60代後半のスローライフ

                      

認知症の叔母に会いました。

2024-05-08 23:19:09 | 日本に帰国中

先日のブログで、温かいコメントや、アドバイスをいただき、本当に感謝しています。
有難うございました。皆様のコメントやアドバイスが心に染みました。

1年に1回、日本に帰った時には、母方の親戚(一番、若い年齢の叔母)に電話していた。
母に一番近い年齢の叔母は、もうすぐ90歳、夫を亡くし、何年か前から認知症になり、今はケアホーム(有料老人ホーム)にいる。

私は今年は、思い切って、そちらに訪問してもいいかと聞いた。
返事は、いいよとのこと。認知症になった叔母もつれてきてくれるとのこと。
皆に長いこと会っていないので歓迎されるかどうか、不安だった。

長い間、母のお葬式の時以来、親戚の誰とも会っていなかったので、今更と思ったけど、子供のころは家族のように仲良くしていた母の妹3人(私の叔母)、そして母の弟(私の叔父)は、子供のころ、私と弟をよくアイススケートや、ボーリングなどに連れて行ってくれたものだ。
生涯、独身のままだった叔父。
淋しい人生だったろうな。今も不思議に思う。
性格も悪くないし、仕事もまじめにする叔父が何故、結婚できなかったのだろうと。

私が生駒に住むその叔母のところに行くと、他の兄弟姉妹(私の叔父叔母)も来ていた。
私が来るというので、呼んでくれたそうだ。
一番、会いたかったのは、認知症になったという90歳になる叔母。
一番若い年齢の叔母が、車で、迎えに行って連れてきてくれたそうだ。

玄関を開けると、あと一年で、90歳になる叔母が出てきた。
私のこと、忘れてるかなと思ったけど、「〇〇ちゃん!〇〇ちゃんやね?」と言ってくれた。
お互いハグし合って、叔母は手をしっかり握りしめてきた。
そして、涙をぼろぼろ流して。
私も思わず、泣けてきた。
長い間、訪れることもなく、申し訳なかったという気持ちも、こみあげてきた。

認知症になった叔母がこんなに喜んでくれるなんて。
皆で、話してても、叔母は耳が遠くて聞こえないようだったけど、嬉しそうに笑っていた。
ホームでは誰とも会話することないそうだ。
昔から、我慢強い性格だった叔母。
淋しいのも我慢してるんだろうな。

認知症とはいえ、私に「〇〇ちゃん、あんなに頼りなかったのに。」
「そうそう、私って、本当に頼りなかったよね」
昔の私のことを、良く覚えてる(笑)

耳が遠くて殆ど聞こえないということもあるのだろう。
私にも同じ質問を何度も何度もしてきた。
「今、どこに住んでるの?」「子供は?」と、何度、同じ質問をされただろう。

それに彼女は、私の息子が今も、まだ小学生だと思い込んでいる。
それでも、会えてよかった。喜んでくれてよかった。
覚えてなかったらどうしようと思ったけど。

短い時間だったけど、一緒に過ごせて、良かった。
お別れの時は、また叔母は泣いて、お互い手を握りしめて、バイバイした。
今度、いつ会えるだろう。
来年、また会えるだろうか?
思い切って、訪ねて来てよかったと、つくづく思った。

来年も、また訪ねようかな、という気持ちになった。
私と会うことで、こんなに喜んでくれる人がいるなんて、私も嬉しい。
泣いてる叔母を見るのは、ちょっと辛かったけど。
元気でいてね。また会いに来るからね。

各駅電車に乗って、日帰りの旅のようだった。
空いていて、車窓からの眺めを楽しむこともできた。









冷蔵庫の中身を整理しないといけない。残り物を使って、食べ物が余らないように。



久々にピアノの曲をUpしました。
Someone to watch over me

https://www.youtube.com/watch?v=X8hh1CT_XM0



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淋しすぎるゴールデンウィーク

2024-05-06 18:44:00 | 日本に帰国中

5月になって、快適な気温になってきました。自転車で走っていると、暑い日差しの日でも、心地よい風が吹き抜けていきます。
昨日などは、昼間は暑くて、このような気温なら、イギリスでなら、海で泳げるほどの気温かもと思っていました。
ですが、あいにく、イギリスは未だに寒くて雨が多いようです。

