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ドイツ メルケル首相の国民へのメッセージ

2020-04-09 15:34:22 | 生活・教育・文化・社会
コロナウイルス対策について(2020/3/18)  
メルケル独首相の演説全文
林美佳子(ドイツ語翻訳家)

 親愛なる国民の皆様、 コロナウイルスは現在わが国の生活を劇的に変化させています。私たちが考える日常や公的生活、社会的な付き合い ― こうしたものすべてがかつてないほど試されています。
 何百万人という方々が出勤できず、子どもたちは学校あるいはまた保育所に行けず、劇場や映画館やお店は閉まっています。そして何よりも困難なことはおそらく、いつもなら当たり前の触れ合いがなくなっているということでしょう。もちろんこのような状況で私たちはみな、これからどうなるのか疑問や心配事でいっぱいです。

 私は今日このような通常とは違った方法で皆様に話しかけています。それは、この状況で連邦首相としての私を、そして連邦政府の同僚たちを何が導いているのかを皆様にお伝えしたいからです。開かれた民主主義に必要なことは、私たちが政治的決断を透明にし、説明すること、私たちの行動の根拠をできる限り示して、それを伝達することで、理解を得られるようにすることです。
 もし、市民の皆さんがこの課題を自分の課題として理解すれば、私たちはこれを乗り越えられると固く信じています。このため次のことを言わせてください。事態は深刻です。あなたも真剣に考えてください。東西ドイツ統一以来、いいえ、第二次世界大戦以来、これほど市民による一致団結した行動が重要になるような課題がわが国に降りかかってきたことはありませんでした。

 私はここで、現在のエピデミックの状況、連邦政府および各省庁がわが国のすべての人を守り、経済的、社会的、文化的な損害を押さえるための様々な措置を説明したいと思います。しかし、私は、あなたがた一人一人が必要とされている理由と、一人一人がどのような貢献をできるかについてもお伝えしたいと思います。

 エピデミックについてですが、私がここで言うことはすべて、連邦政府とロバート・コッホ研究所の専門家やその他の学者およびウイルス学者との継続審議から得られた所見です。世界中で懸命に研究が進められていますが、コロナウイルスに対する治療法もワクチンもまだありません。
 この状況が続く限り、唯一できることは、ウイルスの拡散スピードを緩和し、数か月にわたって引き延ばすことで時間を稼ぐことです。これが私たちのすべての行動の指針です。研究者がクスリとワクチンを開発するための時間です。また、発症した人ができる限りベストな条件で治療を受けられるようにするための時間でもあります。
 ドイツは素晴らしい医療システムを持っています。もしかしたら世界最高のシステムのひとつかもしれません。そのことが私たちに希望を与えています。しかし、わが国の病院も、コロナ感染の症状がひどい患者が短期間に多数入院してきたとしたら、完全に許容量を超えてしまうことでしょう。

 これは統計の抽象的な数字だけの話ではありません。お父さんであり、おじいさんであり、お母さんであり、おばあさんであり、パートナーであり、要するに生きた人たちの話です。そして私たちは、どの命もどの人も重要とする共同体です。
 私は、この機会にまず、医師として介護サービスやその他の機能でわが国の病院を始めとする医療施設で働いている方すべてに言葉を贈りたいと思います。あなた方は私たちのためにこの戦いの最前線に立っています。あなた方は最初に病人を、そして、感染の経過が場合によってどれだけ重篤なものかを目の当たりにしています。
 そして毎日改めて仕事に向かい、人のために尽くしています。あなた方の仕事は偉大です。そのことに私は心から感謝します。

 さて、重要なのは、ドイツ国内のウイルスの拡散スピードを緩やかにすることです。そして、その際、これが重要ですが、1つのことに賭けなければなりません。それは、公的生活を可能な限り制限することです。もちろん理性と判断力を持ってです。国は引き続き機能し、もちろん供給も引き続き確保されることになるからです。私たちはできる限り多くの経済活動を維持するつもりです。
 しかし、人を危険にさらす可能性のあるものすべて、個人を、また共同体を脅かす可能性のあるものすべてを今減らす必要があります。人から人への感染リスクを可能な限り抑える必要があります。

