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絵本と児童文学

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過疎から元気を発進する障害者施設

2004-02-02 16:57:53 | 福祉
[119] 過疎から元気を発信する障害者施設 (2004年02月02日 (月) 16時57分)

 その地に知的障害者の更生施設が設立されたのは、82年であった。今年度からさらに、授産施設を発足させた。いずれも町立民営ということである。そのゾーンには養護学校の高等部もあり、1800人ほどの地域に障害者のコロニーが作られているといってもよいだろう。
 町は北海道の日本海沿岸にあり、産業は漁業と農業で、人口4000人あまりである。多くの日本の地方がそうであるように、人口は最高時の25%ぐらいとなった過疎地である。
 私は発足した授産施設が、どのような事業展開をしているかじかに見られるのを期待して訪ねたのであった。国道から少し入った雪につつまれてまっ白な丘陵地に、物語をかもし出すような赤い屋根の建物があった。
 事業内容は、布団のクリーニング、魚介類の加工、牛肉の加工の3部門を設けていた。魚介類と牛肉は、地元で生産されたものを使用している。素材の良さがよい製品を生み出し、札幌市のデパートで販売されギフト商品にも選ばれ好評とのこと。さらに生協との取引の可能性が出てきているとのことである。布団のクリーニングも好評を得て、需要地域が拡大しつつあるとのことであった。
 立地条件に即した事業内容を考えられているだけでなく、利用者の仕事のやりがいに配慮されていることが特徴である。布団クリーニングでは、汚れをていねいに落とす作業をいとわないことが、布団をよみがえらせることに結びつくことが喜びとなる。魚介類と牛肉の加工の製品が大都市のデパートに陳列され好評であることが、仕事への誇りをも創り出すだろう。ちなみに利用者の月額の工賃(賃金)が、2万円とのことだ。初年度からこれだけの金額を生み出すのは、驚くべきことなのだ。
 また、20年の歴史を持つ更生施設では、パンを作っている。これもよい素材を使っていることもあり、味は好評である。さらに地元産の米を素材にした、パンの生産を構想中とのことであった。
 これらの事業は、一部の商品が好評であったとしても、生産するすべての商品の消費の確保、販路の確実性がなければ継続が不可能になる。一般的事業でいう営業活動である。所長は、いわば営業活動に力を注ぐことが多いという。
 施設の職員は、130キロほどある都市旭川市にトラックで販売に行くとのことだ。製品ごと収納できる特別仕様のトラックを、高額で備えていた。夏の人手の多いときでも地元だけでは1日5万円ほどの売り上げが、そこでは20万ほどの売り上げになる。就労が難しい地域で、起業をしているといってよいであろう。
 また、パン作りではレストランと連続しているので、お客さんに見えるところで作業をする。時には中学生が総合学習で、パン作り体験をしに来る。そのときは利用者が中学生へ指導する立場になる。中学生がていねいな仕事と熟練振りに驚くとともに、利用者には仕事に対する誇りを自覚する機会にもなる。そのような交流が中学生に人間観を立ち止まって考えることになるだろうし、利用者にとっては生きがいと人間としての自尊心を創出しているのである。
 20年の歳月に、地域に根づく施設のあり方を実践してきた成果は確かなものがある。グループホームが3ヵ所となり、地域の人が利用者を名前で呼ぶことに象徴的なように住人としてともに暮らしているように思える。昨年の利用者同士の結婚の際は、地域の人もパーティーの実行委員会に参加し、祝福の輪が広がったとのことであった。利用者の処遇に、人権の尊重をかかげているのが反映されたのだ、と感じた。
 新設された授産施設の建築は設備も含めて3億円だった。町の補助が2億円だが、財政規模からしたら小さくない負担である。しかし地域にとっては、人々のつながりをつくり、新しい文化をつくり、起業は活力となり、元気の発信というかけがえのない人間を励ますいとなみになっているのである。
 この地域の1月下旬としては、珍しく穏やかな気候であった。施設を後にしたとき、陽の光で雪が輝いていた。遠く水平線に目をやると、雪に包まれた天売、焼尻島がくっきりと見えた。原風景でもあるこの景色を見たのは、もう何十年ぶりだろうという感慨をもち、人々のいとなみに幸いのあることを願ったのだった。

介護職を外国人もするようになるか?