忙しかったのは4月いっぱいで、5月になりゴールデンウィークに入ると、急に誰とも会うこともなく、どこもお休みなので、(といっても、大事な用事は、何とか連休前に片づけました)淋しさが襲ってきました。
息子に連絡することがあり、電話をするも、何度かけても出ません。
出ないはずです。
息子は長男(私の孫)に自分の携帯を渡しているのです。
息子が自分の携帯を長男(私にとっては孫)に渡してからは、私のLINEも削除されてしまって、なかなか息子とは連絡取れません。

長男孫に最後に会ったのは、2019年です。
小さい頃は、それでも、懐いてくれてた時期があったけど、息子のお嫁さんに、私が拒絶され、わざわざ九州に行っても、そっぽを向かれてしまって、家にもあげてもらえることはありませんでした。
息子から今年、息子の長男孫が高校入学を果たしたというので、お祝い金を渡しましたが、ありがとうの一言もありませんでした。
それどころか、電話を、わざと切っているようなのです。
お嫁さんの影響を受けて、私のことが嫌いなんだろうなと思うと、本当に傷ついてしまいます。

息子はお嫁さんに何も言わないし、二人の間を、取り持つということもしません。
ひとえに私の育て方と、元夫の私に対する態度を見て育った息子が、そうなっても、不思議ではないのかも?
わたしはリスペクトされるような母親ではなかったのだから、仕方ないのかもしれません。

でも、本当に淋しくて淋しくて、どうしようもありません。
特にGWのこの季節、家族と過ごす人々をみたり、孫と仲良く遊んでいるシニアの人々を見ると
うらやましくて仕方ありません。
年取ってから、こんな風な非情な仕打ちを受けるとは思ってもみませんでした。
親切に接したつもりだったのに。

わたしの住んでるエリア(父母の家)は、どちらかというと、治安のよいエリアではないです。
昔は、暴走族が走り回っていました。

日本に帰ってきて思うことは、狭い道路なのに、どうして皆、不必要なくらい、どでかい車に乗っているのかと思います。すべて見栄の為なのでしょう。
ホルムズ海峡が封鎖されて、ガソリンが入って来なくなったら、真っ先に困るのは、こんな不必要なくらい、どでかい車を持っている人なのではないでしょうか?

自転車や人は大きい車が来るたびに、よけなければいけません。
今にもひき殺されそうなくらい、スピード出してくる大型の車が多いです。
軽に乗っている人は、たいてい、歩行者を気遣って、スピードを落として追い越して行くのに。
それに、一体全体、こんなガソリンを食う、どでかい車が必要なのか?と疑問に思います。
狭い道なのに。
高級住宅街は、たいてい道が広くて、自転車を乗っていても、車に追い越される時も安全です。
うちは、貧乏なエリアです。

イギリスのフラットも狭い間取りの、どちらかというと貧乏なエリアですが、それでも、1階に2年前に住んでいたシニアの男性は、600ポンドの家賃を払っていましたが、大家さんが売却したので、追い出され一時期、ホームレスになりました。今はカウンシルフラットに入居できたようですが。
去年、入居してきたカップルは、900ポンドの家賃を払っていました。
彼らは4月末に引っ越したそうです。

その後、家賃は、さらに値上がりして、1100ポンドになったそうです、(21-22万円くらい)
すごく高い!幸い私たちはローンを支払い終わったので、ラッキーでした。
新しい入居者は決まっているようです。どんな人たちなのか、心配です。
でも1100ポンドの家賃を支払える人って、きっと良い仕事をしている人達なのでしょう。

昨日までは、鬱で気分が落ち込んで、何もする気になれませんでした。
息子のことを考えると悲しくて、苦しくて。今はもう、孫に会いたいとも思いません。
血のつながっていない他人の子供の方がずっとかわいい。例えば、夫の孫とか、私に懐いてくれてるし。

