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絵本と児童文学

絵本と児童文学、子ども、保育、サッカーなどの情報を発信する

雪峠を越えてとつぐ-にっぽん紀行

2013-02-12 17:09:06 | 生活・教育・文化・社会
 NHKの「にっぽん紀行」は、地方局が制作した番組を、祭日に全国に放送される。その地方の文化的特徴を強く持っている、暮らしのドキュメンタリーである。
 その地にとって日常的なことであっても、他の地域にとってはめずらしいことである。わたしはこの番組を、いつも興味深く見ている。

 11日は「私はとつぐ雪峠を越えて」であった。秋田南部の昔ながらの結婚の催しで、雪道を馬車で数時間かけて嫁ぐ、という内容だった。馬車の用意だけでなく、大勢の人が雪かきをして道をつける、到着地で餅をまくなど、地域挙げての一大イベントだ。
 無形文化財として保存してもよいようなことが、現実に成り立っていることに驚きをもった。親がこれに力を注ぐこと、地域の大勢がそれを支える。昔ながらの農村共同体が現在にも継承されているのだ。
 当人はおそらく結婚が2人だけでなく家族そして地域の人に見守られているという、その共同体に暮らしていることを強く意識する機会になるだろう。現在強調されている強い絆で結ばれる、ということだ。
 冠婚葬祭は地方の文化を色濃く反映したものだが、それが戦後近代化とともに社会化・商品化されてきた。ドキュメンタリーのような結婚の催し文化は消滅したと思っていたので、めずらしかった。

 わたしはこれまで、個人の自立と自由という発想で、家制度的色彩や紐帯関係をつくる農村共同体的結婚の催しに象徴されるような文化に対して、否定的に生きてきた。現在も都市住宅地暮らしなので、隣近所の人の苗字と顔がわかり、かろうじて挨拶を交わす関係である。
 ドキュメンタリーを通して、そのようなことが頭をめぐり、地方の貴重な文化の作品として見たのだった。
 また、この種の作品は暮らしを綴ることなので、あらかじめ企画があっても、たくさん撮影してそれを物語にするための編集に相当力を注がなければならないのだろう、といったことも考えたのだった。

*60年代ぐらいから都市化核家族化の浪にあらわれ、地方では学校の統廃合、高齢者の比率の増大、さては限界集落という状況が広がった。
 都市でも一人暮らし孤独死が増えている。12日の新聞には、一人で死亡した人の遺品の引き取り手がないあるいはその扱いに行政が困惑しているとのことだ。(19日追記)

PC遠隔操作事件

2013-02-11 17:42:14 | 生活・教育・文化・社会
 4人の誤認逮捕を出した遠隔操作による脅迫メール事件は、犯罪の質という点では日本の犯罪史に残ることになるだろう。犯人逮捕にようやくたどり着いた。今度は誤認ではないだろうと思いつつも、本人は今のところ否認している。
 PCのは技術を駆使しているが、犯罪を秘匿せずに捜査に挑戦するあるいはもてあそぶように小出しに捜査の手がかりを披瀝した。この間の犯人は、自己の優位性と世間の関心を呼ぶという、犯罪の目的の達成感と高揚感だったのではないだろうか。
 しかしその達成感と高揚感の自己確認はできたが、決して生活の平穏さや希望のそれではなかったのではないだろうか。
 わたしは犯人を憎むというより、悲しい気持ちで逮捕のニュースに接している。そして今後の展開にも関心をもつだろう。とすると誤認逮捕の4人への思いやりがないようだが、拘留期間の苦痛と社会的ダメージには同情するにあまりある。しかし、残念なことに誤認逮捕した警察庁の力のなさと取調べの乱暴さを思うのだ。