2003-12-13 07:18:52 | 福祉
[114] 介護職を外国人もするようになるか? (2003年12月13日 (土) 07時18分)

 深夜のテレビで見たワールドユースは、日本チームがブラジルとベスト4をめざして対戦しましたが、1:5で敗れました。立ちあがり15分ぐらの間に3点を奪われるという、予想外の展開になったのでした。
 3時過ぎに朝刊を取りに外へ出たら、寒さが厳しくなってきているのを実感しました。冬の高い夜空に、たくさんの星が輝いていました。

 10日(水)のNHKニュース番組「おはよう日本」で、フィリピンでの日本向け介護職の人材養成が紹介されました。あいさつなどの日本語、お茶の入れ方、介護実技などの映像でした。数年前にもそのことが新聞報道されましたが、映像で実際見て、その進行ぶりに驚きました。
 フィリピンは、外貨獲得のトップは労働輸出です。中東、経済力のある東南アジア、北米などです。かねてから日本にも短期就労の芸能といった以外の労働輸出を、求めていました。90年半ば頃だったろうか、フィリピンに大勢いる日系人を、南米の日系人なみに受け入れるよう要請があった記憶があります。日系人といっても南米の移民したそれとは違い、ジャピーノ(かつては差別的呼称でもあった)といわれている、戦前に日本人との間に生まれた人と60年代ぐらい以降のそれらの人達です。これらの人は、南米に移民した子弟の日系人とは事情が異なります。
 今年の6月(?)にはアロヨ大統領が来日し、介護に限定して日本に受け入れの打診がありました。小泉首相は、そのような構想はない、と断りました。フィリピンはすでに介護労働をカナダ等に輸出しており、日本も魅力的な市場ととらえています。
 この度の「日ASEAN特別首脳会議」で明らかになったように、日本とASEAN諸国との自由貿易協定を含む経済連携協定締結に向けての交渉開始に合意しました。自由貿易協定のなかで、労働市場開放を日本に期待している国があります。
 グローバル化されていくなかで、人は経済水準の高いところへ流れるのが常です。インドの南部の州では、アメリカに看護師労働の輸出に力を入れて、トレーニングをしている報道をある番組で見ました。渡米が実現した場合は、10倍を越える収入を得られるのが魅力で、懸命にトレーニングに励んでいました。フィリピンの介護労働輸出は、このような期待が持たれているのです。
 さて、日本は今後外国人労働者が増えていくだろうが、北米のようにもともと移民で構成された多文化の国とは違って、日本の生活文化に深く入り込む仕事がはたして可能でしょうか。今のところ法務省は、留学生が卒業後介護職に就いても労働ビザの対象にしておりません。フィリピンの要請に対しても、資格の違いを建前として受け入れをしないとしております。しかし、縫製や漁業等で行われている「労働研修」という現行の制度での受け入れが考えられます。また施設側がコストを低く押さえるために、老人施設の設置者が反応する可能性もあります。
 日本の介護職の現実は、介護保険以降労働条件が低下しており、老人介護が市場原理にさらされるようになっています。介護福祉士の職業希望があり養成もされていますが、都市部などでは労働のきびしさから職員の定着は必ずしもよくない現実もあります。
 もしフィリピンの介護労働の受け入れが進んだ場合は、福祉職のさらなる賃金抑制に繋がっていくことが懸念されます。福祉社会の進展は望むべくもなくなるでしょう。

なかなか法定雇用率に至らない障害者雇用

2003-09-23 11:16:51 | 福祉
[102] なかなか法定雇用率に至らない障害者雇用 (2003年09月23日 (火) 11時16分)

 コラムの95で、障害者雇用促進法(以下雇用促進法)についてふれた。9月8日の朝日新聞にその実施状況等詳細に掲載されていたので、資料としてそれを要約することにする。

