週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

#285 -’23. サンタさんに早変わりして、孫にクリスマス・プレゼントを届けに行ってきました。その一

2023年12月16日 18時32分50秒 | 日常の出来事(日記)

少し早いですが、都心へトナカイの牽く橇の代わりに行ってきました。

自宅に帰り着いたら動画で喜んでいる姿を見る事ができました。

雪もトナカイも写っていませんが、車窓からの都心部です。

今回走って特に感じたことは欅が多いと思っていましたが、イチョウの多い事に驚きました。

それでは車窓より都内の風景を。

1   何の車かと思い撮影してみましたらアルピーヌでした。

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3   光を浴びて良く映っていませんが前方右手の建物は軍人の九段会館です。

4  太陽光も遮られて、こちらなら分かるかと思います。交差点を直進しましたが、横切ったのは靖国通りです。右に行けば九段上から市ヶ谷駅の方向に行きます。

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6   毎日新聞の建物です。

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10   立派に成った平将門の供養場所です。首がここまで飛んで来たと言われる将門塚です。停車もしませんでしたが、家内も首塚を知っているのでスマホで上手く撮る事ができました。

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15   山手線を潜ります。

16    この交差点の手前左側は駐車場に入る為に何時もの如く長蛇の列です。我らは直進です。

17   日本橋三越の暖簾が架かっています。

18   日本橋を右手に見て直進します。ジャスト左側辺りが日本橋三越です。日本橋の上に架かる首都高速の先に見えるのは重厚な野村証券のビルです。

19   水天宮を右手前方に見て右折します。まもなく到着です。

20   TVドラマでもその他の番組で良く出る重森永信堂の人形焼きです。

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#284 -’23. 二泊三日お世話になったホテルグランヴィア京都(12月2日~4日)

2023年12月14日 21時43分42秒 | 温泉&宿

今回宿泊でお世話になったのは2度目のホテル グランヴィア 京都です。

特別なラウンジが利用できるフロアではありませんが、京都タワーが見える同じ10階で広さも不満もない良いお部屋でした。強いて難を言えばホテルの構造上、鰻の寝床の様に長い廊下を歩いた先にあると言う事でしょうか。その分安いのかも。

1   独特な形の京都駅だからかもしれませんが、ホテルグランヴィア京都も特殊な形です。

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3   モニターを付けると、ホテルからの伝達事項やお知らせ画面とTV画面にすることが出来るモニターです。左側がクローゼットで右側がトイレやお風呂などの水回りです。

4   寝心地の良いベットで部屋も広くて軽快でした。

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6   お部屋からの京都タワーです。

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8   お茶することも、お弁当買った時などの食事をとる事も可能です。

9   ノンビルするのには良い椅子でした。

10   洗面所です。

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12   基本、アメニティは持参して使用しておりません。

13   洋バスはどうしても好きになれません。肩までしっかりと浸かりたいです。

14    シャワーは使い勝手も利用方法も簡単でした。ヨーロッパに行った時壊れて機能していないのか自分の利用方法が間違えているのか分からずに苦労したことを思いだしました。

15   TOTOのウォシュレットは人類に対する痛いな発明です。QRコードにも負けないノーベル賞ものです。

一寸気になった事。諸外国では新聞は朝にドアの下の隙間から滑り込ませて配達されています。部屋の中に居ても新聞が届いたことが一目瞭然です。グランヴィアではそののドアの脇の表札の様なルームナンバ表示が新聞受けになっています。部屋の外に出ないと新聞がある事に気が付きません。一度でも利用すれば新聞受けなのだと分かりますが。

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#283 -’23. 今日は銀座、東京丸の内と街歩きです。

2023年12月14日 21時15分41秒 | 街角

今日は自分一人ですが、家内の用事でデパートでの買い物です。スパーなら徒歩で家内は毎日いっていますが。デパートとなると割引の効く三越か伊勢丹に行く事になります。伊勢丹は若者向きですし、今日は家内の命を受けての用事となると三越に落ち着きます。でも、三越が最近とみに使い勝手が悪くなりました。新宿も池袋も閉まりその他利用できる所は近所にありません。副都心では無く、完全に都心に出ねばありません。都心に出たついでに少しだけ街歩きをしてきました。

数寄屋橋から銀座四丁目の三越地下で用事の買い物をして。日産のギャラリーの入っているサッポロビルで車をみてきました。

1   今ではお邪魔するのは日本橋か銀座のみになりました。その他は寄る機会もなくなりました。何も被り物など衣装も着ておりませんでした。

2   5丁目側から新館のイルミネーションを。  

 

