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絵本と児童文学

絵本と児童文学、子ども、保育、サッカーなどの情報を発信する

自分党の権力が第一

2012-07-10 09:49:07 | 生活・教育・文化・社会
 所属する与党の方針の採決に不同意で離党する、政党という組織では当然彼らを除籍にする。その行動のリーダー小沢は、というより親分と言ったほうがふさわしい。その小沢グループは自らを本家民主党であるという。その証であろうか民主党が政権交代した際のキャッチコピー「国民の生活が第一」を離党に際して持っていってしまった。のれんわけではない、目玉商品をそっくり持ち逃げしたようなものだ。
 このキャッチコピー作成に小沢が深くかかわった、あるいはその意味するものを堅持したいというだろう。しかしこれは公党のキャッチコピーであり、小沢のものではないはずだ。それを持って袂を分かつということは、公党という組織の上に自分をおくという、党の私物化であり傲慢の何者でもない。それを正義かのように思い込んでいるとことに、日本社会のモラルハザードの一端を永田町に見る思いだ。
 小沢は今のところ「消費増税反対」「脱原発」を掲げている。長年そのような政策を掲げてきている社民党、共産党は、どんな思いだろう。今のところあたかもリベラル勢力かのように動いている小沢に、にわかにそんなことを言われたくないと思いではないだろうか。

 小沢は93年に自民党を離党してから、20年間で新党を作っては壊して、今度は4度目である。その意味するところは、なんなのだろう。「永田町の歩き方」を熟知している小沢は、権力を握りそれを私的所有にすることだったのではないか。
 政権をとった時の選挙は、幹事長の立場から候補者選びと党の選挙資金配分をし、当選した議員を自分の影響下に置いた。政権をとったときは、陳情を幹事長室に集中させた。
「国民の生活が第一」というのは、国民を向いているかのように装いながら選挙のための方便ではないか。国民のためというたびに、誰に向かっていっているのか、国民を愚弄しているのではないかとも聞えてくるのだ。
 政治家としての小沢の足跡は、権力闘争と選挙と数的優位を作るためにどの党ともでも連携するということだ。オリーブの党のようにというのは、「小沢党」には言われたくないものだ。

 なお、わたしは現政権の3党合意で進めている政策に賛成というわけではない。ねじれ国会運営の困難は、与党の暴走を抑制するというより、法案が通らないあるいは野党の政策を取り入れ骨抜きになるという、国会の渋滞情況を作っている
 6年間国民の審判を仰がない政治家である参議院によって、法案が決まるという国会の制度の問題が何とかならないものか。
 1昨年9月のねじれ国会以来、口を開けば「解散総選挙」という政局を持ち出す自公にも、震災と原発という国家として重大事にどう立ち向かうのかを伝えて欲しいものだ。


ハグの普及

2012-07-01 21:03:00 | 生活・教育・文化・社会
 サッカーの国際試合では、得点をしたときチームメイトと抱き合って喜びあうことが頻繁に見られる。その抱き合う、ハグ(hug)をすることが、日常生活でも出会いや喜びの際、若い女性を中心に普及している。もともと日本人は、幼い子どもの抱っこはするが、大人同士では性愛行動以外の身体の接触は慎む文化だったことからすると、画期的変化である。

 世界中の民族は、それぞれの挨拶の言葉やしぐさは様々である。世界標準になっている握手以外でも、出会いの際体の接触をする挨拶が多い。仏教国であるタイやカンボジア等は、合掌をかわす。この文化は少数であるが、日本のお辞儀の挨拶は出会いに隔たり保つという意味で似ている。