でも、今日は少し気分転換できました。
朝から予約していた美容院に行ってきて、美容師の若い女性と話しをするだけでも、気がまぎれました。そして、きれいにカットとヘアマニキュアをしてくれました。
その美容師さんは、私の髪を触ってみて、「こんなに、サラサラの髪を触るのは久しぶりです。若い子だと、サラサラですけど」という褒め言葉に嬉しくなりました。
白髪染めは髪の毛を痛めるそうです。
わたしはアトピー肌なので、昔からヘアマニキュアしかダメなのです。

もうあとわずかでイギリスに帰れます。ほっとしています。
去年の今頃のブログを読むと、楽しくて帰るのが名残惜しかったことが書いてあります。
友達が来てくれてサイクリングしたり、一緒に外食したり、カラオケに行ったり、充実していました。

今年は、中学時代からの親友のEちゃんが、会う約束を、3回もドタキャンしました。
理由は彼女の手術した腰が、痛くて座ることもできないからです。
痛みと不快感に、四六時中、苦しんでるEちゃんのことを考えると、私まで、つらい気持ちになります。

そして、私には、近所に誰も親しい人がいないので、何かあった時のことを考えると恐ろしくなります。年に1回しか帰ってこないこともありますが。
友達を作るにも、何も、つてもないし、出会う場所もありません。

生徒さんたちにメールをしました。2人を除いてすべての生徒さんから返事があり、私のレッスンを待っていてくれるとのこと。
有難いことです。
仕事があって、健康でいられることに感謝したいです。

そして、冷たい息子家族だけど、自分たちで、幸せに楽しくやってるのなら、それで、良いと思う努力をすることにしよう。
難しいけど、ネガティブな気持ちでいると、自分自身が、ますます不幸になってしまう。

私は、彼らと交流することを、もうあきらめるべきなのだ。
できるだけ電話もしないようにしよう。電話といっても、たった3分くらい、1か月に1回でいいのだけど。それも、望むべきではないのだろう。
私と同じような状況の人がいたら、お話してみたいものです。

これから、私は私だけのために、お金を使おうと思います。
私も息子をあてにしないし、私も、何もしてあげる必要ないんだなと思います。
そうですね。他人みたいな関係。淋しいけど、他人以下かも?

だって、他人だと、他人から何かお祝い金などを、もらったら、せめて、ありがとうの一言は言うだろう。
それがないのは、礼儀がないとしか言えない。
やはり、私の育て方が悪かったということだろう。  
若い時は、忙しすぎて、自分のことしか考えられないのだろう。

最近の、ひとり晩御飯

天然ぶりが売っていたので、ぶり大根を作ってみた。すごく美味しくて、びっくり!!
それに超簡単!ぶりは、煮込んでも煮崩れしない。また、日本に帰ってきた時、作ってみたい。


昨夜は、近くの肉屋さんに行き、(この辺のスーパーは閉店してしまった)ハラミとバラを100gずつ買った。肉屋さんオリジナルのたれも、すごく美味しかった。
これらの肉を買って、お腹いっぱい食べても、1000円、何とリーズナブルなこと!
美味しいものを食べると幸せな気分になる。
焼肉屋さんには、一人で行くことがないけど、昔、近くの焼き肉屋さんに、行った時は、かなりの値段になってびっくり!


帰る前なので、食材を減らして、冷蔵庫を空っぽにしていかないと!!

この辺は、タクシーも来なくなったので(たいてい通じないし、予約もできない。とっても不便)母が生きてた頃は、タクシーもすぐに来たのに、時代は変わったものだ。

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一昨日、歯の激痛に見舞われて。

2024-05-01 05:04:09 | 日本に帰国中

本当なら、今日、友人と有馬温泉に行く予定だった。
でも、行けなくなってしまった。

一通り、いろいろな用事も済ませて、イギリスにもどる前に、のんびり、温泉につかって、と思っていた矢先、おとといの祝日29日に、急に治療した歯あかに激痛が走った。

今まで、ものすごく忙しい日々を過ごしていて、なかなか、ゆっくりする時間もなくて、長い間、行ってなかった温泉にも行けると思っていたのに。

でも、こんな歯の状態だと行けないかも?
治療した歯の神経が痛んできたのに違いないと思った。
もし行けなかった場合、私はキャンセル料を払うので、今回は、もしかしたら無理かもと、友人に伝えたところ、友人はすぐに、他の友人を見つけて、一緒に行くことにしたようだ。