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5   一階のニッサン・ギャラリーでダットサンT14型トラックがレトロでおしゃれで中に入ってしまいました。セルモーターも無い時代ですから前のバンパーの所からエンジン始動用のクランを廻してエンジンを掛けていたと思います。今の若い人は知らないでしょうが。

ニッサンGTRとスカイラインハードトップを拝見してきました。

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7   タイヤハウスが車体から外に出ていてこの湾曲して居るフェンダーが何とも好きです。

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10   ケン―&メリーで一世を風靡したスカイラインです。排気量はに2000㏄です。今、乗っている私のスバルと同じ2リットルです。

12   ムスタングのハッチバックを彷彿させる美しさです。何故かプリムス・バラクーダも記事を書いていて名前が突然うかびました。

13   スカイラインGTBからスカイラインGTRへ、そしてニッサンGTRへと名前も進化していった憧れの名車です。後ろしか見る事はありませんし、後塵を拝するのみです。

14   停まっていますから前方も。

15   そして ニッサン GTR エンジンルーム も拝見出来ました。完全にトヨタ車の様に上部は覆われていると思いました。

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17   晴海方面から銀座4丁目をぶった切る晴海通りを数寄屋橋交差点の方にサイレンを鳴らして赤色灯を付けて走ってきますが、結構歩行者も直線を渡っているので超スローで救急車もはしっていました。

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20   ここからは東京駅前の新丸ビルです。

21  行幸通りを挟んだ丸ビルです。

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#282 -’23. 畳と○○は新しい・・・・!

2023年12月13日 21時34分47秒 | 日常の出来事(日記)

今日は畳屋さんが畳替えに来てくれました。

ナナちゃんは、人見知りして逃げ回っている1日でした。

今回は初めて、1畳分の一番綺麗な井草の畳表をナナちゃん用に蓙にして貰いました。

ナナちゃんの匂いがついているので、気に入ってくれることを願ってます。

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#281 -’23. 京都駅のイルミネーションなど

2023年12月12日 22時19分35秒 | 国内旅行

宿泊は前回に引き続き京都駅直結のホテルグランヴィア京都です。一歩踏み出せばイルミネーションなどが観放題です。

それでは駅に関連する景観などを。

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20   100周年記念のウイッシュを京都駅の階段に映し出しています。

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思う事(short)ウクライナ戦争で心配に思う事です。

2023年12月12日 15時15分22秒 | 思う事(short)

11月17日付でアップした『思う事(short)悲しいかな戦争と国力、、、の関係』の言ってみれば現在の心配事です。

ウクライナとロシア間の戦争では死傷者など人的被害が数倍の開きがありロシア人が多数戦死している事は紛れもない事実です。その上、部分的な戦闘でもロシアより格段に勝利を挙げている事は間違いありません。局所的な戦いでは勝利していても、ロシアの大部分の地域では平常時と変わらない生活をしています。一部、中国製品に消費財が変ったとしてもです。

片やウクライナでは空襲に怯えて戦時下の生活を強いられているのが現実です。ウクライナは戦術的な戦いでは勝利していても、国家として戦略的に平静を保てているのは確実にロシアです。それが国力、国のパワーと言うものです。

正しきものが最終的に勝利するとは限りません。戦争自体を継続していく戦力戦意も消失しつつあるのではと心配しているのです。人的物的被害に晒されて何時までウクライナは耐え忍ぶことができるのでしょうか。心配でなりません。

遠い地ではニュースに流れる一日一日の戦果に接するとしても。焦土となったウクライナの地では、直ぐ隣の隣人だったり最愛の御主人が天に召されるのかもしれないのです。国力の大きな源泉に国土の大きさ人口の多さなど、戦争遂行の余力の大きさが今現在も残っているのか心配せざる負うえません。

義勇軍で参戦するわけにもいきません。第三次世界大戦にすらなりかねません。

一日も早く良い結果でウクライナが勝利して終結を願うだけです。

 

 

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#280 -’23. アサヒグループ大山崎山荘美術館の庭園を愛でて(その二)

2023年12月11日 21時24分12秒 | 国内旅行

アサヒグループ大山崎山荘美術館の庭園を愛でて(その一)の続きです。

次の庭園の文章はHPから引用させて頂いた物です。

季節の庭園

約5500坪の庭園には数多くの植物が配され、春の桜や秋の紅葉など、四季折々に眼を楽しませてくれます。
季節ごとに表情を変える庭園で、豊かな時間をお過ごしください。

