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絵本と児童文学

絵本と児童文学、子ども、保育、サッカーなどの情報を発信する

暮れから新年のテレビー下

2017-01-05 16:39:41 | 生活・教育・文化・社会
 陽ざしが明るいのに風が冷たく、小寒だということで、この季節らしい寒さだった。14時過ぎにウォーキングをしたが、いつもより行き交う人が少なく、シニアのたまり場になっている林のそばのベンチには誰もいなかった。
 わが家の庭に野鳥がほとんど来なくなった。去年は一時より少なくなったものの、時にヒヨドリ、ツグミ、メジロなどが来ていた。周辺の林が宅地化されたせいだろうか。とくに10分ぐらい離れたところのサッカースタジアムぐらいの規模の自然林の林がなくなったことは、野鳥を住宅地に近づけなくしたのではないか。

■ 「年末恒例朝までドキュメント72」 NHK29日(木)11:25~30日4:00
 「ドキュメント72」は毎週金曜日22:50から放送されており、ぼくは欠かさず見ている番組である。それを視聴者からの投票によりランキングして再放送された。2人でのトークをしていたが、その一人の鈴木おさむ氏を初めて見た。
 この番組はドキュメンタリーなのだが、作品としてのテーマ等を重視していなく、定点から庶民の暮らしを3日間を記録する、というものだ。ぼくはリアルな日本を映し出す素材であり、考えるテーマを与えられている思いで見ている。
 四国の国道をたどった「酷道439(よさく)」は強烈に日本の地方ををあぶりだしものだ。限界集落からさらに人が少なく、その先には消滅するだろうことを描き出した。これは日本の人間の暮らしの現実を考える素材として刺激的だった。
 ぼくが生まれ育ったところでは、3つぐらい集落が消滅しているので、切ない気持ちで見たのだった。

■ 「第9演奏」 31日Eテレ20:00~
 これは50年ぐらい欠かさず見ている。今年は合唱がプロの歌手で、ソリストがすべて外国人だった。最高齢といわれているマエストロのリクエストによるものだろうが、いつもと勝手が違っていた。
 バリトンは声が柔らかく癖がない。ほかのソリストも抑制的声だった。合唱もいつもの半数ぐらいの人数だ。ぼくの持っている第9のイメージと異なり緻密とも思える表現をしていた。ヨーロッパでの第9の演奏なのかもしれない、と思いながら聞いた。

■ 「プロ野球戦力外通告~クビをされた男達」 TBS30日(金)22:~
 去年も見たな・・・。どうもこのこの種の内容に注目してしまう。負を背負っている人への関心が強いのだと、自分を見つめる。
 野球という高度な専門性で生きている人、その専門性を必要とされなくなる時は何時かは来るもの。専門性で実績を上げてある程度できた人もいるが、できない人が圧倒的に多い世界だ。いわゆるセカンドキャリアに突き当たるが、「戦力外」になって新しい進路に直面する。それが家族を巻き込んで進行するのだ。

■ 「朝まで生テレビ」 1日テレ朝1:00~

 途中から見たが、落ち着いた論議が印象的だった。自民党のやまもと氏が内容を伴って論理的に展開していた。氏が大学院の授業をしていることがよくわかった。女性のみうら氏の存在感が大きくなっているようだ。

■ 「ニューイヤーオペラコンサート」 3日(火)19:00~21:00
 毎年見ているが、数年前からは前のめりにならなくなった。ぼくが歌曲への関心が高くなっているせいだろうか。オペラと歌曲は、声や歌唱など別物ぐらい違うことが分かってきたからかもしれない。

*話題のピコ太郎が「徹子の部屋」へ出ていた。どうやらマネージャーといっている人とピコ太郎は同一人物のようだ。動画が記録的なアクセスで国際的話題になっているが、広告収入が3億円とも言われている。動画に広告が入るようになって動画事情が変わってきているようだ。広告収入を得るためにやっている人が多くなっているとのこと。

*NHKのコント番組「LIFE!」に出ている星野源が歌、ドラマ、俳優として話題とのこと。彼の「LIFE!」でのウソ太郎のとぼけぶりがなかなかだな、と思っていた。平凡そうな男性がブレイクするのは喜ばしいこと。
 「LIFE」のメンバーの演技力は、誰もが相当な水準と思って見ている。コメディアンという分野なのだろうか。ぼくは芸能分野の知識は乏しい。
 今は小さい時から映画等にアクセスしているせいなのか、お笑い芸人といわれている人が演技者やMCなどうまい人が多くいる感じだ。

*箱根駅伝は見ると長時間見てしまうので、控えるようにしている。1日目のサッポロのCMはコップを持たずに飲んでるように表現していた。これはコップにビールが入っている実際より飲みたくなるように作られていた。なかなかの工夫だ。2日目はサッポロのCMがなかったようだ。なるほど、よく考えているものだ。

*ついでにテレビ視聴については、退職後2年間ぐらいまで昼の時間帯のワイドショーを見ることが多かった。テレビ視聴するということは他のことの時間がなくなるので、時間を2~3時間に制限している。そのほとんどが報道番組だ。
 録画すると視聴時間が長くなると思ってしなかったが、去年から始めた。深夜番組等録画することによって自分の生活リズムにそって見られる。全体の視聴時間はそんなに増えない。自分の睡眠時間帯にあった生活をして見たいものを見る、となり満足を得られている。
 午後はラジオを聴くことが多くなった。