昨日、歯科に行ったところ、神経は抜くことが出来ないと言われた。
今からだとGWを挟むので、とても無理だと。
もともと、この歯は昨年、イギリスに帰る前に、痛み出して、神経に近いところだけど、神経は残しておきますと言われて、ギリギリ、保険外でのセラミックの詰め物を作ってもらった歯なのだ。
昔は、神経を簡単に抜いてくれたのにと、思ったけど、この先生は、神経を抜くと根管治療をしないといけないのだという。それに時間がかかると。
私は神経を抜いたら、痛みがなくなって、それで簡単に詰め物をしてくれると思っていた。

昔の歯科のやり方とちがうのか?
この先生のやり方は、神経はできるだけ残しておいた方がよいという考えみたいだ。
イギリスのNHSの歯科(昨年、レジスター出来た)では、日本に帰る前に、この歯が炎症を起こしているといわれた。そして、抗生物質をもらって、何とか日本までたどり着いた。
この時、この歯科医は、もし神経を抜きたければ、「私の同僚が、神経を抜くのをやってくれる」と言ってた。

以前かかっていたプライベートの歯科は、あまりにも高い値段になったので、行かなくなってしまった。それに、以前のプライベートの歯科医には、入れ歯はできない、インプラントしかできないと言われた。私は骨粗しょう症の薬を飲んでいたことがあるので無理だと思う。
この薬を飲んでいたのは、半年だけだけど、一生涯、骨に影響が残るらしい。
だから、インプラントはリスクだ。
今回は、以前、残っていた根管も、抜いてもらった。いずれ抜かないといけないと言われていた。わずかに残っていた歯が折れていたからだ。

今回、私は部分入れ歯を作ることになった。
今、かかっている日本の歯科医が、入れ歯を入れたほうがいい、というのだ。
以前かかっていた日本の歯科医は、別に入れたくなければ入れなくてもよい、と言ってた。
歯がないと、他の歯に影響するらしいけど、今のところ、私の歯は、そんなにグラグラしていないから、入れ歯を入れたらきっと、気持ち悪いだろうし、本当のところ、無理だろうと思っている。
今回の日本滞在では、歯の治療が主だった気がする。
1週間の多い時では3回も通った。

あまり、いろいろなことが出来ずじまいだった。
どこにも行けなかった気がする。
奈良の友人のところに半日行って、美味しいお蕎麦屋さんに車で連れて行ってもらった後、
彼女の家に行き、ペットのワンちゃんに会うこともできた。

前半には、東京の知人が来て、2日間、大阪、奈良などを案内して、一日、1万7千歩か8千歩いて、ふくらはぎと足裏が痛くなって、2-3日、マッサージに通った。
回復するまでに、時間がかかったけど、幸い、足底筋膜炎にならなくて済んだ。
すぐにマッサージしてもらって、そしてストレッチをしたお陰かもしれない。

それから、今回は、地震対策として、いろいろなものを備えた。
食料は、私にはローリングストックは無理なので、缶詰を少し備えたくらいだ。
長期保存の水もまた買ったけど、家が崩れ落ちたら、取り出せない。
お米も無農薬の玄米を買ったけど、わずか2キロだけ備蓄用にあるだけだ。
それに、野菜が食べられないとなると、耐えられないだろうなと思う。

肉や魚がなくても、お米と野菜、みそ、しょうゆがあれば、何とかなるだろうけど、
やはり、海外に帰るので、そういうローリングストックしながら、食料備蓄は無理だなと思った。

地震が起きて、この家が崩れ落ちて、避難所生活になるのは、絶対に嫌だなと思うけど、この国いる限り、覚悟しないといけないのだろう。
簡易トイレ(使い捨て)だけは、Amazonで購入できた。
これも、地震が起きて、持って逃げれるものではない。
屈強な男子がいれば大きなリュックも背負えるだろうけど。
私のような一人暮らしの婆さんには、無理な話だ。