当館へお越しの際には、ぜひ庭園をご散策ください。陽光降りそそぐ春の桜、新緑が清々しい初夏の睡蓮、落ち葉敷き積む紅葉の秋、ツバキが静かに花開く冬など、うつろう四季折々の情景をお楽しみいただけます。

秋の庭園

庭園には多くのカエデが植えられており、晩秋には燃えるようなカエデの赤色と、イチョウの黄色のハーモニーが庭園を埋めつくします。
 

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17    峠の我が家の敷地内にも自生しているニシキギが大山崎山荘の庭のは紅葉していました。

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21   スマホでオートモードで撮影している以外、調光等一切、手をくわえてはいません。

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27   庭園かんトンネルの琅玕洞(ろうかんどう)抜けて帰路に就きます。

28   一台だけ待機していたタクシーに乗って手前のJR山崎の駅にもどりました。最寄り駅なのに少し貧相なのが・・・です。以前の原宿駅や国立駅とは言いませんが、・・・・です。

29   京都に向かう電車がきました。関西の電車が好きな所は、ボックス席の配置の電車が多い事です。

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#279 -’23. アサヒグループ大山崎山荘美術館の庭園を愛でて(その一)

2023年12月11日 11時57分30秒 | 国内旅行

今回のスレッドは12月2日の京都の大山崎山荘美術館の庭園拝見です。

アサヒグループ大山崎山荘美術館HPから庭園に付いて一部引用してアップします。

庭園

アサヒグループ大山崎山荘美術館の建築群は、いずれも周囲の環境と調和しています。自然を愛した加賀正太郎は、建物だけでなく、庭を含めた景観全体をデザインしました。

必ずしも庭園のみとはかぎりませんが、主に美術館の外の部分を庭園と捉えてアップします。モネの睡蓮などの美術鑑賞してからお茶を頂きノンビリしてからの庭園を鑑賞となりましたので陽が傾きだす時間帯となりました。15時45分ごろからの30分強の時間でした。京都の神社仏閣などのお庭とは少しことなりますが。こちらはこちらで素晴らしいひと時を過ごす事が出来たと大満足です。

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庭園

初夏になると、池の睡蓮が静かに花をひろげます。加賀正太郎が住んでいた時代にも、この池には睡蓮が植えられていました。今も水辺で人々の目を楽しませてくれます。 

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#278 -’23. 中央道の事故渋滞を回避して一般道に下りて大垂水峠越えを選択

2023年12月10日 15時05分59秒 | 日常の出来事(日記)

大型トラック同士の事故の様です。下り通過時12月9日午前7時10分に撮影です。

 

高速を走るか、一般道を走るか。一般道を走るなら、どこから中央道を降りるかです。

出した結論は! 大月インターで国道20号甲州街道に下りて八王子まで走る事。八王子ICで再度特別区間に乗って調布インターまで走る事に決定です。(八王子から調布IC迄順調なら18キロ前後で15分も有れば通過できます。それが一般道を走れば小一時間掛かります。)

1   こちらの写真は大月インター出口で再掲です。

2   これから渋滞する中央道を出て、大月インターを国道20号を八王子方面に向かっています。

3   この大月橋の坂道を上った先の交差点は富士吉田方面に分岐する国道139号越えればすぐに大月駅です。富士吉田方面にも抜ける人もいるかとの淡い期待を持って自分は直進です。

4   助手席の家内が左手の大月駅を撮影です。

5   甲州街道の架かる橋から走行したままでの日本三大奇橋の猿橋を撮影です。上の欄干と次の欄干の間に少しだけ写っていますが、わかるでしょうか。以前に猿橋を訪れた時のスレッドはこちらです。

6   中央道の下を通過です。この辺りは爽快に20号を走っています。

7   この信号の先のエネオスのスタンドからキツイ渋滞に遭遇です。しかし、渋滞の原因は中央道の事故の余波と言うより、国道20号線の構造的な問題による渋滞と言ったところです。少し走行車両が増えたために右折車両があると一台しか通過できずに上り20号は完全に停車してしまいます。原因が何であらこれ程の原因を改良しないのは問題と感じます。