*星野源がかねてから紅白に出ていたり、去年テレビドラマで話題になったことを知らなかった。昨夜の{LIFE!」では、かねてからやっている「おモエもん」になっていた。彼は人柄はまじめでどちらかというとおとなしい人にみえる。書いたり歌ったり活動領域の広いタレントだということが分かった。(5日加筆)

暮れから新年のテレビー上

2017-01-04 17:25:53 | 生活・教育・文化・社会
 今日から正月明けで、世の中の仕事が始まりました。ぼくはニススクールをやりました。太陽が明るく暖かな1日でした。

 仕事をしなくなってからテレビの視聴時間が長くなりました。暮れから新年にかけては通常の番組がないので、討論、報道番組を見ました。

■ NHK「解説スタジアム」 29日(木)1:00~3:30過ぎまで
 年間3回やっていますが、初期のころに2回ほど見ましたが、内容の入口でとどまり、論調も予定調和的と思ったので見なくなりました。
 今回は3部に内容に分けて、面白かった。司会がにしかわ氏に変わってテーマごとに解説委員が代わり大勢が参加していました。これまで日曜日の政治討論会(2年ぐらい見ていない)等で司会でリードしてきたしまだ氏が一解説委員として参加していました。氏のとらえ方が解説委員の多数ではないということが分かりました。多様な意見を聴くことができて、まだ「みなさまのNHK」が健在なのだと胸をなでおろしました。
 経済分野でも異論を述べ合うこともあり、思わず「いたがき氏、いいぞ!」とつぶやいてしまいました。3部の「豊かな未来に向けて」は社会保障等の分野だけあってよい内容なので、深めてほしいという思いがしました。
 原発事故の時「ニュース9」のその分野のコメンテーターをしていたみずたに氏が健在でした。東大の原子力村の教員が東電を擁護し心配ないというトーンで話していた時、詳しいことをこらえながら、危険な状態であるとぼくは読み取れる話し方でした。NHKの解説委員のある域を超えないような話し方に、大変だろうなと思ったものでした。
 ところで解説委員とはどのような立場で仕事内容は何をしているのでしょう。新聞の論説委員は文章にしますが。記者ではないのでその内容を電波で流すときにチェックするのか、それとも特集の企画などなのか、といったことを考えたのでした。

■ BS朝日「分断の時代に挑む」 2日(月)19:00~23:00
 たはら氏が討論の一員として参加していたが、ぼくの推測では、氏が人選等企画にかかわっていたのではないか。「朝まで生・・・」のように、例によって対抗的人選と座る位置も向き合う設定をした。保守、リベラルという分け方だ。
 憲法論議の際、作家のいざわ氏が改憲を主張する際「9条は軍人差別だ」と断定的に言った。それに同調する経済評論家と称するじょうねん氏が畳みかけるように言った。内容としてはさしたるものがないのだが、「戦車なのに特別車両となっている」「今は警察組織だ」などいっていた。それが勝ち誇るように高圧的、威嚇的、嘲笑的、揚げ足取りのように言う。それを早口で声を高くして言うのだ。それに中国をチャイナといっていた。本当は別な言い方、老いても昨年トップの売り上げの本を書いた元都知事の言い方を。こういう人は保守といえるのだろうか。
 憲法では自衛隊は認められていないということを指して、差別という言葉で簡単に断じてよいのか。差別という言葉を、攻撃性、感情に訴える言葉として使っていた。自衛隊は公務員であり、20万人余りで、内閣に省があり、5兆円余りの予算なのだ。国家行政として整い国際的にも当然のことながらその性格も含めて認知されている。
 とにかく憲法への攻撃、護憲論者への攻撃に自衛隊を使っているということ。今後このような論調が明るい場で強くなるかもしれない。
 ところでリベラル席にいたあずま氏は簡単に白旗を上げる格好になった。具体的現状や政策抜きにさりとて理念でもない論争は知的あるいは教養人として内容として貧困すぎる。でもこうした感情論で世論は作られていくのだろうな、と思ったものだ。
 論壇に登場することが多くなった女性のみうら氏の、教え諭すような言い方がもてはやされてきている。よくテレビにでるM大の経済専攻の教員は、アベ長期政権で国際的信頼を得ているなど。
 たはら氏は、「朝まで生・・・」でそうだが、エキサイティングが好きのようだ。結果としてフェアな言論に出そうもない人を登場させ、その人たちをこれまで育てていることになっているのではないだろうか。 
 生前退位の有識者会議で専門家ヒアリングとして意見陳述をした人16人の中に、カルト的とも思える発言をし続けている人が席を並べていた。その人たちはアベ政権との親和性もあるのだろう。
 タイトルが「分断の時代に挑む」だが、感情を振りかざして分断をひろげた討論だった。分断が進行しそうな時代にこそ寛容さが必要だ。それには内容のある論議によってうまれる。際物好みのたはら氏には、寛容は似合いそうもない。分断に挑むといっても、それを「仕事」の材料にして楽しんでいるようだ。