 犯人の、いわゆる足のつくようなことをして逮捕されるに至ったことに対して「自己顕示欲」「過信」「劇場型犯罪」などのこれまでの言葉でコメントされている。
 わたしは犯人をアスペルガー症候群という発達障害ではないか、ととらえてみている。高機能自閉障害ともいわれ、一般的には知的には問題がなく興味・関心が狭く社会性・コミュニケーションに難点がある人、といわれている。とすると犯罪への執着と注いだエネルギーはそうとうなもので、それを秘匿したいという気持ちと、一方には自分のその力を知らしめ誇りたいという心理状態と思われる。平凡に言うと「逃げるけどつかまりたい」という人間に往々にしてある「アンビバレンス」の状態ではないだろうか。アンビバレンス、つまり相反する心理を同時に持つということである。

 子どもの教育では自閉症、学習障害(LD)、注意欠陥・多動性障害(ADHD)という診断され、その障害の課題にあった教育もおこなわれている。
 近年は大人の発達障害について明らかになってきている。この分野に多くの人が接近しようと思えば、Eテレ20時からの「ハートネットTV」で時折扱っているので、可能である。
 発達障害については、ニュースや情報番組でもやるが、最近のニュースで「デイスレクシァ」ということを知った。諸能力に問題がないが、漢字を書くことができない、ということだ。成人してかなりの年齢になってから、PCによって漢字表記をしてその障害を補い、仕事や社会生活の困難を克服し、人生が大きく変わったとのことだった。

 アスペルガー症候群とみることによって、事件の解決に進展をしたりするわけではない。わたしはこの分野の専門門家ではないが、今後報道される可能性のある彼の生い立ちや学校生活をおおよそ想像するからだ。おそらく本人としてはつらい過去があったのではないだろうか。わたしは人間の理解としてそこに関心を持っているだけである。
 わたしの見立てが事件の解釈が容易になるわけではなく、むしろアスペルガー症候群を抱えている人への、偏見や差別を助長になることを恐れている。あくまでも彼の生活史に関心があるのである。むしろ発達障害者が生活しやすい寛容な社会を望んでいるのだ。

 犯罪者に対して貢献というのはおかしいのだが、今回の4人の誤認逮捕という犠牲をはらったのだが、日本警察のサイバー犯罪を担う部署と人員をつくりその捜査レベル向上に遅まきながら取り組むようになった。この事件で、わたしたちは多くの教訓を得たのではないだろうか。
 なお、アスペルガー症候群またはこのような性格特性を持つ人は、職業分野によっては散見されるといわれている。犯罪を犯しやすいということはまったくなく、この障害やその性格特性と思われる人で、学者や芸術表現者でよい仕事をしている人がいることはたしかだ。

 人間の生活や知的生産の技術やコミュニケーションに多くの力をもたらしているPC・インターネットだが、それが同時にサイバー犯罪という負を抱えることになった時代という認識をしている。

*まだ少ない情報のなか、犯人理解の手がかりにするために一つの見立てをしてみた。今後著しく誤っていると判断した場合は、削除します。

*追記
 11日(月)の「NHKニュース9」によると、11年に脅迫メール事件を起こして1年6カ月の禁固刑を受けたということだ。裁判を傍聴した阿蘇山大噴火(ライター)のメモによる記録を読み上げものによると、検察に激しく糾弾されていた。
 彼が警察・検察に対する恨みを膨らませて報復に執念を持つだろうことは、理解できる。

 15日(金)
 その後の報道によると、犯人逮捕はパソコンの解明ではなく、防犯カメラによるということだ。防犯カメラというアナログなものによるが、最近の事件の解明はカメラがなんと多いことか。

封殺の言葉、核心をそらす言葉、期待させる言葉

2013-01-11 10:49:59 | 生活・教育・文化・社会
 前政権の閣僚は、言葉によって問責される、あるいは辞任をした人が多かった。公人である政治家の言葉は重たいものだが、言葉尻をつかむ揚げ足取りをする、つまり片言隻句を問題にし、内容に立ち入らないのが多かった。一般社会でこの状態になったら、憎悪や為にする行為であり、関係修復は困難とみられる。
 野党の立場に不本意感を政争にしてぶつけ、政権弱体化の手段にしていたためとみていた。政権党は言質を取られまいと無難に話すことになり、政策論争にならず、政治の渋滞が続いた。やがて「決められない政治」とレッテルが貼られた原因の一部になった。