 ところで日本は、人と出会うとお辞儀をして挨拶言葉を交わすのが標準的しぐさだった。しかしお辞儀というのは、出会いなのにアイコンタクトを交わさない隔たりを示すしぐさなのである。もともとそれぞれの立場、さては年齢も含んだ序列を重んじる文化がお辞儀というししぐさをつくったのだろう。相手に対して卑下、謙譲、あるいは謙虚な心を持ち、敬意を表す必要のある人が、一瞬早くお辞儀をする文化なのだ。
 ところがそのようなデリケートな人間関係は、かつての村落共同体のようなお互いを知っているところでしか通じない。このような文化は、固定された人間関係でない今日では成り立ちにくい。
 濃密な人間関係で仕事をいる職場以外は、仕事で協同して立場と役割で振舞うものだ。そんなわけで日常生活では、丁寧なお辞儀をともなう挨拶は廃れている。
 それに代わってフラットな人間関係親しみの表現は、手を振る、アイコンタクトをともなって声を交わすことが多くなってきている。このほうが出会いのコミュニケーションとしては自然である。そして、親しみと喜びを表現する出会いでは、ハグをするハイタッチをするといったボデイコンタクトが増えている。

 さて、ハグはいつ頃から日常生活でおこなわれるようになったのだろうか。わたしの観察によれば、98年のサッカーのフランスW杯頃からである。その年の夏休み明けのキャンパスで、久しぶりに会った女子学生同士がハグをしていたのを観察した。サッカー選手の喜びの表現が日常生活にも普及していくのでは、とその瞬間を記憶にとどめたのだった。
 スポーツ選手のボデェイコンタクトは、ハグがサッカー選手で、野球は握手の簡略化と思われるハイタッチやグーの形の手を触れ合う。そのスポーツの文化性が表れているものだ。
 かくてお辞儀はかしこまった挨拶、儀式的所作や謝罪のしぐさ、あるいは「おもてなし」に微笑みとともに表現されるように継承されている。しかしハグがさらに一般化されるまでには10年以上の年月がかかると思うが、いかがなものだろうか。しかもハグが挨拶代わりになるのは考えにくい、と思っている。

旭山動物園の人気と展示法

2012-05-21 15:34:56 | 生活・教育・文化・社会
 北海道旭川市の旭山動物園は、さびれて廃園を検討されながらも、内容の改革を通して再生させ、観客数が上野動物園とトップを争うぐらいを維持している。地方都市の平凡な動物園だったのが、現在は北海道観光コースになり、リピータも多いという。そのことは、映画あるいは時折テレビ番組で、多くの人の知るところとなっている。
 そのように改革をすすめたリーダーは、09年3月をもって退職した前園長であった。その退職のことはNHKの朝のニュースである「おはよう日本」で退職の日に紹介された。
 番組では当時の取り組みとして、カナダのオオカミと隣にヤギ(角のある外国のもの)を飼育していることを紹介していた。わたしはその企画に、当時話題になっていた『あらしのよるに』(木村裕一作、あべ弘士絵)の絵本を連想してしたのだった。

 わたしはその時の情報ぐらいで、他の映像は見ていない。いささか時間がたちすぎているが、06年に見た体験をもとに旭山動物園の魅力を作り出しているものは何かを、検討をしてみることにする。

 入園の体験から
 あれは8月下旬だった。園内の呼び出し放送は、秋田県、大阪市といった地名が耳に入ったので、全国から来園していることを実感した。地元は2学期が始まっているのだから、入園している子どもは道外からなのだろう。人気のアザラシ館は、立ち止まらないで進まなければならないほど込んでいた。
 当時は休憩所や売店などは、未整備と思われるぐらいシンプルであった。机椅子がありきたりに配置されており、食事や土産グッズも印象に残るほどはなかった。ところが案内表示と自販機は、元飼育員で絵本作家である、あべ弘士氏の個性的なレタリングと絵が施されていた。そういったことがむしろ過剰な商業主義に陥っていなく、動物が主役であると言ったメッセージとも受け止められ、好感を持ったのだった。しかし現在は変化しているのではないか、と想像している。