 今でもすでに制限が劇的であることは承知しています。イベント、見本市、コンサートは中止、とりあえず学校も大学も保育所も閉鎖され、遊び場でのお遊びも禁止です。
 連邦政府と各州が合意した閉鎖措置が、私たちの生活に、そして民主主義的な自己認識にどれだけ厳しく介入するか、私は承知しています。わが連邦共和国ではこうした制限はいまだかつてありませんでした。
 私は保証します。旅行および移動の自由が苦労して勝ち取った権利であるという私のようなものにとっては、このような制限は絶対的に必要な場合のみ正当化されるものです。そうしたことは民主主義社会において決して軽々しく、一時的であっても決められるべきではありません。しかし、それは今、命を救うために不可欠なのです。
 このため、国境検査の厳格化と重要な隣国数か国への入国制限令が今週初めから発効しています。

 経済全体にとって、大企業も中小企業も、商店やレストラン、フリーランサーにとっても同様に、今は非常に困難な状況です。
 今後何週間かはいっそう困難になるでしょう。私は皆様に約束します。連邦政府は、経済的影響を緩和し、特に雇用を守るために可能なことをすべて行います。
 わが国の経営者も被雇用者もこの難しい試練を乗り越えられるよう、連邦政府は、必要なものをすべて投入する能力があり、またそれを実行に移す予定です。
 また、皆様は、食料品供給が常時確保されること、たとえ1日棚が空になったとしても補充されること信じて安心してください。スーパーに行くすべての方にお伝えしたいのですが、備蓄は意味があります。ちなみにそれはいつでも意味のあるものでした。けれども限度をわきまえてください。何かがもう二度と入手できないかのような買い占めは無意味ですし、つまるところ完全に連帯意識に欠けた行動です。
 ここで、普段あまり感謝されることのない人たちにもお礼を言わせてください。このような状況下で日々スーパーのレジに座っている方、商品棚を補充している方は、現在ある中でも最も困難な仕事のひとつを担っています。同胞のために尽力し、言葉通りの意味でお店の営業を維持してくださりありがとうございます。

 さて、今日私にとって最も緊急性の高いものについて申し上げます。私たちがウイルスの速すぎる拡散を阻止する効果的な手段を投入しなければ、あらゆる国の施策が無駄になってしまうでしょう。その手段とは私たち自身です。私たちの誰もが同じようにウイルスにかかる可能性があるように、今誰もが皆協力する必要があります。まず第一の協力は、今日何が重要なのかについて真剣に考えることです。パニックに陥らず、しかし、自分にはあまり関係がないなどと一瞬たりとも考えないことです。不要な人など誰もいません。私たち全員の力が必要なのです。
 私たちがどれだけ脆弱であるか、どれだけ他の人の思いやりのある行動に依存しているか、それをエピデミックは私たちに教えます。また、それはつまり、どれだけ私たちが力を合わせて行動することで自分たち自身を守り、お互いに力づけることができるかということでもあります。

 一人一人の行動が大切なのです。私たちは、ウイルスの拡散をただ受け入れるしかない運命であるわけではありません。私たちには対抗策があります。つまり、思いやりからお互いに距離を取ることです。
 ウィルス学者の助言は明確です。握手はもうしない、頻繁によく手を洗う、最低でも1.5メートル人との距離を取る、特にお年寄りは感染の危険性が高いのでほとんど接触しないのがベスト、ということです。