 さて、自民党はこの言葉の使い分けをやっているようだ。まず「封殺言葉」である。
 野党時代、子ども手当てや高校無償化などを「ばらまき」と揶揄した。これは「新しい公共」の具体的施策なはずだった。また解散を迫るのに応えて「近い将来」としたのを、「近いうちに」と言いかえを求め、やがて解散時期の明示を迫り「つそつき」とした。
 石原環境大臣は、記者会見で前政権が温暖化ガス排出量25%としていたのを「あほ」といってのけた。首相は前政権の予算を「水ぶくれ」と言い放った。
 これらの言葉は一般的には汚い言葉として戒められる。政治家という公人が使う言葉としては、品がないだけでなく内容が生み出されない相手を封殺する言葉である。このような言葉が公的場でとんとん出てくるのは、異質なものを侮蔑する感性が露呈したと思われる。もし前政権がこのようは言い方をしたら、自民党は大騒ぎをしただろう。
 このような封殺する言葉は、大衆に入りやすいので実態と関係なくレッテルとなり扇動する言葉にもなる。扇動する言葉は、内容がないだけに蔑みながら自己を優位にしようとする人の力になる。

 次にエネルギー政策については、もともと全エンルギーの30%だった原発を、今後どうするかということを「ベストミックス」とした。3年かけてエネルギーのあり方を考えて選択するということだ。一見もっとものようだが、焦眉となっている原発について争点化しない言葉となった。
 そればかり再稼動や新設の構想もあることを隠していたのだ。核心をそらし選挙を切り抜ける言葉だった。

 選挙を、経済、景気浮揚を主要政策と掲げた。その言葉として「アベノミクス」という造語をしたためて景気の高揚感を演出している。株価の上昇、円安と動いてあたかも景気回復が始まったかのような錯覚に陥りがちだ。
 造語は、その意味がわからないだけに理解しようとして誰もが接近するものだ。なんと言うことない、安倍の「アベ」と経済学の「エコノミクス」を接続させ「アベノミクス」なのだ。これはアメリカの「レーガンミクス」「オバマノミクス」としていたのを拝借したのだ。
 「アベノミクス」は金融緩和、公共事業、新しい産業と市場を作る、という3をやるというのだがから、金融と経済に関してすべてやるということだ。金融は反応しやすいので変化が出ている。公共事業に大幅な財政をつぎ込むということだ。民主党が財政規律政策ととり、自民党が財政出動により、結果として大きな政府という不思議なことがおきている。
 参院選挙まで景気浮揚間を作りたい、来年度から消費増税のできる状況にしたい、ということだろうが、多額の赤字国債たよりなので、消費増税の財権がはたして社会保障費に当てられるか疑問がわいてくる。
 それでも税金を国民に再配分をする政策より、公共事業にばらまく方が期待感を持たれるというのだろう。

1.5億円のマグロは、景気浮揚の旗振りか

2013-01-07 21:00:18 | 生活・教育・文化・社会
 5日(土)の築地の初競りで、マグロの最高落札額が1.5億円だった。競り落とした業者は去年に引き続きなので、話題性や宣伝性などの効果をねらってではないか、と憶測を呼んでいる。
 メディア媒体の露出度はたいしたものだし、マグロ自体の評価で値を付けたとは誰も思わないほどの法外な値であり、クレージーといってもよいだろう。

