながら豪華なゲストランナーも名物で、今回も6人の女性アスリートが。真木和さん(アトランタ五輪マラソン代表) 小幡佳代子さん(セビリア世界陸上マラソン8位) 高橋千恵美さん(シドニー五輪1万メートル代表) 市川良子さん(アトランタ・シドニー五輪5000m連続代表) 市橋有里さん(シドニー五輪代表) もうお一人、弘山晴美さんも予定されていたが、お子さんの具合が悪いとのことで残念ながら欠場。
ワシらオヤジ組には小幡さんと市川さん。5kmすぎに坂の傾斜がきつくなってきたあたりで小幡さんを抜く。わーい。スピードランナーの市川さんにはついに追いつけず。

石段が始まる。前3回はただもうがむしゃらに駆け上がるばかりだったけれど、年々体力低下は否めず今回は近所の階段で登り方を研究してみた。結果、2段ずつ駆け上がるのがもちろん最速だが、2段ずつ歩いて上がるのも大差ないとわかり、今回の石段は最初から走らず2段歩きを基本として進んだ。最後の最後だけ頑張って駆け上がり、19'17"。石段部セカンドベストとなった。ゴール58分29秒。

山の上にはまだ雪が一部残っていた。気温は3℃。おしることお粥にみかんをいただいてすぐ下山。
ちなみに今回の全完走者2046名中1時間切りは399名(19.5%)、うち女性は273名中わずか11名。われと思わん女性ランナーはぜひこの物好き大会へ来たれ。(いつも名古屋と重なるけど)
なお、今回のトップ走者は40分32秒(大会記録は39分37秒)、最終走者は2時間58分だった。

今回なんとか中盤以降に踏ん張れたのは、やはり一昨年からの足柄峠通いのおかげであろう。というわけで、午後は伊勢原からほど近い足柄峠へ。通算34回目。
いつもはJR御殿場線の山北駅から出発するのだが、ちょうど電車が出たばかりで次は1時間近く待たねばならず、小田急の新松田駅から走り出す。途中で道に迷ったりしながら山北駅を通過したのが50分後、8kmほどの距離か。
すでに午後2時近く、こんな遅い時間に足柄峠に向かうのは初めて。空もどんよりうす暗く一抹の不安を感じながら、しかし念のため用意してあるヘッドランプも持っていることだし、とにかく暗くなるまでに戻ってこようと峠をめざす。
通常の「足柄万葉公園」往復、26kmのコースだが午前の石段登りと松田からの8kmプラスが効いて、上り下りとも最後はへろへろ。

しかも、下り始めた時に単独で登ってきた速そうな女性ランナーがいて、時間的に見てどうやらワシと同じく石段+足柄峠組らしい。なんで名古屋に行かないの?  って超余計なお世話か。
このままではすぐ追いつかれると必死でペースアップして下るも結局あっさりと高速抜かれ。
ガックリきてついに走れなくなってやむなくウォーキングを混ぜながらようやく夕方5時少し前に「さくら湯」にゴール。ともあれ無事に帰還できてよかった。

距離だけは午前と午後を足して45kmくらいになり、名古屋で頑張っておられる刀水女性陣15名にいちおう顔向けはできそうだが、内容は???
帰宅して、その名古屋の録画を結果知らずに観戦。手に汗握る。ラスト勝負で敗れはしたものの、中里麗美選手の積極的なレース展開はさわやかな印象を強く残してくれた。惜しい。


☆復興支援ソングが数多く作られている中で、きょう初めて聴いたこの歌はストレートに心に伝わってくる。
   ♪ 未来へ(YUSAKU1114/2012)

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静岡ハーフ、勝負なし

2012-03-04 20:32:25 | レース

1時間36分57秒。精一杯走ったが、どうにもkm4分半ペースには上がらず。
 22'59"ー22'39"ー22'59"ー23'19"ー4'59"
静岡ハーフでのワースト記録。折り返してくるトップ集団とすれ違う地点がひどく手前だったのも道理。
(地元出身ゲストランナー・佐藤悠基選手の走りを間近に目撃できたのはよかった)

自分のタイムのことよりも、今年で8回目を数えるはずだった高校同期生O君との対決は本人が姿見せず、勝負不成立に終わったのが残念でならない。

「第37回 静岡駿府マラソン」ハーフの部に8年連続8回目の参加。

2005年に静岡ハーフに初参加。同年秋に岡山国体で一般ランナーも出場できるハーフマラソンが開催された折り、高校時代に校内マラソン大会(12km)で優勝したO君に偶然32年ぶりの再会。ワシも驚いたが向こうはもっとたまげていた。「おめえが走ってるなんて……ありえねえ」
そう、高校時代のワシはランニングに限らずスポーツ・体育まるでダメ。態度も悪いので体育の成績は最悪で、かろうじて赤点をつけるのだけは教師の温情により免れていた。

