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絵本と児童文学

絵本と児童文学、子ども、保育、サッカーなどの情報を発信する

車窓から初秋の山間風景

2006-09-02 06:08:02 | 福祉
 早朝に家を出て、新幹線に乗った。その2時間は変わらない夏の風景である。乗り換えた電車の、車内のつくりもゆれ具合も国鉄時代を思いだすのに十分で、懐かしくなった。ところどころ両側に山が迫り、文字通り山をぬって走り続けた。
 車窓からは小さな山が連なり、平地は手入れの行き届いた水田と畑がみえた。水田は旧来の小さなものが多いように見えた。一面黄金色に稲穂がたれ、刈り取り直前ぐらいであった。ところが刈り取りが始まって、稲掛けに干す作業を始めているところもあった。西日本の初秋の風景なのかと、わたしには新鮮に映ったのだった。

 停車駅は、公共施設と思われる大きな建物と街並みがあった。あるところには大きな建物に「田舎ぐらし大学」と大きな表示をしていたので、大都市に比較的近く静かで自然に包まれた暮らしをしたい人を求めている地域なのか、と想像してみた。
 山間部の家は、在来工法による建て方で、白壁が多く時には土壁もあり、黒や灰色の瓦屋根であった。ところどころに鉄板でふいた入母屋の屋根の大きめの家を見ることができた。この家はかやぶき屋根を鉄板で覆っているのかもしれないと考えた。
水田、畑、家、道路などきれいに手入れをされていて、きれいな日本の農村風景を見ることができた。

 たどり着いて、老人施設を訪ねた。設立10年以上はへていたが、きれいな建物だった。ケアハウスなどもあり、いわゆる総合施設であった。
 わたしが関心を持ったのはベッドでなく畳にしている人が多かった。印象としては半数ぐらいだった。利用者の希望とADLの状況によって決めるとのことであった。わたしには職員の体の負担が大きいのではないか、と思えた。それに一部を、物理的に4人部屋でありながらユニットケア方式を取り入れているとのことであった。男性職員が40%ぐらいと、比率が高いことも印象的であった。


障害者とパソコン

2006-08-25 17:21:39 | 福祉
 昨日は、天気予報で名古屋が36℃というきびしい残暑のなか、実習をしている学生たちを訪ねた。最初の訪問は、三重県である。9時30分に駅に降りたら、すでに日差しと道路の照り返しも強かった。
 駅前は東洋紡というなつかしい名前の工場があった。かつては人がにぎわい工場の機械の音もあっただろうに、人の気配を感じさせないぐらいだった。紡績はすでになく、ある部門だけの事業をしているようだった。
 その敷地を囲っている塀は、直線の向こうがかすかに見えるぐらいだから、1キロぐらいもあるだろうか。その塀に沿った直線道路を、汗が多くならないようにゆっくり歩いた。水田が開けたと思ったら、遠くにめざすそれらしい建物があった。またゆっくり歩く。

 設立4年目という特養とデイの老人施設である。特養の部屋は4人のもあったが、一人ひとり2メートルぐらいの高さの木製で仕切るという、独立性を工夫されていた。またカラーコーディネートの工夫がされており、薄いオレンジ、グリーなど暖色系でありながら落ち着きを感じされるものであった。
 デイの空間は広く、畳とベッドのスペースあり、午睡をするということだった。入浴以外の人は穏やかな語らいの時間であった。
 また男性の利用者が少ないとのことで、その日も1人であった。眼差しを遠くにじっとやっていた。都市部では男性が少ないわけではないが、地域によってはこのようなこともある。

