ランニングおやじの野望!

50歳を目前に突然走り始めた鈍足おやじランナーのトレーニング雑記です。

「杜の都」全日本大学女子駅伝

2007-10-28 23:58:43 | レース

惜しい、あと20秒……。
「まいちゃん」がアンカーで走った白鷗大は8位でゴール。(出場25校+1)
来年の出場権が得られるシード校6位玉川大との差は20秒だった。

日中は陸上指導員養成講習(全6回の4回目)を受講していたためTV観戦もかなわなかったが、ちょうど昼休み時間中にスタート直後の映像はTVが受信できるケ-タイで見ることができた。

午後の実技・走幅跳を、雲ひとつない青空の下、府中陸上競技場のフィールドで指導を受けながら練習。
(まいちゃんはもう襷を受けて走り出した頃だろうか。悔いのない全日本ラストランを無事故で走り抜いてほしい)と心で声援を仙台に送る。

帰宅後、結果は全く知らずに録画を見る。
スタートは「仙台国際ハーフ」と同じ場所、走るコースもかなり重複しているので、体感イメージが強くてドキドキしてくる。
最終6区のアンカーに襷が渡り始め、8位で白鷗大・まいちゃんが襷を受けて走り出すと、もう居ても立ってもいられない。5位から10位あたりまではアンカーの走り次第で順位変動が充分ありうる範囲内。
前の選手を追いかけるまいちゃんの胸中を思うと、もうなんだか泣けてくる。見えているのになかなか縮まらない……。

トップの立命館がスタートしてから10分後には一斉繰り上げスタートがあり、うち2校は5区の選手がすぐそこまで襷を手に持って来ているのに無情にもその眼前で繰り上げスタート。倒れ嗚咽する選手。オヤジも思わずもらい泣き。
最終6区はただもう涙にむせぶばかりのオヤジである。

定禅寺通りを駆け抜けて、左に大きく曲がるとすぐそこがゴール。
レベルは全然違うものの、同じ場所でゴールを2度体験している者として、角を曲がってゴールに入る時の感触がありありと湧き上がってくる。
まいちゃんがゴールした時は、自分が走ってきたように虚脱感に襲われた。あぁ、これで終わったのか……

シードには届かなかったけれど、白鷗8位は大健闘。そもそも箱根駅伝が21校出場で10位までがシードされるのに、6校は少なすぎる。ぜめて8位まではシードが妥当ではないかとTVの前でぶつぶつ文句を言っているオヤジであった。

まいちゃん、アンカーの重圧に耐えてよく頑張った。本当にお疲れさま!!

全日本大学女子駅伝公式HP


 

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ランダムに…

2007-10-24 20:06:40 | その他の雑記

来年の仙台ハーフ参加条件を一応クリアし、好物の和菓子類を食べ過ぎて毎日500gずつ育っているオヤジである。

書きたいこと、書くべきこと、たくさんあるけれど時間がないのでメモ的に。

★本屋さんでただ今発売中のランニング誌『クリール』に刀水ACが見開き2pで紹介されている。(編集長のランニングクラブ訪問)

「多くのランニングクラブを訪問してきたが、刀水ACほど充実した内容のところはなかった。すごいことをしている、というのではない。正しいことをきっちりとやっている。」
「大会会場で刀水ACの青いウェアを着たランナーがいたら、よく見てほしい。みな、素晴らしいフォームをしているはずだ。」

この記事をワシは高島平ロードレースに向かう電車の中で読み、会場で刀水のユニフォームを着る時さすがにいささかビビッた。

全日本大学女子駅伝がいよいよ今度の日曜、仙台で開催される。
このオヤジブログにコメントを寄せてくださる「まいちゃん」が出場!
4年生だから、今回が大学女子駅伝でのラストランになる。
起伏の多い難コースだが、重圧を推進力に変換して最高の走りを祈るのみ。ガンバ!まいちゃん!!

