おそらく、人類は、今、過渡期にいる。
何の過渡期か。
それは、多様性の過渡期。
全然、多様性人間じゃないから、言葉だけでも多様性って言おう・・・みたいな空気が、今という時代だと思う。
多様性というと、男性女性とう性の話にいきがちだけど、自分以外の人を、『ありのまま』にいさせてあげられる人間力がどれだけあるかに尽きるのではないかと思う。
『ありのまま』でいることを当たり前のように認められて育った人は、幸せだ。
おうちが安心できる居心地のいい場所で、
夜泣きしても、ぐずっても、だだをこねても、イヤイヤ言っても、怒っても、泣いても、笑っても、兄弟が生まれて拗ねても、宿題を忘れても、お勉強が苦手でも、兄弟げんかしても、学校に行きたくないって言っても、壁に穴を開けても、クソババァって言っても・・・命に関わるような危険なこと以外は、そのままでいさせてもらえた時に、初めて、多様性が染みついた素敵な人間になれるような気がする。
『不適切にもほどがある』というドラマは、昭和と令和を行ったり来たりするドラマだ。昭和の暴力教師が横行する世界と令和の〇〇ハラに苦悩する先輩上司のコントラストが実に痛快で面白い。
令和の何でもハラをみていると、その中途半端な多様性の描写が、まさに過渡期だなって思えて、感慨深い。
今、やっと、多様性幼稚園時代に突入したって感じ。
さかのぼれば、あやすハラか。
赤ちゃんは、ただ、ママの気配を感じられる空間で安心して、すっきり泣きたいだけなのに、泣き止まそうと、泣いちゃダメよとあやされる。
夜泣きが続いて、夜も抱っこして寝るという時、昼間もぐずるので、ずっと抱っこしたまま日が暮れるという時、ママにしてみれば、赤ちゃんから夜泣きハラスメントを受けているような錯覚を感じてしまいそうになるかもしれない。それでも、誰も、夜泣きハラスメントって訴えない。不思議だ。
母は凄いのだ。
世の中の母は、ほんとうに凄いのだ。
終わりの見えないつわりを乗り越え、陣痛という痛みも乗り越え、夜泣きという睡眠不足の日々も乗り越え、一日中、抱っこという拘束の試練すら乗り越え、イヤイヤ期の子どもを怒らずに見守り続け・・・。
誰も、こどもハラスメントなんて思わない。
むしろ、だだこねで全然言うことを聞いてくれない2歳児のわが子に堪忍袋の緒が切れてしまって、怒ってしまったら最後、なんだか今までの溜っていた育児ストレスが噴火しちゃって、止まらなくなって・・・これでもかこれでもかって八つ当たり的に怒りを爆発させてしまって・・・・。
夜、可愛い寝顔のわが子に向かって、ごめんねって涙する。
いいお母さんになろうって張り切っていたのに、全然な自分に自信をなくす。
赤ちゃんにしてみれば、ただでさえ、しゃべれない、寝たきりのように思うようにカラダが動かないから、行きたいところに行けないという状態だから、ものすごくストレスフル。
おまけに頼みの綱のママが、何も言わず突然姿を消すという心臓バクバク事件の連続で、不安ホルモンのタンクが溢れそう。
それを、ママの気配を感じながら、怖かったよ~~ってオンオン泣いてスッキリしたいだけなのに、ただそれだけなのに、泣かせることが不憫で泣き声に耐えられないママは、あやして泣きやまそうとする。
タンクに溢れそうだった不安ホルモンはどうなる?
圧縮されて固形燃料になって、無意識の世界に封印される。
でも、ことあるごとに、封印が解かれそうになる。
イヤイヤ期やだだこねは、その封印を解くチャンスだ。
好奇心からなのに、ダメって怒られて、ムカッと来て、圧縮タンクに火がつく。
導火線に火がついて、圧縮された固形燃料に引火したら、さぁ、終わりのないだだこねが始まる。
いいんだよ。
思う存分だだこねをさせてあげよう。圧縮された不安ホルモンの固形燃料が燃え尽きるまで。
あやすという行為は、同情かもしれない。
スッキリ満足するまで泣かせてあげる(見守る)という行為は、愛情である。
赤ちゃんにしてみれば、あやされるのは、ハラスメント・・・かもしれない。泣いてすっきりしたいというありのままを否定されるわけだから。
一方、ママは、夜泣きされても赤ちゃんからハラスメントを受けているなんて微塵も思わない。
これって、凄いこと。
最初から、泣いていいのよってギャン泣きを温かく見守れるママなんて、そういない。
子育ては、ママとこどもの双方のハラスメントギャップを埋めるための、最高の修行の場かもしれない。
『不適切にもほどがある』に描かれる何でも〇〇ハラと訴えてくるZ世代に
〇〇ハラ・ハラされてストレスたまりまくっている上司や先輩たちを見ていて、過渡期だなって感じる。
双方のハラスメントギャップをどう埋めていくかという素敵なお題をいただいたなって思う。
結婚や子育てにタイパがないということで、結婚を選択しない人がいてもいい。なんせ、多様性の時代なので。
ただ、思う。
ママをやってみるのは悪くない。