 こうした要求がどれだけ難しいことか私は承知しています。緊急事態の時こそお互いに近くにいたいと思うものです。私たちは好意を身体的な近さやスキンシップとして理解しています。けれども、残念ながら現在はその逆が正しいのです。これはみんなが本当に理解しなければなりません。今は、距離だけが思いやりの表現なのです。
 よかれと思ってする訪問や、不必要な旅行、こうしたことすべてが感染を意味することがあるため、現在は本当に控えるべきです。専門家がこう言うのには理由があります。おじいちゃんおばあちゃんと孫は今一緒にいてはいけない、と。
 不必要な接触を避けることで、病院で日々増え続ける感染者の世話をしているすべての方々を助けることになります。こうして命を救うのです。多くの人にとってこれはきついことでしょう。誰も一人にしないこと、声かけと希望が必要な方たちの世話をすることも重要になってきます。私たちは家族として、また社会として別の相互扶助の形を見つけるでしょう。
 今でもすでに、ウイルスとその社会的影響に対抗する創造的な形態が出てきています。今でもすでに、おじいちゃんおばあちゃんがさみしくないようにポッドキャストをするお孫さんたちがいます。
 私たちは皆、好意と友情を示す別の方法を見つけなければなりません。スカイプや電話、イーメール、あるいはまた手紙を書くなど。郵便は配達されるのですから。自分で買い物に行けないお年寄りのための近所の助け合いの素晴らしい例も今話題になっています。まだまだ多くの可能性があると私は確信しています。私たちがお互いに一人にさせないことを社会として示すことになるでしょう。
 皆様にお願いします。今後有効となる規則を遵守してください。私たちは政府として、何が修正できるか、また、何がまだ必要なのかを常に新たに審議します。
 状況は刻々と変わりますし、私たちはその中で学習能力を維持し、いつでも考え直し、他の手段で対応できるようにします。そうなればそれもご説明します。このため、皆様にお願いします。噂を信じないでください。公的機関による通達のみを信じてください。通達は多くの言語にも翻訳されます。

 私たちは民主主義社会です。私たちは強制ではなく、知識の共有と協力によって生きています。これは歴史的な課題であり、力を合わせることでしか乗り越えられません。
 私たちがこの危機を乗り越えられるということには、私はまったく疑いを持っていません。けれども、犠牲者が何人出るのか。どれだけ多くの愛する人たちを亡くすことになるのか。それは大部分私たち自身にかかっています。私たちは今、一致団結して対処できます。現在の制限を受け止め、お互いに協力し合うことができます。
 この状況は深刻であり、まだ見通しが立っていません。 それはつまり、一人一人がどれだけきちんと規則を守って実行に移すかということにも事態が左右されるということです。
 たとえ今まで一度もこのようなことを経験したことがなくても、私たちは、思いやりを持って理性的に行動し、それによって命を救うことを示さなければなりません。それは、一人一人例外なく、つまり私たち全員にかかっているのです。
 皆様、ご自愛ください、そして愛する人たちを守ってください。ありがとうございました。

【試訳終了】
 日本語の表現としていまいちなところもあるかもしれませんが、スピードを重視した結果ですので、目をつぶっていただけたらと思います。

病院での親子の姿から

2020-02-15 16:04:40 | 生活・教育・文化・社会
 半年ごとに眼科に定期健診に通っています。検査と待ち時間で1時間半ぐらいでしたが、待合室での親子と思われる2人連れに、様々思いを巡らしたのでした。
 母親は80歳代と思われ、杖をつきながら歩くことに難儀をしていました。その歩くのを支えになっている娘と思われる人は、60歳代と思われました。それだけならよくある光景ですが、娘と思われる人が全盲でした。
 母親は視力障碍の娘の子育てには、人知れぬ思いと体験があったことでしょう。娘を「手引き」して視力を助けながら育てたでしょうが、老いては立場が逆転して娘に支えられての歩行です。
 病院でもあり待合室は広いのですが、歩行空間は限られています。母親の足を助けるため手を添えた白杖を持たない娘は、ゆっくりたしかな歩行をしていました。母親は娘に手をゆだねてその力を借りていました。母親の足を娘が、娘の目を親が助けあっているのでした。

 かつて視覚障碍の教育にかかわったことがあり、視覚障碍者と交わる経験をした者として、その親子の姿に思いをめぐらしたのでした。この親子こそが「絆」の関係そのものではないか、と。そして老いてからの親子の支え合いにも、思いをめぐらす時間になりました。


戦前の綴り方教育実践

2019-02-09 16:34:39 | 生活・教育・文化・社会
 降雪の予報で、最高気温が3℃ぐらと、寒い1日でした。しばらく休んでいたテニスを再開しました。レッスンの日なので楽しみにしていたが、休みとのことで残念でした。次の行動に移れないままテレ朝の「題名のない音楽会」を見ての後、ぼくにとって重要な番組を、思いがけず見ることができました。