 憶測ついでにもう一つ。きょうの新聞の首相動静になんと1.5億円で落札した業者の社長が、きのう6日の13時30分から55分の25分間首相宅を訪問している。自宅での面談であっても、首相は公人だから動静に載る。自宅で受け入れて25分も時間をとるということは、かねてからの知り合いなのだろう。
 そこでわたしはひらめいたのだ。落札の社長は、安倍の熱烈な支持者で景気浮揚への取り組みへの旗振り効果、あるいは景気のよさの証の一つにでもなれば、という思いがあったかもしれない。
 社長としては首相就任へのご祝儀を天下に明らかにできたわけだから、政治献金より愉快なことではないか。首相が25分時間をとるのはたいしたもてなしなので、さて、どんな話が弾んだのだろうか。

準強姦は無罪の可能性は少ない

2012-12-30 23:25:17 | 生活・教育・文化・社会
 柔道指導者が学生に対する性行為で告訴されて、係争中である。第一審で準強姦罪として懲役5年が求刑された。柔道家は「合意のもとの行為」と無罪を主張している。性暴力は親告罪、つまり被害者が告訴して刑事事件となるものだ。
 ことの性格上被害者が告訴することは、そうとうな覚悟を必要とする。被害そのものが人生を左右するぐらいの負担を抱えるが、告訴し裁判をするとその過程で行為が明らかになるなどさらに心理的な重圧となるのが一般的である。それをおして、なお告訴するのである。
 現在は本人が出廷せず文書で陳述できるが、被害者の周辺の人にはおおよそ知られることとなる。そのようなことから被害者が告訴することは少ないのが現状である。とくに準強姦の場合は、それまでの人間関係が傷つき、崩壊する可能性を持っている。
 ところで準強姦というのはどのようなことかというと、何らかのお互いを知り合っている関係者でおこなわれる性暴力の、刑事罰の呼称である。
 それはおおよそ対価関係をともなっているものだ。この場合、両者の社会的立場強弱である。立場の優位性を持っているものが加害の立場に立つ。そのため被害者の告訴は、そうとうな支援がなければ不可能なことである。
 親告罪であるから被害者が「被害を受けた」ということで、虚偽の親告でない限り認定されるのが一般的である。加害者が「合意のもとの行為」といっても、思い込みであり成立しないのがこれまでの判例である。
 柔道指導者はそうとうな社会規範に疎い、つまり世間知らずは驚くばかりである。学生を指導する立場としてはあまりにも主観的で身勝手と言わざるを得ない。女性への人権感覚の欠如もはなはだしい。
 現在の大学では、セクシュアルハラスメント、あるいは指導におけるパワーハラスメントについて啓蒙し、教員ばかりでなく学生にも浸透を図っている。この柔道指導者は、残念ながら大学教員の規範になることを学んでいなかったのだろうか。

 ところで裁判官による判決はまだであるが、わたしの知るこれまでの例だと加害者の主張が通ることはまずない。このままいくと実刑の懲役刑(刑期を書くのは控えるが、5年から少し短縮の可能性あり)になる。仮にこの段階で示談になると、刑期が決まって執行猶予となるかもしれない。しかし無罪を主張したので予想は難しい。
 わたしの記憶の例では、10年ぐらい前で職場でのセクシュアルハラスメントでレイプを受けた(準強姦と同じ)ということで親告したが、裁判前に示談が成立して慰謝料500万円だった。それ以前の慰謝料はもっと低額だった。親告する例が極めて少なく、「男女共同参画基本法」が施行されるまでは女性の人権が弱かった。
 