8   ここから渋滞開始です。時刻は12時55分です。

9   歩道橋迄100~150m位を3分ほど掛かっています。

10   渋滞の先が見えないのは不安になりますが、自分のせんたくです。原因が何で?何分ぐらいで通過できるのか?気になる所です。

11   この先の交差点で右折して高速に抜ける車が居るようです。渋滞が解消したか微妙な所ですが?渋滞直前の所に入るなら渋滞に捕まる時間も短縮できます。ただ、その為の右折車が直進車の進行を妨げる道路状況です。

12  距離は計測していませんでしたが、それ程の距離ではありませんが、スタンド~ここまで約20分かかりました。

13   又前の車は無くなり快調に走りだしました。

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18   大垂水峠に近づいてきていますが、未だ標高が低いのか紅葉が残っています。

19    大垂水峠の表示板が見えます。標高は392mとの事です。原村の峠の我が家約1000m低いです。因みに、イギリスの最高の山より我が家の標高の方が高いです。

20   後は高尾、八王子と下るのみです。

21   圏央道高尾インターまで3キロだそうです。

22   高級料亭で有名なうかい鳥山の看板が目に飛び込んできました。

23   ここのところを右折です。

24   左手の橋を渡れば京王線高尾山口です。

25   駅が見えます。JRは未だ先の右手です。

26   お馴染みの京王カラーの電車です。

27   20号の八王子を東へと。

28   銀杏の葉も程んど散りました。

29   多摩御陵西の交差点です。因みに多摩御陵は通称で正式には武蔵領墓地だそうです。

30  後少しで調布インターです。渋滞回避の是非は別にして大きな事故の割には人的被害が大きくなかったことが何よりです。

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#276 -’23. 原村での買い物など用事を済ませて?帰宅の途につきましたが。

2023年12月10日 10時18分26秒 | 中央高速・他の高速道路

八ヶ岳PA後の続きです。(正解だったかは別にして決断の時でした。)

帝京学園があるかは存じ上げていませんが。この右手の帝京学園の看板を見ると小淵沢ICの出口だから降りなくてはと。反射的に思い起こさせてくれる看板です。

本線から離脱してインターへ向かいます。

小淵沢インターと南諏訪インターで降りるのが言ってみれば究極のせんたくかも? 峠の我が家のある原村の最寄り駅ならぬ最寄りインターですが、時間・料金・雰囲気とすべての面で大好きなインターチェンジが小淵沢です。

従って、今回も降りるのは小淵沢インターです。

小淵沢は長野と山梨の境目ですが、ギリギリ山梨県です。そして山梨県の馬術競技場もあり、乗馬クラブも多いお馬さんの街です。

大平の交差点に向かって8%の勾配を登ります。

大平の交差点に向かう道も既に紅葉の染まる葉も落ちています。

鉢巻道路を通り峠の我が家に到着です。数日前に給油して走行距離は174キロのトリップ・メーター表示です。原村で買い物などしても往復400程度です。諏訪湖や松本、蓼科など足を伸ばしても片道300キロ程度で往復600キロ程度ですから、別荘に通うにも良い距離です。最近トンボ返りなら往復400キロです。渋滞が無ければ楽な距離です。

到着時刻が9時近くですから、混雑していても6時出発の約9時到着です。スタートした時が、三日月より細い二日月と明けの明星が寄り添って西の空に輝いていました。東京近郊の八王子辺りが3℃だったかも。日の出と共に気温が上がったようです。車の表示では外気温は4℃です。燃費は相変わらずよくありません。

車を出して買い物に出かける時に車の窓を開けたら雄キジと目が合ってしまいまいた。慌てるでもなく去っていきました。スマホを手にしていればもっと近くで撮影出来たのに残念無念です。前回訪問時の水抜き時にはリスが近くの木から地上に降りて来て隣の木に登っていきました。自然が豊かなのは嬉しいですが、猪と猿と熊には遭いたくありません。

同じ写真ですが、円で囲ってみました。

 

買い物に出かける為に第一、第二ペンションビレッジを右手に見て正面の茅野の方向に下って行きます。我が家で原村大通りと呼んでいます。次はたてしな自由農園でのお買い物です。

最近は原村に行っても冨士見の西友に行く事が多かった事と、茅野市のスーパーのTSURUYAさんに行く事が多くて自由農園には超久しぶりにお邪魔しました。一番近いお店はこちらですが。

