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絵本と児童文学

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節電の夏

2011-07-06 18:41:38 | 当世世間事情
 久しぶりに用事で、2時間かけて埼玉県に出かけた。2時間を4回の乗り換えは楽なことではない。電力制限令により、かつてはわずかに冷気が漂っていた駅は、暑くて照明は少ない。電車はかろうじて汗が出ない程度で、やはり照明を落としている。
 出勤時間がすんだ時間帯だったせいもあってか、服装は半そでシャツが多く、ブレザーを着ている人はおろか持っている人もいない。扇子による隣の人のわずかな風が心地よいとう、忘れていた感覚がよみがえってきた。それは70年代の東京の風景と重なった。

 その時代との違いは、電車が鉄の接触ときしむような音だったのが、音が小さくて線路をなでるようにスピードで走ることだった。それに車体がきれいで、広告デザイン水準が高い。服装のデザインや彩りも多用だ。とくに女性が堂々としており、時には家庭や海水浴で見かけるような服装の人もいる。4回乗り換えたどの車内も、会話を交わしている人はいない。見方によっては、みんなが不機嫌のようでもあった。

 これまでは電車内の冷房で体が冷えて、乗換えで歩いても体に暑さが戻らなかったということが気づいた。都市の人工空間が、電気エネルギーによって快適さが維持されているのだ。
 汗ばみながら扇子で清涼感を味わう、節電の夏が始まっている。

 この電力制限令による節電は、電力不足、したがって原発促進キャンペーンとしては強烈なメッセージになっている。
 2003年の夏に、東電は全ての原発をストップしたのだった。前年の事故隠しが発覚したため、原発の点検に入ったためだ。その夏は原発なしで、乗り切れた。当時とは電力消費量の違いや火力発電が震災で使えなくなっている、といった事情があるのかもしれない。
 一般的には電力不足になるのは、年間10時間だけという。不足するのは、夏の31℃以上の気温で、14時から16時の時間帯とのことだ。主としてエアコン使用によるといわれている。そのエアコンも、13分使用し2分とめると、電力消費がぐんと抑制できることが実験で明らかになっている。それを自動でできるリモコンにすれば、解決するのだ。

わが家のアンペアダウン

2011-06-29 16:17:09 | 当世世間事情
 東京電力が節電15%を打ち出したら、その方向で企業も家庭も動き出している。3、4月に計画停電があったので、受け入れやすい。
 それに東北電力、中部電力、関西電力、九州電力も節電方針を出した。これは点検等で停止している原発再稼動圧力のためではないか、とも思われる。地域独占で政界と財界を牛耳ってきている電力会社なので、原発安全と同じような手法で同調圧力をかけているのではないか。

 節電キャンペーンを契機に、湯水のように電力を使うことを奨励されていた電力会社の利益中心社会から、暮らし電力エネルギーのあり方考える機会にしなければなるまい。
 わが家のエアコンは、夏の場合大きな音が外部に漏れないようにするために、短時間だけ利用する。それ以外は例年、戸を開ける、緑のカーテン、すだれ、みずうち、扇風機で暑さをしのげる。夜は寝室が2階なので、気温によって窓を開放の調整しながらで十分である。
 全体的に電力使用量を少なくする社会に向かわなければ、再生可能エネルギーへの移行が鈍くなる。
 電力消費をするなくし、電気料金の節約のため、にアンペアダウンをすることにした。
 わが家のアンペアは120である。一般家庭としては多い。以前の家は60だったので、設計段階で基本料金が高い等から少なく出来ないか、と打ち合わせをしたがかなわなかった。暮らしのランニングコストなどを視野に入れる設計者ではなかったことを、悔やんでいる。一般家庭としては不釣合いな、高額は電気料金を負担しているのだ。
 このたび60にダウンすることにした。テレビでは、4人家族では20アンペアで十分と経験者で語っている人がいた。しかも無料で出来ろとも言っていた。

 ところでアンペアダウンをするための手続きなどは、簡単ではない。東電に電話したらしかるべきときに東電から来た。新しい器具の設置が必要なので、2万円あまりかかる、とのこと。そして「月2000円ぐらいしか安くならない」とアンペアダウンを勧めないようにも聞えた。業者に電話するように、とのことだった。
 業者が来たて、別な器具の借料料が15000円であわせて2万5千円とのことだ。借料料というが、器具の販売なのだ。それに工事費が1万円とのこと。選択できる他の商品がないので、受け入れざるを得ないのだ。

*30日に電気業者が工事をしたら、新しい器具の設置はなく、2万5千円だった。出張料と技術料ということなのだろうが、高額すぎるという実感。領収書は市販のもので、内容は「容量変更工事」となっていた。何か腑に落ちない。