 制作がYBC山形放送の「挿画とつづり方」という番組でした。内容は、戦前の昭和一桁から始まった生活綴り方の教育のことでした。子どもが自らの生活を見つめそれを綴り、絵を描くという実践です。子どもに生活を見つめ、そこからその周辺や社会的なものへの関心や認識につながるという教育です。
 その教育を実践していた教員は、満州事変(昭和8年)、日中戦争(昭和12年)を節目に戦争に国民を動員するたえめに治安維持法によって弾圧されました。指導的立場の村〇俊太朗(紙に名前を書かれた映像を紹介)は、投獄されましました。戦後も継承して指導的立場にいた国〇一太郎は戦後も指導的立場にあり、生誕100年ということでその業績にも触れられていました。
 これらのことについてぼくは、今は遠ざかったものの、関心のある時期に本を読んでいました。今日も続いている作文教育については、ある時期まで実践を読んだり専門雑誌も購読していました。
 
 放送された作品は、実践した存命の元教員、指導を受けた人のインタビュー、それに絵がたくさん紹介されていました。戦後の実践であり映画になった「やまびこ学校」の映画もわずかに見ることができました。ぼくが小学校中学年だったでしょうか、学校の映画教室で見たことを思い出しました。それに触発されて、当時の自分の学校生活を回想することになりました。

 さてこの作品は、テレ朝の番組表では「民教協SP 家族の絆感動!! 子どもの絵と詩▽貧しさと幸せの道標教育の原点」とありました。この予告を読んで、教育に関する放送だろうとは思ったものの、作品紹介とは思えませんでした。作品が戦前の教育実践と権力の弾圧という限定的内容と思われがちのため、多くの視聴者に届けようとするためだったのでしょうか。関心の高いぼくの場合は、番組表の表現では見なかったかもしれません。

 制作したYBC山形放送局のHPで確かめたら、民間放送教育協議会に加盟している33局で9日、10日に放送されました。「戦争がうばった子どもたちの心」という紹介文と多くの絵が掲載されています。
 ぼくはこのところ、国民学校(昭和16年から)から戦後10年ぐらいまでの教育の実際に関心がありましす。当事者に該当するだろう年齢の人には、聞き取る機会をうかがっています。また1年ぐらい前に『戦時下の絵本と教育勅語』(山中恒 子どもの未来社 1500円)読んことが、その延長として考えているのです。、
 テレビの作品では、体験者のインタビュー子どもの作品等を通して、時代の経過を知ることができるし、ぼくの想像も膨らませることができました。見終わった後感涙にひたりったのでした。企画、内容によっては、テレビの力は大きいものがある、としみじみ考えたのでした。

 *一部に誤りがあったので、修正しました。(2月10日)
 *加筆修正をしました。(2月11日)

 

 

珍しい学校が土地取得疑惑

2017-02-13 19:14:25 | 生活・教育・文化・社会
 珍しい学校の創立ということをコラムで紹介した(1月29日)が、その土地取得をめぐって疑惑が浮したとのこと。明日発売の2.24号の『週刊朝日』によると、小学校設立の土地は隣接地の10分の1の値で取得したとのことだ。

 創立の学校は「瑞穂の國記念小学院」といい、豊中市に神道を教育の柱にして神社を建築しいる。
 その土地は国有地であり、学校は8770平方メートルを1億3400円で取得した。ところが隣接地の9492平方メートルを市が公園整備のため購入した額が14億2300円である。市の購入価格は1平方メートルあたり15万円、学校の購入価格は1万5千円で、なんと10分の1の開きがある。

 小学校の名誉校長がアベ首相のパートナーであり、法人の理事長は日本会議大阪の役員をしている。何か格別の配慮、不正があったのではないかという疑惑が生じてもおかしくはないのではないか。

*『週刊朝日』2.24号を資料にした記事です。
*内容の詳細は、『朝日新聞』2月9日に掲載されています。

*2月14日の『朝日新聞』に理事長への取材記事を報じている。国は法人への売却に当たり8億円のごみ撤去費を見込み、それを差し引いた額で売却。法人はごみ撤去に1億円をかけたとのこと。隣接の市の公園土地は国がゴミ撤去して売却したのだろうか。謎はこれから解明が必要ではないか。(2月14日)