買い物に同行しない自分としても、原村では車が無いと買い物に行かれませんからお店にはいりました。で、安いと思ったら値段は送料の値段でした。

お正月のしめ飾りなどが既に販売されていました。何か違和感が有るのでジックリと見てしまいました。何と福笑いそのままのお多福さんの鼻から鼻髭が伸びていたのです。笑うに笑えない姿でした。こちらの地方ではお多福さんが鼻から紅白の髭を生やす事が風習なのでしょうか。

 

富士見の綿半にもお邪魔してきました。

買い物も済みましたので帰ろうかとなりました。帰る途中で食事すれば良いとの軽い気持ちで荷物を纏めて車上の人になりました。(水抜きが大変ですから水通しもしておりません。従って数時間の滞在で帰宅する事は決めていました。)

富士見から原村に帰る途中の八ヶ岳の峰々です。17号からエコーラインに入った所からスカイラインを望んで。

諏訪地方も晴天で気温も高く12月としては良い天気である事を見越して今回の訪問です。今回の週末を逃すと道路状況や天候は予断を許しません。

それでは、ナナちゃんの待つ我が家に帰るとこの時までは、意気揚々とスタートさせました。

既に、事故で渋滞が伸び始めているとの情報を途中から気が付きました。来るとき遭遇した上り車線のトラック事故とは最初の時は思っても居ませんでした。新たな事故が発生した位の認識でした。途中で30分~1時間も途中停車して渋滞の解消を待ってから、乃至は解消傾向がハッキリしたら走りだそうかとの認識です。でも、走って東京方面に近づけば近づく程、事故の重大さを認識しました。朝のトラックの渋滞事故は午前2時過ぎに発生してまだ解消していなかったのです。上りの車が多くなるに従い、渋滞も長くなったようです。8キロの渋滞で80分とか90分とか。談合坂SAスマートICの出口でも渋滞しているとの事。一車線は確保されているとは言え、一般道に降りてから大垂水峠越えをする必要を考え始めました。では、① 高速で渋滞していても1車線確保されているから、中央道を行くか? ② 中央道から一般道へ降りて走行するが、どこで降りるかです。 ③ 談合坂のスマートICも考えましたが談合坂迄渋滞が既に伸びているとの事。 ④ 大月ICで降りて八王子まで一般道を走行するかです。結果的にこの四番を採用して超久々の大垂水峠越えをしました。峠道を走行する楽しみをおもいだしました。

思案していた釈迦堂PAです。

大月ICで国道20号に下りました。

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#275 -’23. JR東海 そうだ 京都、行こう。 1993~2018

2023年12月10日 09時01分24秒 | 国内旅行

京都を中心に奈良・滋賀と関西に嵌っている最近の私です。興味がない頃はこんな素敵なCMも微かに京都として一括りしていました。

改めて見ると素敵な日本の原点でしょうか。CMですから、最高の時期の最高の場所を編集して短編を作成していますが、それでも日本全体素晴らしい所満載です。

JR東海 そうだ 京都、行こう。 1993~2018

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#274 -’23. 一杯の掛け蕎麦

2023年12月09日 08時28分09秒 | 中央高速・他の高速道路

一杯の掛け蕎麦ならぬうどんです。朝食を頂いたのは八ヶ岳PAです。かき揚げうどんと書けうどんです。かき揚げは厚みが10cm弱ある大きさで分けて頂きました。

店内からです。撮影時刻は午前8時12分です。

食堂の店内から八ヶ岳を望み。8時13分撮影です。

次からは調布インターから中央道に入った時間経過順に写真をアップします。

調布インターの料金所を通過して本線に合流した所です。時刻の記録の為にスマホで定点的な所を撮影していますが、通過後になってしまいました。6:31a.m. です。

助手席のドアミラーに写った西の空です。6:35a.m.

調布から富士山を目指して走っているようなものですから、所々で視界が開けた所で富士山が見えます。6:39 a.m.

肉眼では良く見える中央道脇の雲海をとるために家内は結構苦労していました。金網が出てくると視界を遮られてしまいますが、切れたフェンスの間からみえます。紅葉も終わったし出発が遅くてもスイスイ走れるかと思ったのが大間違いでした。7:07 a.m.

小仏トンネルを過ぎて上野原直前まで来るとスイスイ流れるはずが相変わらず渋滞気味でした。何と上り車線では大型トラック横転等の大事故で下りは見物渋滞の様でした。この事故が後々我が家にとっても大変でした。

大月JCTを過ぎた最初の岩殿山トンネルを過ぎた直後に富士山が見えるのでいつも撮影する所です。7:22 a.m.