 午後は名古屋市で地下鉄から降りたら、道路から熱風が襲ってくるぐらい暑い。頭が押さえ込まれるような強い日差しは、あまり体験しないようなものだった。50℃ぐらいにもなっているのだろうか、などと想像してみた。首都圏とは違って、東海から西日本が猛暑だという報道を実感した。やはりゆっくり歩くしかない。
 障害者の授産施設であり、PCを使って工賃10万円クラスの事業をしている。入力(データ入力、HP作成など)システム開発、調査企画など本格的な事業展開である。
 視覚障害者用のPCは、今はメール、インターネットなどすべてが音声化される。そのために、行政のHPや辞典などでもダイレクトに利用できる。
 かつて視覚障害者が学ぶ場合は、大勢の点訳ボランティアや本の朗読者を必要としていたことからみると、PCによって情報へのアクセスは革命的変化である。わたしはPC以前のことを知っているので、隔世の感をもつのだ。
 音声化PCがいつ頃から実現したかについては、83年ごろに特定のものができたという。現在のようにすべてのものが音声化できるようになったのは6、7年前とのことだった。PCが障害者に、かけがえのない力を与えているのである。
 視力障害の学生は、大学よりは広がった社会へのトレーニングといってもいいような体験をしていた。人間の自立を理念にしている、さまざまな目的を持った施設をもっているので、既成の障害者施設の枠ではまったく考えられないようなスケールで展開している場での実習によって、学び獲得するものは人生にも影響を与えかねない刺激的なもののように思えた。
 
 きびしい残暑のなか、1日でのべ60分ぐらい外を歩いただろうか。ほとんど室内にいるわたしにとっては、特別な日となったのだった。

パソコンが障害者のコミュニケーションと知的生産の技術に

2006-08-03 13:01:02 | 福祉
■車椅子体験

 わたしの授業のある科目で、介護実習の実技を2コマやっている。授業はそれを専攻の先生にお願いして、私も学生の立場になって一緒に実技をやる。2コマなので介護の基本の内容を、学生どうし介護をする立場とされる立場になって進行させる。
 わたしは車椅子に乗る体験をした。視野に入る風景が変わり、いつも気づかない地面のちょっとした段差や傾斜が気になる。気になるだけではなく、それが小さなことではないことに気づく。押している人に委ねているので、動く早さや曲がるときのなど、相当な気遣いをされなければ、乗っていている者は不安になる。
 わたしがかつて車椅子を押したとき、技術がなかったのとそれをもとにした気遣いのたりなさを思い起こしたのだった。もう車椅子を押す機会がないだろうか、と悔いた。

 それにベビーカーを押すのも、この車椅子を押す技術を習得した方がよい。子どもにあった速さ、段差や曲がり角のときに、子どもの気持ちに配慮した動かし方は必要である。
 人によっては、ベビーカーを先頭にさせて、道路状況によってはあたかも人ごみをかき分けるかのように押している人を見かける。荷物運びではないのだから、べビーカーの先頭も自分の体の一部ぐらいに考えた方がよさそうである。
 これもわたしは自問して、過去を悔いたのだ。

 車椅子やベビーカーを押すのは、力仕事ではなく同伴者としてのコミュニケーションなのである。人間に心地よい技術がともなって、それが可能になることを痛感したのだった。

■パソコンが障害者のコミュニカーションと知的生産の技術に
 
 授業で、これまで聴覚障害者の学生と何人か出会った。口話法を少しでも出来る場合は面談も可能だが、手話だけの人の場合は筆談になる。しかしある学生とは、1回だけ会って筆談によるコミュニケーションをしたが、その後はすべてパソコンでのやり取りをした。
 短い文章の添削をすることにして、3年ほどメールでのやり取りが続いた。その人の場合、文章の構成と助詞の使い方が改善されていった。
 現在もたまに相談事のメールが入ることがあり、パソコンという機器によってコミュニケーションができる。それに知的生産の技術向上の力として、パソコンは欠かせないものになっている。

 今年は授業に全盲の学生がいる。直接会ったときに会話もするが、パソコンがコミュニケーションの力になっている。パソコンによって点字を介さない学習を可能にしているという点で、全盲の人にとって画期的な知的生産の技術の力になっている。点字の場合は、他人を介するためタイムラグが生じ、しかも膨大な量なので図書館等の場所が必要で情報量も限られていた。
 授業中の課題はその場の提出ではなく、パソコンで送られて来る。わたしの連絡はパソコンで送ると音声化されるので、文字によるコミュニケーションができる。
 また、わたしがつくった15ページほどの資料は、点訳をすることなくパソコンで送った。彼はそれを音声化させながら聞いて学習するので、他の人を介さないで勉強が出来る。実習の場合の日誌等の記録も、パソコンで書いたものをプリントアウトしてそれを提出すればよいのである。
 調べものをする場合では、パソコンの辞典(事典)や公的機関のHPを利用すると、音声化されたものに接触できる。かつてのように、大勢のボランティアによる点訳された膨大な量の点訳されたものと格闘する必要はないのである。

