一時はどうなるかと肝を冷やした。幸い大事に至らず、妻は無事に帰宅した。
週初めの今朝5時少し前、いつもどおり朝練に出る準備をしていたら廊下でゴトッと音がした。何事? 見ると妻が這ってトイレに入ろうとしている。
ぐるぐる目が回って気分が悪くて目がさめ、吐き気がすると言う。
それから7、8回嘔吐が続き、目まいも強くて目をあけられない状態。
血圧を測ると139/96といつもよりかなり高め、心拍も90。体温は35.5℃と逆に1℃近く低い。
脳障害の前駆症状も考えられるので、5時40分に119番通報。保険証とサイフ、妻の衣類などリュックに詰め込んでマンション玄関前で待つ。
なかなか来ない。あとで聞くと、折り返し確認の電話が家にかかってきて、妻は動けないので中1息子が応答したそう。5時55分、まだ暗く小雨降るなか、救急車到着。
救急隊員4名で搬送準備。その間に搬送先を当たるがいずれも拒否に遭う。これが悪名高きタライ回しか……。3ヵ所目のT病院が受け入れてくれて、6時25分ようやく出発。10分ほどで到着。
救急担当医によると、脳外科ではなく耳鼻科の領域の可能性が高いとのこと。目まい抑止・血圧降下の点滴を1時間かけて受け、症状はだいぶ落ち着いてくる。妻の手をずっと握っていた。
定時の9時すぎには救急診療室まで耳鼻科医が来てくれて聴力検査などを実施。メニエール病を疑ったようだが、聴力には異常がなく、「回転性目まい」(ぐるぐる目が回る)と強い吐き気・嘔吐のみが特徴的。
その後、車いすで移動して念のためMRI、CT検査なども行なったが、結局原因不明で「目まい症」との診断。昼には戻ってきた。その間、待つように言われたので売店でバナナとおにぎり、新聞などを買う。
2週間分の薬を処方してもらい、会計9,535円を済ませる。寝床から着のみ着のままストレッチャーに乗せられてきたので妻は裸足。売店でサンダルを買い(たくさん置いてあったから、そういう方が多いのだろう)、ワシの着ていたジャージをはおって、病院前に並ぶタクシーで帰宅。
帰宅してから家庭医学書とネットであれこれ調べ、目まいについて詳細を知る。女性に多いといわれる「くも膜下出血」の前兆ではなかったようで心底ホッとする。
実は先週、『突然、妻が倒れたら』(松本方哉著/新潮社)という怖いタイトルの本を読んだばかり。本の内容をそのまま追体験しているようで恐ろしかった。
著者の松本方哉(まさや)氏はフジテレビでニュースキャスターを務めていた方で、2年前、当時46歳の妻が最重度のくも膜下出血で倒れた。キャスターの仕事も降りざるをえなくなり、小5の息子と3人の壮絶な介護生活を克明に綴った手記は胸に迫る。
長い一日だった。「平穏無事」に過ごせることが、いかに有り難いことか、仕事も趣味のランニングも家族の健康あってこそと改めて痛切に思い知ったオヤジであった。お世話になった救急隊員の方々とT病院に深く感謝。
★オヤジの心を癒す昭和の歌 (19)
ずっと「めまい」に悩まされた一日であった。こちらの歌の「めまい」はもっとセンチメンタル。
♪ めまい (小椋 佳/1975年)
暑くなったり急に寒くなったり。とくに朝の冷え込みでトイレが近くなり朝練中に駆け込む頻度が多くなって困るオヤジである。
まだ長い距離を走れる状態ではないので、この週末は短い距離をある程度追い込んで。
◇11/28(土) 刀水練習会。10時開始、いつもどおり補強・調整運動後に月末恒例の5kmタイムトライアル。フルを走ったばかりのメンバーが多いため「ペース走として各自のペースで」と指導あり。
ワシはラスト1km上げられるよう最後方からスタート。21分28秒。
4'27"ー4'18"ー4'14"ー4'23"ー4'05"
30分ほどダウンジョグ後、プールで550m泳いでクールダウン。
◇11/29(日) 最終日曜で「第405回 月例川崎マラソン」に参加。今月から来春3月までは「冬時間」、スタートが1時間遅くなって9時15分開始。
[1km] 4分56秒 [3km] 13分15秒 [5km] 21分16秒 [10km] 46分19秒
まだまだではあるけれど、2日続けて痛みが出ずに走りきれてホッとした。いつもどおりチャリ往復32km、帰途プールで1km泳ぎと水中ジョグでほぐす。