マティス氏の日本での行動はわずか

2017-02-07 18:10:02 | 生活・教育・文化・社会
 立春が過ぎて陽ざしが一段と明るくなりましたが、朝夕の寒さはまだまだ続いています。
 わが家の庭にふきのとうが出ているのを見つけました。おどりこそうがだんだんその姿がわかるぐらい生長しています。ウォーキングの道の梅は花が咲き始めており、春遠からじという感じです。
 
 アメリカのマティス国防長官が来日したとき、搭乗していた飛行機は横田基地に着陸しました。おや、と思ったら、ヘリコプターに乗り換えて国会のすぐそばの赤坂にある米軍基地に着陸しました。ここまではアメリカの所有であり、日本の地を行動したのは、国会までのわずかな距離でした。
 赤坂に米軍基地があるとは知らなかったので、地図を見たら記名はありませんでした。それらしい土地がありましたので、この辺かな、と推測してみました。
 ところで東京の都内に米軍基地が7カ所あるということです。知らなかったな・・・。首都にそれだけの基地を提供しているとは。日本の政府のおおよその情報等は、アメリカが把握できるということです。
 そういえば広大な横田基地も占有しています。そのこともあって、横田空域といって上空3700m~7000mが米軍が管制業務をしています。ということは、その空域は米軍の許可なしに、日本の飛行機は飛行できないということです。

 米軍の費用負担が(思いやり予算)膨大だけでなく、首都に米軍の施設がたくさんあることの不自然さを思っている人は少なくないのではないでしょうか。
 ドイツ、フィリピン、韓国等アメリカとの同盟国であるところでは、基地や米軍の費用負担は日本ほどではないのは言うまでもありません。
 沖縄の基地負担が大きいのに、痛みが現地以外で顕在化されずに辺野古の工事が再開されました。10日のアメリカへのおみやげだと胸を張って会談とゴルフに向かうのでしょう。信頼関係をつくるだと、とほほ・・・。

*都内の基地の数はネットテレビから、米軍が空域管理はあるブログのコメントからです。いずれも信頼できる情報です。

ふるさと納税と納税意識のゆらぎ

2017-02-03 16:01:02 | 生活・教育・文化・社会
 朝は0℃と寒い。11時台にウォーキングをしたら気温は10℃ぐらいだが、陽ざしが明るく穏やかだった。いつもの林の入り口のベンチで、は老人男性がたちが語り合っていた。70歳後半から80歳代の年齢のようだ。自転車で来て仲間たちと集っていて、良い雰囲気だ。
 この頃遊歩道に出る直前のにある豆腐屋で、おからや豆腐を買うようになった。午前中は高齢ながら元気な男性が対応している。ぼくよりはるかに年上だが、元気な声と笑顔なので気持ちが良い。この年齢の人は住み込みで仕事を覚え独立したのか、と勝手にライフヒストリーを想像する。
 豆腐は工場生産でスーパーへという時代にあって、個人営業の豆腐屋を維持するのは簡単ではないだろう、などの余計なことを想像してしまう。近くの他の小売店など、廃業したところもあるので。
 
 昨日NHKのニュースでは、「ふるさと納税」のため東京23区で130億円の税が他市町村に納入されたとのことだ。130億円の税収が減ったということだ。
 とくに税収減の多い区は世田谷区で、その額は30億円とのこと。去年の16億5千万円から2倍ぐらいの減収だ。政令市政都市なみの、90万人近い人口で、予算額が3千億円ほどであり、30億円というのはある分野の大きな事業ができなくなるぐらいの規模である。区の住民にとっては、納税に見合う公的サービスが受けられなくなるのである。減収を食い止めるすべがなく、今後一層拡大する可能性があるだろう。
 
 「ふるさと納税」を利用する人が多くなっている大きな要因は「返礼品」への期待がある。利用する人の負担がなくて日頃手にできないような品物にありつけるという「お得感」、もっと言えば人によってはギャンブル的気分が満たされるところにあるのではないか。
 一方受け取る側の住民税収以外増収は、どのように使われているのだろうか。税収の10%をはるかに超える市町村もあるという。これは不安定な収入であり、特別な事業に使われる可能性が想像されるが、詳しい報道に接していないので知りたいところだ。
 ぼくは、孫の代まで財政立て直しに取り組まなくてはならなくなっている夕張市を支援しようという「財政再建協力納税」のようなものだったら、わずかながら協力したいと思う。
 「ふるさと納税」は地方創生とはいって、経済活動の装いをして小さな欲望を満たす仕掛けになっており、株式の上限に一喜一憂する金融にも似ているようにも思う。 