 

 

笹子トンネルを通過して甲府盆地に下りてきました。夜間ですと灯が夜空を散りばめる程美しいですし、冬なら前の列の低い峰々と奥の北岳の高い峰々に雪を戴く姿は圧巻です。

 

早朝の時の外気温は3℃でしたが、一旦上がった温度も甲府盆地に下りて来たら再度3℃まで下がってきました。

 

 

八ヶ岳の峰々が見えてきました。7:56 a.m.

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#273 -’23. アサヒグループ大山崎山荘美術館(その一) 

2023年12月08日 12時07分52秒 | 国内旅行

光明寺の後に訪問したのが、今回のアサヒグループ大山崎山荘美術館です。

大山崎山荘美術館のホームページから引用させて頂いた歴史を次にアップします

歴史

アサヒグループ大山崎山荘美術館は、京都府大山崎町、天王山の南麓にあります。約5500坪の庭園のなか、英国風山荘である本館と安藤忠雄設計の「地中の宝石箱」、「夢の箱」、その他の建物から構成されています。

美術館本館である「大山崎山荘」は、もとは関西の実業家・加賀正太郎(1888-1954)の別荘として、大正から昭和にかけ建設されました。
加賀正太郎は、証券業をはじめ多方面で活躍した実業家である一方、大山崎山荘で蘭の栽培を手がけ、植物図譜《蘭花譜》(らんかふ)を刊行するなど、趣味人としても大きな業績を遺しました。加賀は、ニッカウヰスキーの創業にも参画し、晩年には同社の株を深い親交があった朝日麦酒株式会社(現アサヒグループホールディングス株式会社)初代社長・山本爲三郎に託しました。この縁が、現在の美術館へと受け継がれていきます。

ビールとウイスキーという新たな文化をわが国にもたらした二人が紡いだ時代の糸は、やがて桂川、宇治川、木津川、三つの川が合流するこの大山崎の地でひとつになります。
1954年に加賀正太郎が亡くなり、ついで加賀夫人がこの世を去ると、1967年に大山崎山荘は加賀家の手を離れることになりました。
幾度かの転売ののち、建物の老朽化が進んだこともあり、1989年には山荘をとり壊し、大規模マンションを建設する計画が浮上しました。しかし、地元有志の方を中心に保存運動が展開され、京都府や大山崎町から要請を受けたアサヒビール株式会社が、行政と連携をとりながら、山荘を復元し美術館として公開することになります。

アサヒグループ大山崎山荘美術館は、歴史ゆたかな土地に建つ貴重な近代建築と、同時代の先端を行った芸術運動の遺産、そして国際的に活躍する建築家・安藤忠雄が手がけた現代建築の三つを擁して、1996年に開館しました。2004年には、「大山崎山荘」の6つの建物、霽景楼(せいけいろう)[現本館]、彩月庵(さいげつあん)[茶室]、橡ノ木(とちのき)茶屋、栖霞楼(せいかろう)[物見塔]、旧車庫[現レストハウス]、琅玕洞(ろうかんどう)[庭園入口トンネル]が国の有形文化財として登録されました。開館9年を迎えた2005年には来館者が100万人を、2017年には200万人をを越え、特色あるコレクションと建築、豊かな自然をともに楽しむことのできる美術館として、多くの人に親しまれています。

京都初日は時間との競争の如くなタイムスケジュールでした。最初の目的地は期待以上の素晴らしい、紅葉とお寺の光明寺でした。バスの時刻表と臨時便の発着場所に悩んだものの、結果オーライでした。次に向かうは臨時便の終点の一つ手前の阪急「長岡天神」駅で下車です。何でJRではなくこちらの阪急の駅かと言うと、無料のマイクロバスの始発が阪急の駅から出発してJRに寄ってから大山崎山荘美術館だからです。送迎バスを下車してからも美術館に行くには少し登り坂のようです。バスで座れればとの家内の配慮で下車駅を決定です。検索した次の地図で訪問ルートを決定しました。

阪急大山崎駅で下車してマイクロバスのバス停を探すと有りましたが、バスが停車していません。先を急ぐ身なので、停車しているタクシーに乗りました。行き先を「大山崎山荘美術館」と告げると運転手さんから「無料です。」といわれました。この運ちゃん冗談を言っているのかと、その時は思った次第です。でも、送迎用のマイクロバスが故障で代替え交通機関として本当に無料である事を知りました。乗る前に掲示が有ったかも知れませんが、マイクロが居なければタクシーと決めていましたので即乗ってしまいました。

