早朝に家を出て、新幹線に乗った。その2時間は変わらない夏の風景である。乗り換えた電車の、車内のつくりもゆれ具合も国鉄時代を思いだすのに十分で、懐かしくなった。ところどころ両側に山が迫り、文字通り山をぬって走り続けた。
車窓からは小さな山が連なり、平地は手入れの行き届いた水田と畑がみえた。水田は旧来の小さなものが多いように見えた。一面黄金色に稲穂がたれ、刈り取り直前ぐらいであった。ところが刈り取りが始まって、稲掛けに干す作業を始めているところもあった。西日本の初秋の風景なのかと、わたしには新鮮に映ったのだった。
停車駅は、公共施設と思われる大きな建物と街並みがあった。あるところには大きな建物に「田舎ぐらし大学」と大きな表示をしていたので、大都市に比較的近く静かで自然に包まれた暮らしをしたい人を求めている地域なのか、と想像してみた。
山間部の家は、在来工法による建て方で、白壁が多く時には土壁もあり、黒や灰色の瓦屋根であった。ところどころに鉄板でふいた入母屋の屋根の大きめの家を見ることができた。この家はかやぶき屋根を鉄板で覆っているのかもしれないと考えた。
水田、畑、家、道路などきれいに手入れをされていて、きれいな日本の農村風景を見ることができた。
たどり着いて、老人施設を訪ねた。設立10年以上はへていたが、きれいな建物だった。ケアハウスなどもあり、いわゆる総合施設であった。
わたしが関心を持ったのはベッドでなく畳にしている人が多かった。印象としては半数ぐらいだった。利用者の希望とADLの状況によって決めるとのことであった。わたしには職員の体の負担が大きいのではないか、と思えた。それに一部を、物理的に4人部屋でありながらユニットケア方式を取り入れているとのことであった。男性職員が40%ぐらいと、比率が高いことも印象的であった。
車窓からは小さな山が連なり、平地は手入れの行き届いた水田と畑がみえた。水田は旧来の小さなものが多いように見えた。一面黄金色に稲穂がたれ、刈り取り直前ぐらいであった。ところが刈り取りが始まって、稲掛けに干す作業を始めているところもあった。西日本の初秋の風景なのかと、わたしには新鮮に映ったのだった。
停車駅は、公共施設と思われる大きな建物と街並みがあった。あるところには大きな建物に「田舎ぐらし大学」と大きな表示をしていたので、大都市に比較的近く静かで自然に包まれた暮らしをしたい人を求めている地域なのか、と想像してみた。
山間部の家は、在来工法による建て方で、白壁が多く時には土壁もあり、黒や灰色の瓦屋根であった。ところどころに鉄板でふいた入母屋の屋根の大きめの家を見ることができた。この家はかやぶき屋根を鉄板で覆っているのかもしれないと考えた。
水田、畑、家、道路などきれいに手入れをされていて、きれいな日本の農村風景を見ることができた。
たどり着いて、老人施設を訪ねた。設立10年以上はへていたが、きれいな建物だった。ケアハウスなどもあり、いわゆる総合施設であった。
わたしが関心を持ったのはベッドでなく畳にしている人が多かった。印象としては半数ぐらいだった。利用者の希望とADLの状況によって決めるとのことであった。わたしには職員の体の負担が大きいのではないか、と思えた。それに一部を、物理的に4人部屋でありながらユニットケア方式を取り入れているとのことであった。男性職員が40%ぐらいと、比率が高いことも印象的であった。