★オヤジの心を癒す昭和の歌 (18)
以前アップした藍美代子さんの「ミカンが実る頃」をご存じの方がクラブメンバーの中にいて、昨日はジョグしながらひとしきり懐かしい話に盛り上がったのであった。藍さんの歌で一番知られているのはたぶんこのTVアニメの主題歌かな。1974年。
♪星の子チョビン (藍美代子さん)
3時間58分41秒。制限時間まで、あと1分少々のきわどいゴールとなった。
10時40分スタート。昨日の寒空から一転、暑い日射しの下で。本日、ともかくここに立てたことを深く感謝する。
(10km毎ラップ) 49'51"-53'56"-55'22"-66'35"-12'57"
[前半 1時間49分21秒/後半 2時間9分20秒]
2週間前のハーフで大撃沈していたので、フルでの苦戦はあらかじめ想定されたところ。現在の走力では完走自体が危ぶまれたゆえ、さまざま思案した末に、当初から計画的にゆっくりジョグまたは歩きを入れることにした。
10kmごとに5分のインターバル。2本目まではゆっくりジョグをはさんで順調だったものの、3本目の後半から苦しくなって30km地点がなかなか来ない。30kmにたどりついて、初めて歩く。但し、のんびり歩いていては最終の第3関門(35.4km、3時間20分)に間に合わない。懸命に速歩5分。ちょっと回復して再び走り出す。最終関門打ち切り3分前にセーフ。
残り7km弱を43分と必死で計算する。
ああ、前にもこんなことがあったと思い出す。
5年前、このレースに初参加したときもここで暗算して3時間59分15秒で実にきわどくゴールしたのだった。それが4度目のフルで、初めてのサブ4。
きょう、これでまた振り出しに戻って出直しである。応援いただき、深く感謝。
レース中に充分クールダウンしてしまったので、今は元気そのもののオヤジである。
★オヤジの心を癒す昭和の歌 (17)
こんな気分の日には、小椋佳さんの胸に沁みいる詞と歌声を。1971年。
♪しおさいの詩 (小椋佳)
故障で思うように走れない日々が続くと (故障していなくても、そうそう思うようには走れないが)、「なぜ走るのか、走りたいのか」と自問することが多くなる。で、自分がろくに走れない分、走っているヒトの本を読みたくなる。
①『走れば人生見えてくる』(間庭典子著/講談社文庫)
②『走れ! 六花 -メタボなドクターはこうしてランナーになった。』(福田六花著/ランナーズ)
③『いつでも夢を -52日連続フルマラソン世界記録達成』
(楠田昭徳著/角川書店)
④雑誌『ランニングの世界』(創文企画) No.8 特集・なぜ走るのか
①……走って人生が変わった14人(女性8名・男6名)のドキュメンタリー。取材・執筆した著者自身もフルベスト3時間17分、スパルタスロン完走も果たしている女性ランナー。自身のランニング体験を前後にはさんで、金哲彦氏ほか有名無名のランナーから聞き書きしている。とりわけ胸打たれたのは、双子姉妹ユニットan☆do(アンドゥ)の森下里美さんの秘話であった。
著者による総括。「ランニングが魔法を起こすとすれば、『自分自身の軸』を持てるようになることだろう。他人の速さや強さ、年齢と比較することなく、自分にとって大切なのは何かということを見極められることではないか。(中略) 強くなっても、速くなっても、人生は解決しない。しかし、走ることで自分自身に向き合えば、何が大切かが見えてくる。」
だからランナーは走り続ける、と著者は結んでいる。
うーむ……、そうか。そうなんだろうなぁ。
②……ドクター・ミュージシャン・ランナーとして知られる六花(りっか)さんのランニング自伝。1989年に外科医のタマゴとして医局に入り多忙をきわめる中、一時は体重93kgまで激増(身長174cm)。危機を感じプール通いを契機に1996年に諏訪湖ハーフでランニングに開眼する。
トライアスロンで顔を思いきり蹴られ網膜剥離で2度の手術を余儀なくされるなどアクシデントに見舞われながらも仲間の輪を大きく広げつつ、仕事も居住地もランニングも大きく転換させていく。羨んでもしかたがないけれど、実にウラヤマシイ。