何でも無料や限定と言う言葉を聴くとウキウキする我が家です。感謝感謝で満足でした。

1   タクシー代が幾ら掛かるかより無料である事が嬉しいのです。アサヒビールの太っ腹には感謝感謝です。アサヒの株はインカムゲインとキャピタルゲインを得て今は手元にありません。でも、値下がりした時又ゲットしようと思っています。

タクシーの車窓から見える左側はJRの線路です。

2   踏切にはガードマンの方が配置されていました。多分、こちらもアサヒビールのの配慮かもね。写真前方は京都方面だと思います。

3    大山崎山荘の配置図です。北方面に天王山山頂へのハイキングコースがあるようです。関西は何処を歩いても歴史と共にある姿を思い出す事が出来ます。

4   アサヒビール大山崎山荘美術館からアサヒグループ大山崎山荘美術館に名称が変更に成ったばかりの様でした。

5    開構して切通にせずにトンネルにしているのもプライベートが守れる感じです。

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7   ここまで歩いて来るだけで沢山の紅葉を愛でながらきました。

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9   こちらは別荘の時ガレージとして使用していた建物のようです。今は美術館に大きなザックなど持ち込めませんから無料のコインロッカーが配置されていました。使用開始時に100円硬貨は必要ですが、荷物を出すために開ければ100円は戻ってきます。奥にはトイレもあります。

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11    小さな門を潜り階段を下れば庭園につづきます。我が家は先に美術館に向かいます。

12    紅葉が美しいですが、直射日光が当たれねば色合いが鮮やかでない写真に成るのは致し方ありません。

13   峠の我が家にも植えてあるドウダンツツジです。パステルカラーの色鮮やかに赤に染まります。

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15    大山崎山荘美術館です。

16   段差が無く車いすでも入れるように配慮されているようです。

17   館内は基本、撮影禁止ですが一部の所と外は撮影可との事でガラス窓越しに美しい紅葉を撮らせて頂きました。

18    青空も入道雲ではありませんが、白い雲と青い空で夏を思い起こさせる感じです。イギリスや北欧の12月とは大きな違いです。

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受贈記念:没後10年 舩木倭帆展

2023年7月15日(土)-2023年12月3日(日)
次の文章を美術館のHPから引用させて頂きます。

アサヒビール大山崎山荘美術館は、2023年7月1日より館名を「アサヒグループ大山崎山荘美術館」に変更いたします。新しい館名として最初の展覧会となる本展は、当館が2021年2月 、森田昭一郎氏(森田酒造株式会社 代表取締役)より、舩木倭帆作品105点の寄贈を受けたことを記念するものです。

舩木倭帆(1935-2013)は 、島根県松江市の布志名焼ふじなやき窯元の家に生まれました。島根大学在学中にガラス工芸を志すようになり、卒業後は大阪の清水硝子製造所を経て、東京の各務かがみクリスタル製作所に勤めながら 、同社の伊藤孚いとうまこと氏とともに自由な創作を目指して共同窯を築きます。以降、北九州で活動したのち、1987年、広島に工房「グラスヒュッテ」を設立して精力的に制作しました。

花瓶 、皿 、鉢 、グラス 、茶碗……、舩木が生涯手がけたのは暮らしのなかで活躍するうつわでした。デザインから仕上げまで一貫制作の手仕事によって生みだされたうつわはいずれも、ガラスという素材でありながら、やわらかな温もりと用にかなう堅牢さをあわせもちます。舩木の没後10年を迎える節目の年に、現在もなお私たちを魅了しつづける舩木倭帆作品の数々をご紹介いたします。

美術館の名称が変ってから最初の展示会だそうです。没後10年 舩木倭帆展です。ガラス製品は芸術品に限らず大好きです。

 

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22   実用品、芸術品に限らずガラス製品は大好きです。

23   素敵な山荘内も可能な所を撮影しましたが、基本建物の外にスマホが向いてしまいます。

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25   ここらからお茶が出来るテラス席です。

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32   大山崎山荘美術館内にある喫茶室です。注文する時、時間制である事を告げられました。沢山の方が利用できるようにと言うことですね。我が家にもある同じウエッジウッドの珈琲カップで家内は珈琲を、自分はビールをいただきました。