赤ちゃんとのコミュニケーション

2011-06-11 18:05:43 | 当世世間事情
 20日ぶりに駅ビルに出かける。震災以来止まっていた3階の駅コンコースへ行くエスカレーターが動いていて、人の出が震災前ぐらいになっていた。
 人々の足取りが速くなったように思えたのは、エスカレーターが動いたせいだろう。階段の昇降が自動なので、歩行が早まるということはありうることだ。徒歩での昇降だと、そのテンポの連続で歩くから、スローになるのではないだろうか。
 
 駅ビルの6階に行くときの、エレベータの中でのこと。大阪弁の若い母親がベビーカーに赤ちゃんを乗せて「すんまへん」といって元気よく入ってきた。その後数人乗りドアは閉じた。
 わたしと赤ちゃんと目があったら、機嫌よく手を開いてボクへ働きかけてきた。6カ月ぐらいに見えたので手をタッチするのが自然だが、元気な母親に「やたらに触らないで」といったクレームをつけられるかも知れないと躊躇して、瞬時に変更して人差し指を赤ちゃんの人差し指に触れたら、ご機嫌になった。ご機嫌になった赤ちゃんに気づき、母親は「ほら、おっちゃんにタッチしてもらいな」といった。
 その言葉に続けて母親に向かい合うように立っていた夫を見て「うちのはデブでハゲなんだから」と言った。その言葉に、夫の後ろにいた関係のない若い男性が「おおお~」と声を発した。続けて夫は「いつもこうやって虐げられているんだから」と。それまででわたしは目的の6階で降りた。狭いエレベータでの20秒ぐらいのやり取りだった。大柄で優しそうな夫とスリムで元気な妻とそれに反応した若い男性と赤ちゃんとコミュニケーションを交わしたわたしと、狭い空間での、行きずりながら人間模様がくっきししたひとコマだった。

 東日本の人の多くの人はエレベータに入るときも黙って入るし、周りもベビーカーに配慮するのが一般的だ。大阪の人はどうやら違う文化なのだと、あたらめて思った。そういえば車の運転の仕方とマナーが違うというと聞いたことがある。テレビのバラェティーの大阪弁の人たちは、押し出しとアクの強さはすごいと思っている。地域によって文化があり、人の性向も異なるしそれも良いものだ、とさまざまな人のことが頭をめぐった。
 わたしは乳幼児に関心があるせいか、街や電車などで観察の視線が子どもに行く。子どもから反応が返ってくることが多い。それを母親が歓迎する場合もあるが、わが子がいけないことをしたかと思って、静止することもあるので、やたらにコミュニケーションをふくらめせないようにしている。
 今回の母親は歓迎し、ついでに夫をけなしたので、いささかわたしは驚いた。わたしは気持ちがほぐれたが、夫は大変だなと想像したのだった。今回の赤ちゃんは、ボクとコミュニケーションを求めて指と接触できたので、8カ月ぐらいと思ったのだった。

政党の選挙ポスターから

2011-04-07 20:55:14 | 当世世間事情
いっせい地方選挙で街で見かけるポスターを観察した。

「ムダ全廃」
 財政のムダをあぶりだすために事業仕分けなんてやった。天下り廃止も腰砕けだ。実行できないから引き続きムダに向き合うというのか。それとも09年の成功体験を引きずったままなのか。

「決める。進める。自○党」
 10年選挙では「いちばん」だった。ワンフレーズからさらに進化(?)して、内容のない一言だけ。現政権党とは違う元祖政権党なので、まかせなさいとでもいいたいようだ。

「支えあう日本」
 震災を意識してだが、政党でなくとも巷にあふれている言葉。

「被災者の支援に全力を」
 唯一政党の主張であり、呼びかけ文になっている。どの党もこのぐらいの内容表現を欲しいところだ。

 上から2党までは、震災前に作ったものか。すべてアピール力を意識しフォントはゴジック体である。上から2番目の党のものは、ゴジックでも平体(横に長い)を入れたもので、わたしは主張の強い文字と見ている。



我欲と相互扶助

2011-03-15 21:50:59 | 当世世間事情
 15日の朝日新聞によると、東京都の石○知事が大震災に関して、国民の対応についての感想を問われ、
  日本人のアイデンティティーは我欲。この津波をうまく利用して我欲を一回洗い落
  とす必要がある。やっぱり天罰だと思う。
と答えたという。
 記事では、石○知事は最近日本人の我欲が横行しているとの批判を繰り返し述べている、としている。政府を批判しているとも推察できないこともないが、こともあろうに大震災で当事者の苦難はいくばくか、そして多くの国民と海外の関心が高くお見舞いや支援が寄せられている状況下での発言である。
 我欲とは「他人にかまわず、自己の利益のみを欲する欲望」である。被災当事者は、かつて経験したことのない大災害で、生命の危険と向き合わなければならない困難な状況に耐え忍びながら、相互扶助で避難生活を送っている。
 知事の発言は、我欲とは対極の心情でかろうじて生活を維持している人々への想像力の欠如である。この発言は、大震災に乗じて、知事自らの我欲を表現したのではなかろうか。