イチローの言葉

2016-12-29 17:47:03 | 生活・教育・文化・社会
 今朝は1℃で1日中寒かった。サッカーの天皇杯準決勝を見た。鹿島-横浜マは、2-0で鹿島。横浜マが試合を優位に進めながら、硬いデェフエンスに阻まれ得点できなかった。鹿島はわずかなチャンスに得点する。塩崎の見事なダイレクトのクロスにヘッドて得点するのは防ぎようがない。追加点も塩崎のダイレクトクロスからのもの。
 川崎―大宮は1-0。大宮が圧倒的に試合を支配していたが得点できなかった。わずかなチャンスに終了間際に川崎が決めた。試合結果と異なる強い大宮、不調な川崎を見た。
 元日の決勝は鹿島―川崎となった。ベストメンバーを組めなく疲労が残っている鹿島だが、今日見た感じでは、川崎は勝てそうにない。試合会場が吹田スタジアムとは・・・。

 

 先々週話題になったことだが、イチローが出身地豊山町で自らが主宰する少年野球大会で子どもにに告げた言葉は、スポーツ界で言われつつけている言葉とは異彩を放つものとして記録しておきたい。

 人との比較でなく、自分の中でちょっとだけ頑張った。そのことを続けていくと、将来思ってもいなかった自分になっている。

 地道な努力を続ける、他人をかき分ける競争でなく自分自身を問い続けること、といったメッセージだ。
 このような言葉は、氏のプレースタイルを子どもに伝えているとも思える。打撃ではアベレージではなくヒット数を重視する、軽く見られがちだがヒットを繰り返し、走力を使い内野安打と時にはバンとヒットと積み上げていく。ビーム弾とも比喩される外野からの本塁送球。ホームランが称賛される豪快なアメリカ野球へ問題提起をしているようなもの。野球の幅広い面白さを提案しているようでもあるのだ。

 イチローの言葉は、野球だけでなく進路選択や生きるかまえにも必要な普遍性を持っている、珠玉の言葉ではないだろうか。本来は学校の教室や家庭でこそ言われ続けられることだ。
 とかくスポーツは「夢を持ちあきらめないとかなう」あるいは「結果を残すために頑張る」といわれがちだ。ぼくは夢をあきらめない」という言葉は、酷な言葉だと思っている。成功者に似合っている言葉であり、かつ成功者が言いがちなのだ。
 スポーツ界全体では、圧倒的に敗者になるのだ。頂点だけを目指して成功しない場合のフォローは、当人だけではなく周囲のものをも重要なのだ。スポーツ界だけではなく、自分の能力の診断と進路が問われた時にこそ力になる言葉、生き方こそ子どもたちに必要ではないか。

 イチローは野球に関心のある人は知られている。野球の業績だけではなく、寡黙にアスリートとしての生き方に、ぼくは敬意を持っている。氏のアスリートとしての歩みと生き方が反映されている言葉として重みがあり、今日の日本の子どもたちに必要な言葉ではないだろうか。
 言葉は告げる対象や状況によっても発することは異なるだろうが、自分の主宰する大会の子どもたちに、親近感と親身になって話している様子も描け、かつ普遍性を持っている。
 オリンピックの勝利者、イタリアでプレーしているサッカー選手などが子ともに告げる「夢を持つ」という言葉は、長年の努力がかなった確信から発せられるのだろうが、途上の子どもたちにどのぐらい力を持つ言葉なのだろうか、と思うのだ。

 ああそうだ、また思い出した。「ナンバーワンでなく、オンリーワン」ということ。グループの解散等についてはぼくは疎いのだが、多くの人に惜しまれている。40代になってアイドルグループであり続けるのは難しいことなのだろう、ぐらいしか思いつかないのだが・・・。

オスプレイ事故

2016-12-28 15:10:24 | 生活・教育・文化・社会
 先々週、沖縄の辺野古海岸にオスプレイが墜落した。米軍と政府は不時着と発表した。これが事故の公式名称となる。米軍最高責任者は不時着して被害を及ぼさなかったころを、記者会見で誇って見せた。
 オスプレイはこれまで墜落事故を数々起こしているが、今回は操縦者が緊急脱出して無事だったとはいえ、不時着とは無理があるのではないか。損傷機体による原因究明が日本側ができないので謎だが、空中給油に失敗したことだ。最後まで操縦をコントロールができていたら不時着だろうが、緊急脱出ではわからない。
 この件が時間がたって、最近では「オスプレイ事故」といっている。確かに事故に違いないが、内容を表現していない。事故後日の浅い時に「ニュース23」キャスターの星さんが首相インタビューの際「実質的墜落」と表現していた。べテランジャーナリストならではの内容のわかる表現だったので、腑に落ちた。