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35    安藤忠雄氏が手がけた現代建築のモネなどの絵が展示されている建物に移動します。

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#272 -’23. 浄土門根元地 西山浄土宗総本山光明寺を訪問し(その二)

2023年12月06日 11時20分12秒 | ご朱印・納経(神社仏閣)

西山浄土宗総本山光明寺を訪問してのそのニです。

光明寺HPから次の文章を引用させて頂きました。

光明寺とは

西山浄土宗の総本山光明寺は、長岡京市西山のふもと、粟生広谷にあります。
1198(建久九)年、法然上人の弟子となられた熊谷蓮生(れんせい)法師(熊谷次郎直実)によって、京都府長岡京市西山のふもと粟生広谷の地に御堂を造立したのが始まりです。
また、師である法然上人を開山一世と仰ぎ、自らは二世となられ、法然上人より「念仏三昧院」の寺号も頂きました。1227(安貞元)年、叡山の衆徒が法然上人の墳墓を暴く企てを、上人の遺弟たちがご遺骸の石棺を太秦に移すことで防ぎました。
翌1228(安貞2)年正月20日夜、上人の石棺より数条の光明が放たれ南西の念仏三昧院を照らすという奇瑞が現れました。
同月25日ご遺骸を念仏三昧院に運び、荼毘に付し寺の裏山にご芳骨を納め御本廟を建てました。
以来光明寺は宗祖法然上人の御遺廟の聖地として信仰を集めています。
また寺名は、この時の奇瑞にちなんで、四条天皇より勅額を「光明寺」と賜ったことによります。

 

1   JR長岡京の駅前のバス停から定刻の数分前に出発したバスに乗車しました。光明寺に行くまでに停車するのは阪急「長岡天神」駅に停車するのみで、光明寺行の臨時バスや終点の「旭が丘ホーム前」で下車しました。

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3     総門の前に「浄土門根元地」の碑があります。光明寺が建つ粟生広谷の里は、法然上人がはじめて「南無阿弥陀仏」のお念仏の教えを説かれた場所です。

 

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12       撮影可でしたので、撮らせて頂きました。

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14    鐘楼は、寺内では、御本廟についで古い建築だそうです。

15     御影堂です。

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戻る時も臨時便のバスに乗車して終点のJRの駅の一つ前の阪急「長岡天神」駅で下車して大山崎のアサヒビールの山荘に向かいました。

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#271 -’23. 浄土門根元地 西山浄土宗総本山光明寺を訪問し(その一)

2023年12月05日 16時58分43秒 | 国内旅行

京都駅から4分遅れの電車に救われて(乗車できて)長岡京駅に向かいました。目的地は秋の紅葉でも有名な西山浄土宗総本山光明寺です。駅前にてどのバスに乗れば光明寺に行くのかも、しかと分からず地元の方に尋ねてバス停にならびました。定刻時刻の少し前に臨時便が来てそれに乗って終点の光明寺バス停に到着です。

そうだ 京都、行こう。HPはこちらです。借用したユーチューブ動画をアップします。CM ですから超短編です。

【TVCM】2009年 盛秋「光明寺」そうだ 京都、行こう。

今回の二泊三日の京都ツアーも立案と添乗員は家内です。最初の目的地の光明寺も最高でした。

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4        総門です。

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6     観音堂です。撮影可能です。

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8     十一面観世音菩薩です。

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11     花手水がとても素敵ですね。

12     上からも花ぼんぼりが

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20      信楽庭(しんぎょうてい)と勅使門

  光明寺のHPから釈迦堂前に広がる石庭。白砂に大小十八個の石を配して、弥陀三尊を仰ぎつつ、一人の行者が生死の大海を渡っていく姿を現しています。昭和36年、第75世霊空賢龍上人代に造園しました。
信楽は信とは信じる、楽とは願う、つまり信じ願えば必ず救われるという意味です。阿弥陀仏の事を説明している無量寿経の一節「至心信楽欲生我国(心から我が国に生まれたいと信じ願って)」より引用しています。とのことです

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22     もみじの間です(撮影可)

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24     もみじの間からお庭を

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26      法然上人御火葬跡です。

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33      もみじの絨毯ができつつあります。

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35  薬医門を抜けて紅葉のトンネル(一方通行)のもみじ参道を通り総門へ。終わりかけとは言え紅葉の絨毯を感じ素晴らしい光明寺の参拝が終了します。振り返り薬医門を撮影しています。

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