フィリピン人の看護・介護職受け入れ現実に

2006-05-08 07:16:46 | 福祉
 04年11月に、日本はフィリピンと自由貿易協定(FTA)を結んだ。それとの関連で、フィリピンは労働輸出が経済の大きな比重を占めており、日本に看護・介護職の受け入れを期待している。
 フィリピンはすでにアメリカ、カナダへの看護職、台湾への介護職の労働輸出をしている。自国より5倍から10倍ぐらいの収入を得られるので、希望者は多い。高額の賃金を求めて、看護師だけでなく医師も看護師として海外へ行くため、自国の医療の劣化が進んでいる。

 さて、朝日新聞では「<マブハイ>の国から-秒読み介護福祉士・看護師受け入れ」として、7日と8日に連載をした。それによると、早ければ今年中に第1陣が入国ということで、最終調整段階とのことだ。

 わたしはこの問題に関心を持ち、03-12-13の「介護職を外国人もするようになるか?」と04-10-27の「<介護は誰が担うか>の意味するもの」の2回、このコラムでふれてきた。いずれもNHKテレビを見ての、コメントである。
 この問題に注目しているので、新聞での報道もスクラップしている。これまでの情報としては、主として日系の人を、日本の介護福祉士の資格取得を条件にする、フィリピンでの養成がすでに始まっている、受け入れ人数がフィリピンと日本とのずれが大きい、などを得ている。
 ことが進行しているが、介護や福祉の学校や大学で話題になっているとは、聞いていない。またそれらの専門誌(紙)で、どのように問題になっているのか、知りたいところである。
 政府関係者による受け入れ理由は、将来の高齢者人数の増大と看護・介護職不足を上げている。わたしが見るには、不足というより労働条件がよくないので流動的、つまりやめるのが早いという現実があるのだ。
 福祉系の大学と高校はそうとう増加しており、福祉への国民的関心は高いといってよい。しかし政府が財政再建の課題を前面に出しながらの、市場原理政策がセフティーネットである社会福祉にも及び、現場の劣化が進んでいる。そのことが、フィリピンからの労働者を受け入れやすい状況を作っているのでもある。
 経済のグローバリズムが進むなかで、工場の海外移転、日系人労働者の雇用、途上国の人を実習・研修として受け入れなど、多くの産業が80年代から経験している。
 それと同じように、コミュニケーションを中心にした文化を色濃く持っていて、その質は高度な精神性が必要とされる対人援助・看護の福祉や医療が、経済的側面だけで進行してよいか、大いなる疑問である。

 朝日新聞が1面に7日から連載を始めた「分裂にっぽん-しまなみ海道から-」が、福祉・医療で外国人労働者受け入れをした場合の、将来像を指し示している内容である。
 需要増大で好況にある造船業界は、塗装などの労働に中国人実習・研修者の受け入れで対応しているとのことである。造船の近隣諸国との競争あるいはグローバル化のなかで、安値受注をせざるをえない。それへの対応として、低賃金雇用と経営の安全弁として流動的労働者の雇用、という企業文化を作り出している。そのため日本人の溶接工等の労働者の賃金が安く抑えられ、日本のなかに「途上国経済」を作り出しているという。
 
 これからいっそう進む高齢化社会での、介護施設の量的拡大が必要とされる。ところが介護保険制度以降、政府の財政負担を抑える政策を取っているため、すでに低賃金や頭打ちというかたちで現場の労働条件低下が進んでいる。かろうじて良心的献身的に福祉を考える人たちによって、公共的セフティーネットとしての役割を崩壊させないでいるといっても過言ではない。
 フィリピン労働者の個人の能力の問題ではなく、制度としての労働者受け入れが、福祉や医療の劣化に拍車をかけることになっては、われわれの老後の安心と健康が奪われることになりかねない。

