一昨日 (水曜) の夜、高校留学先のオーストラリアから学年末休暇で息子が久しぶりに帰ってきた。
南半球は今が真夏で連j日37℃前後の猛暑だそう。
8月に日本から訪ねて行った時すでにほぼ身長がワシと並ぶくらいだったのが、今回は明らかに追い越されている。もう172~3cmくらいあるだろうか。日本の高校生の平均身長がそれくらいのようだから追い越されるのも当然だろうけれど。
息子とワシとのランニング勝負第3回戦を小5弟も楽しみにしていたのだが、膝が不調とのこと(成長痛?)。
2年前の第1回3kmでは11分台の勝負で息子が後半ラクラク抜き去って制し、去年の第2回8kmではワシが33分6秒で2分差をつけ圧勝。
スピードでは到底かなわないものの息子は5km以上走ったことがなく距離に不安があるから長ければ長いほどオヤジ有利となる。
今年は5kmで決戦かと武者震いして待っていたオヤジであったが故障では残念ながら致し方ない。完治を待つことに。
PCと折り紙作品をごっそり持参してきているので、こちらでもアップするつもりらしい。
⇒おりがみBOY in Australia
朝、休走。体操とその場腿上げ5分(心拍135)。
夜、雨も上がりプールへ。クロール1000m/平500m。
明日から12月、冬用のお気に入り壁紙に張り替え。
「第27回つくばマラソン」に初参加。通算9回目のフル。
26'22"ー25'55"-26'20"-26'06"ー(25km表示わからず20~30km)49'35"ー25'57"ー28'02"ー12'13" (ゴール直後の心拍164)
前半抑えて後半上げて、と考えて必ず前にランナーさんを置いてブレーキをかけながら走るように心がけた前半だった。
後半に入って徐々に上げて、と思ったもののkm5分ペースで走れたのは30kmあたりまで。35kmすぎには大きく落ちて苦しい走りに。
結局、結果的には前半と後半が全く同タイム(1時間50分16秒)という「見事なイーブンペース」となってしまった。
あれだけ前半抑えて余力があるはずなのに、なんでこうなるの?……
やはりフルが走れるだけの脚づくりができていないこと、それとメンタル面も大きな原因だろう。
ハーフのように「仙台」「1時間35分」という絶対的な目標が、ワシの場合フルにはない。
なんとなくオヤジの意地で走るだけでは、フルの長丁場には耐えられない。
応援していただいたmi45さん、エン様にもナサケナイ走りを見られてしまった。
当分フルは棚上げし、10km40分・ハーフ90分切りに専念することにしたオヤジであった。(フルでは刀水ACの強力女性軍団に到底かなわないと思い知った)
帰途プールに寄りアイシング&リラクゼーション。平200m/クロール150m。
「シリーズ・わたしの名コーチ」にご夫妻が登場。対話形式で「基本」重視のトレーニング論と実践を語る。
「指導する上で一番大切にしているのは『皆に楽しく走ってほしい』という思い。そのためには故障をしないこと。その人に合ったトレーニングをすることが大切だと考えています」
「好きなランニングでケガをしてしまっては楽しめませんよね。そこで、練習会では走る前に走るために必要な補強運動を取り入れています。その結果、故障もせず、記録が伸びれば言うことなし」
実際、刀水ACの練習会では、時期にもよるが練習時間の過半を準備・調整・補強運動に当てており、それだけでかなり心拍が上がる。息も上がる。
その状態でポイント練習するから、短時間でも「濃い」練習ができるのかも。
レベル差はあってもランナーは皆「走るのが好き」で走っているわけだから、ただ走るだけなら一人でも(放っておいても)それなりに走れる。
ただ、それぞれの目標を達成するためとなるとプラスアルファが必要になってくる。
記事の後半には練習会でいつもやっている補強運動4点セットが紹介されている。
(腕立て伏せ/腹筋/背筋/スプリンター)
どれもよく知られている基本的なものだが、Fコーチがいつも言っておられるとおり、「知っているかどうか、ではなく、やっているかどうかで決まる」。
地道に継続するのは容易ではないけれど、生活習慣のひとつとして当たり前のように続けていこうと意を新たにするオヤジであった。
今度の日曜は「つくばマラソン」を予定。3年続けて参加してきた11/23の大田原(栃木)には今年も申し込んであったのだが研修会と重なってしまい、急きょ「つくば」に変更した。
日曜にハーフをけっこう本気走りしたので、この2日間は朝30分の地下足袋ジョグにとどめた。明朝、少し走り込みをして、あとはレースまで走らないつもり。
レベルはまるで異なるけれど、東京国際女子マラソンの録画を再度見直し、トップを快走していた渋井選手の力強いフォームと、30kmすぎからの別人のようなつらく苦しい走りとのあまりにも大きな落差に、フルマラソンの怖さを改めて痛感させられている……。(ご本人には誠に申し訳ないが)
また不死鳥のように立ち上がってほしい。ファイトだ、シブイ!!