 ここで性暴力の言葉について触れておこう。刑事罰用語である準強姦の類似語は、あまり使われなくなったが「和姦」とも言い、少し意味合いが違うが「デートレイプ」とも使う場合がある。いずれも知っている仲での性暴力である。
 また、知らない者が暴力・脅迫によって性行為を強いるのは、刑事罰では強姦である。それに「暴行」「女性暴行」(昔は婦女暴行といった)あるいは最近では「レイプ」という言葉が使われることが多い。これは犯人の逃亡により特定できないことがあるのと親告するのに時間の制限がるので、被害にあった場合すぐに警察署あるいは相談機関または周囲のものに助けを求めるのが賢明である。強姦の加害者が複数の場合「集団強姦」といい、今は使われなくなったが「輪姦」という言葉もある。
 なお、強姦と準強姦は加害被害の関係性を言うのであって、刑罰は同じ扱いになる。
 沖縄で10月にあった米兵による集団強姦は、NHKでは「女性に対する乱暴」という言葉で統一して報道していた。これは「集団強姦」という意味とはニュアンスが異なるもので、ことの深刻さを避ける表現のようで、わたしは違和感を持ったのだった。

*追記
 13-2-1に東京地裁は、求刑通り懲役5年の実刑とした。被告は控訴した。
 また、東京地裁の判決を受けて全柔連は、5日被告を指導者登録を永久停止の処分を下した。これは実質除名と同じであり、今後柔道界にかかわる仕事はできないだろう。(13-2-6)

未来、早々と崩壊

2012-12-28 18:02:10 | 生活・教育・文化・社会
 急ごしらえで設立した日本未来の党は、ひと月で崩壊した。「日本未来の党」と「生活の党」に分裂したのだ。
 永田町で政治ゲームを繰り返してきた小沢氏が、たくさんの信奉者を抱えながら幕引きの場にする党なのかと思いきや、これからもやる気があるようだ。今後も大将として政治的力を維持するつもりのようなので、このままではでは終わらないのだろう。次はどこと組もうとしているのだろう。
 小沢氏はこれまで国政を揺るがす永田町ゲームをしてきたが、もうそのようなことはできないぐらい先細ってきているが、はたしてどうか。氏の政治ゲームには、うんざりするのだが。
 未来の党に比例で投票した342万票は、腑に落ちない心境の人が多いのではないか。これで未来の党が掲げた「卒原発」や「脱原発」に手垢がついたとすれば、困ったものだ。

 ところで小沢氏が、破壊と連結という永田町政治ゲームを続けられていることは不思議に思う。永田町の小沢氏を信奉するようにさせる行動様式とシステムはどのようなものなのだろう。部分的に報道されているが、まとまった政治家小沢論は、氏が引退してからになるのだろう。


草食動物の動物園

2012-11-10 17:34:20 | 生活・教育・文化・社会
 埼玉県こども動物自然公園(1980年開園)の入場者が、年間51万1千9百人(HPより)と上昇が著しいとの、テレビ報道がありました。動物園が軒並み入場者減(全国平均で40%減)をしているのに、人気上昇中の秘密はどこにあるのだろう。

 立地は埼玉県東松山市なので都心から1時間ぐらいの郊外であり、文字通り広い自然空間に主として子どもを対称にしている。そのような条件とコンセプトから草食動物中心に飼育・展示している。草食動物はおとなしく、子どもがじかに触れ合えるものも多い。
 展示の仕方の工夫が見られる。コアラは、いくつかの木のある広い空間で飼育されている。コアラは一般的動物園では見られない、枝から枝へ跳ぶ動きをする。
 レッサーパンダが巨大なクスノキのある空間におり、たびたび木に登る。これらの動きは、狭い空間で飼育・展示をされてつくられた「静」の動物という固定観念を打ち破ってくれる。その動物の本来持っている野性性が見られる。
 フンボルトペンギンの飼育は、広いプールに丘陵地を隣接させている。ペンギンは本来土に巣穴を作る。人口条件で成育したペンギンは、巣穴を掘るに至るまでは時間を要したというが、水と水辺での動作しか見たことないものにとって、ペンギンの生態の発見となる。
 こうした旭山動物園(旭川市)が提案した行動展示を導入したと考えられ、関心をそそられる。それに肉食動物が動きが少ないのに対して、草食動物は草を食むことが多いので、それ自体動きに見える。また、肉食のようなけわしさではなく、柔らかさを感じさせる。それがこのところ強くなっている動物観である、ペット的あるいは「かわいい」「いやされる」という親近感をもたれることになっているのではないかと考えられる。また肉食やゾウのような大型動物と違って飼育・管理費が低額になるのが、動物園にとっては好条件である。

