8日(月)のデパートでおこなわれた世界絵本展では、子どもへの読み聞かせをしました。絵本ナビは株式会社なのだが、事務局長という肩書きの30歳代の金○秀×氏が、30分ほどしたのです。
わたしは気づかれず、かつ不審者と思われないように距離をとって聞いたのでした。
不特定な子どもや親を相手にしている体験からか、子どもや親といった対象への話しかけには力を注いでいました。その相互応答型の感覚は、十分感じ取ることができました。しかしそれは、絵本の言葉と内容を伝えるというよりは、説明にウエイトが置かれているようでした。子どもに受け入れられねばとの思いで、反応が気になっていたのでしょう。とくに対象の子どもが2、3歳児ぐらいだったから、ということもあります。
ところでなぜ説明的かというと、ストリーの内容に即した語りではなく、それとは無関係に途中で止めて、子どもに話しかけていました。これではむしろストリーの世界に入り込めません。
それに声を登場者にそって区別をしないため、ゾウとして出した声がそのうちカメになったりするので、子どもは混乱しただろうと推察しました。これは声をどう出すかということに、意識がいっていなかったようでした。
登場者のキャラクターにそった声をつくって出さなければならない、ということを意味しているわけではありません。登場者の会話の際にそのキャラクターになってみる、その他のストリーの進める言葉ぐらいの、気持ちの切り替えぐらいは必要ではないか、ということです。
それにこのような読み聞かせの場合、プログラムビルディングが重要ですが、それも構想されているようには思われませんでした。
絵本の作品に対しての深い解釈、そして不特定を相手にする場合大道芸的に対象者を「つかむ」表現・演技もあったほうがよいのです。ある期間でも子どもを対象にした仕事の経験をしていないようので、無理からぬことを思いました。
相互応答型の感覚があるのを中核にあるので、読み聞かせの技は磨かれていくことでしょう。相互応答感覚は語りで重要であり、体験を重ねて獲得していくしかありません。
このように綴りましたが、批判のための批判をしたわけではなく、この事例から読み聞かせに必要な事柄を、読み取ってもらいたいためです。それは同時にわたしの読み聞かせの技を磨くことの参考にしているのでもあります。こんな機会を逃さず、子どもの立場になりきって聞いては、自分の学習にしています。
学生や親向けの講座の際の親の読み聞かせを聞いて、その人の良さを引き出すアドバイスをすることがありますが、それは自分自身を向上させるためにおこなっていることです。
わたしは気づかれず、かつ不審者と思われないように距離をとって聞いたのでした。
不特定な子どもや親を相手にしている体験からか、子どもや親といった対象への話しかけには力を注いでいました。その相互応答型の感覚は、十分感じ取ることができました。しかしそれは、絵本の言葉と内容を伝えるというよりは、説明にウエイトが置かれているようでした。子どもに受け入れられねばとの思いで、反応が気になっていたのでしょう。とくに対象の子どもが2、3歳児ぐらいだったから、ということもあります。
ところでなぜ説明的かというと、ストリーの内容に即した語りではなく、それとは無関係に途中で止めて、子どもに話しかけていました。これではむしろストリーの世界に入り込めません。
それに声を登場者にそって区別をしないため、ゾウとして出した声がそのうちカメになったりするので、子どもは混乱しただろうと推察しました。これは声をどう出すかということに、意識がいっていなかったようでした。
登場者のキャラクターにそった声をつくって出さなければならない、ということを意味しているわけではありません。登場者の会話の際にそのキャラクターになってみる、その他のストリーの進める言葉ぐらいの、気持ちの切り替えぐらいは必要ではないか、ということです。
それにこのような読み聞かせの場合、プログラムビルディングが重要ですが、それも構想されているようには思われませんでした。
絵本の作品に対しての深い解釈、そして不特定を相手にする場合大道芸的に対象者を「つかむ」表現・演技もあったほうがよいのです。ある期間でも子どもを対象にした仕事の経験をしていないようので、無理からぬことを思いました。
相互応答型の感覚があるのを中核にあるので、読み聞かせの技は磨かれていくことでしょう。相互応答感覚は語りで重要であり、体験を重ねて獲得していくしかありません。
このように綴りましたが、批判のための批判をしたわけではなく、この事例から読み聞かせに必要な事柄を、読み取ってもらいたいためです。それは同時にわたしの読み聞かせの技を磨くことの参考にしているのでもあります。こんな機会を逃さず、子どもの立場になりきって聞いては、自分の学習にしています。
学生や親向けの講座の際の親の読み聞かせを聞いて、その人の良さを引き出すアドバイスをすることがありますが、それは自分自身を向上させるためにおこなっていることです。