往路15km地点付近と、折り返し後の復路27km地点あたりで応援。トップを走る野口みずき選手を始め最終ランナーまで約600名の選手それぞれの走りのドラマを、Fコーチの解説付きで見させていただき、感動と勉強の時をすごすことができたオヤジであった。
「やはりランナーにもある程度の筋力は必要。腹筋・お尻・ひざから上の大きな筋肉を強化することが体づくりの基本。それが正しいフォームにつながる」
「ランニングをむずかしく考えすぎてはいけない。どのレベルであっても、要は、ある程度の筋力と、正しいフォーム、そして適切なポイント練習。これに尽きると言っても言い過ぎではない」
などなど、実際の選手の動きを見ながらの指摘は、心に深く響き、刻み込まれる。
ずっと見ていると自分もあれくらいで走れそうな気がしてくるけれど、もちろんここで走っている選手は全員ワシより速い方々。
刀水ACから出場された選手のうち、一番応援したかった「高島平の恩人」NEKOさんは残念ながら風邪のため欠場……。
きっちりサブ3のT本さん、さすがです。おめでとうございます!
自己ベスト大幅更新のK上さん、暑さと風がある中ですばらしい余裕の走りを見せてくれてありがとう。とてもかなわないけど、励みになります。
そういえば、女子マラソンの興奮で、すっかり遠い出来事になってしまったが、ワシは午前中にはハーフマラソンを走ったのだった。1時間35分45秒。
駒沢公園内の競技場発着の「第2回世田谷246ハーフマラソン」。
昨年の第1回大会では久々に自己ベストを更新し、初めて1時間32分台のタイムが出た大会だったので、それなりに気合を入れて現時点で精一杯の走りをしたつもりだったものの、遠く及ばず。まだまだ力不足であった。
22分39秒ー(10km表示わからず5~15km)45分7秒ー23分7秒ー4分49秒
競技場から多摩川までワンウェイの下る一方だった前回と異なり、競技場に戻る今回は終盤当然ながら上り坂になり、仙台ハーフと同様の結果となった。
スピード持久力不足と「後半の上り坂」という課題がいっそう明確に。
来年5月の仙台本番までに減量とともに課題克服トレーニングに取り組まねば。
年2回刊のランニング文化誌 『ランニングの世界』第5号が出た。(明和出版刊)
一般的なランニングの実用誌とはあえて一線を画した根源的な視点と切り口から、走ることの意味と関連事項を考察していて毎号、半年かけてじっくりと読みこむのにふさわしい充実した内容。
今号も、読みごたえがある。
創刊号以来の連載で今回が最終回となる『パーシー・セラティ/自由と野性のランニング』(高部雨市氏執筆) を、いつものように真っ先に読む。
セラティの「一番弟子」だったエリオットがシドニーオリンピックの際に語った言葉。
「人間の魂の力が、いかに競技において記録を上げることができるか……精神の領域の中には、陸上選手であれば限りなく開拓することができる場所があり、その精神の開拓こそがセラティの人生のテーマであった」
今号の特集「ブームで終わるな!」とも関連して、第二次ランニングブームといわれる今こそ、セラティに学ぶ必要があるのではないか。セラティその人物像と思想・技術・トレーニングの実際を深く掘り下げて。
入手できるセラティ関連書はほとんど見当たらない現在、「永久保存版」となるべきセラティ大特集を次号以降に期待したい。
特集「ブームで終わるな!」は多角的に「一過性のランニングブームに終わらせないため」の方途を各論者がさまざまな観点から考察している。
中でもとくに強く引き込まれて読んだのが平川敦子さんの「第二次ブームの主役が登場するまで ー女性がつくるランニングファッション史」であった。
第1回東京マラソンの波及効果も大きく影響して生まれた第二次ランニングブームと呼ばれる状況の主役が女性、とりわけ若い世代の女性であることは皇居を走ればすぐ実感できるし、書店に行けば目で見てわかる。
で、「知的なランナー」はともするとブームには否定的であり、その主役にも冷たい視線を送りがちになってしまう。
