ランニングおやじの野望!

50歳を目前に突然走り始めた鈍足おやじランナーのトレーニング雑記です。

雨の成田空港

2012-04-11 23:33:19 | 家族・交友

今夜、下の息子が成田から飛び立った。

夕方から雨は次第に強まったがフライトに影響するほどではなく予定通りの出発。
出国ゲートでようやく旅立ちの実感が不意に湧いたのだろう、一瞬泣きそうな表情を見せつつ手を振って入っていった。

6年前、6歳離れた兄が同じく中学を出てすぐ高校留学へ。
あの時は、中学の卒業式直後(3日後)で大勢のクラスメイトに見送られてにぎやかな出発だった。

あれから6年。兄弟はオーストラリア・メルボルンで共に青春の日々を過ごすことになった。
それぞれの道を見つけ進みゆくよう、ただ祈るのみ。


ワシ自身も「新生活」が本格的に始まって、生活時間帯も大きく変わり、以前のように朝ランの時間を確保するのがいささか難しくなった。
これではいかんと今朝は午前4時に決起、正味1時間11km走った。
花散らしの雨、濡れた舗装路には桜の花びらが貼り付いていた。

☆オヤジの応援歌 ⑤
 卒業式の生徒全員合唱で息子が指揮したこの歌。

 ♪ 旅立ちの日に

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再会と別れの花見

2012-04-08 21:12:05 | 家族・交友

近所のお花見スポットは大盛況だった。満開の桜に誘われてわが家も珍しく3人そろって公園へ。

思いがけず、今春中学を卒業した息子が0歳から一緒だった保育園仲間と次々出会い、6家族合同で桜花の下、にぎやかな昼食会となった。
ちょうど息子は今度の水曜には兄のいるオーストラリアへ高校留学に出発するので、記念の送別会のようでもあった。

父親の一人はランナー、フルのベスト3時間27分でワシのライバル。今度の長野に出走とのことでマラソン談議に花が咲く。以前はかなり飲んでいたようだが、勝負レース1週間前とあって自制気味の様子。
きょうもここへ来る直前まで30kmをほぼレースペース2時間24分で走ってきたそう。一般的にはフル直前1週間で30km走は無謀というか、やりすぎだろう。が、さまざま試行錯誤してみるのはよいこと。自己記録更新への意欲満々と見た。刺激になる。
ワシは皆がそろうまで40分ほどジョグした程度。帰路、プールに寄る。

前日の土曜は刀水AC練習会に参加。先週の強風ほどではないものの次第に風が出てきた。
各自のペースで5km-3km-1km。間をそれぞれ500m、300mジョグでつなぐ。
結果は、23分32秒ー13分9秒ー4分12秒がやっと。フォームに課題ありそう。

☆オヤジの応援歌 ④
 下の息子が生まれた頃、大ヒット中だったこの歌。いま聴いても新鮮さを感じる。
 
 ♪ PRIDE (今井美樹/1996)

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旅立ちの日に

2012-03-19 17:33:01 | 家族・交友

きょうは中3息子の卒業式。
淡々と式次第進み、最後に卒業生と在校生合同の全員合唱。前後に向き合ってスタンバイする全校生徒の中央に立った指揮者は、なんとウチの息子であった。

以下は、同じ中学の6年先輩でもある在豪の兄に写メ送信した妻のレポート。

立派な卒業式でした。

「旅立ちの日に」の指揮は、卒業生と在校生の間に立って、

前を向いて卒業生を指揮したり、後ろを向いて在校生を指揮したり、よくやりました。

顔はきりっとしていて、手の動きがエレガントで、惚れ惚れしました。

 終わった後、演劇部の後輩の女の子に迫られ、制服のボタンをとられていました。

うれしそうでした。

演劇部顧問からは、「絶対忘れられないよ」と言われていました。

担任の先生が定年退職で、クラス生徒一同から「卒業証書」を渡しました。

すごく盛り上がっていました。

 きみの弟は立派に君の後を継いだよ。


今や卒業式の歌として圧倒的定番となったこの歌。卒業生たちは泣きながら歌い、聴いている親たちも涙、涙。無論、ワシもサビの ♪勇気を翼にこ~めて~ のあたりからもういけない。息子の姿がにじんで見えてきた。