 すでに両国間で締結されていることであり、フィリピンでの介護福祉士の養成が進んで期待も大きい。マニラの首都圏だけで03~04年2百カ所の政府認定の介護福祉養成学校が設立されて、多額のお金を支払って学び、日本で働けることを期待している人が多いという。
 日本の事情としては、何人ぐらいが受け入れの許容範囲かを、熟慮しなければなるまい。福祉は、経済のグローバル化のなかにあるわけではない。フィリピン労働者によって低賃金が進むと、介護・医療が働く人の努力ではどうしようもないぐらいに劣化することを恐れる。
 高齢者人口の多くなる日本が、誰もが安心して老いを迎えられるために、この問題を通して良質な介護の社会化について考えてみたいものである。

志の高さと情熱を感じた授産施設の事業展開

2005-09-06 22:12:58 | 福祉
【この内容は、8月22日と23日のことである】

 学生が実習をしているところに、訪問した。

 最初に訪ねたのは、大規模に展開している高齢者の総合施設である。特養、デイ、グループホームなど事業をしている。ISO9001認証取得しているせいか、この種の施設としては、合理的で利用者に開かれた印象を持ったのだった。
 学生の実習は、総合施設である条件を生かして、前半の2週間は訪問、ケアマネ、デイサービス2カ所を体験した。多様な実習体験で多くを学んだようである。
 あるデイサービスの場合は、高齢者福祉の先進的市の方針との関係で、リハビリの導入や個別のニーズにあった生活と介護をしていたとのこと。個別ケアは送迎までに及ぶ行き届いていたものだった。もうひとつの場合の、グループワークを中心とするなど、際立った違いを感じていた。

 訪問したときは、グループホームでの実習であった。介護を必要としている人への介護をする、あるいはコミュニケーションなどを中心とする実習の目的と異なるため、戸惑っていた。どちらかというと職員の補助と入居者の依頼(指示)への対応が多く、いわば家事の雑用といわれるようにことに時間を費やすとのことだった。また、炎天下での畑仕事には、閉口している様子だった。
 実習内容の理由を理解するのは、難しくなかった。介護度2、3の人8人が、一人ずつ居室で暮らしている。ちょうど昼食の用意をしていたが、入居者がつくっていた。8人のグループホームで、日常生活が可能であることもあり、お年寄りとしての誇りと費用負担に見合ったサービスを受けるという意識からではなかろうか。
 それにグループホームなので、組織的な運営をしなくても成り立っていくので、職員のリーダーの人柄あるいは体質といったことが色濃く反映されるのではないか、と推測をしてみた。付随したことでは、利用費用が10万あまりであった。その費用を負担できる人は、多数でないだろうとも考えたのだった。

 グループホームに、近所のお年寄りが遊びに来ていたのが好感を持てた。また その地域は古く方のたたずまいをそのまま残す家並みだった。とくに、白壁が施されたそうとう古いお寺に興味を持った。境内のクスノキやイチョウは、百年から2百年ぐらいのものだろうか。建物は改修されていないようで、自然にさらされてできた味わいを、セミの音とともにしばしゆっくりとした時間の流れを感じたのだった。

 つぎに訪問したのは、障害者の授産施設であった。制度上は授産施設であるが、既成のものとはまったく異なっていた。中華茶房、昼食弁当作り、平飼い養鶏など5つの事業を展開している。
 最初に訪ねたのは、大規模ファミレスぐらいの規模で、室内の意匠がよかった。勾配天井なので巨大な木の梁がみえて、おしゃれな建物であった。
 中国の雑貨販売と喫茶と中華料理の店である。規模の大きさと建物等の水準の高さに驚いた。宴会等にも対応しているというから、そうとうな料理でもあるのだろう。他の事業は、別な場所で普通の個人食堂規模でおこなっていた。
 事業展開が大規模であることと、しかも競争の激しい外食分野のことなど、施設長あるいは理事会、そして職員や保護者の志の高さと情熱に心打たれたのだった。人口10万の地方都市であるが、このような都市型の事業展開が市民に支持され、成功して欲しいと声援を送りたい気持ちになったのだった。
 

ユニットケアを見る

2005-05-17 20:34:41 | 福祉
 現場実習の授業で恒例にしている、老人施設の見学を、学生たちと共にした。その施設は大学の近くにあるが、特養(ユニットケアも含む)、デイサービス、グループホーム、ケアハウス、老健など老人施設をおおよそ備えている老人総合施設である。
 それぞれ性格の異なった施設を合築しているので、内部から職員の往来は可能である。しかし玄関はそれぞれ別であり、風呂等の設備も完全に独立させている。また老健は、道を隔てた病院と隣接した別棟である。
 人口2万台の町でそれだけの施設を備えているのは、少ないのではないだろうか。