第1回から連続参加されている長野マラソンがメインレースで、その直前の春先には毎週のようにハーフに出走。今年3月、ワシがハーフの自己記録を更新した静岡駿府ハーフで終盤、安倍川に架かる橋上で長髪をなびかせながら鮮やかに抜き去って行った後ろ姿が今も目に浮かぶ。ついていければ、初の90分切りが達成できたのに。
※すばらしい内容の本だが、小見出しに「絶対絶命」なんて誤植はしないでね、担当さん。おせっかいながら、つい校正してしまうオヤジである。
③……今年初め、新聞・TVなどで埼玉在住のランナーがフルマラソンを毎日走り続けていることを知った。3月22日の東京マラソンで52日目を達成し、ギネス記録を更新。スゴイ!とは思ったものの、かつて箱根駅伝を4年連続で走り、フルも2時間半を切っているなど輝かしい経歴を知って、なんだ、やっぱりもともと別次元の方なんだ、65歳というから悠々自適の暮らしで暇つぶしみたいなものだろうと正直思った。
この本を手にし、大変無礼な思い違いをいていたと気づかされた。けっして、そんなお気楽な挑戦ではなかったのだ。申し訳なかった。読後、居ても立ってもいられず、51日間にわたり毎日フルを走られたという浦和の別所沼公園に駆けつけ、静かな沼畔を巡る正式計測923.2mの周回コースで謝罪ジョグをしてきたオヤジであった。
「私が52日間を達成したといって、これからバラ色の人生が急に開けてくるわけではない。ただ、私がこの52日間やり遂げたことを基礎に努力したら、自分の晩年は飛躍できるのではないか。そう期待するだけである。生きているかぎり希望がある。いつでも夢を。そう思っている。」
④……山西哲郎先生が責任編集されているランニング文化誌第8号である。ますますのランニングブームに乗って、ランニング関連のビジュアルなムックや雑誌が続々発行される中、ほとんど(全スペースの8割強)活字だけで埋まっている異色の存在。いささか重そうだが読んでみると実におもしろい。上記③で紹介させていただいた楠田さんの手記も8ページにわたって掲載されている。
数ある興味深い記事の中でもとりわけワシの心に響いたのは、2人の女性の小さな記事であった。
ひとつは巻末の投稿欄、今春かすみがうらで初フルを完走された浜田びりさんの「まさか、こんなことになるなんて…」。
「子どものころから、ほとんどすべての運動が苦手で、特に『走る』なんて人前で優劣を明らかにされてしまう最も『無慈悲』な競技だと思っていました。ところが、始めてみると、ランニングは無慈悲どころか慈悲に満ちあふれた世界でした。(中略) どんなに遅くても、こうやって走れていることは奇跡のようですし、やはり何かに感謝せずにはおれません。標題の『まさか、こんなことになるなんて…』は、『なんと幸せなんだろう』と続きます。」
まさに、これはワシ自身のランニングの原点そのもの。原点を見失ってはいけない。
もうひとつは、走歴30年余、ランニング短歌を詠まれる浜中好美さんのコラム。
「なまぬるく生きている自分への嫌悪から、すべてに自信がなく生きているのがつらかった。その頃に短歌と出会った。最初の頃、詠むことは自分の弱さや嘆きを吐露する手段でしかなかったが、走るようになって私は変わった。(中略) 6年前の63歳の時、背骨の大手術を受けたが、おかげさまで何とか再起することができた。
走り続けたいと願い続けるそれだけで
元気になれる私がまだいる
以前のように目いっぱい走ることは許されない。しかし、それなりに楽しむことはできる。ゆっくり走れば、見えてくるものが多くなる。」
すばらしい。このような境涯に立てるようになりたい、まだまだ未熟なオヤジである。
数日後に迫った大田原フルを前に、正直なところ完走できるか不安に苛まれていたが、ともかく今の時点での最善を尽くそうと決めた。
今朝は芝生の公園で地下足袋クロカン走10kmをビルドアップ70分。あとは当日までゆっくりジョグとプールで調整の予定。
★オヤジの心を癒す昭和の歌 (16)
日本版MyWayともいうべきスタンダードナンバーとなった壮大な叙情詩。熱い歌声に心励まされる。1980年。
♪昴 (谷村新司)
ラストはごく一部の元気なランナーは別として、皆一様につらそうでしかし懸命にゴールをめざす姿に胸が熱くなったオヤジであった。