 ところで全国的動物園の年間入場者ランキングは次のようである。
① 上野動物園 267万7372人  -11.6%減
② 東山動物園 218万2960人  - 4.6%減
③ 旭山動物園 206万1519人  -16.3%減
                             (テレビ朝日系番組より)
 一時トップだった旭山動物園が、パンダ人気で上昇した上野動物園にゆずった。名古屋市の東山動物園は、大都市の交通利便なところに広大な敷地で立地している。市民が利用しやすいし、学校の遠足地になっていると思われる。旭山動物園は観光客が多いので、その動向とかさなる。
 参考までに水族館の入場者のトップは美ら海水族館(沖縄県)で、300万人にのぼる。水族館は、空間が狭く魚の動きを観賞できるので、「いやし」を期待する、あるいは気軽さがある。スカイツリーそばにできたすみだ水族館の入場者は多くなるのではないだろうか。

再稼動へ誘導のシナリオ

2012-07-18 10:00:38 | 生活・教育・文化・社会
 またまたあきれたことが起きた。エネ政策聴取会でのやらせだ。この会は、14日(土)のさいたま市を皮切りに、15日仙台市、16日名古屋市と続いた。
 仙台市では東北電力役員と東北電力OBが意見を述べた。しかも9人中該当地域以外の人が4人であった。
 名古屋市ではやはり中部電力社員と電源開発社員であり、地域県外の人が4人意見を述べた。
 仙台市では東北電力の会社の考え方を述べた。NHKの取材に対して、会社としては事前に知っていたが、会社として関与していないということだ。業務にしてはいないだろうが、会社幹部が聴取会の場を宣伝に利用したことは明らかだ。
 名古屋市では、中部電力社員の立場から「20~25シナリオしかないのでその立場だが、原発は30%でも40%でもよい」と言っった後「福島の事故でも放射能での死者は一人もいない。・・・疫学的にも証明されているし、2,30年たっても変わらない」と言ってのけた。
 これは「原発安全神話」を吹聴するときの常套句であり、この言葉の次に「毎年死亡者を出している自動車より安全なのだ」と続けるのだ。過酷な福島原発事故後もこのフレーズを使うとは、いまだ事故が収束せず避難を強いられている16万人の福島県民の心を踏みにじるもはなはだしい。
 
 この意見聴取会は「2030年の日本のエネルギーと環境」をどうするか、という政府の政策策定に当たって広く意見を聞くという趣旨で、国家戦略室、内閣府、経産省、環境省が全国11カ所でおこなう。意見聴取に当たって、2030年時点でどのような政策を採るか3つのシナリオを用意した。趣旨は煎じ詰めればエネルギーを原発にどのぐらい依存するか、ということである。

①ゼロシナリオ(原発0%、再生可能エネルギー約35%、火力約65%、温室効果ガス約23%削減)
②15シナリオ(原発約15%、再生可能エネルギー約30%、火力約55%、温室効果ガス約23%削減)
③20~25シナリオ(原発約20~25%、再生可能エネルギー約30~25%、火力約50%、温室効果ガス約25%削減)