 特養の建物は、一般的に病院をモデルにしており、居室に4~6人の利用者である。04年度から厚労省が、ユニットケア実施に踏み出した。そこのユニットケア施設は、去年の7月から発足させていた。一人部屋を10部屋単位とし、4ユニットであった。初めて見たが、わたしからすれば快適な暮らしだろ、と思った。特養の歴史的転換を、実感したのだった。
 実際は一人部屋を好まない人もいるとのことだが、4人同居の場合その人たちどうしの交流はないのが一般的のようだ。
 厚労省がユニットケア普及のために、補助をどのぐらいしているか定かではないが、ゆきわたっていくには相当な歳月を要するだろう。介護保険後、施設経営は市場原理にさらされて大変のようである。経営だけでなく、介護職員の労働条件もきびしく(低賃金、労働強化)なっている。
 見学した施設は、病院も併設されていることもあってだろうが、かなり整っている。補助金システムなど詳細は知らないが、特養単独の施設ではとてもできないだろう、という点が随所に見られた。人的配置を、基準(特養3:1、ユニット2・8:1)より多くしているようだった。基準自体が、利用者を尊重してケアをするには、あまりにもきびしい条件である。
 施設設備では、風呂を十分備えており、しかも温泉である。それにケアステーションの1階と2階が部屋から回り階段で接続している、床が弾力性のあるアームストロング張りとしてケアワーカーのからだへの負担を少なくしている、といった質的高さが随所にあることが理解できた。

 老人施設の学生の見学では、暮らしの場にひとかたまりの人数が入り込むことになるので、細心の心遣いが必要である。わたしはそのことへの気遣いを、いつもしている。利用者の日常の暮らしに波紋を起こさないよう注意をしつつ、観察も怠らないようにせねばならない。
 そのことの象徴的例として、スリッパの音を立てないで歩くよう学生に注意をうながす。今年は事前に喚起したので小さめの音だったが、なくならなかった。どうもスリッパの音を立てないで歩くこと自体を、できない学生がいることが分かった。かかとから足を下ろして足指をすぼめる感じで床を踏むという動作をしたことがないのだろう。足裏の前後に力を入れて抜くことを、両足でタイミングよくできないので、ベターと足をついてスリッパを引きずってしまうようである。生活様式の変化の反映として理解できるが、それだけではなさそうだ。
 わたしは子どもの頃、階段の上り下りと2階を音の出ないように歩くことを、祖母から注意を受けて育ったことを思い出した。また、ぬきあし、さしあし、しのびあしとかつて言われていた、周囲に気づかれないぐらいそっと忍び込む歩き方のこと、聞かれなくなって久しいな、といったことに思いをめぐらしたのだった。

授産所の作業と事業展開

2005-02-18 09:40:23 | 福祉
219] 授産所の作業と事業展開 (2005年02月18日 (金) 09時40分)

 昨日は車で、知的障害者の授産所施設へ出かけた。10時過ぎ頃からは、朝の冷たい風と打って変わって、穏やかは初春にふさわしい陽光が降り注いでいた。伊勢湾を正面に見たとき、飛行機が空港へ着陸態勢に入って下降していくのが見えた。のどかな伊勢湾に、新しい風景が加わったことを実感したのだった。