 事件の名称の件を考えてみる。相模原市にある神奈川県の障碍者施設のやまゆり園でおきた、殺傷事件についてである。
 当初は「障害者施設殺傷」が多かった。駅で買って時々読む『神奈川新聞』では「やまゆり園殺傷事件」である。全国紙の神奈川版でも同じである。ところが事件から1週間ぐらいたったと思ったら「相模原事件」、あるいは「相模原殺傷事件」が多くなった。
 新聞等で短く表現しなければならない場合、どうしても内容ではなく地名に集約するようだ。
 過去の例では、「松川事件」(鉄道事故)、「志布志事件」(選挙違反、長年の裁判で無罪)など。
 「連続殺人事件」(永山則夫が殺人を犯し死刑執行)、「世田谷一家殺人」などは長いが内容が分かりやすい。また「袴田事件」と事件を犯したとされる人名が使われた場合もある。これは死刑が確定したが冤罪で長年拘束されたうえ釈放。「3億円事件」「グリコ森永事件」「地下鉄サリン事件」「オウム事件」「一連のオウム事件」と思いつくまま書き綴ると、事件呼称にはとくに法則があるわけではないようだ。
  

流行語大賞

2016-12-06 15:32:34 | 生活・教育・文化・社会
 14時台にいつもの林までウオーキングしました。気温は11月頃とのことで暖かでしたが、風は強くて冷たいものでした。いつものベンチには大勢の老人が集っていました。男性数人はじっとしていたが、女性のベンチは大声で話していました。「これ昔の部長さんからもらったものなの・・・」という会話が耳に入ってきました。とにかくしゃべることはいいことだと思いながら、その会話ぶりにぼくも心穏やかになりました。
 桜の巨木が切られていました。「腐食が進んで危険・・・」という表示がしてありました。なるほど街路樹のイチョウの巨木が切られているのもこの理由なのだ、と推測して納得しました。
 丹沢の稜線が青空に生えてくっきりとしていました。大きなモミジが鮮やかな色になっていました。道すがらのサザンカが、花を落とし始めたのもありました。これは2月ごろまで次々と咲き続けます。


 流行語大賞の話題は、傍観者的に聞いています。世相を言葉を切り取りながらみる行事と思っていますが、かつてのように政治や社会よりは、多分野から選ぶというようになっているようです。とくに芸能とスポーツ分野の比重が多くなっているのでしょうか。
 オリンピック好きの日本ですが、そこからの言葉は選ばれたのでしょうか。「女子レスリング連続〇の金メダル」といったようにです。言葉として残らなかったかもしれません。
 スポーツといってもプロ野球からの言葉が例年多いのです。去年の「トリプルスリー」はその分野に関心ある人は、納得するでしょう。
 「ミニマリスト」というのは多くには知られていなくとも、社会のある現象を言い当てていました。ミニマリストと自称している人の雑誌の連載コラムを読んだが、何を言いたいかよくわからないぐらい煮え切らない文章と内容で、それについてはミニマリストではないのではないかというのが、ぼくの感想でした。

■神ってる
 今年は「神ってる」なのですが、これとてカープに関心のない人は知らないことです。ラジオでは使ったことがないといった発言をしている人がいましたが、カープのセリーグ優勝へと勢いがでた試合での鈴木の打撃はすごいものでした。監督の立場からすると自分の想定外の活躍なので「神ってる」という表現が本心だったのでしょう。
 鈴木は年俸1600万円ですごい活躍をしたわけだから、監督から見れば神がかり的と思うでしょう。鈴木本人は「これで全国区になった」ということです。広島で沸き立つだけでなく、スポーツ新聞の1面に載ることが光栄なことなのでしょう。彼は東京の棒私立高校でピッチャでした。来年の年俸が今年の5倍になっても1億に届きません。
 ところで、優勝すると高額選手が増え球団て財政が厳しくなります。2年連続優勝したら、ジャイアンツ、ソフトバンク以外は財政が持ちません。ファイターズが前回優勝した時には球団の中核だった選手を放出しました。
 ポスティングでメジャーリーグに超高額で入団できる選手がいれば、球団財政が潤うことになります。来年ファイターズの大谷は本人も球団もそれを希望しています。今からメジャーリーグの関心を集めておく方が得策というわけです。


駆けつけ警護 錦織

2016-11-19 20:40:19 | 生活・教育・文化・社会
1日中小雨が降り寒かった。こんな日はウォーキングはしない。
 以前は雨の日は室内でマシンを使っていたが、使いがってが悪いので間もなく処分をした。通販で買ったが、日本製でな、く頑丈な鉄製だった。広告から得た製品情報とは異なっていた。通販は信頼できる所でなければ、という体験学習をした思いで、その後はほとんど利用しない。
 夕方雨が止んだので、柿を買いに出かけて、15分歩いたた。

■ 錦織チリッチに敗れる
 ツアー・ファイナルの予選リーグの3試合目の錦織とチリッチ戦を見た。5:07頃開始。第1セットは6-3で勝った。錦織の好調ぶりを感じさせるラリー戦は見ごたえがあった。勝つかもしれないという期待をした
 第2セットは2-6で負けた。チリッチは198センチからの200キロを超えるサーブが決まることが多くなった。それに錦織のミスが多くなった。錦織はラリー戦になったら正確な技術でポイントが取れはずなのだが。
 第3セットは第6ゲームに3-3になって少し期待が生まれたが、その後持ち直せず3-6で負けた。
 試合終了は7:05で2時間弱だったが、見終えて疲労を感じた。勝てるかもしれないと思って、夢中になりすぎたようだ。グランドスラムの3セットと違って、2セット先取なので試合時間は短い。
 1勝3敗だが準決勝に勝ち進んだ。ランキング2位になったジョコビッチとの試合。明日の5:00頃からのようなので、また見ようっと。