それにしても、海外からの大勢の観光客が来ているが、この人たち、地震が起きたらどうなるのだろう?
交通網も遮断されるし、飛行機も飛ばなくなるかもしれない。

第一、私のような年寄りが、サバイバルするのは、大変だと思った。
家族がいれば別だろうけど。
逃げる際にも、重いリュックは背負って逃げれない。
たった一人で、頼れる人が誰も周りにいない。
日本にいる間、それはリスクだなと思った。
頼れる人といえば、いつもお世話になっている不動産屋さんくらいなもの。
その不動産ご夫妻も、私より高齢。

私の住む場所に近い駅の回りは、スーパーもお店も、この数年で全て、なくなってしまった。
静かになったのは有難いが、駅の近くには、カフェの1軒もないし、コンビニもなくなった。
そして何より不便なのは、雨の日など、タクシーを呼ぼうとしても、まったく来てくれないことだ。予約は、受け付けてくれない。
これは、本当に不便だと感じる。
自転車だと駅まで15分くらいで行けるけど、歩くには、ちょっと時間がかかる。
まして、土砂降りの日などは、とても歩いていけるものではない。

住んでいる住人が殆ど高齢者ばかりになってきている。
若い人は車を持ってるけど、高齢者は運転できない人が多い。

母が生きている時は、まだタクシーは呼べばすぐに来てくれたのに。
なんだか、急激にいろいろなことが変化して行ってると感じる。

そして自分自身の老いも、勿論、感じる日々。
昔なら、あれもこれも、いろいろなことが出来たのに、一日でできる量が少なくなってしまった。
昔なら、遠くに出かけることも、苦にならなかったけど、今は、すぐに疲れてしまう。
特に人混みに出かけることが苦痛になってしまった。

歯の痛みは、今のところ治まっている。
このまま、無事にイギリスに帰れることを願う。
GW明けには、イギリスに帰国だ。
お天気は悪いみたいだけど、用事も済ませた今、早く帰らないと、と思う。
何しろ、仕事もあるし、夫も待っていてくれる。
今やたった一人、家族と呼べる人は、夫しかいない。
淋しい人生だけど。

3月初旬に、日本に帰ってきたころ、家の中は寒かったけど、朝と晩に湯舟につかるのが至福の時間だった。やはり、日本は良いなと思うことがいっぱいある。
これで地震がなかったらいいのに。それだけではない。台湾有事も心配だ。日本が戦争に巻き込まれる可能性もある。
そうなった時、果たして、日本に一時帰国などできるのかどうか?
不安材料は、多すぎるくらいある。それでも、日本は、やっぱり大好きな自分の祖国だ。
外国人観光客が多すぎるのも、そして円安で、外国人は旅行できても、日本人は難しい状況。
外国人富裕層がいっぱい来ていて、ホテルの値段も上がっているので、桜の季節などは、とても高くてホテルには、宿泊できない。
私は自宅があって良かったなあと思う。いろいろメンテナンスなど大変だけど。
やはり自宅は、くつろぐ。



近くの神社、梅の花がかろうじて、1本か2本くらい咲いていた。



懐かしい日本の神社の姿を見れて、やはり感激。日本に住むことの幸せを感じた。



近くのスーパーでは、こんなおいしいワインを見つけた。
昔、元夫の姉のところに行った時、「このワイン、美味しいのよ。山梨のワインなの」と言って飲ませてくれたワインと同じ味がした。
すごく甘い葡萄の香りがした。

念願のカキフライも作って食べた。3月までは、まだスーパーで牡蠣が買えた。



昨日は、こちらに帰ってから初めて、映画を観た。Youtubeで、Freeのがあったのだ。
リチャードギア主演のロスト・イン・マンハッタンという映画、ジョージオーウェルのエッセイ、パリロンドンを彷彿とさせる。
なかなか興味深い映画だった。映画を観るのは久しぶり。リチャードギアがホームレスの役を演じている。
https://www.youtube.com/watch?v=gvIZ8kCxE1Y&t=187s



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死ぬかと思った!!