 動物展示の工夫
 動物園のコンセプトを「行動展示」としている。その動物の能力と習性を理解しやすいように、あるいは普段の姿をありのまま見られるような条件をつくっている。
 具体的には立地地が起伏にとんでいることを利用し、一つの動物を上からと半ばぐらいと同じ位置あるいは下から見られるようにしている。
 キリンの場合は、頭よりも少し高い位置からだと草を食むのが、半ばだからだと首が、地面だと写真や図鑑で見られるような体全体と長い首が印象に残る。草食動物なので草を食むことが多いので、上からの位置でその姿を十分に見られる。
 肉食動物であるライオンは、餌を食う姿はほとんど見られないばかりか動いているところさえ余り見られないものだ。しかし比較的広い起伏に富んだ飼育小屋であり、上から半ばから下からといった見る位置の違いがあるため、数頭のライオンの様々な姿が見られる。
 ホッキョクグマ(白熊)は、水に飛び込む、泳ぐ、岩でくつろぐといった様々な姿が見られる。
 このように見る高さの位置を変えることによって、動物を多面的に見られるようしてその動物の行動の特徴を理解しやすくし、興味がふくらみ楽しくもなる。

 さらにもっとも人気のあるゴマフアザラシは、異なる位置から見られるだけでなく、巨大な円柱の水槽で飼育されているため、水面から下へもぐるように泳ぐことを繰り返す。海獣は水中で常に泳ぐという習性を、あたかもデフォルメして提示しているかのようでもある。ゴマフアザラシを見た多くの人は、その行動の力強くもあり愛らしくもあると感じるだろう。これはゴマフアザラシの習性を理解して、それをしっかり提供しようということであり、動物のよき理解者が増えていくことにつながるだろう。
 このゴマフアザラシ館の水槽を見る場合は、大勢の人が一度に見られるようにするため、3つの階段式にして3列が滞らないで通過するようにしている。この見方は上野の美術館に「モナリザ」が展示された時、来館者が多すぎるのでとった方式と同である。
 ペンギンの展示の仕方も、地面で見る時は、まるで話しかけられるぐらい近くで見られるし、水中では泳ぎにスピードがあるので躍動感を感じさせてくれる。

 オラウータンは、自然界では木枝から枝へと高いところを行動する。その行動を見られるように、電柱のような柱の16メートルの高さに20メートルぐらいの距離にロープを渡し、そこを移動させる。そのために時間を決めて餌を与え、高いロープを移動すると餌にありつけるようにしている。見る者にとっては、オラウータンのエキサイティングな行動を見ることになる。これは調教したではなく、行動習性をしっかり伝えることである。

 動物の理解が深まる
 このように見てくると、展示の工夫によってそれぞれの動物の習性や特徴をはっきりと提供できるということである。その工夫は、動物を大事にすることであり動物行動学などの学問の知見をふまえなければならないだろう。飼育を人為的過ぎずにならずに動物を正しく伝えることと、娯楽性との程よい調和が必要なことである。
 わたしが気づいたことは動物の行動を見せようとする場合、飼育小屋の作り方と見せる位置のほかに、食性つまり草食性、肉食性、雑食性、腐食性の違いも加味しなければならないということだ。
 ライオンの場合は、広大な土地で飼育しているサファリーパークなどと異なり動物園では、余り動かないし餌を頻繁に与えてはいけないのを、どのように見せるかである。ライオンだけではなく肉食性の動物の行動を提供するのは難しいし、見る側も頻繁な行動を求めてはいけないだろう。
 また、動物園での哺乳類である海獣の位置づけが水族館と違って重要となる。水中では常に動くので調教ではない自然な姿を提供できるので、動物園全体の中で位置づけを考えると、動物園の行動展示に寄与すると思われる。
 旭山動物園は、調教で芸を身につけたのではない自然な姿に明確に着眼できるよう提供してくれるので、また行きたくなる。ねそべって眠そうにしていたライオンは、今度はどのような姿をしているだろうか、といった興味が継続する。それは見たことのある動物の芸を見るのではない、動物の行動そのものへの関心なのである。


