蕗は、耳鼻科にいくことが多い。治療の際火がついたように泣いては医師を閉口させている。家を出る頃から緊張をかもし出し、すでに大泣きする気配である。「がんばるんのよ」と親が言うのは、子どもが泣かないで欲しいという願望だが効果はない。さりとて他に手の打ちようがない。
病院に向かう途中で母親でない者が、
「病院は痛いでしょう。痛いから泣くでしょう。でも蕗ちゃんは赤ちゃんじゃなくて、3歳なんだよ。3歳は痛くてもがまんができるんだよ」
というと、
「がまん。がまん」と繰り返してつぶやいた。がまんという言葉がどのぐらい理解できているか分からないが、がんばるが大人側からの言葉と感じているのに対して、子どもの側の言葉に受け止めたようだ。もしかしたら、がまんは始めての言葉だったかもしれない。意味が十分理解できなくとも、子どもの側と思えば、入っていくものである。
「病院で痛いのは、直すためだからがまんするんだよ。転んでいたいときは大声で泣いていいんだよ」
こんなやり取りをした日、たまたま初めて泣かなかった。泣かなかったのは、言葉のやり取りのせいか定かではないが、少しは影響したかもしれない。それまで「がんばる」といわれていたのが「がまん」という言葉に代わった。泣かない行為は、がんばるのではなくがまんという言葉がぴったりであり、3歳という年齢の自覚と誇りとも結びついて、がまんができたのかもしれない。
泣かない蕗に医師は驚き、好意的になった。それからとうもの大泣きは、とんとなくなったのだった。
がまんは、他が抑圧するのではなく、自分が抑制する、あるいは待つといったことである。感情や即物的発想の行動を中心でなくするために、大事な言葉かもしれない。
病院に向かう途中で母親でない者が、
「病院は痛いでしょう。痛いから泣くでしょう。でも蕗ちゃんは赤ちゃんじゃなくて、3歳なんだよ。3歳は痛くてもがまんができるんだよ」
というと、
「がまん。がまん」と繰り返してつぶやいた。がまんという言葉がどのぐらい理解できているか分からないが、がんばるが大人側からの言葉と感じているのに対して、子どもの側の言葉に受け止めたようだ。もしかしたら、がまんは始めての言葉だったかもしれない。意味が十分理解できなくとも、子どもの側と思えば、入っていくものである。
「病院で痛いのは、直すためだからがまんするんだよ。転んでいたいときは大声で泣いていいんだよ」
こんなやり取りをした日、たまたま初めて泣かなかった。泣かなかったのは、言葉のやり取りのせいか定かではないが、少しは影響したかもしれない。それまで「がんばる」といわれていたのが「がまん」という言葉に代わった。泣かない行為は、がんばるのではなくがまんという言葉がぴったりであり、3歳という年齢の自覚と誇りとも結びついて、がまんができたのかもしれない。
泣かない蕗に医師は驚き、好意的になった。それからとうもの大泣きは、とんとなくなったのだった。
がまんは、他が抑圧するのではなく、自分が抑制する、あるいは待つといったことである。感情や即物的発想の行動を中心でなくするために、大事な言葉かもしれない。