2024-04-21 23:17:00 | 日本に帰国中
日本に帰ってからというもの、恐ろしく忙しくて、やることが多すぎて、ブログも書くことが出来なかった。ピアノの練習も殆どする暇もなかった。

そんな中、息子が昨日、やっと、時間を作って、来ると言ってくれた。
しかし、運悪く、昨日の早朝、5時頃、悪い夢を見て目が覚めた途端、心拍数が上がって、呼吸困難になってしまった。
まるで、夫と一緒に、マルタに行ったとき、美味しいビールを飲んで、心拍数が上がって呼吸困難になったときと同じだった。
誰もいない。
助けてくれる家族も友人も。
このまま、死ぬのかな?
これだけ長く生きたのだから、このまま死んでも構わないけど、苦しまないで済むなら。

でも、今日は息子が来る日だ。
去年渡した、この家の鍵を持ってくるだろうか?
家に入れなかったらどうしよう?

朝5時だけど、弟にLINEメッセージを送った。
そして、親友のE子にも同じメッセージを送った。

「心拍数が上がり、呼吸困難で、もし私に何かあったら、うちの息子に連絡してほしい」と。
まだ起きてないだろうと思っていたら、すぐに弟から返事があった。

フレンドリーでなかった弟だけど、今年は、どういうわけか、私が帰ってきて、すぐに晩御飯に誘ってくれて、弟と弟のお嫁さんに近くの和食レストランに連れて行ってもらって、なんと、初めて、ご馳走してもらった。
いろいろ弟とも弟のお嫁さんとも喋った。こんなに喋ったこと今までに、なかった。
なんか、やっと打ち解けられた感じがして、嬉しかった。
人生、長く生きていると、こんな風に家族関係が変わることもあるものなんだな。

そして、今日、死ぬかと思ったとき、真っ先に身内に、しかも比較的近くにいる身内、弟に連絡したのだった。
弟は救急車を呼んだ方がいいと言ってくれた。

弟と電話で話して、なんだか涙が、ぼろぼろ出てきた。
電話で話しただけなのに、身内がいて、心配してくれる人がいるということは、こんなに安心感があるのかと思った。

でも、救急車を呼んでも、何も着替えも何も用意していないし、今日は、息子が来るのに、網しばらく様子を見ようと思ってベッドに横たわっていた。
心拍数は、15分くらいして、ようやく少し下がってきた。

息子は多分、昼頃くると言ってた。でも、どうせ遅くなるに違いないと思っていた。

がしゃがしゃと、鍵を開ける音。まさか???
それが、何と朝の10時半に来た。
何度、電話しても出なかったのに。
電話を家に忘れてきたと言ってた。
昨夜は出張先の姫路に泊まって、こちらに直接来たという。

息子の顔を見た途端、安心感で、抱きしめたいような気持になったけど。
やはり、医者に診てもらおうと思って、近くのクリニックに自転車で行った。
タクシーは、なかなか来てくれないので。無駄だとあきらめていた。
ふらついていたけど、何とか自転車には乗れた。
いつも、ガラガラにすいてる医者なのに、この日に限って、ものすごく混んでいた。
座っていられなかったので、クリニックのベッドに横にならせてもらった。

看護師さんが、まず心拍数や血圧を測ってくれて、異常なしと、医者が、検査をしてくれて、
「なんともないですよ。考えられるのは精神的なものです」と言われた。

忙しすぎて、ゆっくりする暇がなかったからかも?

日本に帰ってきてから、まずは備蓄や、家の地震対策に追われた。
あとは、こちらでやらなければいけない仕事が山積みだったので、それを少しずつ片づけた。
あれも、これも、と忙しく、その合間に、東京から知人が来て、丸二日、大阪、奈良を案内して、毎日、1万7千歩くらい歩いて、足裏とふくらはぎが痛くなり、マッサージに通い続けた。
本当に休む暇がないほど多忙な日々だった。

それでも、日々の楽しみは、ぼろ家ながら、去年、買い替えた新しいガスボイラーで、お風呂がすぐに沸くので、朝晩、お風呂に入って温まり、日々、至福の時間を過ごしている。
しばらくブログを書いていないのに、応援して出さる方々がおられるのか、ブログ村の順位も、見えるところにいられて、ありがたいことです。
また少しずつ、ブログもUpしていきたいと考えています。