水族館のおもしろさと可能性

2012-05-19 20:19:38 | 生活・教育・文化・社会
 スカイツリー開業前にしての助走から、メディアの報道は過熱気味の感がある。大震災・原発事故という巨大な負を抱えている現在、高さ世界1位の電波塔ということで、誇りと確信を取り戻したいというかのようだ。
 この電波塔は、634メートルの高い塔であるだけでなくレクレーション施設として様々なものを用意している。そのひとつに併設される「すみだ水族館」がある。ここには、小笠原諸島の海などをイメージした400種1万点(アオウミガメ、マゼランペンギン47羽も)を飼育展示されるという。

 ところで各地にある水族館のなかで最高の入場者数は、4月26日(木)NHK放送の「仕事ハッケンデン」によると、沖縄美ら海水族館の270万人とのことである。この水族館のテーマは「海を見せる」ということだ。展示する魚を職員自ら魚をするとのことだが、番組では深海魚の展示水槽に関心を高めたいということで観客にクイズを提供する試みをしていた。深海魚は動きが少ないので、魚について深く理解しようとする人でなければ関心は向きづらい。

 水族館といえばわたしが最近訪れた「八景島シーパラダイス」(神奈川県横須賀市)は、東日本の水族館ではめずらしいジンベイザメの飼育を去年から始めて、イルカショーなどをやる巨大なプールを泳ぐまでになっていた。この水族館は室内の巨大な水槽を上からと横からも、さらに水槽の下のトンネルを潜り抜けるように、つまり天井を魚が泳いでいるのを下から見られるのだ。
 その空間を夜になると、女性限定としてリクライニングシートでくつろいで、一晩をおくれるように05年からしている。それが最近では予約待ちぐらいの盛況ということである。この展示空間は海の中にいるようにも思えるのだが、魚類は常に泳ぐものなので動きを見られ、観賞用の魚を見ているようにも思える。いわば「癒し」の空間と時間を提供が、人気を呼んでいるのだろう。

 かつて水族館は、本の図鑑の現物を見られるところという傾向が強かった。水槽の魚の横に分類や生息地など説明が詳しく書いてあった。今ではオットセイやイルカといった海獣(哺乳類)の芸が関心を呼ぶようになっている。
 さらに調教による芸でなくとも、ペンギンやアザラシやラッコなどの、行動の面白さにも関心を持つのだ。
 水族館の魚と多くの海獣は、水中では常に動くという習性を持っている。その動きを、見る側は求め、その魚や海獣の特徴などの理解につながり、楽しませてくれる。家庭で金魚や鯉などを観賞用に飼育するのも、常に泳いでいる姿や色合いが、心地よい刺激になるからではないだろうか。
 そのことからすると、巨大水槽を見る空間を広くしてベンチを設けたりして、くつろげるようにするのも一考に値するのではないだろうか。
 水族館は魚や海獣の泳いで動くという性質のものを集めているので、人気のある旭山動物園が掲げた「行動展示」そのものであり、見る空間の工夫によってこれからも可能性のあるテーマパークであり続けるのではなかろうか。



それでも前に-震災で母親を失った子ども

2012-05-07 10:15:03 | 生活・教育・文化・社会
 NHKスペシャルのドキュメンタリー「震災を生きる子どもたち-ガレキの町の小さな一歩」をみる。
 岩手県大槌町の小6年である、八幡千代さんの家庭の暮らしと学校生活のほぼ1年という長期にわたってのドキュメンタリーである。
 明るく屈託なく振舞いながらも、行方不明の母親の帰りを待ちながら過ごす。父親は母親喪失に対するわが子への配慮をしながらともに暮らす。
 学校ではどの子も何らかの被災をしており、その重たい思いを担任の岩崎先生一人では到底受け止め切れない大きさと複雑さである。先生は「泣き虫先生」になりながらも前に進む。その姿は、ベテランならではの子どもへの強い思いやりと誠実さの現われでもある。
 3カ月後、3キロほど離れたところで母親の遺体が見つかる。それを父親は転機と捉え、それまで配慮のため思い出の家族写真も見せなかったのを見せて、遺骨を前に千代さんとともに母親を弔う。親を亡くしたことの自覚をもとに心新たに生活になる。
 父親が教育関係の仕事だけに、わが子への十分な配慮を施している。父親は妻をなくした無念や悲しみの気持ちをわが子へでも表してしまうものだが、それは描かれていない。実際父親はあらわさないようにしていたのだろう。