 これらのシナリオの内容は、ゼロシナリオは現在あるものを廃炉にしていく。15シナリオは、現状のものを再稼動して耐久年数としている40年使用したものから廃炉にしていく。20~25シナリオは、現在計画中のもの等新規につくる。
 これらの3つのシナリオの立場から、それぞれ3人ずつ一人10分間意見を述べえるのだ。これを意見表明の応募者の割合を見てみよう。
14日さいたま0シナリオ    239人
       15シナリオ    30人
       20~25シナリオ 40人
15日仙台  0シナリオ     66人
       15シナリオ    14人
       20~25シナリオ 13人
16日名古屋 0シナリオ    106人
       15シナリオ    18人
       20~25シナリオ 37人
 圧倒的に脱原発である0シナリオの応募者が多い。各シナリオから3人抽選で選ばれるので、応募者の少ないシナリオでは意見表明に当選する確率が高くなる。それに2会場でそれぞれ2人の原発関係者の意見表明があったことでも分かるように、計画的に応募している可能性が高いのではないか。
 それにこの聴取会のマネジメントは大手の広告会社がやっていることからしても、公正やっているとはしているものの、その業務の過程が公開されているわけではないので、何らかの作為があると勘ぐりたくなるというもの。広告会社はこれまで電力会社の宣伝を事業としてそうとうな恩恵をこうむっているということもある。これまでもこの種の公聴会等「やらせ」が問題になったのは多くは広告会社にマネジメントを委託しているのである。はたして広告会社に業務委託しなければできないのだろうか、と問いたいのだ。

 さて、この聴取会については、今月上旬新聞広告で告示をして8月4日まで、全国11カ所でおこなわれる。そして8月中に将来のエネルギー政策を、首相を中心にした閣僚による「エネルギー・環境会議」できめる。
 国民の意見を聞くとしても期間があまりにも短い。それに3つのシナリオを用意して選択するのでる。この場合3択なので15シナリオになる可能性が高い。脱原発ではなく再稼動しながら徐々に廃炉にしていくという選択だ。そのためのアリバイ作りに位置づけようとしている。

 福島の過酷な事故を経験した日本のエネルギー政策に、世界中が注目している。ドイツは10年以上かけて脱原発政策で再生可能エネルギーの政策をすすめた。現首相メルケルが脱原発を先延ばししようとしたら、日本の事故後国民世論に押されて政策転換した。
 イタリアは国民投票によって脱原発とした。スイスも、である。ヨーロッパはチエノブイリ原発事故を教訓に原発の危険性について敏感である。
 日本は事故当事国で、しかもその原因被害者の救済もととのわない、そして廃炉まで約40年帰還できないと言う現実をかかえてもなお、原発依存を続けようとしている。東京都、大阪市の原発の是非を住民投票で問えと言う請願が葬られた。
 17万人「さよなら原発」の集会での意思表示があっても、大飯だけでないさらなる再稼動をもくろんでいるのだ。

変顔、どや顔

2012-07-17 18:18:50 | 生活・教育・文化・社会
 「どや顔」という言葉を耳にしながらも意味がわからなかった。そして推測したのだった。「どや」は簡易宿泊所の多くあるところの呼称の「どや街」からきているのかな。その「どや」は「やど」の隠語なのだが、と考えても顔との関係に結びつかず、なぞが深まるばかりだった。それが最近言葉の意味がわかって、ずっと悶々としていたのでほっとした。
 「どうや!」と関西弁の得意満面の顔とのことだ。「どうや!」を「どや」としたので、わたしにはわかるはずがない。共通語でいうと「どんなもんだい」と悦に入ることなのだ。
 もう一つ「変顔」と言う言葉も気になっていたら、日頃しない「変な顔」で作る表情のこととのこと。
 これらの言葉はどこから生まれたのだろう。テレビのバラエティー番組と推測するのだが、どうだろう。それにこれらの言葉は国語辞典に残るぐらいの生命力があるだろうか。
 言葉は、時代が必要として新しく生み出されるものだ。「シャッター通り」「限界集落」「無縁社会」「弧族」などは、社会状況を表現した言葉であると同時に、概念として重要でもある。ある時期使われていた「人寄せパンダ」「目玉商品」といった言葉は、内容は残っているが言葉は消えていった。時代とともに生きる言葉というのがあるのだ。

