あっという間に日曜の夜となった。
今週朝は寒過ぎて走れず、ようやくこの3日間でペースいろいろ毎日20kmほど走ることができた。
初日は所用で「清澄庭園」へ。地下鉄半蔵門線「清澄白河」駅から歩いてすぐのところ。
駅名はなじみがあったものの通過するばかりで、下車したのは初めて。
入ってその庭園の素晴らしさに感嘆。他の著名な大庭園に比べればさほど広大な敷地ではないのだが大部分を池が占めており、空間の広がりが心地よい。
これで入園料150円(一般) は格安である。
夕方に用事が済み、走って帰宅。
途中、皇居を半周する。来年からはおそらく一方通行ランニングとなり逆回りはできなくなりそう。
約20km2時間20分かかって家にたどり着く。
2日目は刀水の土曜練習会。昨日も同じ場所で練習会があり5kmタイムトライアルを実施していた。2日連続参加のメンバーも。
今回のメイン練習は年明けからのマラソン準備の意味合いもあり、やや距離を意識した内容。
1.1km周回コース×15周のペース走で、ある程度脚を重くした状態から1km×10本。
ペース走はkm5分組と5分半組に分かれ、ワシは先週の撃沈もあり、慎重を期して5分半で。
かなり余裕を残して1km×10本に入り、4分半を目安に始めたはずが結局6本でギブアップ。まだまだであった。
本日は今年最後の月例マラソンへ。「第430回 月例川崎マラソン」に参加した。
[3km]13分59秒 [5km]21分37秒 [10km]47分48秒
5kmはほぼ全力で行ったもののこれが精一杯。
月報の「河原版」によると、今年も参加者急増は続き年間の延べ参加者数が初めて1万人を超え史上最多とのこと。3月の月例が震災の影響で中止になったにもかかわらず。
折返しの多いコースなので、走っていると以前とは比べ物にならないほどの人数の多さを改めて実感する。
会場は多摩川河口から10km足らずの地点。自転車(ロードバイク)に久々に乗ったので、月例走後に羽田空港近くまで往復。
まだプールはドクターストップ中なので入れないのが残念ではあるけれど、いちおう順調に回復中のオヤジである。
★オヤジの心を癒す昭和の歌 (117)
引き続き由紀さおりさんのアルバム"1969"所収のカバー曲から。
♪ 夕月 (黛ジュン/1969)
昨日、午前中にランを終えた日曜の午後。久々に受験した。
趣味の検定とはいえ、脳がしびれてくるような緊張感はなかなか他では味わえない醍醐味である。
「第1回 昭和史検定」(上級)を埼玉会場にて。(東大宮・芝浦工業大学内) 受験者は中高年男性がほとんど。女性は2人だけか。
全100問、時間60分。80問以上正解で合格。
問題用紙は持ち帰らせていただけたので自己採点したところ、70点がやっと。
試験には強いと自負していたワシだが残念ながら今回は遠く及ばず。
事前に公式テキスト&練習問題集でいちおうの勉強はしたものの到底歯が立たない難問ぞろいであった。4択式なので最後の切り札である直感も不発。2つまでしぼり、このどちらかだろうと選んだほうがことごとくハズレてしまった。
テキストの巻末に掲載されている練習問題100問のうち20問は本試験にも出題すると書いてあり実際に出た。ほぼ丸暗記していたからその20問はさすがに全部取れ、残り80問中60問を取ればスレスレで、大好きな「第1回」に合格と目論んだのだが。
思わず「えーーっ」と叫びたくなるようなトンデモ難問が並び、文字通り頭を抱えたオヤジであった。帰宅して正解を求めて検索するも結局わからずじまいの問いさえある始末。
テキストに記述がなく、直感もハズレて正答できなかった問題をいくつか。
(イ) 戦後、GHQ(連合国軍総司令部)の指令で公布された電気事業再編成令によって電力事業が再編成され、東京電力をはじめとする9電力会社が誕生しました。では、戦前に発電と送電を独占的に管轄していたのは?
①通産省
②日本電信電話(株)
③日本発送電(株)
④大本営
(ロ) 昭和32年、近鉄(近畿日本鉄道)の特急列車の編成全車に初めて採用され、その後、広く普及したサービス設備とは?
①車内放送
②自動扉
③自動販売機
④冷房
(ハ) 昭和9年に陸軍省新聞班によるパンフレット『國防の本義と其強化の提唱』が配布されました。その冒頭部分「たたかひは◆◆の父、文化の母である」の◆◆に入るのは?