 家庭だけでなく学校も含めた長期間の取材であり、相当な時間フィルムを回したはずである。
 それを50分の作品にするためには、膨大な取材フィルムをディレクター中心に編集して完成させる。事実に沿わないことはないだろうが、あくまでも作品である。わたしはこの作品は、ある部分を美化したり感情を肥大させずに抑制的によく作くられていたと思う。父親の情感や感性に共感を寄せているように思えた。
 小学校の卒業式でドキュメンタリーは終わるが、中1になった千代さんは今どうしているかな、と想像したくなる。
 わたしが見るには、千代さんは今後とも前に進んで生きていくだろう。明るい性格で、はつらつとしている。額を出したヘアースタイルがそれを示している。額をくっきり出すのは、自分を明示的に表現する象徴的なものなのだ。無理をして明るく振舞っているのではなく、陰をつくらない暮らしをしているのだ。それには父親の力も大きいだろう。

 千代さんに関してのドキュメンタリーは、たしか去年もドキュメンタリーとして放送されたのを見た記憶がある。その時は学校生活の部分がなかった。わたちの記憶が他の作品と混同しているかもしれないが、祖母との暮らしだったような気がする。
 とにかく千代さんは、ドキュメンタリー作品の「絵」になる子どもでもあると見ている。

ぎんさんの四姉妹

2012-02-20 17:33:17 | 生活・教育・文化・社会
 TVの番組案内で「徹子の部屋」は、ぎんさんの四姉妹がゲストであることが目にとまった。最近のある番組で、四姉妹の生活ぶりを短時間放送したのを見たので、興味を持っていた。
 四姉妹は、長女が97歳で、93歳、90歳、88歳である。みんな元気で、しぐさがてきぱきとしていて、軽快にしゃべり、笑顔が絶えない。長女と次女が同居しているとのことで、テンポの速い会話には感心した。
 四女の88歳は、60歳で免許を取り、今も車の運転をする。週1度ぐらいは4人で買い物に行くという。買い物の様子もてきぱきとしていた。また、月1回岐阜県の「お薬師さん」へのお参りに4人そろって行くという(2時間とのこと)。
 当日は新幹線で上京したこともあってか、高揚しているようにも見えた。それにテレビに出る自体が人生の重大事でもある。黒柳のインタビューへの受け答えの反応が早く、この年齢としてはあまり例がないと思えるぐらい、適格な反応だった。
 四姉妹とも庶民の暮らしをしているのだろうし、それを安定し営んできたことは誰にでもできることではない。生活の実務力をそなえてまめに暮らしているようであり、庶民の教養が備わった人たちなのだと思ったものだ。新聞とテレビから情報を得て生活を営むことを中心とした昭和時代(あるいは20紀型)の教養と言ってもよいものだ。それは今日も必要であり、若い世代にも受け継がれる部分が多く含まれていると考えるのである。
 それにしてもきんさんぎんさが百歳になってから話題になった双子の姉妹であり、その娘四姉妹も長寿で活気のある生活をしているとは、まれなケースである。
 わたしはきんさんぎんさんの時とは違った意味で親しみを感じ、見ていて活性化されながらかつ穏やかな気持ちになった。それは四姉妹が、高齢でありながら交流し続ける生活者であること、暮らしの断面である映像の情報が多いせいもありそうだ。また自分の加齢のせいもあるかもしれない。
 高齢の知識人といわれている人の本よりも、わたしは共感を覚えて励まされる思いになったのだった。

