NHKの「にっぽん紀行」は、地方局が制作した番組を、祭日に全国に放送される。その地方の文化的特徴を強く持っている、暮らしのドキュメンタリーである。
その地にとって日常的なことであっても、他の地域にとってはめずらしいことである。わたしはこの番組を、いつも興味深く見ている。
11日は「私はとつぐ雪峠を越えて」であった。秋田南部の昔ながらの結婚の催しで、雪道を馬車で数時間かけて嫁ぐ、という内容だった。馬車の用意だけでなく、大勢の人が雪かきをして道をつける、到着地で餅をまくなど、地域挙げての一大イベントだ。
無形文化財として保存してもよいようなことが、現実に成り立っていることに驚きをもった。親がこれに力を注ぐこと、地域の大勢がそれを支える。昔ながらの農村共同体が現在にも継承されているのだ。
当人はおそらく結婚が2人だけでなく家族そして地域の人に見守られているという、その共同体に暮らしていることを強く意識する機会になるだろう。現在強調されている強い絆で結ばれる、ということだ。
冠婚葬祭は地方の文化を色濃く反映したものだが、それが戦後近代化とともに社会化・商品化されてきた。ドキュメンタリーのような結婚の催し文化は消滅したと思っていたので、めずらしかった。
わたしはこれまで、個人の自立と自由という発想で、家制度的色彩や紐帯関係をつくる農村共同体的結婚の催しに象徴されるような文化に対して、否定的に生きてきた。現在も都市住宅地暮らしなので、隣近所の人の苗字と顔がわかり、かろうじて挨拶を交わす関係である。
ドキュメンタリーを通して、そのようなことが頭をめぐり、地方の貴重な文化の作品として見たのだった。
また、この種の作品は暮らしを綴ることなので、あらかじめ企画があっても、たくさん撮影してそれを物語にするための編集に相当力を注がなければならないのだろう、といったことも考えたのだった。
*60年代ぐらいから都市化核家族化の浪にあらわれ、地方では学校の統廃合、高齢者の比率の増大、さては限界集落という状況が広がった。
都市でも一人暮らし孤独死が増えている。12日の新聞には、一人で死亡した人の遺品の引き取り手がないあるいはその扱いに行政が困惑しているとのことだ。(19日追記)
その地にとって日常的なことであっても、他の地域にとってはめずらしいことである。わたしはこの番組を、いつも興味深く見ている。
11日は「私はとつぐ雪峠を越えて」であった。秋田南部の昔ながらの結婚の催しで、雪道を馬車で数時間かけて嫁ぐ、という内容だった。馬車の用意だけでなく、大勢の人が雪かきをして道をつける、到着地で餅をまくなど、地域挙げての一大イベントだ。
無形文化財として保存してもよいようなことが、現実に成り立っていることに驚きをもった。親がこれに力を注ぐこと、地域の大勢がそれを支える。昔ながらの農村共同体が現在にも継承されているのだ。
当人はおそらく結婚が2人だけでなく家族そして地域の人に見守られているという、その共同体に暮らしていることを強く意識する機会になるだろう。現在強調されている強い絆で結ばれる、ということだ。
冠婚葬祭は地方の文化を色濃く反映したものだが、それが戦後近代化とともに社会化・商品化されてきた。ドキュメンタリーのような結婚の催し文化は消滅したと思っていたので、めずらしかった。
わたしはこれまで、個人の自立と自由という発想で、家制度的色彩や紐帯関係をつくる農村共同体的結婚の催しに象徴されるような文化に対して、否定的に生きてきた。現在も都市住宅地暮らしなので、隣近所の人の苗字と顔がわかり、かろうじて挨拶を交わす関係である。
ドキュメンタリーを通して、そのようなことが頭をめぐり、地方の貴重な文化の作品として見たのだった。
また、この種の作品は暮らしを綴ることなので、あらかじめ企画があっても、たくさん撮影してそれを物語にするための編集に相当力を注がなければならないのだろう、といったことも考えたのだった。
*60年代ぐらいから都市化核家族化の浪にあらわれ、地方では学校の統廃合、高齢者の比率の増大、さては限界集落という状況が広がった。
都市でも一人暮らし孤独死が増えている。12日の新聞には、一人で死亡した人の遺品の引き取り手がないあるいはその扱いに行政が困惑しているとのことだ。(19日追記)