ランニングおやじの野望!

50歳を目前に突然走り始めた鈍足おやじランナーのトレーニング雑記です。

仙台・X橋

2009-05-31 22:56:51 | その他の雑記

宮城県の有力紙「河北新報」によると、仙台駅の東西を結ぶX橋(エックスばし)が今年度中にも撤去され、付け替えられるそう。
東北新幹線開通後、大きく変貌した仙台駅前にあってもなお、「戦後」の雰囲気をかすかに漂わせていたX橋。はるか遠い学生時代、仙台郊外の苦竹(にがたけ、と読む地名)あたりに下宿してX橋をチャリンコで越えて通学していた頃の記憶は今なお鮮明に。
そのX橋が姿を消すのは、ワシにとってもせつない思いが胸にこみ上げてくる。

X橋は大正年間に東北本線をまたぐ跨線橋として建設された。上から見ると、脚部がそれぞれ二股に分かれて X の形であることから、この通称がもっぱら使われるようになり、正式名称の宮城野橋はほとんど忘れ去られてしまった。
近年、駅前の再開発で片側が二股でなくなり、Yの字状に変わっても呼び名はX橋のままだった。

つい最近、仙台在住の作家・熊谷達也の小説『いつかX橋で』(新潮社)を読んだばかりなので、いっそう感慨深いものがある。
昭和20年の仙台空襲で母と妹を目の前で失った少年・祐輔と、偶然の邂逅で親友となった彰太の短い青春を描いた物語で、「いつかX橋に虹を架ける」という夢がキーワードとなっている。昔の日活アクション映画のような、レトロで凄惨な展開が読んでいて胸苦しい。が、もちろん最後まで読まずにはいられなくさせるのは、さすがに語り部上手である。

ちょうど世田谷美術館で企画展「日本の自画像 写真が描く戦後1945-1964」と題する写真展が開催されているので、本日の月例川崎マラソンに参加した帰途に寄ってみた。場所は異なるが、敗戦直後の風俗や情景がモノクロ写真からリアルに伝わってくる。
そういえば「平成」生まれである息子が日本の現代史を学習した時に家で、「オトーサンは戦後すぐに生まれたんだよね」と言われて驚いたことを思い出した。
確かにワシが生まれた昭和30年は敗戦から10年しか経っていないわけで、現在から見れば「戦後すぐ」なのかも。本人は全然そう思っていなかったので意表を突かれたような気がしたものだった。

というわけで、仙台での学生時代を含め、あれこれ自分史に思いをはせた本日のオヤジであった。


先週の多摩川2日で100kmのダメージはようやく薄らいだものの、まだ完全復活には至らず。月例川崎は3km13'14"、5km22'35"がやっとで、最後の10kmはkm6分近いジョグが精一杯。

ところで、6/1からオンエアされる某缶コーヒーCMは、陸上界のスター多数出演でなかなか秀逸。
 

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そりゃないぜ ヨコハマ

2009-05-26 18:30:14 | レース
昨日発表された「2009 横浜国際女子マラソン」の要項はショックだった。
そもそも出場資格なきオヤジでさえショックなのだから、「最後の東京国際女子マラソン」に続いてこの新大会なんとか出場をめざしていた方々の衝撃は察するに余りある。

「東京」を引き継ぐ大会と聞いていたから、参加資格も当然そのまま受け継がれるものと多くの人が期待を込めて信じていただろう。だが、違った。フルは3時間15分以内で名古屋・大阪と同じに。30km、ハーフでの資格取得は名古屋・大阪よりも厳しい2時間10分、1時間25分。「東京」の市民の部とは異なり、すべて公認記録に限られる。

やるせない気持ちのまま(部外者なのに)、先日追悼放映された忌野清志郎ライブの録画を見ていたら、脳裡にこんな歌声が聴こえてきた。


♪ そりゃないぜ Baby  どうしたんだ Hey Hey Hey
  
  とんでもないぜ 

 フルが3時間15分 ハーフなんて1時間25分だなんて

 あんまりだ 考え直してくれよ 

 そうさ オイラの夢が消えちまう Oh 最悪だぜ!