障害者雇用促進法とは
 雇用促進法は従業員56人以上の民間企業に、全従業員の1,8%以上の身体及び知的障害者の雇用を義務づけている。重度の障害者を雇用した場合は、1人で2人と見なされる。ただし精神障害者は対象から除外されている。雇用は法的義務のため(60年に努力義務として制定、76年から法定義務に)従業員301人の未達成企業は、不足人数1人につき月額5万円の障害者の雇用納付金を支払う。
 また、国や自治体の法定雇用率は、2,1%となっており、02年の雇用率は2、35%と法定雇用率を上回っている。

雇用未達成企業名の公表
 障害者雇用が法定義務にもかかわらず、未達成企業が多い。全国平均の雇用率は、02年度は1,47%で、00年度と比べ0,02ポイント低下している。義務化されて25年以上たちながらも全国平均の雇用率が法定雇用率に達したことがない。未達成企業は、障害者の雇用が施設の改善などの企業負担を回避しようとするのと、納付金制度が「金さえ払えば雇わなくてもいい」とゆがんだ運用となり、結果的に雇用と結びつかない実態がある。
 このような状況を打開するひとつの試みとして、障害者団体関係者と朝日新聞などのメディアが厚生労働省東京労働局に未達成企業名と雇用率の公表を求めた。それに応じて8日東京に本社のある未達成企業名と雇用率などの一覧を公開した。それによると00年6月現在対象となる従業員562以上の企業1万2512社のうち、未達成企業は7割を超える9040社だった。うち従業員3千人以上の大手企業293選び集計したところ、平均の雇用率は1,29%である。また、00年度の東京労働局管内の障害者雇用率は、1,31%であった。
 情報公開制度による企業名の公表は、制裁的な意味とは性質を異にする。しかし公表が日常的になることで、企業の意識改革がすすみ、雇用率の底上げにつながることが期待される。
 なお13日の朝日新聞によると、障害者インターナショナル日本会議は、10月中旬に未達成企業名と雇用率をHPに掲載するほか、未達成理由について公開質問状を出す、とのことである。

 障害者の企業や自治体等での雇用と、障害者の更生施設や授産施設の関係を考えるヒントにしていただきたい。

縫製の仕事をする-障害者施設を訪ねて(その2)

2003-08-17 13:23:10 | 福祉
[96] 縫製の仕事をする―障害者施設を訪ねて(その2) (2003年08月17日 (日) 13時23分)

 

 ある授産施設は、縫製を専門にしていた。小規模ながら一人ひとりが分業にもとづいてミシン、アイロンかけなど職人の集まりのように思えた。作っているものは弓道着である。
 弓道着は安定した需要があり、年間を通して稼動ができるとのことだ。仕事の内容を弓道着に着眼したことに感心した。弓道が授産施設と関連づいたので、このスポーツが私との距離が近くなった。 
 年配の人が多く、仕事ぶりは熟練の域である。聴力障害者が多いのは、これまでの聴力障害の教育の歴史を反映していることでもある。聴力障害者には、縫製などの手仕事を職業教育として力をいれていたのである。ついでながら工賃が月額10万を超えるとのことで、これまた授産施設の事業としては特別なものといえよう。
 縫製のことゆえ中国やヴェトナムのことが去来した。90年ごろヴェトナムの縫製工場で見た、日本向けの製品をづくり始めたという光景を思い出した。ヴェトナムにとっては斬新である、日本で使っていた機械を導入して、新技術への期待を語っていた。その滞在時に買い求めたポロシャツは、体にフィットした物とは言いがたいものだった。しかし昨今は、中国製と並んでデパートの製品にもヴェトナム製が多く見られる。技術移転が進んだことに感心するとともに、縫製のような集約労働は日本では少なくなっているのだろうな、といったことを考えさせられたのだ。
           ■ □ ■ □ ■ □ 
 身体障害者施設は目的別にいくつもの施設があるが、身体障害者療護施設をはじめて訪ねた。そこの利用者は療護施設ということもあって、身体障害といっても重複の重度の人たちであった。常時全介護の人がほとんどであろうと思われた。
 障害も含めた人となりを認めつつの介護は、老人介護の技術では対応できない力そのものも必要とする。また身体的条件によっては、たとえば嚥下が微妙であるなど、人に対する理解とそれに対応する介護技術が必要なのだろう、などといったこと考えめぐらしたのだった。