 東京の区でも、杉並区ではふるさと納税による減収を食い止めるために「返礼品」を用意した。つまり大都市が、地方あるいは近隣の区市から集めて減収少なくしようと取り組み始めた。しかも区の用意した「返礼品」の大部分は地元のものでなく、各地のもので酒や肉といっもの。

 本格的に減収を防ぐには、住民の納税者すべてに「納税お礼品」をすればよい。これは違法であることは言うまでもないのでできない。ぼくはそのぐらい「ふるさと納税」は自治体の財政にゆがみを持たすもので、滑稽とさえ思っている。
 しかし本来の住民サービスが手薄になるという、税そのものの本来の意味がゆらいでしまう「ふるさと納税」への疑問はますます膨らんでいくのだ。
 子どものころからある「納税の義務」がゆらぎ「お得感」のカタログを見て「返礼品」の選択にワクワクする姿は、いかがなものか。

*世田谷区の予算額は、推測で記述したので誤っており、訂正します。(2月7日)


珍しい学校

2017-01-29 20:10:49 | 生活・教育・文化・社会
■ 瑞穂の國記念小学院の創立
 タカ派政治は日①会議の影響の拡大の反映であることは、知られるようになった。日①会議関連本が数冊流通している。その思想を教育の場で実践している幼稚園がある。

 大阪市②川区にある塚①幼稚園である。ここでは創立者が「あえて出る③となれ」と謳い、象徴的には「教育④語」「⑤か条のご誓文」をみんなで唱える、いわゆる軍歌を歌うといったことを、教育実践に盛り込んでいる。
 園外では護国神社前で、大勢を見ている中で「教育④語」を唱える。そこにはタカ派政治家、著名人といわれている人が参加し激励のあいさつをする。⑥神宮参拝合宿も行っている。
 このように書きながら、戦前の皇国民教育を象徴することを幼児におこなっていることに、驚くばかりである。私学の独自性といってもおよそ子どもが理解しがたい反復させることは、教育といえるものか、疑問を持つのである。
 その幼稚園を母体として4月から小学校を創設する。豊中市に⑦の國記念小学院という学校である。創設初年度は1,2年生を募集する。
 その小学校の名誉校長は安⑧⑨恵氏である。その人こそアベ首相夫人である。首相とは別人格であるが、ファストレディーといわれる人である。公人ではないが、めずらしい理念を掲げた私学の推進を担う立場になるのである。
 メディアでまだ取り上げられていない。週刊誌の新聞広告で、写真を中心にした週刊誌1誌取り上げていることを見たことがある。
 日①会議、この際日①会議系としておこう。その系の研究者等が文科省の教科書調査官をし検定に影響力を持ったり、あるいはテレビ等の「保守」の立場で発言をする。また「美しい日①の歌・・・」という団体をつくって活動したり、⑩隊を賛美する「マザーズ」という演劇上演をおこなう等、メディアや文化活動を通して暮らしの中に活動が広がり、偏狭なナショナリズムを鼓舞させることになっている。

*上記の伏文字は下記の番号を当てはめると理解が容易になる。幼稚園、小学校についてはネットで検索すると詳細が知ることができる。また、教育活動については動画でも紹介されている。
①本②淀③杭④勅⑤五⑥伊勢⑦瑞穂⑧倍⑨昭⑩特攻

*2月23日(木)の「ニュース23」の星キャスターは首相夫人は公人としていた。ぼくは一般的夫婦の平等という観点で私人とかいたが、名誉校長の肩書を首相夫人としていたので、公人であると理解した。(3月1日追記)