地域の暮らしと食文化を考えさせられる

2012-02-12 17:02:38 | 生活・教育・文化・社会
 NHK金曜日20時からの「キッチンが走る」は、10日の放送は信州・諏訪地域だった。
 この番組は、キッチンのワゴン車が各地を訪ねて、地元の食材を現地調達して案内役の杉浦太陽(俳優)に同行するある分野の調理人が、創作料理をつくる。その調理を、食材を提供してもらった人たちを招いて「お披露目会」をし、みんなで食するのである。

 諏訪地域を訪ねたのは、和食の調理人だった。
 諏訪湖は、寒さのためめずらしく湖面が凍っていた。ワカサギ漁をする漁師と出会い、その提供を受ける。次に代々続く味噌作り工場の夫妻と娘から、3年物と1年物を。続いてこの地域の寒さと乾燥の気候を利用してつくる寒天を、父と息子から。そして高齢女性の手作りの凍り餅だ。凍り餅も寒さと乾燥を利用してつくり、昔から伝わる自家製のお菓子である。
 女性は凍り餅について、母親の思いと自分の子どもの頃の暮らしを語る。その語りに調理人は涙する。調理人の仕事の思いは、食する人の笑顔がうれしいということだ。職業人としては技などを誇ると思われがちだが、調理人の原点は食する人のために、ということである。だから凍り餅についての語りに、涙が出来たのだろう。その涙は、女性への共感と凍り餅への愛着に対する敬意でもあると思えた。
 食材を提供した諏訪地方の人々は、どの人も食材について豊富な語彙で語り、その言葉には力があった。気候風土の中ではぐくまれた食材に対する思いの強さが、伝わって来た。脈絡と続いている食材と暮らしは、食文化というにふさわしいと感じたのだった。

 この番組のほとんどの地域では、食材を煮る、焼く、あげるといった熱を加えて、いわば食材そのものを味わう。番組ではその食材と食文化を生かしつつ、調理人によって食材に調理という新しい価値を加える。それは奇をてらうことなく、食文化をふまえつつ地元の人に食材のよさを発見してもらう。地域の食と暮らしを尊重しつつ提案をするというのが、番組のコンセプトのようだ。今日、とかく失われがちな伝統と地域性を、食文化に着眼して見直すという、教養番組でもあるのだ。

 この番組を調理に関心を持ってみるのもよいが、わたしは食材提供を求める過程に興味を持つ。その地域の昔からの食と人々の暮しを、地場産業や漁や畑を作る市井の人を通して知ることが出来る。

 この番組制作は、企画や取材やロケ等にそうとう力(財政、スタッフ等)が入っているのでは、と想像している。食材提供する人は偶然そうに編集しているが、あらかじめコンタクトとっているだろうし、調理も一晩だけで考えるのは難しいのではないだろうか。よく練られた企画があればこそ状況に対応できる、というものだ。NHKならではの番組の質を大事にするつくりであり、深い楽しみを与えてくれる。案内人杉浦太陽は、明るくさわやかでうってつけだ。

南相馬市は原発交付金辞退

2011-08-06 06:50:55 | 生活・教育・文化・社会
 4日の朝日新聞報道の報道によると、南相馬市は、南相馬市と浪江町の境に東北電力が21年運転開始で計画をすめていることに伴う電源三法交付金の「初期対策交付金」を辞退することにした。これまで86年から交付金を受け、昨年度5千万円で、累計5億円にのぼる。
 桜井市長は、震災と原発にともなう住民の生活困難を発信し続けて、外部からの支援をもとめ被災地住民の救済にリーダーシップを発揮してきている。

 交付金辞退は、原発の設置を認めないということであり、首長の明確な態度表明としては、今後の政府の原子力行政に影響を及ぼすことになるだろう。
 なお、福島第1原発にともなう近隣自治体として、これまで5500万の交付金を受けている。これについては、市長は交付金を受けていないとテレビで発言していたと、わたしは記憶していた。立地自治体より小額である、ということを意味していたのかもしれない。南相馬市の今年と一般会計予算は約277億円とのこと。