 
 だけど だけど 負けねえ

 いつか Baby   きっと Baby   Wooo……


土日合わせて多摩川100km走の疲労抜き中のオヤジである。
月曜朝は芝生で超ゆっくり地下足袋ジョグ45分(約5km)。
今朝は一本歯の高下駄ウォーク30分。

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多摩川100km (2日で)

2009-05-24 21:07:21 | レース

1日目(5/23) 羽田の大鳥居~羽村の堰 54km 7時間22分
2日目(5/24) 福生南公園~六郷橋 46km 4時間22分 
計100km 11時間44分

「第1回 海から多摩川 あわせて100km Be-Rundes」(いろはにほへと塾主催) に参加。フルマラソンより長い距離のレースは初めて。

5000mでも10kmでもハーフでも、もちろんフルでも、レース終盤になると心が折れて「ダメだぁ~」と撃沈の多いオヤジである。
心の持久力を鍛えようと申し込んだのだが、結果的にはどうしようもない弱さを再確認する羽目に。

初日は河口付近から上流へ。AM9:00スタート。暑さもあり、30kmあたりで走れなくなり、歩いてしまった。今までフル終盤で苦しくなってもどんなに遅くなっても意地で走り抜き、歩いたことはなかったのに。ただ、歩いたらもう終わりと思い込んでいたがそうでもなく、2kmほど歩いたら少し元気が出て、超ゆっくりながら安定したペースでゴールまで走ることができたのは、ちょっと意外であった。夕方4時半近く、8時間制限に近い時刻にようやくゴール。他の方も苦戦したようで、出走7名のうち2名がリタイアしたそう。ゴール地点に近い福生駅前にあるビジネスホテルに全員宿泊して2日目に備える。

2日とも1位でゴールしたベテランウルトラランナー(年齢はワシより1回り若い方だが) によると、ウルトラの場合、歩くこと自体を罪悪視する必要はなく、ただしダラダラと歩き続けることがないよう、エイドとエイドの間は走り、エイドでしっかり休むというようにメリハリが大切とのこと。

2日目は前日のゴール地点から少し下流に移動してAM8:35スタート。河口少し手前の六郷橋 (箱根駅伝で1区と最終10区の勝負どころとなるあの橋) をめざす。前日から一転して気温が下がり、小雨・ほぼ無風と絶好の条件。距離も46kmだから最初の4kmをジョグすればあとはフルマラソンと同じ。フルをサブ4ペースでいけば4時間半以内にゴールできるはず。ほぼ目標どおりのゴールタイムながら、35km前後の踏ん張りどころで踏ん張れずペースがガタ落ちになってしまったのが悔やまれる。それでも最後は頑張り、なんとかPM1:00になる前にゴール!

100kmを1日で当然のように走るウルトラランナーから見れば「甘い!」と言われそうだけれど、ワシにとっては走りごたえ充分すぎるほどの2日間であった。先回りしてエイドに奔走してくださったスタッフの皆様に深甚の感謝を捧げます。ありがとうございました。

2日とも走後はプールへ。心身ともにへばった時は特に水の癒しが不可欠になる感じ。ともあれ無事に帰れてよかった……。
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2軸競歩

2009-05-18 21:12:37 | ナンバ・古武術・動き

先日コメント欄に寄せられた質問を機に、ブログタイトルから「ナンバ走り」をはずした。その際の返信に紹介させていただいた名著『スポーツ選手なら知っておきたい「からだ」のこと』(小田伸午著/大修館書店刊)を読み返していたら、股関節に関して再認識させられる記述があった。