■ 幸福の科学学園
 幸福の科学は、80年代から新聞広告に教義等の出版物が紹介されるようになった。このところは、国政選挙に大量に立候補し、得票が規定に達しないため供託金を数億円支払っている。
 二世教育の必要からか、10年に栃木県那須市に全寮制の幸福の科学学園中高を創立した。卒業生を出すと同時に大学創立を構想し、16年開学を目指して文科省(大学審議会)に申請したが、認可されなかった。
 大学設置は、推測するにカリキュラムと教員の審査が基準を満たしていなかったのではないだろうか。とくに独自な宗教に関する科目に対して学問的というより教祖の教義が主要であれば認可は難しい。それに研究者である教員を、研究業績のともなった人がどの程度集められたか、ということではないか。
 また中高は13年に滋賀県大津市に創設した。ここは全寮ではなく、寮と通学を選択できる。

 新宗教といわれている教団が学校を創立することはまれなことではない。高校野球にたびたび出場する新宗教といわれている高校は、少なくない。
 

どうなるアメリカ・トランプ

2017-01-20 12:28:58 | 生活・教育・文化・社会
 ドナルド・トランプでこれからのアメリカはどうなるのか。
 アメリカ大統領という超大国で国際秩序に影響のある立場になる人が、間もなく就任式をする。世界中が、これまでのどの大統領就任より注目しているだろう。
 予備選、大統領選、就任までと、これまでの政治家の物差しでは測れない暴言をツイッターという情報発信武器を使ってやっている。大統領に決定後は、個別の企業への恫喝とも取れることを発信している。ツイッターでの一方的発信が、大統領の公式見解と受け止めざるを得なく、アメリカ企業はトランプの意に沿って雇用増になるよう軌道修正している。
 ビジネスマンの交渉手法だということだが、ツイッターのわずかな文字の発信に一喜一憂しているような大国アメリカ、近代的民主主義アメリカが一方的で結論だけの情報で変わっていくことに驚いている。
 トランプは、ツイッターを2機種を使っているとのことだ。一つは暴言恫喝あり、もう一つは冷静に前言を少し穏やかに緩和する内容との分析も行われている。チームを作って情報戦略を練って行われているのだろうことは想像がつく。
 ぼくはトランプ就任後のアメリカはどうなっていくかに関心がありながらも、一方には遠ざけて深入りしたくない、という思いもある。それは断片の情報に右往左往させられ惑わされるのが疲れる、ということ。
 しかし日本はアメリカ大統領の動向に敏感でなければならないし、テレビのコンテンツとしては良いので、これからも付き合わされるのだな・・・。これからどうなる・トランプ!
 

江戸しぐさ

2017-01-08 19:52:33 | 生活・教育・文化・社会
 このところでは珍しく曇りで寒く、14時ごろからは雨が降り続いています。町内会で餅つきをしていました。数年前に立ち寄った記憶がありますが、その時の印象と違っていました。以前は年配者が多くて子どもの声でにぎわっていたように記憶しています。
 今回は始まって1時間ぐらいでしょうが、1升瓶が10本近くあけられてご機嫌の年配者が目につきました。子どもの声より大声でしゃべっていました。普段できない交流なのでしょう。
  

 新聞のチラシにカルチャーセンターの案内がありました。その一つに「江戸の知恵を今に活かす」というタイトルがあるのが目に留まりました。「江戸しぐさ」を学ぶということです。
 江戸しぐさとは、江戸の町人がしていたとされるマナーを学んで今に活かそうというものです。
 例えば「傘かしげ」と称して、人ごみで傘をさす時傘をかしげてぬれないように配慮をする。「時泥棒」として、断りなく訪問したり遅刻すると相手の時間を奪うことになると。「喫煙しぐさ」では、非喫煙者のいるところで喫煙しない。
 これが話題になってすぐに本を購入しざっと読みましたが、ぼくが描いていた江戸町人のイメージとかなり異なるので、素通りしていました。
 「傘かしげ」では、傘は多くの町人が持っているものではなかった。しかもぶつかるぐらいの多くの人が道を歩いていたのか。「時泥棒」は、時計が個人では持たなかったた時代に、厳しい時間感覚がなかったのではないか。「喫煙しぐさ」についても、密閉した部屋は少なく、喫煙者も少なかったはずだ。
 もっと大きくは何らかの基準による序列社会だったので、上位者の多くの行動基準であり、それに下位者が従うとしたら、上記の3つの例はいずれも必要としなくてよいのではないか。