■ ついにその時が来た
 自衛隊が南スーダンに「駆け付け警護」に出かける。いなだ大臣は気分高揚して出動部隊・第9師団(350人・青森)の壮行会に訓示をしていた。アベ首相は、出動にこの上ない喜びの心情を持つだろう人を大臣に据えたのだろう。水曜日の閣議決定の後は喜びを押し隠すようにして、記者団に「もし人命にかかわる事態があったらわたしが責任持ちます」といいきった。その責任とは何か、「わたし」は責任とりえないはずだ。
 国連も国際的にも内戦状態という認識し、戦火を交える可能性の高い地に派遣する。戦闘を「衝突」と言い換えて事態を覆い隠している。PKO5原則に、「銃による威嚇」「警告射撃」を加えての派遣だ。

 政府軍と反政府軍の戦闘が続き、副大統領だった反政府軍の最高責任者が国外に逃れている。7月にはNPOの拠点が政府軍に攻撃され死者、略奪、性暴力が起こっている国へ行くのだ。
 もし7月のようなことが起きて「駆けつけ警護」をしたら、南スーダン政府軍と戦火を交えることになる。今はPKOはアフリカ諸国がほとんどとのことだ。そのアフリカのある国の大規模なPKO部隊が最近撤退している。

 今回の派遣は「安保法制」を成立させてのをよりどころにしている。国際的には、派遣実績をつくってとくにアメリカの評価を高める、あるいは「大国」として軍事を行使する能力があることを誇示するためか。
 国内的には震災等による自衛隊の信頼の高さを背景に戦いもする自衛隊というイメージ転換のためか。それが憲法改正、平和憲法を葬るためのプロパガンダにするためか。
 本当に戦争法案だよな。
 

姫島村モデル

2016-11-17 17:10:21 | 生活・教育・文化・社会
■ ウォーキング、テニス、健康
 ウォーキングコースは自然林の林まで遊歩道を歩く。遊歩道といっても、時間帯によっては高校生と大学生の自転車が頻繁に通る。老人のウォーキングや犬の散歩も少なくない。土、日にはランニングの人が頻繁に行き交う。そんな道路なので、のどかに歩くわけにいかない。ぼくは速足なので、ウォーキングの人を追い越すことが多い。
 コスモスが色あせて、月曜日ぐらいからコウテイダリヤが大きな花を鮮やかに咲かせている。15時台だと帰宅する小学生のにぎやかさと行き交う。この子どもたちと出会えるのが、ぼくにとって気持ちが和むことだ。
 暖かい日は林の入り口にさしかかるところのベンチに集う人たち。午後は男性が多く、午前は女性が多い。男性は自転車で来ている人が多い。いつも話がはずんでいるようでうらやましい。
 その位置から西側は丹沢の稜線が見える。今日は16時台だったので、夕日が生えて稜線が美しかった。
 
 健康年齢維持のため、テニスをしない日はウォーキングをするが、通常は30分だ。これを欠かさなければテニスの動きが維持できる。一時期歩数計を携帯していたが、1日多くて5千歩だ。以前毎日1万歩いている人が身近にいたが、ぼくは時間の負担が多すぎてできない。
 テニスは老いてもうまくなっているようだ。それも週1回だとその都度始めるという感覚だ。週2回だと維持できる感じで、3回やるとテニスの体といってもよいぐらい、常時やっている感じである。しかし3回だと他にやりたいことがるので、比重が多すぎるといったまよいがある。そんなことから11月から週2回にすることにした。
 体重がこの1カ月ぐらいは5キロ減って40歳代の体重にもどっ太のを維持している。運動し、食べ過ぎないようにしている。寂しくもあるが飲まないようにしている。ビールを飲むと食べたくなるタイプなので、今は週1回350ミリリットルにしている。そのビールは常温のものしている。飲みたいと思ったときは牛乳を飲む。それに誰かと会うとき夜を避けて昼にしている。
 減量を維持してるとテニスの動きが良いように感じる。体重は、健康診断ではあと10キロ減量という数値が示されている。学生時代の体重であり、減らせないばかりかやせ細った姿にはとても戻りたくない。この標準体重というのには、かねてから疑問を持っていて、無視することにしている。

■ 姫島村のこと
 10月に61年ぶりの選挙で話題になった、大分県姫島村。結果は現職が9回目の当選を果たした。この村長は親の後を継いで村長になったので、戦後の選挙制度からずっとこの家族が村長ということだ。

 ぼくはかねてからこの村を注目していて、日本の将来像のモデルとさえ思っていた。本当にだ。90年に合計特殊出生率が1,57に下がったと大騒ぎした。少子化対策は、90年の「エンゼルプラン」に始まってたびたびプランをつくった。一方に女性が働きやすいように男女雇用均等法の改正をおこない、女性が男性と格差をなくするる政策を重ねた。女性の労働人口は増えたが、保育園に入れない待機児童への対応が追い付かなく、慢性化している。