コンピューターの仕事をする-障害者施設を訪ねて(その1)

2003-08-13 16:50:09 | 福祉
[95] コンピュ―ターの仕事をする―障害者施設を訪ねて(その1) (2003年08月13日 (水) 16時50分)

 
 担当科目の学生たちが、介護を必要とする施設の実習を、夏休みを利用して4週間している。学生の実習の様子を見るために施設を訪問した。今年は障害者施設で、発見が多くあった。

 ある身体障害者授産施設(通称は作業所といういい方もする)は、コンピューターで事業を展開している極めてめずらしいものであった。肢体不自由、聴覚、視覚などの障害者がコンピューターに向かって仕事をしていた。なかには足で操作している人もいた。総じて重度の障害者の通所施設である。
 事業内容は、
調査の集計・分析
計画策定(おもに自治体の福祉政策に関するもの)
セミナーの企画
記録作成・テープ起こし、
システム開発(様々な事業所のソフト開発)
データ-入力・加工
発送業務代行
ポスター・看板作成
ホームページ作成
と多岐にわたっている。この付加価値の高い事業で分かるように、私がこれまで経験的に得ていた授産所とはまったく異なった、本格的な事業所といってもよいものだ。最近の象徴的な仕事として例を上げると、建設中の中部国際空港のユニバーサルデザイン化を、基本設計段階から参加し作り上げるというコンサルタントを担っている。これらの事業を可能にするためには、職員の事業内容への専門性とそれを展開する経営センスが相当なものを要求されているはずである。
 このような事業を展開により、年間1億円の売上で月平均の工賃(授産所では報酬に当たるものいう)は10万円を突破しているという。工賃は一般的な授産所では1万2千円から3千円といわれている。12日の「福祉ネットワーク」(NHK教育テレビ8時から)で放送された(再放送)知的障害者の授産施設では、付加価値の高い豆腐づくりをしるため工賃が5万円で、画期的取り組みとのことであった。
 パソコンが、いかに障害者の力になっているかを、見ることにしょう。テープ起こしの作業を、全盲の人がおこなっていた。テープを聞いて、それをパソコンで文字化するのである。盲人のパソコンは、キーをたたくと音声を発するようになっている。テープで聞いたことを、キーでたたくと発する音声で確かめながら文字化していくのである。
 もうひとつ興味深いことがあった。聴覚障害者(ろう者)である実習生が、視覚障害者(盲人)とのコミュニケーションをしているとのこと。ろう者がパソコンで送るとそれを受けた盲人は、音声ソフトで音にして聞く。盲人から送られたものはろう者は読む、と言うことでコミュニケーションが可能になるのである。パソコンが障害種別のバリアを取り払っている。すごいことだ。
 文字が点字だけの使用だった盲人が、音声パソコンを利用するによって、墨字での表現と受け止めが可能になったのを間近に見たのは、感激だった。かくて盲人のコミュニケーションや職業選択など、激変したのである。
 80年代の初頭だっただろうか、パソコンがまだ普及していないときのこと。パソコンにかかわる起業をした知人に、パソコンの仕組みの原理や将来性について、レクチャーを受けたことがある。そのときパソコンの普及によって、いわゆる体力的に弱者といわれている障害者、女性、高齢者にとって社会で対等に仕事をしていける大変な武器になる、と考えたのを思い出した。当時想像できなかった世界を目の当たりにしたのであった。

*障害者雇用促進法によって、一般企業や官庁は常用労働者に対して1,8%雇用するとなっている。02年の1企業当たり平均雇用率は1,47%で、法定雇用率を達成してない企業が57,5%にのぼる。

特養を訪ねて

2003-02-25 11:57:53 | 福祉
[69] 特養を訪ねて (2003年02月25日 (火) 11時57分)