平川さんはそうした傾向を熟知したうえで、あえてファッションに着目し、「可視のものへの価値を重視する」女性の一般的傾向が否定さるべきものではなく、むしろそこを入口に、「ランニングする“私”のライフスタイル全体」へと自己変革していくプラスの可能性を筆者は見出す。
「ブームとは儚いもののように思われがちだが、大きなエネルギーを内包し世の中に多大な影響を与えることもまた、史上の事実である。彼女たちが運ぶ一歩一歩が、これからのランニング文化を牽引していくのかもしれない」。ぜひ、そうであってほしいものである。
また、筑波大学で「つくばマラソン講座」を開講しておられる鍋倉賢治先生の記事 「僕の夢 -アミノバリューランニングクラブが目指すもの」 は、自分自身が同クラブの栃木に今年度初参加させていただいたこともあって熟読した。(鍋倉先生は同クラブの茨城)
「人はなぜ走るのか?」その答えを探し求めて走り続けているという鍋倉先生。それは人生という旅そのものにも相通ずることかもしれない、と思う。
なお、アミノバリューランニングクラブはその名が示すとおりスポンサーメーカーのバックアップあって成立しているクラブだが、「いずれその後ろ盾がなくなったとき……参加者主体の真のクラブとして継続し新たな発芽を促せるようなクラブがいくつ残るでしょうか」とは、ずっしりと重い問いかけである。
新連載「リカバリー&コンディショニング」は非常に面白かった。
執筆者の佐々木誠氏はサブ3ランナーだが故障(足底腱膜炎)を契機に治療家の道に進まれた方。
「故障は闘うよりも受け入れること、そして何よりも大事なことは心身両面の積極的なリラクゼーションである」との言葉は実感がにじみ出た助言として胸奥に響いた。氏自身のリカバリー体験を読むとプールトレーニング(泳ぐ・歩くだけでなく、プールサイドのジャグジーも含めて) の有効性が高いことがわかり、近頃プール通いの比重を上げている者として意を強くした次第。
次号が発刊されるまで、またじっくりと今号も読み返して「なぜ走るのか」の答えなき答えを自分なりに探究するのもまた楽しみである。
AM、小5息子の授業参観に学校へ妻と行く。
PM、降り続く雨で人影まばらな芝生の公園にてクロカン走3時間半。30km走のラスト3kmで力尽き、ダウンジョグ状態に。こんな有様ではフルはとても走りきれそうもない……。
走後、プールでクールダウン。平・クロール各250m。
10月5日に88歳で母が去って1カ月余。第三句集がようやくできた。書名は『続々・万歩計』。
55ページほどの小さな本だが、1冊にまとめるにはそれなりに時間とエネルギーと精神集中が必要で、なんとか今週末の納骨・四十九日法要に間に合って安堵しているオヤジである。
喜寿記念の第一句集、傘寿の第二句集の時のように手渡して喜んでもらえないのが永遠に心残りではあるけれど、自らのグウタラが招いた事態ゆえ致し方ない。
4歳で生母と死別し子どもの頃から病弱だった母にとって、今春迎えた88度目の誕生日は想像外だったようだ。
その日のノートに記された感想句……
まさかまあ 八十八に たどりつき
これが母の実感だったのだろう。
母と同じ年代あるいはもっと上の年齢でますます元気な方々をお見受けするにつけ、次の第四句集・第五句集も作りたかったと思ってしまうのは欲が過ぎるというべきか。
1年半にわたり記された作句ノートを読むと、今春まではほぼ毎日のように書かれていたのが夏とともにめっきり少なくなり筆圧も弱くなっていくのが見てとれ胸が詰まる。
衰弱を感じながらもなお、大空を行く鳥に夢を託したのだろうか、ノートに書きつけられた最後の句……
空高し 小鳥すいすい 飛んで行く
今頃は小鳥とともに千の風になって飛び回っているのかも。
これが最後の句集となってしまったので、巻末の10ページは「思い出のアルバム」として写真構成に。最初の写真は昭和37年(1962年)、和服を着た43歳の母の膝にちゃっかりと小2のワシが座って満足気な表情をしている。
掲載した20枚の写真からは、愚痴をこぼさずいつも前向きに生きた母の歴史がにじみ出て、心励まされる息子であった。
朝、休走。体操のみ。
夜、プールへ。クロール1000m+平500m。(45分)
プールから外へ出ると雨だった。