 経済格差が進み、結婚そのものをしない、できない構造的問題になっている。
 ぼくは90年代に姫島村のことを雑誌とテレビで知って、この村が将来の日本のモデルになるとよい、とまじめに考えていた。少子高齢化時代の国のありかたを、北欧型の高負担(税)高福祉の仕組みが日本の姫島村にある、と思っていた。北欧モデルが日本にもある、ということだ。
 村の公務員が、総人口の6人に1人でとても多い。給料は低く抑えられているが、生活維持はできる。それに漁業が近海魚だけではなく、クルマエビなど養殖を多くやっていて、村の基幹産業なのだ。経済の成長が鈍っても暮らしに困らない社会がそこにあるととらえていた。
 90年代は厚生省(当時の名将)はゴールドプランとして積極的に特別養護老人ホームをつくった。介護保険制度が動き出し、該当者をほぼ受け入れが可能だった。ケアマネージャーの職種がつくられケースが少なく利用も容易にできた。 
 メディアで老人介護のことはスウェーデンの紹介が記憶に残っている。あわせてスウェーデンの福祉の本を何冊か読んだ。当時は人口が神奈川県ぐらいで年間予算が東京都と同じぐらいというサイズのことより、18歳から60歳まで税を負担し、子どもと老人が福祉が行き届くということに共感したのだった。
 その分かち合いの哲学を背景として、仕事では今でいうワークシェアリングの社会に共感したのだった。その時は経済状況はまだ良好だった。

 姫島村は島という地勢的条件だからできている面がある。選挙が行われなかったことの良さとして、独裁的ではなく広くシェアするという日本の持っている精神風土があるのだろう。そのことからくるしがらみ、しきたり、コネといっ不合理な面もあるのかもしれないが、イメージとしては穏やかな暮らしなのではないか、と。
 人口は減っているが、どうやら学校が複式学級でなく維持できていることは重要な点だ。高校生になったら村外に行く。通学できているのではないか、と想像してみた。
 ぼくは旅行に出かけるとすれば、観光地よりこのようなところの空気を数日息を吸ってみるリアル体験で様々発見できる知的好奇心が活発になるのではないか、という思いがしている。

電車内化粧

2016-11-10 19:35:12 | 生活・教育・文化・社会
 昨日は隔週に通っている埼玉に行ったが、強い冷たい風が吹いて寒かった。木枯らし1号とのこと。いよいよ晩秋で冬の足音が近づいてくる。
 冬といえば、駅のコンコースには4階ぐらいの高さの巨大なクリスマスツリーが飾られていた。彩鮮やかなライトが施されたものだ。ハロウィンが終わってすぐクリスマス・・・・。

■ 大統領選挙
 帰宅したらアメリカ大統領選挙の開票日のため、それをどのテレビ局も放送していた。トランプが当選確実という報道で驚いた。どこの局のアナウンサーもその意外性からか、慎重で抑制的な声と表情だ。ぼくには沈痛、あるいは嫌悪感という読み取りができそうにも見えた。
 長期間続いた大統領選挙で品位のない暴言と誹謗中傷にへきへきして、ぼくはこのニュースを避けていた。
 アメリカ国民の亀裂、超大国の今後の行方は国際的に影響が強いだけに、これからは注視していかねばならない。

■ 電車内化粧
 購読している新聞で女性の電車内化粧を戒める発言に対して、その理由を化粧のにおいに対する嫌悪感を挙げていた。それに対して男性の加齢臭が迷惑だ、と指摘していた。
 におい論争は日常生活でよくあるもの、例えば家庭での食事等で発生するものは許容すべきではないか。におい体験では、かつて空港では、日本は酢のような匂いを感じたし、ある国の空港はその国のたばこのような初めて感じるにおいだった。においは文化でもあるとその時は思ったものだった。
 電車内のにおいといえば、去年女子高校生が4~5人がたったまま昼食を食べだした。1人が自前の弁当だったので車内にそのにおいがただよった。においが強いので不自然に感じたが、高校時代の昼休みの教室のにおいであり、なつかしく感じた。ぼくはにおい以上に不思議だったのは、彼女らが立ったまま掴まらないで食べていることだった。バランスを保ちながらいることに好奇と若さを感じたのだった。それにかつてなかった公共の場で食べることがよく目にするようになった。
 におい論争で男女が言い合っても排除感が強くなり、対立が鋭くなるだけだ。寛容性がやせ細っていく社会は窮屈になるだけ。
 しかし車内化粧は、教室化粧など公共空間での化粧は戒めるべきだ。化粧は女性が整えるためのプライバシーの行為ではないか。だから公共空間では見たくない、というのがぼくの考えだ。
 ただし、人間はじっとしていられない時にする行為がある。パフォーマンス学では「適応動作」という概念がある。古くからは足を動かす「貧乏ゆすり」といったことだ。スマホを夢中で見るのもその行為だろう。
 スマホは電車では許されるが、歩きながらや運転中となるとこれは、許されない。適応動作が個人の範囲を超えて社会的問題を引き起こすからだ。

ニュースとメディアリテラシー

2016-11-03 13:49:08 | 生活・教育・文化・社会
 朝から晴れて好天です。早朝のわが家の気温が9℃でした。初めて一桁の寒さです。これからさらに紅葉が進むでしょう。部屋に暖房を入れることにしました。