はだか祭り

 特別養護老人ホーム(特養)で実習している学生たちのため、名古屋市西区にある施設を巡回訪問した。おりしもその日は(2月13日・木)、国府宮(こうのみや、稲沢市)の「はだか祭」であった。
 下帯だけの裸の男達が、国府宮神社に向かっていくのに遭遇した。10キロほど離れているその地域も、はだか祭のエリアなのだ。朝の9時頃から始まり、道中にある神社に立ち寄って要所でお神酒を含み餅まきをし、3時頃国府宮神社に各地から集まる。その数、今年は9000人に及んだとのこと。その男達が、神男(しんおとこ)に触って厄を落とすためにもみあう祭りであり、1200年の歴史を持つとのことである。
 下帯び姿の男達が、短冊に願い事を書いた葉の茂った竹を持ち、お神酒を含んでいるとはいえ威勢良く国府宮神社に向かっていく姿とそれを大勢の人々が迎える光景は、素朴でかついちずであった。60歳を超えている人(赤い下帯)もいたが、祭りにかける勢いは、伝統に培われた重みを感じた。その日はおだやかな天候だったが、なにぶん真冬ゆえ、多くの人の肌は紅潮していた。それをおして国府宮神社に向かう心意気にも、意味がありそうだった。
 かねてから新聞やテレビの報道で関心があったが、遠くのものと思っていた。ところが実際に多くの人々の姿を見て少なからず心揺さぶられ、地域による人間の暮らしの営みと文化というものに思いをはせたのだった。
 下帯姿で願い事を奉納し厄を落とすとは、芸能や神輿などを伴わず、したがって様式美と無縁な素朴で単純な様は、まぎれもなく農村の祭りである。日本の祭りには多様な内容があるが、多くは芸能などがともない、その伝承のために地域の紐帯的人間関係をもつくっているのだ。
 下帯姿になる神事あるいは祭りも多いので、その意味を知りたいという好奇心が沸いてきた。と思っていたら、厄除けや豊作を願う「きねこさ際」(名古屋市中村区)が、本祭りに先立つ神事の「川祭り」で下帯びで裸姿の男が、川に立てた竹によじ登っている記事(2月18日、『朝日』)を見つけのだった。
 
特養訪問で考えたこと

 さて、特養で実習中の学生たちのために訪問して見聞したことについて、触れることにしよう。その施設の実習の受け入れ方針は、学生にボティコンタクトをともなう直接介護をさせない。若干のリネン交換など実務もするが、もっぱらコミュニケーションを中心としたものになる。
 その根拠は、利用者にとって施設は、暮らしの場であり居住していると規定しているためである。したがって利用者を「住人さん」と呼ぶことに象徴されるように住人本位を貫いている。その考えに立つと、なじみのない人が仕事として介助するのではなく、関係が確立しているケアワーカーがするべきということになる。
 多くの施設は、きびしい人的条件ということもあって、学生をマンパワーとして期待する側面がある。それに介護技術の獲得は、体験の蓄積によると考えられている。したがっておおよそ実習は、実務と介護に格闘するのが実態である。この施設の場合、介護の理念が住人の人権を柱としており、学生の実習もそれを反映したものになっている。このことで付言するならば、運営上は大変であるだろう同性介護をしている。これらのことは、老人施設としては極めてめずらしいことなのである。
 学生にとっては、介護を通してコミュニケーションを確立していくという側面があるため、それがない場合はもっぱら話が中心になる。世間の話、思いで話など住人さんの話を引きだし傾聴することは、内容を共有できるために時代背景をともなった生活歴の理解も必要であり、やさしいことではない。さらに住人さん個々の個性や障害(痴呆など)にも、配慮をしなければならないのである。