 ♪ 旅立ちの日に

昨日の日曜はしばらくぶりで一緒に市ヶ谷の日本棋院へ。
息子にとってはおそらく「国内最終戦」となるジュニア囲碁本因坊戦東日本大会。ベスト4に残れば全国大会進出だが、結局その手前の手前、ベスト16で息子のジュニア大会は幕を閉じた。

待ち間に皇居へ走りに。5周。km6分から5分半くらいのゆっくりペースで。
8年ほど前に初めて棋院から皇居に走りに来て以来、いったい何度このパターンを繰り返しただろうか。まだ東京マラソンも始まっていなかったあの頃と比べると、皇居ランナーは激増した。
この日も数百名規模での駅伝大会他、レースがいくつか同時進行であったが、かなりしっかりした運営で特に道幅の狭い箇所では「追い越し禁止」措置を取るなど配慮が感じられた。

花粉症らしき鼻のムズムズは、処方薬が効いたのか快方に向かっている。
このまま収まってほしいオヤジである。

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宿願のトロフィー

2012-01-06 21:14:39 | 家族・交友

親馬鹿話題。
本日、東京武道館(足立区綾瀬)で開催された「第10回 ジュニア囲碁パーク」中学生の部で中3息子が初優勝。優勝トロフィーを手にすることができた。

第2回大会に入門クラスで初参加して以来、昨年は生徒会行事と重なってやむなく欠場した以外は毎年参加して8回目。出場できるのは中学生までなので今回がラストチャンス。これまで苦杯を喫してきた同世代の強豪はほとんどがプロ養成機関である「院生」となっており、アマ大会には出場しない。しかも院生以外の中学3年生は高校受験直前ゆえ参加ごくわずか。
絶好の好機を逃さずリーグ戦5局を全勝し、まさに有終の美を飾った。

初参加したころは負けると悔しさのあまり大泣きしていた。終わると早々に帰る子も多い中、最後まで残って表彰式で優勝者に授与される輝くトロフィーを羨望のまなざしで食い入るように見つめていた姿が目に浮かぶ。
その後、全国大会の東京都予選では優勝もあったが賞状のみでトロフィーはもらえず。
春にはオーストラリアへ高校留学が決まっており、ラストチャンスでついに宿願を果たした。よかった。ごほうびに帰途、和菓子屋さんで高級どらやきを買い与える。

息子が対局している間、午前中は第10回記念の特別講演として石倉昇九段による囲碁入門講座を拝聴。ワシ自身はまったく囲碁を打ったことがないのだが興味が湧いてきた。
午後は近くの荒川べりでゆっくりジョグ90分。戻ってきたらちょうど表彰式が始まるところだった。


★オヤジの心を癒す昭和の歌 (118)
   めでたい時にはこの歌。

 ♪ 乾杯 (長渕 剛/1988)

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2012 幕開け

2012-01-02 22:33:23 | 家族・交友

賀春
初日の出は東伊豆の海岸から。海上左側に見えるのは伊豆大島。

年末年始は家族4人そろって伊豆へ。無事に穏やかな正月を迎えられたことに深く感謝する。
白内障の手術後回復もおかげさまで順調、ようやくプールOKが出た。

1ヵ月以上ぶりのプール、ゆっくり30分泳いだだけで呼吸が苦しい。それでも滞在4日間、毎日続けているうちに少しは慣れてきた。
海岸を気持ちよく走り、山道を頑張って走ったり歩いたり。濃いトレーニングとなった。