■ メディアリテレシー 
 長い間テレビではNHkが標準と思って見てきたが、数年前からあまり見なくなった。政権の広報のようになっていると疑いを持ち始めたからだ。それでも見るのはルーチーンになっているからだ。いつのまにか、見る目はメディアリテラシーの力をつけるためになっている。言い換えれば「ニュースの意図を読み解く」ようにしている。そのために新聞や雑誌を読み、他局と相対化するようにしなければならない。

 例えば昨日の「ニュースウオッチナイン」では、TPPについて次のような流れだった。山本農水相の暴言問題をされりと伝えた流れで、そのままTPP批准後に備えた農業者等の取り組みに移っていった。
 事例は3つだった。
 養豚業の人が肉の味の良い日本人好みのものを生産する取り組みをしている。レストランをしてすでに好評を得ている、とのこと。しかもこの人は、かつてTPP反対の立場であったことを、その時の集会に出ていた時の映像を丁寧に添えていた。
 次に米をベトナムで販売するため、現地でおにぎりをつくってデモストレーションをしたら高値でも好評とのことだ。
 さらに自動車部品メーカーがメキシコに輸出して、アメリカ向けの日本車の部品提供している。しかし関税がかからないのは量の制限があるので、それを避けるためにメキシコに工場をつくらなければならない。ところがTPPが批准されたら日本で生産して直接アメリカに輸出できる。
 これらの3事例は、とてもよく練られた内容だ。輸入肉より高価でも国内では味で勝てる、という品質の良いものの生産で大丈夫。品質の良い物を生産して輸出で勝負する。輸出に関税がかからない、あるいは安くなれば国内の中小企業にも良い。
 これらの内容は、結果として暴言問題とそれに伴う政局を回避して、TPP批准後でも競争力さえつければ日本の産業は良くなるという筋書きになっている。つまりすでにTPPの批准に備えて生産現場は進んでいるよ、遅れないで知恵を出したほうが良いよ、ということだ。
 国会の議論過程に触れずに事態は進んでいて、TPPに早く構えなければならないという、政権の宣伝になっているではないか。

 この番組は特に政権に忖度して制作していると思えるような作り方だ。過去のことで思いつくままに挙げれば、安保法案(戦争法案)反対のデモの映像は、集まりの末尾と思われるような映像を使う。中立報道ということだとうか賛成の映像を新宿西口で宣伝カーで呼びかけをしているもので、集会ではない。また大きなうねりになった反対のデモの全体像は、その時点で使わずに年末のニュースハイライトの番組に、1~2秒使っただけだった。
 アベ首相の外国での記者会見は、生のものを優先的に採用しているようだ。ある時はヨーロッパからいつもはスポーツの時間帯なのに優先的に20分ぐらい放送した。ある時は北朝鮮のことを、ニュース原稿を読み上げたすぐ後に同じ内容の記者会見を生で放送した。
 NHKは、受信料を払っているみなさまのものではなく、政権のものの色濃いものになっている。とくに現会長になってからあからさまになっている。
 
 新聞通信調査会によると情報信頼度は100点に対して、NHK69.8点、新聞68.6点、ネット53点、ということだ。情報にまじめにアクセスしようとするほどNHKの影響を受かるということか。

■ 憲法公布70年
 参院選では最後にわずかに触れただけだが、多数を取るとまた改憲論議が盛んになる。今朝のTBSの番組で全国紙4紙の憲法をどう記事で扱っているか紹介していた。
 さんけい 政権改憲案を扱う(1面トップ)
 よみうり 国会議員の70%を超える議員が改憲に同意(1面トップ) 
 まいにち 国民投票のあやうさ
 あさひ  憲法論議の改憲論の出発点になっている「押しつけ論」の誤り
 政権の思想の後ろ盾になっている「さんけい」、道付け役になっている「よみうり」という主張と役割が鮮明だ。

 ところで3日は戦前は「明治節」だった。それを復活しようという動きが始まっている。18年に明治150年を迎える時に実現しようとめざしている。1日に議事堂内で集会を開いた。それを進めているのが「明治の日推進協議会」であり、責任者は自〇党の選対委員長であるふるや氏だ。すでに署名集め活動をしている。1日の集会では防衛大臣のいなだ氏が講演をしたとのこと。
 「神武天皇偉業に立ち戻り日本の良き伝統を守りながら改革を進めるのが明治維新の精神だ」とのことだ。ぼくにはカルト教団か「革命集団」の言葉に聞こえるぐらいの驚きである。
 