 じつはこの施設は創立8年になるが、設立準備過程の建物の設計に、私はかかわったのである。保育園の敷地に、特養と保育園を合築建設するため、現場と設計者の間に入ってのコーディネーターの役割であった。設立後も広報紙づくりや研修にもかかわっていたが、関係が途絶えてから3年ぶりの訪問であった。
 8年の歳月は、特養ゆえの変化をしていた。当初の住人さんで居住している人は、30%ぐらいでありその後の入居の人も含めて、ADLの低下している人が多くなっているとのこと。したがってかつてやっていた近所の喫茶店に出かける人も稀になり、週1回の「ジジバー」というお酒も介した集いは成立しない。しかし旅行は、デイサービス利用者を中心に継続させているとのことであった。

私が関心を持ったのは、介護保険制度(03年度から改正され、施設への保険料配分が少なくなる)以後の現場の変容であった。それまで施設の方針によって予算を組むこと、いわば支出を考えればよかったのが、収入を考えることにエネルギーを注がなければならない、と言うことである。たとえば、病気などの事情で空いた場合でも減収になる、あるいは介護度によって収入が異なる、ということがある。運営上必要なゆとりを持てくなったため、ケアーワカーの仕事がそうとうきつくなったとのこと。
 住人さんが質のよい時間の流れにゆだねられたら、という思いでコミュニケーションを取ったり活動をしたいが、直接介護や実務の仕事にさく時間が相対的に増えている。ケアワーカーの配置基準が1対3であることは、かなりきびしいのが理解できる。

 職員配位置基準は、日本では福祉施設ばかりではなく医療、教育などヨーロッパ諸国の基準からしたら驚くべき条件が悪い。学校のクラスサイズが多くて20人あまりに対して、日本は40人基準である。そのため自治体として独自に30人にする政策を展開するところが、現れている。保育園は乳児で1対3であり、アタッチメントが望ましいとしたらとても無理である。都市を中心に国基準より多く配置しているが、財政難ということで減員の方向にある。食教育の課題を抱えながらも、センターによる給食づくり、あるいは外部委託政策が増えてきている。近頃は、刑務所も定員オーバーと刑務職員基準が少なすぎると、問題が顕在化してきている。
 人的配置が少ないと、職員の専門性や人となりも含めた教養でクライエントとかかわることがしにくい。人の個よりはマスととらえ、その秩序を維持するためにある規律を要求しつつ、結果として管理的になっていく。やはり日本は文化的にいまだ貧しく、人間が大事にされていないということに行きつくのである。この問題を対人援助とは異なる視点から考えると、産業構造の転換や雇用の確保からしても福祉、教育などの人間に対してもっと人を配置すべきではないか、と改めて実感したのであった。

 建物のことであるが、室内は至るとことに木で意匠を施している。当時当局に防火上問題にされるのでは、と懸念したものだった。学生の感想では、多くの施設が病院のようで無機的なのに対して、居住に近いの温かさがあるとのことであった。また、風呂を5階最上階にして眺望に配慮したのと、特浴(器具などを使用しての入浴)と普通浴の浴槽をを分離しなかった。浴槽を共同にすることは、私は職員の柔軟な配置が可能との立場から推進した。実際はケアワーカーが一緒に入浴する条件もあってか、他の施設で特浴であった人が普通浴になるぐらい、特浴利用者が少ないとのことであった。
 実習の学生たちは、しぐさも最大限に使い、つまりノンバーバルコミュニケーションをとっていた。大学ではみせない、張り切ってすがすがしい姿であった。今後の特養は、介護度3(要介護3)以上の人がほとんどになり、仕事のきびしさが増すばかりではなく、機能としても様変わりもするだろうという言葉が印象に残り、その施設を後にしたのだった。

*介護度は要介護1から始まり、介護の必要性によって
段階に分け要介護5に至る。介護度2まではいくらかの
援助で自立的に日常生活が可能で、3以上になると身辺
介護なしでは生活できない状態をさしている。

老人施設と障害者施設を訪ねて

2003-02-09 20:57:27 | 福祉
[67] 老人施設と障害者施設を訪ねて (2003年02月09日 (日) 20時57分)