秋に岡山で再会した年の静岡ハーフでのO君のタイムは1時間30分。その時点では同じレースを走っているとはおたがい知らなかったがこれを第1回として故郷の静岡で同級生勝負が始まった。
  2005  ● 1:33'08"   1時間35分を初めて切り仙台ハーフ出場権得るも負け 
  2006  ○ 1:36'17"   不調ながら向こうはもっと不調……
  2007  ● 1:32'57"   自己ベストタイだったが追いつけず
  2008  ● 1:35'25"   気管支炎の病み上がりで3分差の負け
  2009  ○ 1:31'08"   現在も破れずにいる自己ベストで快勝
  2010  ○ 1:35'06"   冷たい雨で後半ペースダウンも相方はさらにダウン
  2011  ○ 1:35'58"   初めて先行したが後半抜かれるも終盤に再逆転

50歳ころまで1500mで5分を切っていたスピードランナーであるO君が先行して逃げ切るか、あるいは後半落ちてきたのを粘って抜くか、が基本パターン。昨年は初めて異なる展開の末にワシが3連勝し通算4勝3敗と勝ち越したのだが。

帰りの列車内でプログラムをよくよく見ても記名なし。帰宅してネット検索してみたが、他部門にもエントリーしていなかった。おーい、どうした?

年に1度か2度、静岡でのレース前に「よお」「おお」と再会し、ゴールして「じゃ」「おお」と別れるだけで、年賀状のやりとりすらしておらず連絡のつけようもない。
念のため今年の東京マラソンをチェックしてみたら、やはり出走していた。しかし、これまでも東京の1週間後に静岡ハーフというのはおたがいに何度もあった。しかも、今回はそもそもエントリーしていなかった。もう終わりかよ~?

というわけで、いささか心さみしいオヤジであった。
勝手に第40回大会までに10回勝負、さらに第50回大会ではともに70歳を迎えて制限時間2時間(一般的にはハーフマラソンは2時間30分制限が多いが静岡はやや厳しい)に共におびえながら老骨に鞭打って勝負する姿を夢想していたのだが。

前日は刀水練習会。東京マラソン後で名古屋・京都などの直前からか参加者少な目。サブ3ランナーH氏が板橋フル対策でkm4分ペース20周(1.1km周回)する中、他のメンバーは各自ペースで10周プラスアルファ。ワシはkm5分で入り5周目までに4分半まで徐々に上げて9周まで維持。ラスト1周は4分15くらいに上げるつもりが女子メンバーに抜かれ最後は4分くらいまで上げるも結局追いつけず。

そういえばきょうの静岡でも終盤競り合いになった某クラブのユニフォーム女子にゴール前抜かれ届かず。クヤシイ。2日続けてクヤシイ。
以前なら絶対に抜き返していたのに。はやばやとあきらめてしまう弱い自分がいる。まだ枯れるには早すぎる。もう少し血の気を多くしていかねば。  

★オヤジの心を癒す昭和の歌 (127)
   ワシらが高校卒業する頃、大ブレイクしていたのが陽水のこの名曲。

 ♪ 夢の中へ (井上陽水/1973)

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練習再開

2012-03-01 20:07:32 | トレーニング

はや3月。大失速に終わった東京マラソン後、3日間の完休を終えて本日から再始動。
刀水AC木曜練習会に参加した。

4月からの進路は未確定ながら、平日昼間の練習会に参加できるのはおそらく今月いっぱい。いつでもそうでなければならないけれども、1回1回の練習会をよりいっそう大切にしていきたいと改めて思うオヤジである。

朝来た時にはまだ前日の雪がコース上に一部残っていたが、気温急上昇でみるみるうちに雪は消えていった。
参加メンバーのほとんどが東京マラソン出場組だったので、きょうの練習課題は大きなフォームづくり。
いつもどおり準備運動と補強の後、監督から実演とともに指導話あり。マラソン用に距離を踏む練習が多くなると、フォームが小さくなる傾向があるのでそこを見直すのが本日のテーマであると。

「東京マラソンを見ても、2時間ちょっとでゴールするトップ選手と6時間台のランナーではフォームが全然違う。姿勢を維持できず膝から下だけを使ってちょこちょこと小さな走りになってしまっている制限時間ぎりぎりランナーに対し、トップランナーは地面からしっかり推進力をもらって前へ前へ大きな走りができているから速い」

というわけで、100mの直線路にラダー代わりのマークポイント(人工芝マットを細く切ったもの)を前半と後半にそれぞれ置いて走り抜ける。後半のほうが1足長分だけ間隔が広くなっており、最初のうちはどうしても飛び越えてまたぐような感じになってしまう。監督のお手本は実にリラックスしてラクラク軽やかでお見事。
全員で数本練習した後、60分各自ジョグでその間にできるだけこのフォーム改善区間を通る、というのが本日のメイン練習。
ワシは830m周回毎にここを1回または2回通ることにし、60分で10セット。走り方の修正点も指摘いただき有意義な練習再開となった。

きょう3月1日は57回目の誕生日。♪ハッピーバースデーを歌って祝っていただき、うれしいオヤジであった。


★オヤジの心を癒す昭和の歌 (126)
   元気いっぱいのこの歌のように、前に進んでいこう。

 ♪ 春一番 (キャンディーズ/1976)

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