 石○知事の発言は、これまでも外国人(とくに中国など)に対する排外主義や人権感覚の欠如など、公的立場にある者として許しがたい発言をたびたび繰り返している。小泉元首相もそうだったが、こういった不見識な発言がキャラクターとしてまかり通るのは許してはいけないのではないか。
 おりしも知事選目前だが、この間の都政は新銀行東京、オリンピック招致運動に巨大な財政支出をし、福祉を弱体化させてきた。それを象徴するのは、出生率の低さ、老人施設の圧倒的不足などである。
 東京都は、10兆円を越えるヨーロッパの中堅国並みの財政規模である。首都であるゆえの豊かな収入を、都民の暮らし向上の政策をとらなければならないのではないか。選挙民でないわたしだが、知的事業の集中している東京都民が、12年間もどうして石原知事にゆだねているのか、疑問は解けないのである。我欲の強い知事に天罰が下りそうもない情勢になってきているのが、わたしのなかの不思議のひとつである。

生垣を切る

2011-01-29 21:25:45 | 当世世間事情
 1軒おいた隣はアメリカ人向けの借家になっている。3年おきぐらいに人が変わるのだが、それぞれ個性的である。ある人は英語教室を無料で開き、次の人はハロインなどの行事をやったりして隣近所と交流しようとしていた。今の人はアジア系のようだが、まったく交流を持たない。
 先日生垣であるカイズカイブキを全て切ったのでびっくりした。大家さんの了解を得たのだろうかと余計なことを考えてしまった。
 ところである本で窓の機能について、欧米では外に開放的にし眺望の機能を主とする。それに対して日本は、見られないように覆うというのである。
 カイズカイブキが目隠しのための生垣だったのが、アメリカ人にとっては眺望をさえぎるうっとうしい障害物に思えたのではないか。
 わたしはどちらかというと窓にレースのカーテンをしないで、外をながめるようにしなければ、うっとうしくて困るスタイルなのだ。

「そのまんま」でいられない東国原

2010-10-01 06:41:13 | 当世世間事情
 テレビタレントから知事に転身した東国原知事は、たしか「しがらみのない政治を」がキャッコピーだった。「そのまんま」というしくみを組み替えよう、という発想を持ち込んだ。何らかの変化を期待されて、当選した。
 タレントという残像を、メデイアや人々がもっているので話題性があり、ニュースにもなることが多い。タレントの残像を利用し、トップセールスとして宮崎の産業の営業の仕事をした。これはキャラクター化した顔と慣れているしゃべりなので、タレントのキャリアが生かされた。知事というのは、本来実務が膨大で地味で重たい仕事なのである。

 ところで口蹄疫の流行という、問題解決と判断力をともなう難題を経験した。これはタレントのキャリアは役立たず、もっぱら法という制度に沿った運用の判断という知事としての真価が問われた。
 宮崎の口蹄疫は3月下旬に水牛で発生したのに、初期対応せずに1カ月後(4月20日公表)に事が大きくなってから、政府・農水省が現場にかかわるようになった。初動は、本来は政府ではなく現地でやるのが筋ではないか。北海道の場合、昨年口蹄疫を経験している(1酪農家で封殺)こともあり、道の判断で早い段階で家畜の受け入れ等の移動を禁止した。
 この時期には農水大臣が大型連休に外遊したため、それを象徴化して政府の対応が問題になった。
 政府としては国益に沿うことが必要なので、国際的に口蹄疫の終息を認知されて、肉の輸出を可能にすることである。そのためには基準に沿って殺処分をたんたんとするのであった。最終局面で農水省の方針に、知事は地域の産業を守るということで民間の種牛処分をめぐって異論を唱えたこともあった。

 さて、29日の宮崎県議会で東国原知事は、次期不出馬を表明した。一知事の動向がメディアの話題になるのは、いまだにニュース性が高いということなのだろう。
 わたしが思うには、東国原は「そのまんま」ではいられない人のようだ。関心が広がるあるいは移り、そのたびに上昇志向をするのである。タレントのようにはっきりつかめない評価よりは、知事という権力もともなった確かな形で上昇願望が満たされた。それは同時に行政という制度のなかで、彼のきらう「しがらみ」も含んでのものである。彼の上昇志向は、郷土で十分満たされたが、公人としての「しがらみ」を同時にともなっていた。
 さらなる上昇は、行動そのものにしがらみのない自由があり、自分で手ごたえの実感できる専門性、あるいは権力を手にしたいのではないか。それは簡単に手に入るものではないが、彼は芸能界という世界に身をおいたせいで、破綻しないぐらい様子見はでき、多少羽目をはずしてもお笑いタレントが頭をもたげゆるされる。機を見るに敏のようだが、世間ってそんなに甘くないとも思うが。そういえば、横浜市長だった中田氏は今どうしているのだろう、とふと連想が浮かんだ。