①勝利
②経済
③平和
④創造
(ニ) 太平洋戦争開戦時、東條英機内閣の閣僚だったのは?
①吉田茂
②鳩山一郎
③岸信介
④広田弘毅
(ホ) 昭和16年11月、アメリカが戦争を回避する最終案として示した「日米協定基礎概要案」、いわゆるハル・ノートで日本側に要求した事項に含まれないのは?
①昭和天皇の将来的退位
②中国からの即時撤兵
③中国における国民党政府以外の政権の否認
④日独伊三国同盟の空文化
(へ) 昭和天皇は生物学の研究者としても知られていました。天皇が研究のライフワークとしていた生物はどれ?
①ヒドロ虫
②イソギンチャク
③ウミウシ
④粘菌
(ト) 昭和50年、テレビCMの「わたし作る人、ぼく食べる人」が女性差別的と批判され、放映中止に追い込まれました。これはどんな商品のコマーシャルだった?
①サラダ油
②カレールウ
③即席めん
④フライパン
(チ) 日本初のインスタントラーメンは、昭和33年に日清食品から発売された「チキンラーメン」。これは麺とスープが一体になっていました。では、その後主流となるスープ別添方式のインスタンチラ-メンで最初に発売されたものは?
①サンヨー食品「サッポロ一番 みそラーメン」
②日清食品「スープ付きチキンラーメン」
③明星食品「スープ付き明星ラーメン」
④東洋水産「マルちゃんのたぬきそば」
(リ) 昭和35~39年に内閣総理大臣を務めた池田勇人が、蔵相時代に発した「貧乏人は麦を食え」といった趣旨の失言はあまりにも有名。さて、昭和35年当時、自民党の総選挙用CMのなかで使われ、当時の流行語となった言葉は?
①「政治は数である」
②「日本を守る、責任力」
③「とめてくれるな、おっかさん」
④「私はウソは申しません」
(ヌ) 第一次世界大戦後、国際社会では戦争でなく平和を求める機運が盛り上がり、日本も協調外交と経済重視の"幣原外交"を展開。しかし、昭和5年のある事件をきっかけに、日本の協調外交路線は終止符が打たれました。その事件とは?
①金輸出解禁
②濱口雄幸首相が右翼青年に狙撃され、退陣後死亡
③満州事変
④五・一五事件
(ル) 昭和45年11月25日、作家・三島由紀夫が自衛隊の決起を促すため、楯の会のメンバー4名とともに市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部へ向かう際、その車中で合唱したといわれるのは?
①海ゆかば
②王将
③唐獅子牡丹
④起て! 紅の若き獅子たち
(ヲ) 戦後、着物から洋装へと日本人の身につけるものが変化するにつれ、ブラジャ-やスリップなどの下着も進化。下着メーカー・和江商事(現・ワコール)が昭和27年に日本で初めて「下着ショー」を行なったのはどこ?
①大阪・阪急百貨店
②京都・清水寺
③銀座・三越百貨店
④横浜・横浜水族館
ふう~、いかがだろうか。何も調べずに正答できたらアナタはえらい!! (答えはコメント欄に)
出題は公式テキストの全6章に準じて各分野から16,7問ずつ。上記には各2問を紹介した。
それにしても、最初の下着ショーの会場なんて知らんわ。
正答を求めて検索する中で三島由紀夫の楯の会の歌も初めて知った。YouTubeにレコード音源があるのを聴いてさらに驚いた。
この世には知らないことがたくさんあるのを改めて実感したオヤジであった。
ドクターストップが解除され、ようやくジョグ再開。
土曜はしばらくぶりで刀水練習会に参加できたのだが。
いつもどおり準備体操~補強~調整運動の後、メイン練習は2km×5セット、ラストにプラス1km。セット間は200mをジョグでつなぎ、各2kmは前半1kmをフルのレースペース、後半1kmを10秒上げる設定。
ワシは4分40秒→4分30秒を目標に。ペースが思うように上がらないながらも5セット目の後半1kmに入ったところで急激に失速。
脚がフルの断末魔状態で棒のよう。km5分を超えてしまうがそれでもなんとか走りきり、最後のプラス1kmを始めたところ今度は頭が朦朧として眠気に襲われる。
経験上これはヤバイと直感し中断。ガス欠、低血糖?