股関節の位置はどこか?  ワシを含め、多くの人は「こかんせつ」という響きにもひっぱられて股間、すなわち脚の付け根あたりをイメージするのではなかろうか。ヒトの骨格をきちんと学んだ方なら先刻ご承知のとおり、違うのだ。

「股関節を英語では、Hip jointといいます。したがって、股関節は左右のお尻の中にある関節だと思ってください。股関節というと、太ももの付け根の前の部分を感覚する人が多いと思います。……股関節は、もっと後ろにあります。お尻のエクボの中に埋まっています。股関節はどこですか? といわれたときには、太ももの付け根の前側を指すのではなく、お尻の横の方を指しましょう」

なるほど。前にも読んだはずなのに、すっかり忘れていた。とほほ。

また、太ももの骨(大腿骨)が骨盤にはまっている部分が股関節なのだが、どのような形状ではまっているかについても誤ったイメージを抱きがち。なんとなく骨盤の真下にはまっているように思ってしまうけれど、もちろん実際は骨盤の側面にソケット状にはまっている。この形状ゆえに股関節は前後の伸展・屈曲にとどまらず、内旋・外旋、内転・外転と自在に三次元方向に動くことができる。「腰が回る」のも、実は股関節が回っているからなのだ。

姿勢を正して真剣に読み直していた最中に、京大出身の競歩選手・杉本明洋選手が山形県天童市で開催中の東日本実業団陸上選手権5000mで18分56秒の日本新記録を樹立したとの報(5/16)。
杉本選手といえば、小田伸午先生に師事して2軸動作を競歩に取り入れてトップクラスで活躍を続けている方である。

それにしても「歩き」でkm3分47秒ペースとはスゴすぎる。5000mを全力で走っても、いまだ20分を切れないオヤジは驚嘆するばかり。
記録横ばい状態が続いている今、もう一度身体操法を探究すべしとの天の声かも、と思い始めたオヤジである。

 ⇒常歩(なみあし)身体研究所

今朝は熟睡してしまい、芝生で地下足袋ジョグ20分(約3km)と筋トレ3セットのみ。

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トキワ荘記念碑

2009-05-17 19:38:11 | 本・漫画・映画など

昨日がクロカン3時間LSD+プールでいささか疲れ気味のため本日休走。朝、筋トレ3セットとステップ昇降20分のみ。

雨模様の日曜。家庭任務の合間に、かねてから行ってみたかった場所へ。豊島区南長崎、旧町名は「椎名町」。かつて手塚治虫・寺田ヒロオ・藤子不二雄ら錚々たる漫画家たちが若き日を共に過ごし、ドラマにもなった名高いトキワ荘があったところ。
現在はすでに取り壊され、某出版社ビルに変わっているが、先月、その跡地にほど近い公園に記念碑が立ったと聞き、ひと目見たくて。

あった。公園内の角地に、こぢんまりと、しかし洒落た雰囲気で。
かつての住人たちの似顔絵とサインが入ったプレートが台座に並び、その上に赤銅色のトキワ荘銅像が可愛らしく建っている。
しばし周囲を歩き回っている間にも次々と人が来ては写真に収めていく。

と、ここまで書いたところで、愛蔵マンガが並ぶ本棚から藤子不二雄(A)先生がトキワ荘時代を含む青少年時代を描いた大長編『まんが道』と今も連載中の続編『愛…しりそめし頃に…』をつい手にとったら、たちまち読みふけって多大の時間を費やしてしまった。どのページも熟知しているはずなのに、名作はいつ読んでも新鮮である。

記念碑の公園から歩いて3分ほど、跡地入口には立看板があるだけ。その向かいにはマンガにたびたび登場するラーメン屋「松葉」が健在で営業中。時間があれば、マンガの中で店員の「しのぶちゃん」が運んでくる松葉のラーメンをぜひ食べてみたかったけれど、任務時刻が迫ってきたので未練を残して夕暮れ迫る駅に戻った。 ⇒トキワ荘通り

