西山浄土宗総本山光明寺を訪問してのそのニです。
光明寺HPから次の文章を引用させて頂きました。
光明寺とは
西山浄土宗の総本山光明寺は、長岡京市西山のふもと、粟生広谷にあります。
1198(建久九)年、法然上人の弟子となられた熊谷蓮生(れんせい)法師(熊谷次郎直実)によって、京都府長岡京市西山のふもと粟生広谷の地に御堂を造立したのが始まりです。
また、師である法然上人を開山一世と仰ぎ、自らは二世となられ、法然上人より「念仏三昧院」の寺号も頂きました。1227(安貞元)年、叡山の衆徒が法然上人の墳墓を暴く企てを、上人の遺弟たちがご遺骸の石棺を太秦に移すことで防ぎました。
翌1228(安貞2)年正月20日夜、上人の石棺より数条の光明が放たれ南西の念仏三昧院を照らすという奇瑞が現れました。
同月25日ご遺骸を念仏三昧院に運び、荼毘に付し寺の裏山にご芳骨を納め御本廟を建てました。
以来光明寺は宗祖法然上人の御遺廟の聖地として信仰を集めています。
また寺名は、この時の奇瑞にちなんで、四条天皇より勅額を「光明寺」と賜ったことによります。
1 JR長岡京の駅前のバス停から定刻の数分前に出発したバスに乗車しました。光明寺に行くまでに停車するのは阪急「長岡天神」駅に停車するのみで、光明寺行の臨時バスや終点の「旭が丘ホーム前」で下車しました。
2
3 総門の前に「浄土門根元地」の碑があります。光明寺が建つ粟生広谷の里は、法然上人がはじめて「南無阿弥陀仏」のお念仏の教えを説かれた場所です。
4
5
6
7
8
9
10
11
12 撮影可でしたので、撮らせて頂きました。
13
14 鐘楼は、寺内では、御本廟についで古い建築だそうです。
15 御影堂です。
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
32
33
34
35
36
37
戻る時も臨時便のバスに乗車して終点のJRの駅の一つ前の阪急「長岡天神」駅で下車して大山崎のアサヒビールの山荘に向かいました。
99