スタート地点に戻り倒れ込んでいるとゼリーやパン、なぜか沖縄のちんすこうなど食べ物が続々と眼前に差し出される。ありがたく頂戴し、徐々に回復に向かう。ご心配かけてすみません。
実は翌日は足柄峠走を予定していたのだが察知した方々から「行っちゃダメ!」と厳命下る。はい。やめます。
峠走は断念したけれど、課題を達成できなかったのが残念でならず再トライすることに。
本日午前、昨日と同じ場所と時間帯で単独実施。今回はいちおう無事に完遂できた。
2km×5 プラス1km (再)
4'38"+4'31"/4'41"+4'35"/4'36"+4'26"/4'33"+4'22"/4'23"+4'15"//4'08"
まだペース感覚が戻らず、思うようにペースコンロールができなかったものの全体としてはビルドアップ基調で行けたから良しとしようか。ラストの1kmは力尽きスピード上がらず。
この設定ペース4分40秒でフルを走り抜くにはまだまだ前途遼遠ではあるけれど、一歩ずつ前へ進もうと改めて誓ったオヤジであった。
★オヤジの心を癒す昭和の歌 (116)
引き続き由紀さおりさんのアルバム"1969"所収のカバー曲から。当時のラジオ深夜放送「走れ歌謡曲」初代パーソナリティ兼田みえこさんの歌声を。
♪ 私もあなたと泣いていい? (兼田みえこ/1969)
白内障手術後のドクターストップにより、ランニングはまだ再開に至らず。
きょうは所用のため御殿場へ。
いつもの足柄峠通いと同じルートをたどり、いつもの山北駅を通過、峠越えロングコースの折返し点である駿河小山駅も素通りしてその先の御殿場駅まで直行。
一昨日の降雪で富士山は麓まで雪化粧でいっそう優美に荘厳に輝いていた。
峠走の醍醐味を味わうことはかなわなかったけれどすぐ近くまで行き、新雪の富士山を目にすることができただけでも来た甲斐があったというもの。
それにしても、走れないとなるともうたまらなく走りたくなってくるオヤジであった。
本日開催されているホノルルマラソン、奈良マラソン出走中の皆さまの快走に思いを馳せつつ。
★オヤジの心を癒す昭和の歌 (115)
由紀さおりさんの大ヒットアルバム"1969”所収カバー曲の1つは、当時のラジオ深夜放送から生まれたこの歌。混沌とした時代の匂い漂ってくるような。
♪ わすれたいのに (モコ・ビーバー・オリーブ/1969)
片目ずつ2週続けての白内障手術が無事完了。両目開眼、視界良好!
今朝、通院して眼帯を取ってもらった時の感動は忘れられない。
いつもワシを励ましてくださる大切な友からいただいたメールのタイトルに「明るい未来」と記されていた。
そのとおり、いろいろあるだろうけれど前へ踏み出せばきっと道は開ける。そう実感した。
今回とくによかったのは、すでに5年前に白内障手術を受けている先輩である妻からの提案で、左右の人工レンズの焦点に若干の差をつけたこと。
人工レンズには単焦点と多焦点レンズがあり、機能的には遠近ともに見やすくなる多焦点レンズがすぐれているのは確かだがかなり高額であることと焦点が合った地点での単焦点レンズほどの鮮明さに欠ける、乱視には対応できないなどの難点がある。
予算面の制約もあり単焦点レンズを選び、最初の右目は遠くに合わせて視力1.2を得た。
が、手元は50cm以内になるとボケ始めキップの文字も見えづらい。これでは今後、日常的にも不便が予想される。
で、昨日の左目手術では右目よりは一段階手前に焦点を合わせたレンズを入れていただいた。
結果は大正解。左目視力は0.9となり、右目の1.2には及ばないものの、文庫本がメガネなしで読めるのはありがたい。
何より驚いたのは、長年愛用している「岩波国語辞典」の小さな活字がはっきり見えること。最近はメガネをかけた上にルーペを使わないと判読しづらく校正者としてはつらく哀しい状況だっただけに、心底感激しうれしくなった。これで退職後に校正アルバイトがどんどんできそう。
なお単焦点レンズは保険適用となるため治療費は3割負担で両目計8万5000円ほど。多焦点レンズの場合は適用外で10倍かかる。
このブログを入力している今も文字の黒さが目にしみるほどくっきりして実に清々しい。
街を歩けば遠くの女性もつやつや輝いて美しく見えるし、まさに視界良好、気分爽快のオヤジであった。