やっぱり国際女子マラソンは特別。
それにしても3時間15分という高い出場資格をクリアしたハイレベルの選手ぞろいでも、出走415名⇒ゴール273名(完走率65%)の厳しいレース。スタート時すでに20℃の高温と強い日射し、風そして小さいながら連続する起伏の影響は大きかったようで、1/3強のランナーが無念のDNFとなってしまった。残念……。
アップされた全選手の5kmラップタイム表を見させていただくと、それぞれの健闘、苦闘が数字からにじんで伝わってくる。
選手の方々と、その走りを支えた大会関係者の方々には感謝と敬意を表するのみ。その上で、いくつか感じたことを。
①周回コースの是非……運営上の利点は確かに大きいだろうが、マラソンの本質から考えるとやや疑問も感じる。『ランナーズ』誌に連載していた走る日経記者・吉田誠一氏は本日付け日経の署名記事中でこう書いている。
「実際にコースを走ってみた2週間前からずっと、頭に引っ掛かっているものがあった。周回コースは確かに合理的だが、マラソンの本質からずれているような気がしてならない。(中略)
はるか先のゴールを目指す、マラソンには旅をしているような楽しみがある。そのコースを味わい、コースと格闘し、克服していくところにマラソンの醍醐味がある。(中略)
周回コースは味気ない。マラソン独特のストーリー性が薄れてしまうような気がする。だったら、トラックを105周したら、と言ってみたくもなる。
8月にベルリンで行われた世界選手権も4周の周回コースで行われた。その合理性が評価され、タイムも出やすいはずといわれる。今後、周回コースが当たり前という時代が来るのだろうか。本当にそれでいいのだろうか。」
同じところをぐるぐる回る大会ばかりになったら、それはたしかに味気ないであろう。まさか、そんなことにはならないと思うが。
②オヤジにも走らせて! ……と言っても、神聖な大会そのものではなく、午前中に「前座大会」を開催して男女を問わず一般ランナーにもコースを味わう機会を与えてほしいのだ。すでに実例もある。大阪国際女子マラソンの当日午前中には、4000名が参加して長居陸上競技場をスタート、制限時間2時間以内で大阪城公園にゴールする「大阪ハーフマラソン」が開催されている。ワシも今年参加して走らせていただいたが、ゴールしてしばらくすると、優勝した渋井選手を先頭に国際ランナーの方々が同じコースを駆け抜け、感激ひとしおであった。
大阪で現にできていることが横浜で実現できないはずはないと期待する。
③友愛あるTV中継を望む……録画しておいたマラソン中継を今夜観たけれど、ただただトップ集団だけを映す映像には正直、嫌気がさした。以前から指摘されていることだが、ほんの少しでよいから出場者ひとりひとり、大会の全体像にも着目した視点が持てないものだろうか。実際に、東京マラソンではいささか芸能ネタ偏重ながら、トップ争いだけではない取り上げ方もなされている。
時間的・技術的・放送的さまざま制約はあろうが、これも英断と工夫次第であろう。
ともあれ、船出した「横浜国際」が「東京国際」の30回を超えて永続することを強く願うものである。できれば、「東京」を継承して「国際の部」サブ3、「市民の部」3時間30分の2本立てで1000名規模の華やかな大会として。
昨日は応援に出る前に朝練。芝生の公園でクロカン走15kmを2時間かけて地下足袋ジョグ。走後、プールに寄る時間はなかったので家の風呂で入念にほぐしてからアイシング。まだ復調には時間がかかりそう。今朝は休養。体操と筋トレのみ。
★オヤジの心を癒す昭和の歌 (15)
「友愛」という言葉に触れるたび、懐かしいこの歌が脳裡に甦る。大いなる幻想であったけれど。1968年。
♪友よ (岡林信康)
「第1回 越谷レイクタウンランニング」(埼玉県越谷市)に参加。「約9km」の部、38分43秒。
小雨降る湖畔、朝7時30分スタート。本日ここに立てたことを感謝する。
総勢200名ほどか。ランシャツランパンスタイルはほんの数名、ワシも半袖シャツ・ロングタイツのジョグ仕様で。
周囲2km余の人工池(大規模調整池)の外周路約3kmを2周後、池縁の遊歩道を1周してゴール。実際は8.5kmくらい?