日中は昨日封切りの映画「60歳のラブレター」を観て、ただもう涙、涙のオヤジであった。この映画を妻に見せたら、もう少しワシを大切にしてくれ……ないだろうなぁ。
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新・広島球場

2009-05-15 23:09:06 | その他の雑記


仕事の出張で岡山~山口方面へ。移動時間に若干の余裕があったので、広島で途中下車して今季新設オープンしたばかりの新球場を見に行った。昼時だったが、今夜の巨人戦の当日券を求めて行列ができていた。

中には入れないものの、球場外側のプロムナードから中を覗くことができるようになっていて、内外野の天然芝や左右対称ではない独特の設計など、新球場の特色がよくわかる。

野球、とくにプロ野球にはほとんど関心がなかったオヤジであったが、ここへ足を運んだのは刀水ACでお世話になっているF監督の影響である。
F監督のランニング指導は土台となる体づくりを重視し、各人の目標に沿った熱意にあふれているのだが、それと並ぶほど熱く語られるのが広島カープである。大企業丸がかえの球団経営が当たり前のプロ野球の中にあって、文字通り広島市民に支えられてきたチーム。被爆後3日で走行を再開したという路面電車とともに、広島復興のシンボル的存在であり続けてきた球団にF監督は胸打たれ、応援せずにはいられないのである。
その熱意に感化され、駅から800mの地に建設された新球場で新たな息吹の一端に接してきた次第。

駅前の地元書店に平積みされた新刊『Hirosima 都市と球場の物語』(阿部珠樹著/PHP研究所)を車内で読み、市民と球団・球場との歴史的な絆の強さを改めて知り、ますます傾倒を強めたオヤジであった。
F監督が常々言われているとおり、ぜひ広島と楽天の日本シリーズをこの新球場と仙台で戦ってほしいものである。

今朝は宿泊先のホテル周囲を60分ジョグ(約10km)。

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5度目の仙台ハーフ

2009-05-11 20:14:47 | レース
1時間33分32秒。昨年の自己コース記録には33秒届かなかったが、現時点での力は出し切った。
今年の仙台ハーフも終わり、いささか一時的虚脱状態に入っているオヤジである。

「第19回 仙台国際ハーフマラソン」に参加。仙台は5年連続。
赤羽選手ら女子188名スタートの5分後、10時10分に男子889名がスタート。
本日、今年もここに立てたことを深く感謝する。

 21'49"ー21'53"ー22'24"ー22'53"ー4'33"

気温22℃。4年前、一度だけ7月に開催された時でさえ20℃だったから、仙台ハ-フ史上おそらく最高気温。その第15回大会がワシの初参加の年、暑さでペース上がらず15km第2関門であえなく終了したニガイ思い出あり。
昨年から制限時間が緩和されたとはいえ、10km第1関門47分でけっして油断はできない。幸いにも曇り空で日射しはさほど強くなく、やや速めのペースで無事に10km通過。

最近のハーフでの目標は、20km過ぎからのラスト約1.1kmを4分半切り。10km以降、多少のペースダウンは覚悟のうえでユルめに行き終盤に備える。いささか本末転倒みたいな気もするけど。
19km手前あたりで後ろから、km4分15秒を少し切るくらいのペースで快調に飛ばすスリムランナーが来たので、ついていく。
20kmを過ぎてラストの直線、ケヤキ並木が美しく続く定禅寺通りを全力で。なかなか最後の曲がり角が来ない。やっとコーナーを回ってすぐ目前のゴールにダッシュ。うう、4分33秒……目標の4分半は切れなかったものの自己最速。いちおう自己満足できるレースであった。

3年前、刀水ACに入会させていただく以前は一人で「仙台、仙台!」と騒ぎ、ひとりさびしく参加していたオヤジであったが、今回はクラブから総勢6名が出走、沿道にはわざわざ駈けつけてくださった応援団もいて、一段と楽しくにぎやかな仙台ハーフとなり、うれしいかぎり。ありがとうございます。