 訪ねた授産施設は、リース造り、あるメーカーの部品づくり、農園、パンづくりの4部門に分かれて作業をしていた。
 農園は花の種の植え付け作業だった。ビニールハウス内に各自座って、4センチ四方ぐらいのものに土を入れそれに種を蒔き薄く土をかぶせて、霧で水を吹き付ける作業を繰り返していた。そうやって一つ一つ植え付けた方が、間違いなく発芽するとのことだ。わたしが想像していた農園作業とは異なり、緻密で根気の要る作業であった。春はキンタソウ、ノスポールで夏はサルビア、マリンゴールドといった花に取り組んでいるとのことであった。出荷されたものは、町の公共施設の空間に彩を添えることになるのだ。
 リースづくりは、ツタや木の実など自然物を加工していた。これも緻密な作業であった。このリースづくりは、様々な自然素材を取り入れていることは感心したが、当然なことでもあるが利用者の作業に重点が置かれているように見えた。作った物を商品としては売るわけだが、その場合デザイン等で付加価値の高いものにする課題を感じた。自然素材の可能性は大きいので、デザインによっては、観光地のお土産の域をはるかに越えるものを作り出せるであるだろう。
 パンづくりは販路がほぼ確立していて、生産が安定しているようである。しかし商品開発も怠れないとのことであった。
 知的障害者が授産施設で就労するということは、生活に活力をもたらすことである。指導員の利用者を尊重したコミュニケーションが印象に残った。ただ、利用者の賃金が授産施設としては平均的な1万円ほどのようであった。今日のこういった施設では、収益の上がる事業展開も課題にすえなければならなくなってきている。


「介護は誰が担うか」の意味するもの

2004-10-27 05:07:46 | 福祉
[188] 「介護は誰が担うか」の意味するもの (2004年10月27日 (水) 05時07分)

 NHKの教育テレビの8時からの「福祉ネットワーク」は、メディアならではの企画と取材網の力により、福祉の動向を知りうる番組である。21日(木)は「介護は誰が担うか」というタイトルで、介護職の外国人受け入れについてであった。外国人といっても当面はフィリッピン人である。
 わたしはこのテーマを114のコラム(03-12-13)ですでに扱っているが、その後かなり進展して現実の問題となってきている。政治課題としても、受け入れ検討を6月に閣議決定しているという。新聞報道でも散見できるほどになっており、『朝日新聞』の10月13日の「わたしの視点」では、荒川洋平氏(東京外大・認知言語学)が賛成論を展開している。
 ここでは「福祉ネットワーク」の放送を紹介することを中心にして、やがて介護のみならず看護など多くの職業に及ぶ可能性があるので、関係者の関心を喚起したい思いである。
 日本はフィリピンと自由貿易協定(FTA)の締結を課題としているが、その場合フィリピンの強い要望により、看護師や介護士の受け入れも含む経済連携交渉も続けている。
 フィリピンは、もともと外貨獲得に労働輸出のしめる割合が大きい国である。すでに看護と介護職を、カナダ等に労働輸出の実績を持っている。日本では介護職不足の傾向をみて、フィリピンが開放を迫っているのである。政府はフィリピンの介護士の受け入れ検討を閣議決定したのであるが、意外と知られていないのではないだろうか。
 日本の老人施設等の経営者団体では、外国人(フィリピン)の介護士の受け入れを求めているとのことである。介護保険以降施設経営に市場原理が導入され、収入の80%が介護保険であり、たとえば特養80人の利用者に対して25人の職員配置で労働条件と経営的にもきびしい現実がある。今年度の改訂でも、さらにきびしくなった。なお、介護者の労働組合とその組合が加盟している連合は、フィリピンの介護労働者を反対を表明している。
 フィリピンの労働者の賃金は月額1万9千円とのことなので、もし日本人と同じ給与の場合は、月にフィリピンでの月収の3倍から5倍ぐらいの送金が可能と推測できる。
 ところで長野県丸子町の病院では、12年前から日系ブラジル人の介護職を雇用しているとのことである。61歳の日系2世の人の場合は、言葉ができるが文字を読むのに苦労していたし、書くことはできない。記録を書くのは不可能等から、140人の看護・介護職に対して20人の日系人が働いていて、外国人の比率がこれ以上だと運営が困難になる、と病院側の人が話をしていた。日本人の援助の下に、労働が成立しているということである。ということは、看護・介護労働に役割格差をつくっているということでもある。
 一方訪問介護業界(日本在宅介護協会)では、外国人は担えないので受け入れる予定はないという。それは個別の課題に即した介護とコミュニケーションが必要なので、その見極めは日本人であっても難しいとのことだ。しかも家庭訪問するので、財産や安全やプライバシーと深くかかわるので、外国人では業務ができないとのことである。

 この放送の2回目は、明日(28日)におこなわれるので、それを見てからわたしの検討を加えることにする。
 *きょう(28日)予定されていた「介護は誰が担うか 私はこう考える」は、「新潟中越地震 障害者たちは今」に変更されました。「介護は・・・」の放送の日取りは、今のところ未定です。