 さて、あることを強調したい表現はよくつくられるものだが、「チョウ・超」が使われるようになったと思ったら、「メッチャ」もよく耳にする。どちらが最新なのか、わたしにはわからない。
 先日50歳代前半と思われるジャーナリストの司会者がCATVの番組で「モロ」といっていたので、どこかで聞いたことがある、と懐かしさをともなって思い出したのだ。これもある時代に使われた強調する言葉ではないだろうか。

 また、カタカナ表記の言葉が大量に増えている。アカデミズム世界が英語を中心にしたキーワードをそのまま使うからだろう。
先日小6の子どもとの会話で
「それは毎週火曜日なの?」と聞いたら、
「ランダム」と返ってきた。難しい言葉を使うものだと思って
「ランダムってどんなこと?」と聞いたら
「グチャグチャ」と返ってきた。よく言い当てていると思って
「その通りだよ。別な言い方では不規則、定期的に決まっていないっていうことだよね」といった会話をした。漢字で概念をつくらないで、英語で理解していくのだ。
 最近、「コミュニケーションを好意的にするための表現として顔の部位で眉毛が大事で、世界共通に眉を上げることが、ボディ・ランゲージになっている」という話をした。
 それを聞いた人の中で数人が「パーツとして眉毛が大事」と書いていた。わたしはパーツと言う言葉は、部品と言う意味なので、しっくりしなかった。わたしは部位と言う言葉を、顔全体の中の部分と言う意味を込めて使っている。
 それにわたしの場合は、カタカナ言葉は必ず表意文字である漢字に置き換えて自分に取り込み、使っている。子どもや若い人たちは、大量のカタカナ言葉に囲まれて育っている。概念として思考の道具としてどのようにしていっているのだろうか。
 時代とともに言葉が変わり、それにともなって思考方法も少し変わっていくのかもしれない。

内藤大助 いじめについてのメッセージ

2012-07-14 16:24:51 | 生活・教育・文化・社会
 きょうの『朝日新聞』の1面の「いじめられている君へ」は、ボクシング元世界チャンピオン内藤大助のメッセージだった。
         ▽          ▽
 いいか、絶対あきらめるな。いじめが一生続く、自分だけが不幸なんだって思っているだろ?俺自身もそうだったから。でも、いじめはきっとなくなるものなんだ。
 俺は中学2年の時からいじめられた。はっきりした原因は俺にもわからないけど、同級生から「ビンボー(貧乏)」ってあだ名をつけられて、バカにされた。
 (中略)―
 家は古くてボロくて、制服も四つ上の兄のお下がり。つぎはぎだらけだったから、やっぱりバカにされたよ。
 ―
 高校を出ても、「いじめられて、ビンボーで、俺は生まれつき不幸だ」と、ずっと思っていた。上京して就職しても、帰省したらいじめって子に会うんじゃないかって怖かった。
 ―
 そんなとき、下宿先近くにボクシングジムがあったんだ。通えばケンカに強くなれる。強くなれなくても、「ジムに行っている」と言えば、いじめっ子をびびらせられるって思ったね。
 入ってみたらさ・・・楽しかったなあ。周りも一生懸命で、俺もやればやれるほど自信がついて、どんどんのめり込んだ。
 ―
 ボクシングの練習がつらいときは「いじめに比べたらたいしたことはない」って考え、マイナスの体験をプラスに変えてきた。でもね、「いじめられてよかった」なんて思ったことは、ただの一度もないぜ。いまだにつらい思いでなんだ。
 ―
 俺は一人で悩んじゃった。その反省も込めて言うけど、少しでも嫌なことがあったら自分だけで抱え込むな。親でも先生でもいい。先生にチクったと言われたとしても、それはカッコ悪いことじゃない。あきらめちゃいけないんだ。
         △         △
 このメッセージはすごい。内容だけでない、中高校生の感覚にぴったりの言葉で心にしみる。長期間体験した苦悩、それをボクシングに昇華していった人だからこそ言えるものだ。
 文章の中略はもったいないと思いつつ、久しぶりのわたしの感動を伝えたくて転載する。