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昭和のプロレス:お役御免

2019-07-05 19:46:08 | 日記
無名選手とシングル対決

 「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」では、あの頃負け役を演じてヒーローを引き立てた
レスラー達を取り上げています。
今週の脇役は「使い勝手が良かったシーン・リーガン」です。

 初来日は1971年の国際プロレスの第3回IWAワールドリーグでした。
188cm115kgの均整の取れた体のリーガンが演じたのは「ヨーロッパの闇の帝王」
何とも漫画チックなキャッチコピーですが、ヨーロッパマットを捨てたビル・ロビンソンを
成敗する為に送り込まれた刺客がその役どころでした。
 公開練習の場でロビンソンに喧嘩を吹っかけて関係者をひやりとさせたと報じられて対戦
結果に期待が高まりましたが、番狂わせは無し。
主役ロビンソンがカッコよく見える様に得意技を喰らって見事に負けました。

 翌年には猪木を光らせる仕事で新日本プロレスに登場。
この年の3月6日に旗揚げしたばかりの新日は外人勢の招聘に非常に苦戦していました。
何しろ名前の通った外人はカール・ゴッチただひとり。
9月のシリーズまでに猪木のシングル戦の相手をしたのはインカ・ペルアーノとかディック・
ダンといったファンでも聞いたことの無い名前ばかり。
 リーガンはそれ程有名ではないけれど、前の年にTBSテレビに度々登場していたので
ある程度は名前が知られていました。
そこに着目した新日は猪木とのメインイベントに3回も起用しています。
 9月26日は銚子市体育館で23分20秒と結構長い試合を行い、当時の猪木が得意に
していたアバラ折に破れています。
28日には岐阜市民センターで10分37秒、同じくアバラ折にギブアップ。
シリーズ最終の10月22日には直江津市厚生会館で19分35秒、みたびアバラ折に屈して
います。(週間ゴング最後の闘魂 より)

7年後の姿

 リーガンが光らせたのは猪木だけではありません。
当時の新日の看板外人スター選手カール・ゴッチとも対戦して、見事にその技を受けています。
10月15日には30分1本勝負で戦い、8分26秒に原爆固めで負け。
20日には4分55秒に回転エビ固めに敗れています。
 73年に新日に再登場。
当時のパンフレットには<国際的レスラーとして実力は前回の比では無い。
期待するに十分。>と書かれています。
 この時には猪木と2回対戦。
7月16日には福島県体育館でアバラ折に負け。
9月16日には足立区体育館で23分25秒の熱戦の末に原爆固めに敗退しています。

 数年を経て79年の新日サマーファイトシリーズに4度目の来日を果たします。
この頃にはハンセンやシンなどのスター選手が続々と登場して、猪木の相手を務めていました。
そうなるとリーガンの役割は人数合わせ。
もはや猪木とのシングル対決を望む声は上がりません。

コメント
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