 原発立地自治体は、交付金を当てにして財政をまかなっている。その額が多額なだけに原発設置容認あるいは誘致をすることが多い。自治体財政が原発依存から逃れられないようにしながら、原発建設を推進してきたのである。
 浜岡原発停止の提案の際は、市長がすぐに停止反対を表明した。市財政の42%を交付金が占めているからだ。

 原発設置自治体の財政の、交付金の占める割合は次のようである。(7月9日・土 日本テレビ系「ウィーク」による。 財政の交付金の割合が高い上位6自治体のみ)
 女川町  (宮城県) 64.7% (財政総額130億円)
 東海村 (茨城県) 62.9%
 六ヶ所村(青森県) 62.1%
 高浜町 (福井県) 55、4%
 泊村  (北海道) 53.9%
 玄海町 (佐賀県) 53.2% (財政総額125億円)

 なお、原発設置の初期から受け入れている東海村(茨城県)は、村長が脱原発を表明している。福島知事、新潟知事は再稼動を認めないことを表明している。

*電源三法の交付金の国の10年度予算は、1097億円。内初期対策交付金は55億円。

ドキュメンタリー 飯舘村のある地域の人々

2011-07-24 06:23:57 | 生活・教育・文化・社会
 23日のNHKスペシャルの「 飯舘村-人間と放射能の記録」は、原発事故によって日常を奪われ土地を追われる、過酷な人生を強いられている人々についてであった。
 放射線量が多く、遅れて計画避難区域となったため、避難までの時間経過とともに不条理にほんろうされなければならない人々の、無念な思いで生活を放棄せざるを得ない、ある地域のドキュメンタリーだ。

 肉牛の繁殖をしている酪農家は、30年かけて質の高いメス牛を育てたのだが、全ての牛を手放し廃業をせざるを得ない。「 飯舘牛」というブランドをも作ってきた、仕事に対する誇りとその確信を持って生きている証を、失うことでもある。
 種牛である「恵姫」が輸送トラックに乗ろうとしない、乗って搬送されていく手塩にかけて育て上げた牛を見送る酪農家のつらさは計り知れない。東電の見通しを示せない説明におもんぱかって廃業を決断し、10年以上も戻れないのではないかと推測する。それは彼の人生を棄てさせられることだった。

 4世代7人家族は、高い線量の危険性を回避するため若い家族は避難して、超高齢の祖母と高齢夫婦が家に残ることにした。
 山菜取りなど、豊かな自然とともにあった生活が出来なくなった。線量が高く外に出ない暮らしをしていた子ども兄弟が、最後の犬の散歩をした。清流の小川で魚を取ったことを思い出す。自然の中での普通の生活と文化ガが奪われる。
 自宅に残った3人だが、避難で地域の人がいなくなるので生活が成り立ちにくくなり、住み慣れた自宅を後にする。何代も継承されてきた暮らしを棄てさせられる。

 農業の後継に意欲的な若者と家族は、息子に農業に見切りをつけなければならない、と母親がうながす。
 農閑期に原発で仕事をしていて、事故後消防団活動をしたからか、体内被曝線量を計ったら、2200ミリシーベルトだった。この数値は確率的影響ではなく、確定的影響をも及ぼす数値だ。若いだけにこれからの健康被害が心配である。
 彼の農業を辞めての仕事は、東電の広野火力発電所の関連会社の勤務だった。東電関係の仕事という割り切れない気持だが、生活のために受け入れる人間としての葛藤を抱きながら気持ちの重たい生活になるだろう。

 その地域の区長は住民の世話を終えて、最後に地域を離れる。不本意だろうが、自らの任務を無償でやり終える。その姿勢は人間として尊敬できるが、仕事の内容およそ誇りを持てるものではなく、次の生活の力になるものではなかった。地区のみんなを見届けて家を去る。

 恒例の春の豊作祈願に神社での集いには、70%の人が集まった。みんなが最後の集まりだと思い、無形の地域の文化と人々のつながりと暮らしを失うことへの、やりきれなさを確認する集いになった。