息子たちそれぞれ新たな出発の年を迎え、ワシも「坂の上の坂」を登っていかねばならぬ。
不安はあるけれど、前へ前へ。今年もどうぞよろしく。


「紅白歌合戦」もオープニングからオオトリまで見た。
心にしみる歌、元気をもらえる歌、たくさんあった中で、オヤジの胸にいちばん響いたのはドラマともども励まされたこの曲。

 ♪ おひさま~大切なあなたへ (平原綾香/2011)  

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気仙沼

2011-07-17 19:28:59 | 家族・交友

今週木曜早朝に気仙沼へ出発した留学息子が今しがた帰ってきた。
6月下旬から学年末休みで1ヵ月ほど帰国中、縁あって震災関連ボランティアとして。
高校生ピアニストゆういち君との創作折り紙コラボは好評だったようだ。

ゆういち君のパパ(ゆぱさん)のブログ

同日に仙台に向かった妻も石巻~女川と北上して気仙沼で息子と合流。無事に一緒に帰宅した。
帰途、仙台は昨日からの六魂祭混乱の余波で大混雑だったそう。
気仙沼から浜松まで車で帰られたゆぱさんも渋滞で16時間を要したとのこと。お疲れさまでした。

⇒ 妻の気仙沼レポート 「気ままコラム」

芸のないオヤジは、8月初めに東京代表として全国中学生囲碁大会出場する中3息子を囲碁塾に送り出しつつ日常を守るのみ。
土曜は刀水AC練習会。緑陰に富む内牧公園(春日部市)に練習会場を変更し、短時間でピリッとしたトレーニング。①スタートの一歩目の重要性を意識した流し ②腕立てなど5種筋トレ+210mダッシュ×3セットのサーキットトレーニング ③各自のペースで樹間を自由にファルトレク走35分

本日、日曜は通算17回目の足柄峠。これまでいつも神奈川県側の山北駅から峠越えして静岡県側の駿河小山駅をめざすコースで復路の上りが常に大撃沈となっていた。今回初めて駿河小山駅からスタートして山北駅へ。
さすがに歩かずに登りきり万葉公園まで1時間24分。下り1時間19分で山北駅に着いたところで力尽きた。再び峠を越えて戻る気力わかず、さくら湯の小プールでクールダウンして帰路につく。
ただちに昼寝して明朝のなでしこ決勝観戦に備えたオヤジであった。

★オヤジの心を癒す昭和の歌 (95)
 NHKラジオで今月の歌(ユアソング)として流れてくる園まりさんの新曲「もう一度逢いたくて」。これはあの大ヒット曲のアンサーソングだろうな。当時小学生だったワシは初めて女性の色気というものをこの歌で感じたのだった。

 ♪ 逢いたくて逢いたくて (園まり/1966)

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成人式

2011-01-09 22:05:52 | 家族・交友

ひさびさに親馬鹿話題。
高校時代からオーストラリアに留学中の息子が20歳を迎え、明日は成人式。
ここ5年はほとんど離れて暮らしているにしても、20年間の歳月を思えば感慨ひとしおのオヤジである。

昨年暮れから大学の「夏休み」で帰省中だったが、成人式翌日にオーストラリアへ戻る。
下旬まで休暇なのだけれど、メルボルンの日本総領事館で創作折り紙の個展開催が決まったため急ぎ戻ることに。
作品はこんな感じ ⇒ おりがみBOY in AUSTRALIA

折り鶴さえ怪しいオヤジにどうしてこんなアートっぽい息子が授かったのか不思議。たぶん妻(東京芸大卒)の遺伝子であろう。

下の息子(中2)もプロ棋士への道は断念したものの、囲碁アマ七段クラスの棋力は健在で高齢者が集まる囲碁サロンに行けば「先生」扱い。囲碁とはまったく無縁のオヤジなのに、これまた不思議。親がどうあれ子はそれぞれの道を拓いていく。

「芸」のある妻子にひきかえ、まるで無芸のジョギングおやじは忸怩たる思いを禁じ得ないが、何はともあれ走れることに感謝あるのみ。
土曜は刀水練習会。先月もやった「ピラミッド走」を再度実施。前回と同じく、1-2-3-2-1kmで間を100~300mジョグでつなぐ。前回は3kmからペースダウンしてしまったので、今回は後半ビルドアップを目標に。