国体、しぐさなど

2016-10-09 11:28:37 | 生活・教育・文化・社会
■「国体」という言葉を使う
 アソウ財務大臣が、会見で「国体」という言葉を使っていました。文脈からは、憲法ではありえない、戦前に使われていた意味でした。補足的に「日本の文化・・・」としていました。このニュース番組では特にコメントをしていませんでしたが、制作者が危惧して伝えようと思ったのでしょう。
 「国体」とは、広辞苑によると「主権または統治権の所在によって区別した国家体制」としています。さらに「国体の本義」として「1937年文部省が発行した国民教化のための出版物。記紀神話にもとづき国体の尊厳、天皇への絶対服従をとき、社会主義、共産主義、民主主義、個人主義、自由主義を排撃」とあります。
 戦時体制を強化するするために国民学校にしてから(昭和16年から)は、「臣民」と教えられ、天皇の赤子として、命をいとわず戦うと教育をされました。「教育勅語」をそらんじて学校内につくられた奉安殿に御真影と教育勅語の謄本が奉られ拝礼を強制しました。
 「国体護持」というのが、一切の乱れもゆすさない戦争へ突き進む言葉として力を持ったのでした。
 大臣の記者会見でなめらかに出てくる言葉としては、信じがたいのですが、以前に「ヒットラーのような方式で・・・」という発言で、国際的にも物議をもたらしました。
 現政権はもはや「暴走」「専断」「専横」といった言葉を超えて「独裁」状態になっているようです。
 政権を「独裁」と言ったのは、政権発足まもない15年に山崎拓氏が、ネットテレビ放送ででした。山崎氏はYKKの一人で、自民党重鎮で国防外交の専門家であり、立ち位置はハト派でした。
 国会で施政方針演説の際「警察、海上保安庁、自衛隊に敬意を示そう」という呼びかけに、自民党議員が立ち上がって拍手するという驚きの行動をとったのでした。
 これらの機関は、いずれも権力者の命令によって武力を行使する場合があります。災害救援など危険性を伴う業務をする公務員なので、その業務に心情的には好感を持ちます。しかしそれはよく知られる一側面です。好感を持つ側面に光を当て敬意を求めるのは、政権と同一化させることになりかねません。政党内だけならまだしも国会という公的場の演説中であり、やがて政党内だけでなく、彼らの業務に敬意を持てないのかということになりかねません。

■しぐさの変化
 *いただきます
  かつては「いただきます」と食事前の言葉を発する行為は、ぼくは西日本では合掌を伴うが東 日本では言葉だけと認識していました。これはぼくの観察とある期間学生に挙手をしてもらって 分かったのが根拠でした。ところがこのところ全国的に「いただきます」の言葉と合掌がともな うようになっているようです。
  これは給食の際そのような指導をするようになったからととらえています。また海外で食事前 に一斉に言葉を発したりする国があるのでしょうか。英語には「いただきます」の言葉はありま せん。

 *ハグ
  日本はお辞儀文化ですから、身体の接触をさけることが絶対でした。それが握手を取り入れる ようになりました。ぼくも久しぶりに親しい人あったとき握手をする場合があります。海外に出 かけるようになってからでした。選挙の握手はいつごろから始まったのでしょうか。
  最近はハグをすることも見られます。とくにスポーツの喜びを共有する際はあたり前になって います。ぼくの観察では、サッカーW杯フランス大会の98年頃からサッカーの試合の得点後ハ グをしながら喜び合うことが普及しました。今では野球やオリンピックのどの種目でも感情を共 有する作法になっているようです。一般のあいさつとしてもしている人がいるようです。

 *ハイタッチ
  これは相当普及しています。新しいことの取入れの苦手なぼくも、テニスのダブルスの相手  にハイタッチをする場合があります。コーチにダブルの試合の際、際得点をしたらハイタッチす るとアドバイスをされています。

 *こぶしを握る
  最近は写真を撮るとき腕の肘をまげてこぶしを握るしぐさをしている人が増えています。普及 している笑顔で指をYにするのとは随分違います。
  こぶしをつくるのは自己主張、強さ、決意といって意味を持ちます。指をYにして笑顔になる のは、共感、受容、相互応答といった穏やかなサインです。世の中自己主張をし続けるようになって いるとすれば、シャイと言われる日本人像からしたら大変な変化です。

■監督解任 
 サッカーでは、負けが続くと監督解任はめずらしいことではありません。監督のチームづくり方針の成果が上がらない場合です。いわゆる結果がともなわないときです。
 これは監督の方針が実らないのでチームづくりを新しいものにするということ、選手に事態が深刻であることを認識させて奮起を促すという効果も含まれています。
 ただし長期間のリーグを戦うときは有効の場合があります。サッカーのヨーロッパ標準の契約関係、という文化を反映されたことでもあります。

 今日の「サンデーモーニング」(TBS)で中西(元サッカー選手)氏が録画コメントで「オーストラリアに負けたら監督解任だ」といっていました。1分もないコメントなので内容は言いにくいでしょうが、どうすればオーストラリアに勝てるか、という課題に触れず監督解任を強調するということはどういうことなのでしょうか。
 もしかしたら長いコメントを、編集の際解任という言葉を残したのかもしれませんが、いずれにしてもこのようなコメントを続けている限り「日の丸への応援」であり、サッカー愛好者は増えないでしょう。そのことでスポーツの国家主義的利用が容易になります。すでになっているのかもしれません。
 サッカー関係者は特にサッカー愛好者、サッカーの内容をわかる人を増やさなければ、長期的にはサッカー文化が根付きませんよ。

  *上記の「しぐさ」で「Y」と書いたが、「V」であることを思い出しました。大学の出雲マ   ラソンで優勝した青学大のゴールテープを切った写真が新聞に掲載されていて「V」をして   いました。ぼくの記憶では70年代後半から広がったのではないか、と推測しています。と   ころでぼくはこれを1度もやったことはありません。