今回の反省点としては、前日にいささか体力を使い過ぎたかも、ということ。実は出走メンバーのお一人が中学で卓球部だったと聞き、前日受付が始まる前の午前中に仙台の陸上競技場近くにある大型卓球場で打ち合ってかなり汗だくに。後で聞いたら、なんと埼玉の某市の中学チャンピオンだったとのこと。それを先に言ってよ、spicy-curryさん!
卓球ではこてんぱんにやられてしまったが、翌日のランニングではリベンジを果たしたオヤジであった。

今朝は疲労抜きのため芝生でゆっくり地下足袋ジョグ30分(約4km)。
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春日部大凧マラソン&刀水AC5周年

2009-05-05 22:45:06 | レース
5/4「第21回 春日部大凧マラソン大会」に5度目の参加。毎年、ワシの本命レースである仙台国際ハーフ直前に開催されるため10kmの部に参加してきたが、今回はパターンを変えてリハーサルとしてハーフの部にエントリー。

1時間38分19秒。23'43"ー23'53"ー24'13"ー26'29"(ラスト6.1km)

予定では15kmまでkm5分弱ペースで余裕もって行き、ラスト6.1kmをkm4分15秒ペースまで上げて26分以内が目標だった。
が、10時8分スタートから13分後、2.5km付近に踏切りがあり列車通過のため2分間ストップさせられると知り、「始めはウォーミングアップ」のつもりが変更を余儀なくされる。
いきなりエンジンほぼ全開状態、11分20秒くらいで無事に踏切は通過。その後はペースを落ち着かせたものの、予定よりやや速め。結局、その分ラストのペースが上げきれず。km4分20秒がやっと。

週末の仙台は暑くなりそうな予報。その条件下で最大限に頑張り抜くのみ。昨年の自分 (1時間32分59秒) には勝ちたいものである。

レース後は移動して刀水AC5周年を記念する会。子どもたちを含め30人以上が集まり、にぎやかで楽しいひとときとなった。
F監督からは、刀水メンバーのようにまっとうな人がふえてくれれば世の中はよくなる旨の挨拶あり。参加者全員のひとことスピーチでは「今年中にサブ3」宣言も飛び出し、大いに刺激されたオヤジであった。

本日はいささか「祭りの後」のような軽い虚脱状態。中1息子が囲碁の出稽古に行くのに付添い、待ち間に東京体育館へ。
積極的休養として、トラック外側の土道をゆっくりジョグ45分(約6km)。ラストに50m流し5本。その後プールで500m泳いでほぐす。


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忌野清志郎詩集

2009-05-05 21:37:56 | 本・漫画・映画など

5/2に58歳で、がんとの闘病の末に亡くなったロックシンガー・忌野清志郎さん。

連休前に出張で行った宮崎の駅構内に古本屋があり、偶然見つけて買った『エリーゼのために 忌野清志郎詩集』(彌生書房1983年)
列車で移動中に読んだ、いくつかの詩がメロディとともに脳裡に浮かんでくる。
ハデな外見と独特の歌いっぷり、繊細な内面が彼の魅力だった。高校生の時にラジオから流れてきた彼の「ぼくの好きな先生」(RCサクセション)は日本語で歌っているロックとして初めて聴いた歌だった。

26年前に発刊されたこの詩集の中に、自らの死をパロディーにしたこんな詩がある。

 「あきれて物も言えない」

 どっかのヤマ師が オレが死んでるって 言ったってさ
 よく言うぜ あの野郎 よく言うぜ
 あきれて物も言えない
    (略)
 ところが おエラ方 それで血迷ったか
 次の週には 香典が届いた
    (略)
 オイラ その香典集めて こうして遊んでるってわけさ
 ますます好き勝手なことができる
 さあ オマエに何を買ってやろうか

 ヤマ師が 大手を振って 歩いてる世の中さ
 汗だくになってやるよりも 
 死んでる方がまだマシだぜ
    (略)
 低能なヤマ師と 信念を金で売っちまう おエラ方が
 動かしてる世の中さ 良くなるわけがない
 あきれて物も言えない

 だから Baby さあ 今夜はどこで遊ぼうか
 まだまだ 香典 集まりそうだ 
 当分 苦労はさせないぜ


いかにも、という感じの清志郎ブシである。  

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横浜!