[1km]4分12秒 [2km]8分30秒 [3km]12分35秒 [2km]8分18秒 [1km]3分54秒

まだまだではあるが、ほぼ目標どおりにビルドアップで走れたのは上出来か。

きょうはまた山練へ。足柄峠走26km2時間23分~大野山16km2時間15分 計42km約5時間(途中休憩3回含む)

6回目のチャレンジとなった足柄峠走、今回も2時間20分の標準タイムに届かず。次こそは。

★オヤジの心を癒す昭和の歌 (69) 
 正月TVスペシャル番組のうち、折り紙息子とワシが最も熱心に一緒に見たのは「みんなのうた50年」。1961年から約1300曲にのぼる多数の歌のなかで、ワシのイチオシはこの歌。

 ♪ 南の島のハメハメハ大王 (水森亜土/1976)

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未明の救急車

2009-11-30 19:35:48 | 家族・交友

一時はどうなるかと肝を冷やした。幸い大事に至らず、妻は無事に帰宅した。

週初めの今朝5時少し前、いつもどおり朝練に出る準備をしていたら廊下でゴトッと音がした。何事?  見ると妻が這ってトイレに入ろうとしている。
ぐるぐる目が回って気分が悪くて目がさめ、吐き気がすると言う。
それから7、8回嘔吐が続き、目まいも強くて目をあけられない状態。
血圧を測ると139/96といつもよりかなり高め、心拍も90。体温は35.5℃と逆に1℃近く低い。
脳障害の前駆症状も考えられるので、5時40分に119番通報。保険証とサイフ、妻の衣類などリュックに詰め込んでマンション玄関前で待つ。

なかなか来ない。あとで聞くと、折り返し確認の電話が家にかかってきて、妻は動けないので中1息子が応答したそう。5時55分、まだ暗く小雨降るなか、救急車到着。
救急隊員4名で搬送準備。その間に搬送先を当たるがいずれも拒否に遭う。これが悪名高きタライ回しか……。3ヵ所目のT病院が受け入れてくれて、6時25分ようやく出発。10分ほどで到着。
救急担当医によると、脳外科ではなく耳鼻科の領域の可能性が高いとのこと。目まい抑止・血圧降下の点滴を1時間かけて受け、症状はだいぶ落ち着いてくる。妻の手をずっと握っていた。
定時の9時すぎには救急診療室まで耳鼻科医が来てくれて聴力検査などを実施。メニエール病を疑ったようだが、聴力には異常がなく、「回転性目まい」(ぐるぐる目が回る)と強い吐き気・嘔吐のみが特徴的。

その後、車いすで移動して念のためMRI、CT検査なども行なったが、結局原因不明で「目まい症」との診断。昼には戻ってきた。その間、待つように言われたので売店でバナナとおにぎり、新聞などを買う。

2週間分の薬を処方してもらい、会計9,535円を済ませる。寝床から着のみ着のままストレッチャーに乗せられてきたので妻は裸足。売店でサンダルを買い(たくさん置いてあったから、そういう方が多いのだろう)、ワシの着ていたジャージをはおって、病院前に並ぶタクシーで帰宅。
帰宅してから家庭医学書とネットであれこれ調べ、目まいについて詳細を知る。女性に多いといわれる「くも膜下出血」の前兆ではなかったようで心底ホッとする。

実は先週、『突然、妻が倒れたら』(松本方哉著/新潮社)という怖いタイトルの本を読んだばかり。本の内容をそのまま追体験しているようで恐ろしかった。
著者の松本方哉(まさや)氏はフジテレビでニュースキャスターを務めていた方で、2年前、当時46歳の妻が最重度のくも膜下出血で倒れた。キャスターの仕事も降りざるをえなくなり、小5の息子と3人の壮絶な介護生活を克明に綴った手記は胸に迫る。