体験的老人施設事情

2004-09-14 05:41:21 | 福祉
[175] 体験的老人施設事情 (2004年09月14日 (火) 05時41分)

 このところ見る機会のあった老人施設から、最近動向を知ることができました。

■特養の既存の建物は、個室はすくないため厚労省が去年から打ち出したユニットケア(個室を基本として少人数のグループにしてのケア)物的に対応できません。そこでユニットケアに対応するため、個室の建物を増築している施設がありました。
■多く特養は、障害あるいはケアの課題に即して生活空間を用意しています。たとえば痴呆の人は3階にする、といったようにです。ある施設では、痴呆老人48人を全体運営していたが、2グループに分けて運営するようにしました。グループごとに集まれる空間も用意しました。その空間には、畳のコーナーもあります。それに様々に場所にプランターなど植物を施しました。家庭のようなくつろげる環境を用意する、という発想です。
 その結果、それまでより介護が行き届くようになり、利用者の生活に落ち着きがうまれたとのことでした。
■特養の建物は病院をモデルにしています。4人、6人部屋といった具合であるとともに、無機的で生活空間の雰囲気がない建物が多いのです。ある施設では、実験的に既存の部屋に木を使って衣装を施してみました。わたしが見たのですが、見違えるほど落ち着きとくつろぎの雰囲気になったと感じました。ところが財政が困難なため、すべての部屋の改修をできないとのことでした。残念!
■わたしの住んでいる60万を越える都市では、デイサービスの送迎バスに様々めぐりあいます。介護保険制度以後設置主体が緩和されたため、供給過剰な感さえしています。そこでマーケットシステムが働き、サービスの内容が問われることになります。学校的な制作活動やグループワークといったレクリエーションより、個別な要求にそった活動が多くなってきているようです。
 都市のデイサービスでは、希望者にデパートや美術館へ行くなどといったことを組み入れているところもあるとのことです。それに制作活動は、紙工作のようなものではなく、体験のあった技術を生かしてバックや編み物で作るなど、実用性の高いものを作っているとのことです。少し前の自分の生活と関係があり、作り上げた満足度が高いのです。
 また、ある10万ぐらいの都市では、デイサービスの供給が過剰なため競争状況になっているとのことです。サービスの質の向上だけではすまない問題も、発生しているとか。

注目され始めた『こんな夜更けにバナナかよ』

2004-09-07 06:34:38 | 福祉
[171] 注目され始めた『こんな夜更けにバナナかよ』 (2004年09月07日 (火) 06時34分)

 進行性筋ジストロフィーの障害を抱えた人が自宅で生活するためには、1日3交代で介助のボランティアが必要である。障害のために、人工呼吸器装着し、生活の一切が自分でできない。したがって当事者の、生活とプライバシーにもボランティアがすべてかかわることになる。
 2年4カ月にわたる、大勢のボランティアと当事者の交流を書いたノンフィクションの本が『こんな夜更けにバナナかよ』(北海道新聞社発行 1890円)である。交流といっても、とてつもない「わがままな」当事者と、ざっくばらんでどろどろした、しかも苦悩と葛藤があり楽天性で明るくもある関係を描き出している。なにしろ当事者が、本のタイトルになったように夜中にバナナを食べたくなってボランティアに要求し、それにボランティアが対応することに象徴される関係である。しかしボランティアが当事者から発見することも多く、双方向型の関係である。
 この本は大宅壮一ノンフイックション賞を受賞した。発行が北海道新聞社であり、大手出版社でないがゆえに話題にはなりにくい。受賞当時の書評では素通りしていたが、5月16日の週刊ブックレビュー(NHKBS)にゲストで登場したのに関心をもち、わたしはすぐ購入して読んだった。当事者を囲んでの人間のドラマは、これまでの福祉の本と違って発見が多かったし、読み物としてもおもしろい。
 著者である渡辺一史氏が、立て続けにNHKに登場したので、地方出版社発行では困難なのだが、関心が高まりそうな予感がする。番組は、5日(日)の「日曜喫茶室」(FM12:15~)6日の「福祉ネットワーク」(教育テレビ8:00~)であった。語り口にも好感を持ったのだった。