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昭和のプロレス:消えた夢のコンビ

2019-07-12 06:39:07 | 日記
運命の出会い

 初来日からたった3年で、10回も来日したレスラーがいました。
それ程の短いサイクルで登場したとは、さぞや見栄えのするレスラーだったろうと思うでしょうが、
実物は小太りな男。
妙に鼻っ柱が強いちょっとメタボな奴でした。

 「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」では、当時のプロレスを面白くしてくれた名脇役の
活躍を振り返っています。
今週は「伝説のマンハッタンコンビの片割れ、アドリアン・アドニス」です。

 初来日は1982年7月の新日本プロレスでした。
大関貴景勝の背を10cm伸ばして体重を40kg落とした位のあんこ型。
全然スマートでない体に暴走族風の革ジャンを着込んで登場。
 得意技は相手を正面から抱え上げて膝に叩きつけるマンハッタンドロップ。
急所攻撃すれすれのえげつない技を猪木相手にも臆せずに繰り出していました。
 そんな気の強さが受けて翌年3月には3度目の来日を果たしますが、そこで運命的な遭遇を
したのです。
それがボブ・オートンJRでした。

そして突然の別れ

 共に主役を張る程には期待されていないふたりでしたが、チームを組んだらいきなり存在感を
示しました。
素早いタッチを繰り返す抜群のコンビネーション。
タッチの際には必ず相手を抑えつけておいてふたりで攻撃。
 それまでのタッグチームもふたりがかりの攻撃を見せてはいましたが、言って見れば平面での
動きでした。
ところがこのチームは高低差を利用した三次元の攻撃を次々と披露したのです。
 パイルドライバーを仕掛ける際には、アドニスがロープ最上段に登って相手の両足を掴んで
衝撃を倍増させます。
膝の上に固定した相手選手の首元には、トップロープから飛び降りたアドニスの肘が襲いかかります。

 これらの攻撃が毎週の様にテレビを通じて全国のファンに披露されました。
その凄まじさに、そんなに強烈にやったら死人が出るぞ、と本気で心配するファンも現れました。
 こうなればすぐにまた日本に呼んで欲しいと願うのは当然のファン心理です。
ところがその思いはバッサリと断ち切られてしまいます。
オートンが大人の事情により暫く日本に来られなくなってしまったのです。
夢のチームはたった1シリーズで姿を消しました。

 驚異の合体攻撃はもう見られません。
ファンは失望しましたが、事態は意外な展開を見せました。
ふたりに衝撃を受けたのはファンだけでは無かったのです。
 先駆者が姿を消したのだから遠慮なく使わせてもらうゼ、とばかりに合体攻撃を真似する同業者が
続々現れました。
長州力とアニマル浜口は合体パイルドライバーを毎試合の様に繰り出し、スタイナー兄弟は肩車プラス
ネックブリーカーの進化形を披露しました。
 突然現れた衝撃的なチームは、その後のプロレスに絶大なヒントを残して消えて行ったのでした。

コメント
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