実をいえば、今回の手術は前回と比べて倍近く時間がかかり、けっこう大変だった。前回も、同日に手術した70代とおぼしきお姉さんたちが10分程度だったのに比べるとワシは20分くらい要した。執刀医によると「眼圧が高いため眼球が不安定」な状態だったらしい。今回の左目はその傾向がさらに顕著で安定を待ちながらのオペとなったため長時間(といっても40分くらいだけれど)となったようだ。
★オヤジの心を癒す昭和の歌 (114)
ずっと目を見開いてまぶしい中心を見続ける苦痛に耐えている時、脳裡にエンドレスで流れていたのは。
今朝の朝日新聞「ひと」欄で「新作アルバム"1969"が欧米で大ヒット」と紹介されていたこの人の懐かしい澄みきった歌声。
⇒ 夜明けのスキャット (由紀さおり/1969)
昨日午後、白内障の手術を受けた。まず右目、1週間後に左目を。
同じ日に手術待ちしていたのは70代とお見受けする女性ばかり。50代半ばというのは早いほうだが実は40代後半からすでに「かなり進んでますね」と眼科医から指摘されていた。当時小学生だった息子の眼科検診に付き添ってついでに診てもらった時に。
気にはなったが日常生活にはさほど支障を感じなかった(感じないようにしていた?) のでずっと先延ばしにしてきた。
「手術」と名のつくものは一度も経験したことがなく正直こわかった。
どうせいつかはしなければならないならこの際と思いきって。
おかげさまで無事に最初の右目手術完了。
ネット情報でも「ごく簡単な手術」と書かれているし実際にも正味20分足らずだった。が、ずっとまぶしくてジャバジャバ水かけられても目をつぶれない(あたりまえだけど) のはつらかった。以前は入院が普通だったようだが現在は日帰りできる。
今朝通院して眼帯をはずしてもらい、もうビックリ。
見えるものすべてがツヤツヤ輝いてる! 韓国ドラマの画像のように異様なほどくっきり。
体験談で「世の中が全然違って見えた」と語る人もいて、なんておおげさなと思っていたけれど本当だった。
外に出て歩くと遥か遠くの人の顔まではっきり見えていっそう驚く。
スポーツ観戦に愛用している双眼鏡がそのまま肉眼にインストールされたよう。マラソン応援力は超アップするかも。
ただ、焦点を遠方に合わせたレンズを選択したので近くのものは今までと同じくぼやける。
「白内障手術でよく見えるようになった」と言うと、女性は申し合わせたように2~3歩引くのだが実は少し離れたほうが鮮明に見えるのだ。
息がかかるほど近づけば見えづらいので安心して接近してね。(笑)
年内はプール厳禁。激しく走るのもドクターストップのため今月エントリーしていたレース、11(日)駒沢10km、23(金・祝)足立ハーフは残念ながら出られそうにない。
再始動は年明けとともに。
手術直前まで読みふけっていたのが新刊のマラソン小説『ヒート』(堂場瞬一作/実業之日本社)。
同じ著者による箱根駅伝・学連選抜チームの激しい葛藤と熱い激走を描き思わず引き込まれて読んだ『チーム』(実業之日本社文庫)の数年後を舞台にした続編にあたる。
『チーム』で孤高の姿勢を貫きつつ最後にはアクシデントにも負けずチームのためにエースとして最高の走りを見せた山城選手が主人公。自他に厳しい視線は一段と鋭さを増し、実業団チーム内でも孤立を深めているもののマラソン日本最高記録保持者ゆえに監督も半ば放任せざるを得ない。
その山城に世界最高記録を狙わせるためにだけ開催される「東海道マラソン」が県知事の肝いりで横浜市庁舎前をスタート地点として企画される。
実務担当に抜擢されたのはかつて一度だけ箱根駅伝に出場経験をもつ40代の一介のスポーツ課職員。①新記録を狙える高速コースの設定 ②km2分55秒で30kmまで引っ張れるペースメーカー ③ベルリン以外のレース出場を拒絶している山城選手の招聘 3つの難題を懸命の努力と策略でクリアし、ついにレース当日を迎える。とりわけ最難関だった山城の固辞を覆したのはあの箱根駅伝・学連選抜の絆だった。
日本人選手によるマラソン世界新記録という奇跡は果たして達成されるのか……。
ネタバレになってしまうが、結末のゴールは小説中には書かれていない。いかなるラストになったのか手術中ずっとあれこれ思い描いて気が紛れたオヤジであった。
大震災後の仙台で中学生の合唱で被災者を励まし、その後この方の歌声でリリースされたこの歌も脳裡にずっと響かせてストレスフルな手術に耐えていた。
⇒ ♪あすという日が (夏川りみ/2011)