 ところでこの「江戸しぐさ」は社員教育や学校の道徳の教科書に採用されているという。最近この「江戸しぐさ」を架空のものであり作り上げられたものだと、全面的に批判する本を読んで、納得した。その本は『江戸しぐさの正体』(14年星海社)、『江戸しぐさの終焉』(16年星海社)で、著者はいずれも原田実である。
 「江戸しぐさ」はつくられたものでカルト的に普及活動しているものだ、ということ。
 去年市の施設で講演会として催していて身近に普及活動している人がいるのだと注目していた。それが事業者がやるカルチャーセンターに登場するとは、少し驚いている。

 この種のものは、つくられたものだったり、しきたりを家元のように普及をさせる活動をしている人がいる。正月にかかわることでマナー学院という肩書で、今時受け入れがたい年賀状作法をラジオで長々説いていたのを、去年車を運転しながら聞いた。
 その人が今年はテレビで話をしていた。この種の人たちは自分を絶対者として話すので、妙に説得力を感じさせるものだ。 
 
 教員養成で学んだ若い人が、「教育勅語はアメリカで普及してきている」などいくつかのことを、あり得ない話を真顔で話をしていたのがよみがえってきた。

高齢者を75歳からと規定変更ー上

2017-01-06 19:00:47 | 生活・教育・文化・社会
 高齢者を75歳からと、日本老人学会が提言した。65歳から74歳までを準高齢者といい、90歳以上を超高齢者ということに定義の変更を提言した。
 学会独自の見解であるが医療等学問的根拠もあるとのことだ。「定義を変えることで、社会福祉などがネガティブなほしくない」といっている。テレビのニュースでは別団体の人が「高齢者の暗いイメージが変わる・・・」といった趣旨の発言をしていた。この言葉は編集されて切り取られたものなので全体が分からないが、定義が変われば状況が変わるわけではない。ただ状況の変化にそって定義を変えたというわけだ。
 それにしても一気に10歳も上げるということは、高齢者の状況(主として健康年齢)に激変が起きているのだろうか。それともこれまでの定義が社会的認知や高齢者の福祉や社会保障制度が手探りだったせいだろうか。
 
 福祉など社会保障が整備されていない時は、定義の必要がなかった。定義を変えるということは制度を変える根拠になることは明らかである。今後この定義に沿って高齢者の社会的認識になるだろうし、行政等の変わることは容易に考えられる。
 すでに小泉進次郎氏が、11月にアドバルーンを上げている。おそらく学会の定義変更情報をあらかじめ得た発言したことは考えられる。すぐ財政負担の軽減のためと結びつけるだろうから、しかるべき責任ある立場ではない人にアドバルーンを上げさせたのか。かなり巧妙な世論誘導かな・・・。

 高齢者が変化していることは確かである。とくに今は健康年齢の維持と上昇についての情報が多い。そのためウォーキングなどは多くの人がやっている。
 厚労省の政策の下に「地域包括センター」をつくり、高齢者問題を行き届くようにしている。さらに健康年齢維持のために、自治体ごとに様々な工夫で取り組んでいる。わが市では町内会単位に各週ごとに身体活動やレクレーションを始めている。
 歩行速度が10年間で10歳早くなっているとのことだ。10年前に65歳の人の歩行速度が、今は75歳になったとのこと。人手不足もあって、スーパーのレジなどでも70歳代の人が多く働いている。もちろん生活のために賃金を得るためだる。

 90年代ぐらいまでは、NHKで「百歳万歳」という短い番組があり、百歳以上は珍しかった。今は5万人以上で稀なことでなくなった。103歳の医師が仕事をしていると、時々テレビに登場する。
 かつて「きんさんぎんさん」がテレビによく登場したころは、日本社会の長寿をめでる文化の継承だった。
 その頃から老人の福祉と社会保障に本格的に取り組むために、行政用語として「高齢者」という言葉を使うようになった。
 元来「老人」という言葉は敬意の意味があった。「元老」「長老」「老舗」などの言葉がある。また「年寄り」だって、相撲界では尊称でる。最近はあまり聞かなくなったが親方名を「年寄〇〇」ともいう。
 今は行政用語である無機質な、高齢者がスマートな言葉のようになじんで使われるようになった。

 (続く・3にわたって書く予定)