 私が担当している「社会福祉援助技術現場実習指導」科目を履修している学生は今、8月にした2週間の実習の後半部分として、3日から2週間の実習をしている。そのために実習施設への巡回訪問をしている。8月は老人と障害者施設を、6ヵ所(のべ10回)訪問し、今回は手分けしたので3ヵ所である。学生は、介護を軸にした実習体験による介護の実際とその仕組みを学ぶのである。
 私が現場に足を踏み入れてある状況を見るとき、不思議なもので職員の立場で見たり、学生の立場で見たり、お年寄りの立場で見たり、障害者の立場で見たりする。そのために、学生のテキスト用の文献では見えない現場ならではの、発見をするものだ。あらためて社会福祉は、現場を背景に持つ実践的学問だと実感している。

■老人施設
 老人施設は、介護保険実施以降、特別養護老人ホームを中心にしつつデイサービス、ケアハウス、グループホームなども含んだ複合大規模化を促進しているのを実感できた。いずれの施設も利用者本位の生活と介護サービスをかかげ、努力していることが伝わってくる。ケアワーカの懸命で濃密な仕事振りを、ひしひしと感じる。
 入居あるいは住人であるお年よりは、心身の障害を抱えつつケアワーカーの支援を受けながら生活を営んでいる。人生の蓄積の証でもある風貌は、じつに個性的で人間の奥深さにふれる思いである。
 ケアワーカーの言葉かけをしながらの介護は、安心のコミュニケーションをつくることと本人の同意を含んだものになる。それが相互にここち良くなるためには、お年寄りの持っている作業テンポにそいつつ、間をともなったタイミングが重要に思えた。そのためにはケアワーカーの多面的な人間理解と、仕事にゆとりが必要だ。ところが仕事の量をこなしきることにエネルギーをさかざるを得ないのが、現実のようでもある。お年寄りに良質に濃密にかかわる仕事をつくりだす努力が、続けられている。
 学生の実習では、リネン交換等の実務と食事、入浴、排泄などの直接介助をする。介助の前提として、クライエントが介助を学生に安心してゆだられる関係、いわゆる信頼関係が必要といわれている。そのために学生はコミュニケーションを試みるが、クライイエントの理解を伴ったものにするのは困難なことなのだ。

 老人施設が、社会的関心になるさきがけの役割を果たしたといっていいものに(87年頃?)『痴呆性老人の世界』(羽田澄子監督、岩波映画)というドキュメンタリー映画があった。その映画では、女性が喋ったりしてコミュニケーションをとるのに対して、男性は他人と関係を持たない孤立の姿を描いていた。当時は「男性が老いると寂しいものだ」といった認識が、広がったように思う。ところが学生の観察によると、そのような傾向がない訳ではないが、必ずも断定できないとのことだ。私もじっとしている女性を見たし、語っている男性にもめぐり合った。どうも個人差という視点も必要のようである。
  もし性別による傾向が強くあるとすれば、ある時代に求められたジェンダー(文化的社会的につくられた性差。性別役割)の反映という視点も必要である。お年寄りがそれまでの人生で担わされた性別役割がどのようなものだったか、ということである。映画の場合は、明治生まれで長年の戦争を生きた人達であった。この視点で見ると、10年後ぐらいの老人施設は行動傾向に性別による違いは薄れていくと思われる。

■障害者施設
 今回の実習は身体障害者施設を含まず、知的障害者の厚生施設である。そのうちのある通所施設では音楽、陶芸、織物、木工といった、表現や制作のグループごとの活動を基本としていた。一般的には、内職といわれているモノを作る作業や農作業などの、労働を中心のしたところが多いのに対してユニークだった。
 障害者の場合はクライエントからのアクションがあるので、学生はそれに助けられてコミュニケーションは可能になる。重度の直接介助だけではなく、軽度の障害の場合など活動(作業なども)を介在とした関係は、学生にとって人間理解も含めて関心が広がるようである。

 実習で見せる学生たちの顔は、大学でのそれとは一味違う向上心と確信に満ちたものだ。夜勤などのシフトワークをこなしたり、施設の風景になじんだ姿を見るのは、私にとっては学生の発見の場にもなるのである。

奇跡とは、常識では考えられない神秘的出来事をいう

2002-08-20 21:21:42 | 福祉
[57] 奇跡とは、常識では考えられない神秘的出来事をいう (2002年08月20日 (火) 21時21分)