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旭川の旅の思い出 

2023-05-07 16:11:03 | 日本に帰国中

旭川での旅、親友のKちゃんと13年ぶりに会って、話が尽きることがなかった。
電話では、話せない、いろんなことを、こんなに話したのは久しぶりだった。
本当に幸せな旅、ここ最近、これ以上の素晴らしい旅をしたことがないと思うくらい。
ただ、ひとつ残念だったことは、クロスカントリースキーが出来なかったことくらい。
Kちゃんのお宅に、滞在2泊目は、何と、Kちゃんが、大判振る舞いで、ホタテや蟹を、出してくれた。

あちこちで、土筆(つくし)も顔を出していた。
土筆なんて、子供の時に、見たっきりだ。

Kちゃんの庭に咲くフキノトウ。生まれて初めて、フキノトウを見た。
大きくなると、フキになるんだそうだ。
知らなかった。





七輪でホタテを焼いてくれる。外はまだ寒いので、中で食べる。



新鮮なホタテ、こんな美味しいホタテ、食べたことない~(*^_^*)



蟹は、北海道と言えども、高い。そんな高いの、買わなくてもいいと言ったのに、「たまだから」と言ってKちゃんは、大判振る舞いをしてくれた。



この日は、13年前に行って宿泊させていただいた、Kちゃんの仕事場でもある菜っ葉さんの宿に行った。残念なことに、宿主の菜っ葉さんは、3年前に、亡くなられた。

海外からのお客さんが多く、私と夫が、13年前に訪れた時も、フランス人のカップルが宿泊していた。
あの時は、生まれて初めて、そして多分、あれが、最初で最後であろうクロスカントリースキーというものを味わった。
あの時の楽しかったこと!!

スキーは、やりたかったけど、若い頃など、一度だけ会社の人に誘われて、長野のスキー場に行ったきり。楽しかったけど、あの時は、誰かが、ぶつかってきて、その後、むち打ち症になってしまった。やはり、危険なスポーツだ。

運動神経の鈍い私には、アルペンスキーよりも、ずっと安全なクロスカントリースキーが合っていた。
でも、その後、誰からもお誘いがなく、当時、小学生だった息子と二人で、関西から近い神鍋スキー場に行ったくらいだ。



雪はまだ、残っていた。ふもとの街は、雪がすっかり解けていたけど。

13年前の光景がよみがえってきた。
あれ、こんなだったっけ?
あの時は、もっと雪深くて、4月と言えども、吹雪になると、マイナス10℃になったものだ。
あの時は、3泊させていただいた。
オーナーの菜っ葉さんは酒好きで、夫にビールを、どんどん、おごりだから、と言って進めてくれたものだ。



全て天然の木造りで出来ている家具や、柱を見ると、圧倒される。
こんな場所、他には、ないだろう。



菜っ葉さんも弾いていたと言うピアノを弾かせてもらった。 



大きな薪ストーブ、マイナス20℃でも平気だろう。
私たちが行った時は暑いくらいだった。



窓からの眺めも、とびきり、素晴らしい。











最近、改装したと言うお風呂、まさに雪見風呂だ。





クロスカントリースキーをしている人が2人だけいた。
少し歩いてみようと思って、近くを、歩こうとしたが、友人のKちゃんが、「今の時期、熊が出るかもしれないから、遠くに行かないで」というので、怖くなって、すぐ宿に戻って来た。
そして、暖かい、素晴らしい温泉の湯舟に浸からせてもらった。

この宿は、床に温泉を敷いて、暖房しているという。
本当に暖かい宿だった。
木のぬくもりも、素敵すぎて、溜息がでるくらい。
海外の人に、人気の訳がわかる。

でも、菜っ葉さん亡き後、奥さんだけでは、とても切り盛りしていけなくて、今は、知り合いの人のみを宿泊させているとのこと。





またいつか、ここに来れたらいいなあ。
でも、今は、スキー道具も貸していないし、菜っ葉さんがいた時とはちがって、夏場だけしか、オープンしていないらしい。

残念だと思う人は、大勢いるみたいだ。
それでも、この宿が、ずっと、続きますようにと、願うばかりだ。

オーナーの菜っ葉さんの奥さん、そして、それを支えていくKちゃんが、どうか元気で、あの宿をキープしていけますように。

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