 ドキュメンタリーは、ナレーションを少なくし抑制的に描き出していた。しかし4家族で登場した人たちの言葉と映像は、生活を棄てさせることはむごさを、心の深いところへ沈殿させるぐらい雄弁に語っていた。
 最後に村を離れる区長の言葉である「さみしい、情けない、耐えられない」という言葉は、原発事故が人間の生存と誇りを奪うこととして重いものだった。

 原発は、いったん事故が起きたら地域の人々の人生を台無し、数十年にわたって住民の健康不安に陥れる。安全性の確立していない技術で、効率性と経済性でこのまま突き進むことの危険性を、今回の事故は白日の下にさらした。
 原発を推進してきた政府、財界、研究者、メディア、電力会社という「原発帝国主義」の犯した罪は、あまりにも大きい。

日本男児?

2011-07-17 22:20:39 | 生活・教育・文化・社会
 長友がインテル(セリアA)の所属になってから、インテルの試合を見るようにしている。インテルは世界選抜のクラブという人もいるぐらい、サッカーの強い国のトップクラスの選手を集めている。そのクラブで、日本の選手がどの程度やれているのかに関心があるから、見ている。チームの先発選手として定着し、来シーズンも期待されている。長友は得点したとき、お辞儀のパフォーマンスをして、日本をアピールしている。

 さて、若い長友が自叙伝として『日本男児』(ポプラ社)を出版し、これが売れている。新聞によると、先週は売り上げ2位、今週は5位にランキングされている。
 長友は日本代表の若手の選手(岡崎慎司・シュツッガルト、内田篤人・シャルケ)とともに東日本大震災のACの広告に出ていて、震災後2カ月あまりは頻繁に放送されていて、小中学生にはかなり定着しているとも聞いている。

 ところでわたしは、「日本男児」という書名が気になっていた。日本男児という言葉は、国民総動員体制になってから、出征兵士を送り出す際歌われた軍歌(戦時歌謡)である「出征兵士を送る歌」で、「いざ征け つわもの 日本男児」というふフレーズが繰り返されるのだ。
 日本男児という言葉は、戦時下にあって「国と家族は俺が守る」であり、出兵する勇ましい男の姿をイメージされたものである。国民学校(昭16年)になってからは、学校教育にもこの言葉が使われるようになり、軍国主義一色の際のキーワードであった。

 長友は、そのような歴史的な言葉であるということは知らないだろう。タイトルは編集者がつけただろうし、文章も本人が書いたかどうか分からない。一般的にはこの種の本は、ゴーストライターがインタビューをして書く場合が多い。
 今日の新聞広告によると、『日本男児』の読後感のコンクールをするという。更なる話題づくりで売り上げを伸ばそうという戦略である。現在のメディアや出版事情からすると、なかなかの企画である。

 出版したポプラ社は、絵本を中心にした地味な出版社だったが、社長が代わってから児童書に限定しないで、しかもメディアが話題づくりをしてくれるものを出版するという路線をとっている。それが成功して、これまでもヒット書籍を出している。書籍もCDのように売り上げを競い合う時代で、出版社も売れるものをいかにプロジュースするかを重視する傾向にある。
 わたしはこの本を読むつもりはないので、内容の書評は出来ない。長友の逆境を根性で乗り切るようなスタイルが、震災後の日本のこころに共感するところがあるのだろう。しかし、若者に偏狭なナショナリズムのようなものと結びつかないかという心配をするが、わたしの徒労に終わればよいが。マンガのコンセプトといわれている努力、友情、勝利という内容かもしれない。

 なお、サッカー日本代表の長谷部誠(ドイツ・ヴォルフスブルク)の『心を整える』は、先週が1位で今週が2位にランキングされており、これはロングセラーである。
 人生を語る世代でない人の人生論の企画がヒットする時代って、どんな時代なのだろう。
以前に漫才(お笑い芸人)の麒麟・田村裕の書いた『ホームレス中学生』は、200万部売れた。したがって印税は2億円。わたしの世代感覚からしたら、本という意味が変わってきているのかもしれない。また売れている本に映し出されている現代とはどんな時代なのだろう。