資源ごみ

2010-08-22 18:24:04 | 当世世間事情
■資源ごみ

 わたしの住んでいる地域の缶、ダンボール、書籍等のいわゆる資源ごみの回収は、水、金である。水曜日は回収量によって、町会にお金が還元されるので、その日にたくさん出す家が多い。
 先日早朝の5時過ぎにウォーキングをしていたら、シニアの人がごみ置き場を回って缶の回収をしていた。自転車の荷台に、普段は見たことないぐらい缶がてんこ盛りになっていた。それは90前後にベトナムのホーチミン市で、自転車が移動と荷運びが中心だった時に見た風景と同じだった。缶は重量がないので工夫によって相当な量を運べるのだ。
 さてそのシニアの人は70代に見えたが、なかなか手馴れていて現金化して収入として位置づけているのか、と想像してみた。都市での暮らしの厳しさを垣間見た感じだった。
 この行為は不正ではあるが、大都市で暮らす場合独自の収入を得ようとすると、このようなことになるのか、と思ったのだ。数万の市や山間地のように、自家製の野菜を作り近所の人と語らうといったゆっくりした暮らしのできる環境ではないからな。

■草刈

 夏雑草が成長するので、草取りをすることが多い。以前から学校の周辺の草が刈り取られるのではなく、枯れていたのが気になっていた。除草剤は使わないはずなのに、それをまいたかのような状況なのだ。
 雑草を枯らすという処理の仕方をどのようにしているか、なぞが解けた。草刈機と同じような形の機械で地面に向けて火を吹きつけて、雑草を枯らす作業をしているのを見たのだ。雑草が点在している場合は刈る作業より、燃やす方が効率的だからなのだろう。虫も死んでしまうな、などと考えたのだった。

キャラが濃いって?

2010-03-28 18:33:43 | 当世世間事情
 高校生のコーラスを聞いた際、受付そばの掲示板に、なごやかな高校生活を垣間見る掲示があった。いまどきの若者が人間をどう見るか面白いと思いメモをしてみた。項目の後に、どうやら教員のようだが(生徒かもしれない)、名前が書かれていた。
*キャラが濃い人
*ボケ担当
*ツッコミ担当
*長生きしそうな人
*いやし系な人
*しっかり者は
*面白い人
*ペットにしたい人
*笑顔がステキな人
 わたしにはキャラが濃い人、とは意味が分からない。個性的で存在感があるということなのだろうか。麻生氏が首相のとき「キャラが立つ」といった発言をしたような記憶がある。その場合目立ちたがり屋ぐらいに解釈した。長生きしそうな人、とはたぶん比喩的表現なのかと推察して面白い言い方と思った。のんびり、マイペースという感じなのかな。高校生が人間を見る切り口の言葉として興味深かった。

 ところで、わたしは10年ぐらい前「かわいい」といわれた時、そのニュアンスをおおよそ知っていながらも「子どもじゃないんだけどな・・・」といったものだった。今じゃカワイイという言葉は、日本が発信するコンテンツ産業にもなって欧米から関心が高くなっている。
 それから「いやし系」といわれて「うん、いやらし系だって」と冗談で返したたら、あわてて「いや、いやし系で、いい意味ですよ」と、返ってきた。
 高校生の掲示を見て、言葉は生きていて変化するし、それがゆえにジェネレーションギャップのやり取りを、思い出したのだった。

保険で禁煙治療

2010-03-06 21:46:24 | 当世世間事情
■保険で禁煙治療

 ある病院に「保険で禁煙治療」とあった。喫煙は、ニコチン依存でいくつかのガンの直接の原因になっている。禁煙治療に保険で受診可能とのことだから、病気ということである。掲示板には治療過程の概略があり、禁煙完了者が81%とのこと。治療効果が高い方ではないだろうか。

■大学の広告
 定員割れの大学が増加傾向にあることもあってか、数年前から大学の広告が新聞電車等に多くなっている。ラジオでCMを流している大学もある。
 1月には愛知県の電車の車内広告に、東北地域の国立大学の工学部広告があったので驚いた。工学部が学募低調なので、工学単科大学が大学名から工業をとった大学名に変えて文系学部も設置した大学がわたしの知っている限りでも、東京と愛知にある。工学部が定員割れで減員している大学もあると聞く。