まいちゃんが所属する栃木の白鷗大学陸上部には、アミノバリューランニングクラブin栃木の練習会で大変お世話になっている。チームの快走を期待したい。(日テレで中継)

★村上春樹さんのランニング本。実におもしろかった。
僭越ながら評価させていただくと、☆☆☆☆☆。(エクセレント!)
『走ることについて語るときに僕の語ること』(文藝春秋刊)
『クリール』誌編集長も昨日のブログで絶賛している。

著者の名前は大ベストセラー小説『ノルウェイの森』の作者ということくらいは知っていたけれど、作品は読んだことがなく、本格的なランナーであることも知らなかった。若い女性ファンの多い、どちらかといえば「軽い小説家」だろうと、偏見と思い込みを抱いていたのが正直なところ。
全くの思い違いであった。読んでみて、ちょっとかっこよすぎる感じもやはりするけれど、小説を書き続けるために走り続けるという明確なポリシーに基づいて、真摯に日々のトレーニングを積み、年1回のフルマラソンを25回完走した事実だけでも尊敬に価する。
全編書き写したくなるほど、すばらしい言葉がちりばめられていて、手元の本はたちまち付箋だらけになってしまった。
全部書き出すわけにはいかないので、エイッと開いた一節から。

「個々のタイムも順位も、見かけも、人がどのように評価するかも、すべてあくまで副次的なことでしかない。僕のようなランナーにとってまず重要なことは、ひとつひとつのゴールを自分の脚で確実に走り続けていくことだ。尽くすべき力は尽くした、耐えるべきは耐えたと、自分なりに納得することである。そこにある失敗や喜びから、具体的な----どんなに些細なことでもいいから、なるたけ具体的な----教訓を学び取っていくことである。」

共鳴・感動して早速、村上春樹著の本をごっそり手に入れてきたオヤジである。(実に単純)


あ、もう囲碁塾から小5息子が帰ってくる時間。晩メシの支度をせねば。
(そういえば、この間の日曜夕方に高島平から帰ってきたら、息子がいるはずなのに返事が聞こえない。見るとフラフープ中で、しばらくして「1万回!」と叫んだから驚いた。永久に続きそうなので、とりあえず1万3000回で終了させた。Tシャツをめくると、おなかが赤かった。いやはや……)

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高島平、きわどくセーフ!

2007-10-21 20:58:09 | レース

1時間29分46秒。制限時間1時間30分の20kmレースで、ぎりぎり間に合った。

「第32回 高島平・日刊スポーツ・ロードレース大会」に3年連続の参加。今回も、来年5月の仙台国際ハーフ出場をかけての出走となった。

去年までの2回は1時間27分台で、わりと余裕をもってゴールできたが、今回は9月の一関ハーフでの撃沈以来、走力ダウンのまま当日を迎えることになってしまった。
きわどいゴールになるだろうことは覚悟の上。思い切って、あえて腕時計は付けずにスタートへ並ぶ。タイムを気にしながら走り、結局その重圧につぶされてしまうレースが続いたので。

幸いこのレースには刀水ACの走友が多数出場する。
で、頼みのNEKOさんに「すべてを託す」ことに。NEKOさんにしてみればとんでもない迷惑な話で、まことに申し訳ない。

10kmの部が終了後、9時50分号砲。本日こうしてスタートできたことに感謝する。

1周5kmの周回コース、2周目まではkm4分半を若干切るくらいの落ち着いたペース。ひたすらNEKOさんについていく。
3周目に入って、高速学生選手の方々に周回抜きされるあたりからNEKOさんがペースを上げ始め、前のランナーを抜いて行く。
迷ったが、仙台で15kmすぎから大失速したのを思い出し、ここは自重してペースを維持。

4周目に入るところで初めて電気計時を見る。1時間7分15秒くらい。
きわどいが、km4分半をキープできれば間に合いそう。
ペースを落とさぬよう、上げすぎないよう慎重に行く。
ん? ずっと前にいるはずのNEKOさんが、そこにいる?
何かアクシデント発生? ?