長い一日だった。「平穏無事」に過ごせることが、いかに有り難いことか、仕事も趣味のランニングも家族の健康あってこそと改めて痛切に思い知ったオヤジであった。お世話になった救急隊員の方々とT病院に深く感謝。

★オヤジの心を癒す昭和の歌 (19)
  ずっと「めまい」に悩まされた一日であった。こちらの歌の「めまい」はもっとセンチメンタル。
 ♪ めまい (小椋 佳/1975年)

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留学息子の休暇帰国

2007-11-30 22:41:39 | 家族・交友

一昨日 (水曜) の夜、高校留学先のオーストラリアから学年末休暇で息子が久しぶりに帰ってきた。
南半球は今が真夏で連j日37℃前後の猛暑だそう。

8月に日本から訪ねて行った時すでにほぼ身長がワシと並ぶくらいだったのが、今回は明らかに追い越されている。もう172~3cmくらいあるだろうか。日本の高校生の平均身長がそれくらいのようだから追い越されるのも当然だろうけれど。

息子とワシとのランニング勝負第3回戦を小5弟も楽しみにしていたのだが、膝が不調とのこと(成長痛?)。
2年前の第1回3kmでは11分台の勝負で息子が後半ラクラク抜き去って制し、去年の第2回8kmではワシが33分6秒で2分差をつけ圧勝。
スピードでは到底かなわないものの息子は5km以上走ったことがなく距離に不安があるから長ければ長いほどオヤジ有利となる。
今年は5kmで決戦かと武者震いして待っていたオヤジであったが故障では残念ながら致し方ない。完治を待つことに。

PCと折り紙作品をごっそり持参してきているので、こちらでもアップするつもりらしい。
 ⇒おりがみBOY in Australia


朝、休走。体操とその場腿上げ5分(心拍135)。
夜、雨も上がりプールへ。クロール1000m/平500m。

明日から12月、冬用のお気に入り壁紙に張り替え。

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最後の句集

2007-11-09 21:46:59 | 家族・交友


10月5日に88歳で母が去って1カ月余。第三句集がようやくできた。書名は『続々・万歩計』。

55ページほどの小さな本だが、1冊にまとめるにはそれなりに時間とエネルギーと精神集中が必要で、なんとか今週末の納骨・四十九日法要に間に合って安堵しているオヤジである。

喜寿記念の第一句集、傘寿の第二句集の時のように手渡して喜んでもらえないのが永遠に心残りではあるけれど、自らのグウタラが招いた事態ゆえ致し方ない。

4歳で生母と死別し子どもの頃から病弱だった母にとって、今春迎えた88度目の誕生日は想像外だったようだ。
その日のノートに記された感想句……

  まさかまあ 八十八に たどりつき

これが母の実感だったのだろう。
母と同じ年代あるいはもっと上の年齢でますます元気な方々をお見受けするにつけ、次の第四句集・第五句集も作りたかったと思ってしまうのは欲が過ぎるというべきか。

1年半にわたり記された作句ノートを読むと、今春まではほぼ毎日のように書かれていたのが夏とともにめっきり少なくなり筆圧も弱くなっていくのが見てとれ胸が詰まる。
衰弱を感じながらもなお、大空を行く鳥に夢を託したのだろうか、ノートに書きつけられた最後の句……

  空高し 小鳥すいすい 飛んで行く

今頃は小鳥とともに千の風になって飛び回っているのかも。

これが最後の句集となってしまったので、巻末の10ページは「思い出のアルバム」として写真構成に。最初の写真は昭和37年(1962年)、和服を着た43歳の母の膝にちゃっかりと小2のワシが座って満足気な表情をしている。
掲載した20枚の写真からは、愚痴をこぼさずいつも前向きに生きた母の歴史がにじみ出て、心励まされる息子であった。


朝、休走。体操のみ。
夜、プールへ。クロール1000m+平500m。(45分)
プールから外へ出ると雨だった。

 

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