 4月28日のNHKスペシャルは、「奇跡の詩人-11歳脳障害のメッセージ-」を放送した。私は関心あるタイトルなので見るつもりでいたが、朝日新聞「試写室」の絶賛の予告を読んで期待感をもって番組開始を待った。開始後まもなく不快になり、そのうち見ているのがつらくなり、終了後は怪しさを感じたのだった。これまで障害児・者の教育に若干かかわり、今もなんらかのかかわりを持つ立場にいる私の、率直な思いであった。
 この番組がどう受けとめられたか気にはなっていた。その後の報道では、視聴率が14,2%の高率だったことと反響が大きかったとのことだった。そのこともあってか、番組の主人公であった日木流奈著『ひとに否定されないルール』(講談社)の売れ行きが好評と新聞で見るにつけ、悶々としたのだった。
 こういった番組を見るとき、私はメディアリテラシーとして2つの領域から見ることにしている。ひとつは内容そのものである。もうひとつは、内容とは相対的独自性をもった制作技法も含めた作品としてである。
 内容については、
■滝本太郎、石井謙一郎編著『異議あり、<奇跡の詩人>』(同時代社)
に詳細に書かれている。
この本を読み終えて、私が番組を見て不可解だったことが氷解することができたので、内容に触れることはひかえることにする。この本は、療育あるいはリハビリとしてのドーマン法の問題点だけでなく、カルトの観点も含めた多岐にわたり検討と多くの執筆者によって作られている。しかも6月28日発行という、短期間の驚異的取り組みによる発行である。ことがNHKというメディアの影響力の強さへの、警告を発する重大さを考えてのことである。
 番組の制作技法は、内容の伝達あるいは表現法であり、作品としての質を決定付ける。内容と素材をディレクターの意図によって再構成され、作品にするのである。具体的には構成、シナリオ、絵の使い方、音の使い方などである。
 この作品は、「奇跡を起こしている子ども」のすごさを表現することを中心にしている。まず構成だが、「立つこともしゃべることも出来ない子どもの言葉が大人の心を打つ」からはじまり、本を出版するために原稿書き上げ、エンディングでは「奇跡の詩人」の講演に感動している大人が映し出される。その間ドーマン法によるリハビリや様々な生活場面が織り込まれている。
 映像とシナリオは、早いテンポでたたみかけるような手法を使っている。シナリオはすべて「奇跡の詩人」の側のもので、ドラマティクに仕上げている。随所に出版されている「奇跡の詩人」の詩の朗読を入れて、その詩が社会的認知されているという前提で見る人の琴線にふれる効果をもたらしていた。受け手に考える余裕を与えないほどの情報量であり、作品世界の誘導されない人にとってはつらくなる。ディレクターの「奇跡の詩人」への思い入れの強さが、十分過ぎるほど伝わってきた。
 脳障害の子どもの発達についてなのに、いわば「プロジェクトX」的手法にも似た、いわば「感動もの」としてドラマティックな作品につくりあげた。もっとも「プロジェクトX」は、この作品よりていねいな説明がされている。
 11歳にしてすでに10冊の本の出版をしている、いわば文筆業とも思える前提から出発すると分からないでもないが、ことは脳障害の子どものことである。ドーマン法のリハビリの解説やそれへの評価、あるいは「奇跡の詩人」へのいくつかの立場からの見解など、今日の日本の医学や療育の成果を踏まえた検討がまったくなかったことなどは、番組内容の性格からして驚きである。
 ディレクターの思い込みによる作品によって、多くの人に不毛な期待や憤りをもたらしたりしたことを思えば、NHKがセンセーショナリズムに走ることは、理解に苦しむのである。私たちは、改めてメディアリテラシーの力を日常的に蓄積していく必要を痛感するものである。
 奇跡とは、常識では考えられない神秘的な出来事をいうのだ。「奇跡の詩人」として実際起こりえないことをタイトルにして、恣意的に「実証」しようとするディレクターとそれを放送したNHKは罪深い。