「NEKOさん!」と声をかけるとしっかり反応してくれたので、なんとかゴールは大丈夫そう。
(後で聞くと、急に腹痛に見舞われてしまったとのこと。予期せぬオヤジのペースメイクをするハメになってその責任感もあったのだろうか。まことにすまん)

NEKOさんの犠牲的献身のおかげで、来年も仙台に行けそう。ひたすら感謝あるのみ。ごめんなさい。来年は自力で走ります。
刀水ACのふくち選手兼コーチ、ならびに応援してくださったmi45さん、さとちゃん、ありがとうございます!!
「頭にピカチュウ」さん、ずっと激励の声かけしてくださって励みになりました。多謝。

レース後、近くの公園で車座になってランチ。刀水ACの精鋭美女軍団7人に囲まれて幸せなオヤジであった。

帰途、芝生の公園で久しぶりに裸足ジョグ30分。その後、プールで疲労抜きスイム。平・クロール各250m+ウォーキング。

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ハセツネ

2007-10-20 20:37:48 | レース

きょう午後1時、東京・武蔵五日市をスタートして現在夜間走行中のハセツネ。 (第15回 日本山岳耐久レース・24時間以内)

今年はついに2000人(うち女性231人)を超える出走だったそう。実はワシも初エントリーしていたのだが、残念ながら今回は見送った。
夜間走行の経験もなく、全コース標高1000~1500m・全長70km超の山岳路は、現時点では無謀な挑戦といわざるをえず、諸事情で不参加となったのは妥当だったかも。

男子トップは夜9時前にはゴールしてしまうらしい。関門通過タイムの速報を感嘆と尊敬の念とともに見ている最中のオヤジである。

大会公式HP(タイトル下に「リザルト速報」)


母の遺稿となった俳句をまとめた句集の入稿を本日完了し、あとは校正作業もあるが基本的には印刷所に頑張ってもらうしかない状態。
来月中旬の納骨までに間に合うかどうか。

とりあえず、一段落で、小5息子と本日午前に立川で行なわれた「箱根駅伝予選会」の中継録画放送を夢中で見たオヤジであった。
出場42校、各校12名以内が一斉スタートして上位10人の合計タイムで箱根出場の9校を決める。
昨年は9・10位がわずか1秒差という熾烈な闘い、ゴール前は1秒でも速くと各選手全力走で見ているほうも熱くなった。
今年も、ごく僅差の10位で32年ぶりの出場を逃した青山学院大には思わずもらい泣きであった。

明日の高島平20kmロードレースには、すでに箱根出場権を確保しているシード校から高速選手が多数出場。5km周回コースなので、ワシが3周目に入ったあたりで周回抜きされるのが毎回たのしみである。(笑)

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母の句集

2007-10-09 21:48:24 | 家族・交友



10月5日の朝、母は安らかに88歳の天寿を全うした。

ずっと元気に過ごしていたが、猛暑の夏を越えて衰弱が目立ち始める。8月に32kgだった体重はさらに減り、もともと細かった体はいっそう小さくなって、枯れるように旅立ったのだった。

細い体で子を4人産み育てた母。その4人きょうだいの末っ子である自分は親姉兄から面倒みてもらうのを当然のように育ち、歳月を経て父が72歳で平成元年に他界してからも基本的な構図は変わらず、母の暮らしに関しても長兄はじめ在郷の姉兄たちにおまかせ状態であった。

せめて親孝行の真似事でもと、70歳を過ぎてから俳句を始めた母の句集を喜寿・傘寿それぞれの記念にまとめた。母はとても喜んでくれた。

今年迎えた米寿の記念に3冊目の句集をと考えていたのに。
この春しばらくぶりで訪ねた時に母から最近の作句ノートと「もう文章は書けそうにないから」と前書きの内容を語ってくれたのに。
老いが進んではきているものの、まだまだ達者な母の様子に安心してのん気に構えてしまい、すぐに句集作りに取りかからなかったことが今となっては痛切に悔やまれるばかり。
最後まで不甲斐ない息子であった。

第三句集を母に手渡すことは永遠にかなわぬこととなってしまった。
残念ながら遺稿集として急ぎまとめ、母の墓前に供える。それが息子として最優先の使命となった。

母が亡くなる前後、静岡に帰省した5日間に懐かしい町々や海岸、山道を延べ100kmほど走り回った。さまざまな記憶が去来し、こみ上げる思いとともに。
川の土手や道端には至るところ ヒガンバナが精一杯に咲いていた。

  幼き日 母と見つけし 彼岸花


※というわけで、ブログ更新は当面かなり間隔があくことになりそう。
代わりにというわけではないけれど、オーストラリアに高校留学中の息子がブログを始めたので、見てやってください。
 ⇒ おりがみBOY  in Australia

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