2009-05-03 17:00:00 | その他の雑記

世界卓球と開港150年祭で賑わう横浜。連日の卓球中継を見て、はるか遠い中学時代に卓球部だったオヤジはもうたまらず横浜アリーナへ。
5/2、大会5日目。芝居で言えば「天井桟敷」にあたるスタンド席に陣取り、双眼鏡で観戦する。世界卓球のナマ観戦は1991年の千葉大会以来である。

男子ダブルス3回戦で岸川・水谷組が4-2で勝ちベスト8進出を決めたのを見届けて、いったん場外へ。夜6時過ぎから開始される石川佳純選手の女子シングルス4回戦まで3時間余り。ここで3時間LSDを実施することに。

アリーナのすぐ裏手にはキャベツ畑があり、その先に鶴見川の土手が続いている。川沿いのサイクリングロードは月例横浜マラソン(毎月第3日曜開催)のコースともなっており、走りやすい。途中、日産スタジアムの横を通ると大歓声が聞こえてくる。(F-マリノスとフロンターレの試合だった)。
ちょうど3時間、約24kmをゆっくりジョグ。ラストに300m/200m/100mの流しを3本入れて終了。

アリーナに再入場すると、ちょうど石川選手の試合が始まるところ。世界ランクではずっと格上のシンガポール選手を相手に堂々の試合運びで4-2の勝利。明日の準々決勝ではいよいよ世界ランク1位・中国の張選手と当たる。2回戦では3セットを連取され、絶体絶命の局面から4セット連取で奇跡の大逆転をやってのけた石川選手に期待が高まる。

で、実は本日も横浜へ出かけたのだが、高まる期待で人出も早く、昨日は何でもなく買えた当日券がすでにSOLD OUT。読みが甘かったと悔やんでも遅い。
帰路の途中、初めて横浜国際プールへ。小高い丘の上にあり、けっこうな急傾斜の階段が105段、ワシを呼んでいる。(笑)
ちょうど中学の部活ふうの集団がトレーニング中で、混ざって11本。上りダッシュ43秒~33秒。下りは1分くらいかけてゆっくりと。
広々とした50mプールで1時間ほど、1km泳いだり、さまざまに歩いたり。卓球観戦は果たせなかったものの気持ちよく帰宅し即TVにかじりついたオヤジであった。やった、岸川・水谷組が準々決勝に勝利し銅メダル以上が確定!

※この試合、第6セットで重大な誤審あり。水谷選手のレシーブが相手のコート端にあたり軌道がわずかながら変化した明らかなエッジボール。放った水谷選手と相手のG選手はハッキリ認識し、だからこそG選手もガッツポーズをしなかったのが何よりの証明。見えない位置にいた主審には判断できないから目の前で目撃した副審の責任が最も重い。このポイントが認められていれば9-9で並んだのに8-10でセットポイントを握られてしまった。
しかし、強硬な抗議にもかかわらず判定が修正されないまま続行になった後、気持ちの切り替えがすばらしかった。2点連取して10-10に並び、ついに逆転してこのセットを奪い4-2で勝利。ワシなら怒りのあまり試合放棄するか審判に暴言吐いて退場処分を受けたかも。
まだ19歳なのに、激怒して感情をバクハツさせることなく終始冷静に主張し、容れられなくても腐らずに闘い抜いた姿は見事で立派だった。見習わねば。

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