距離表示が皆無なためペースがよくわからず戸惑い気味だったが、女子1位になった方とたまたま並走となりペースメーカー役みたいになって、ラクではないがさほど苦しくもない良い感じで走りきることができた。感謝。
8時ちょっと過ぎには終わったので、いつもお世話になっている同市内にあるT先生 (刀水ACのクラブ仲間でもある) の整骨院へ直行。レイクタウンは先生のホームコースでもあるそう。
帰途プールにも寄り、1km泳+水中ジョグ30分。
明日の日曜はいよいよ第1回横浜国際女子マラソン。ワシから見れば憧れの走力を有する選手ばかり。それぞれの快走を切に祈るオヤジである。
★オヤジの心を癒す昭和の歌 (14)
横浜を舞台にした歌はたくさんあれど、やっぱりこの歌。1969年。
♪ブルー・ライト・ヨコハマ (いしだあゆみ)
1時間41分49秒。真剣に走ったハーフで1時間40分を超えてしまったのは久々か。
「第4回 世田谷246ハーフマラソン」に3回目の参加。国道246を一部とはいえ交通規制する関係で、当初から1000名限定の抽選大会。第1回から参加しているが昨年は落選で走れず。
今年は応募6000名で6倍ながら幸いにも当選、故障で練習不足は明らかながらともかく出走することに。
朝8時30分と早いスタート。本日ここに立てたことを深く感謝する。
21'43"ー23'10"ー24'44"ー26'50"ー5'22"
短い距離なら、ある程度の走りが戻っていた感じだったので、それなりに行けるかも、と希望的観測を持っていたけれど、そう甘くはなかった。
練習していなければ走れない。もたない。当たり前のことを改めて思い知らされる結果となった。
ハーフでこれほど激落したのも記憶にない。(フルでは毎度のように経験しているけれど)
ほとんどずっと抜かれっぱなし状態でクヤシイがどうにもならず。
痛みが出ずゴールできただけでも良しとしよう。
★オヤジの心を癒す昭和の歌 (13)
うつむき気味の時はこの歌で、前向きに上向きに。
♪見あげてごらん夜の星を (坂本九)
昨日封切りの映画「風が強く吹いている」を観た。泣けた。走りたくなった。以上。
(上の映画パンフ写真下に映り込んでいるのがワシの故障中の右足)
※「高島平」に続き、本日開催の「第1回 しまだ大井川マラソンinリバティ」も無念の欠場。故郷・静岡に久々に誕生した新しいフル大会ゆえ、ぜひとも参加したかったのだが……。なお傷心のオヤジである。
せめて気分だけでもと、スタート時刻に合わせて、いつもの芝生の公園でゆっくり地下足袋クロカン走30kmを4時間かけて。走後プールで1km泳+水中ジョグでほぐす。
★オヤジの心を癒す昭和の歌 (12)
「風はいつも強く吹いてる~」とサンプラザ中野が熱唱するこの歌。ぎりぎり「昭和」の1988年10月リリース。
♪RUNNER (爆風スランプ)