50歳からの海外移住生活

風とカモメの街に暮らして                               

スカフォード(Scaffold) に囲まれた!

2018-05-31 16:00:10 | 海外生活
いよいよ、去年、通達がきたローカルカウンシルのイーストボーンホームが、スカフォード(足場)を
組み立て始めた。



組み立てる前の日々、調査にやってきて、窓枠やらドアのメジャーを計りに来た。

でも我が家では、すでにダブルグレージングは、自費で行ってる。
ドアも数年前に、自費でやりかえた。

去年の見積もりでは、4戸しかない門を、5戸分の見積もりを出してきたといういい加減さ。

数年前の工事では、手抜きで、やっていないことも、やったことにして請求してきたので、我が家の
夫は、黙っていなかった。

何度も、何度も、根気よく手紙を書き、電話をしたりして、苦情を訴えた。

そして、工事をする前と、後の、Before Afterの写真もEvidence(証拠)として、
添付した手紙を、送った。

その結果、ようやくマネージャーがやってきて、非を認め、お金を支払わずに、すんだのだ。

またあのやり取りがあるのか、と思うと、うんざりするけど、これは、避けて通れない。

おおよそ、5千ポンドの見積もりをよこした。
こちらの了解も得ず、一方的になされる工事。

うちは、窓もドアも改装済みなのに、他の家の分まで請求されるなんて、割に合わない。

今回は、軒下の部分も改装するらしいが、簡単な工事をわざわざ、難しくして、お金を余分に取ろうという算段らしい。

多分、イーストボーンホームは、業者から賄賂を貰っているのではないかと思う。

日本の政府も、必要のない工事(道路建設など)をゼネコンなどから賄賂を受け取って、やっているのは、周知のとおりだ。私たちの税金を使って!

それとよく似たようなことが、この国でも、まかり通っているのだ。

しかも、税金ではなくて、ここに住んでる住民から。

一方、全く支払わなくて済む住人もいる。
生活保護を受けている人やら、Disableの人たちなどだ。

でも、それを、カウンシルのお金でなく、私たちが負担しなければいけないというのは、納得できないのだ。

このフラットがリースホールドでなく、フリーホールドだったら、全部、自分たちで責任をもって、工事を決めれるのだけど、それには、4戸の人たちが合意しないと、フリーホールドには、ならないようだ。



足場が組まれた日は、カーテンも閉め切っていた。

工事になったら、相当な騒音がするはず。
そうなったら、仕事(家でピアノを教えてる)にも、差しさわりがあるかもしれないと心配だ。



スカフォードの後ろから心配げに顔を見せるゴンキチ。

庭には、マーガレットの花が、いっぱい咲き誇り始めた。



去年、公園から取って来たポピーの種を撒いたら、ポピーの花も咲きだした。



工事のビルダーが、スカフォードの板を26本も庭に転がしていたので、花がつぶれそうになっていた。
夫は、必死で起こして、建物に立てかけた。花も立て直した。
夫は非常に、憤慨して、またもやComplaining Letterを送った。

花は、元に戻り、何とか被害は避けられた。


この工事、どれくらい、かかるんだろう? 期間もお金も?

工事が長引けば、それだけ余分にお金も請求されそうで、こわい。

クレメイタスの花も、庭の入り口に咲いた。


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ショックな気持ちは、隠しきれない

2018-05-24 22:32:53 | 海外生活
2か月近く滞在した日本から帰ってきて、残念なことは、生徒さんが、かなりの数、やめてしまったことだ。
もし、日本に帰らず、ずっとここで、教え続けていれば、失うことがなかったかもしれない生徒さんたちもいる。

初めから、この春に辞めるとわかっていた人たちは、いる。

ダルシアは、私が一番最初、ここでピアノ教室をスタートした時、2009年から、来ていた。
その当時、彼女は、7歳か8歳だった。

地元のローカルペーパーで広告を出して、一番最初、4人だけ、生徒が集まった。
その時に来てくれたのが、彼女だった。
両親ともにジンバブエ人、お母さんは、きちんとした人だった。
他の3人は、1年、2年、3年後などに辞めてしまったけど、ダルシアだけは、9年も在籍していた。
その間、私が親の介護や、看取りなどで、日本に帰って、またこちらに戻ってきても、必ず、もどってきてくれた。
はっきり言って、彼女は、Slow Learnerだった。なかなか、覚えてくれない。練習もしてこない。
でも、やめたいと言ったことは、なかった。根気よく来てくれたのだ。
レッスンの途中でも、あくびをすることが多かった。
それでも、毎週、欠かさず来てくれた。

そんな彼女も、何とか、頑張って、この春、グレード3を取得することができた。
彼女は演劇部に所属していて、おまけに新聞配達のアルバイトもしていた。
そんな彼女が、このグレードだけは、どうしても受かりたいということで、私も彼女も必死だった。

今年は学年最後ということで、GCSEの試験もあるということで、ピアノは卒業と言ってた。
正直言って、私もやれやれ、という気持ちだった。


年輩の生徒のアラン(多分、60代後半くらいではないかと思う)は、全くのビギナーから始めて、
2年間、殆ど休むこともなく通い続けてくれた。

最後のレッスンの時(日本に帰る前)私がショパンのNocturne in C sharp minorを弾いてみせた時、
彼は、感動して、涙ぐんでいた。
「すごくいい音楽を聴かせてもらったよ」と言ってくれた。

彼は、ちょうど長年勤めていた仕事を失ったばかりだった。
裕福でない人だが、ピアノを楽しんでいる様子だった。
でも、日本から帰る前、私がメールを送ると、「残念ながら、新しい仕事はきつくて、今まで見たいに時間が取れないので、ピアノのレッスンには行きたくても行けない」という返事が来た。
熱心な生徒さんだけに残念だったけど、仕事が絡んでるので、やはり、彼は、遅かれ早かれやめていただろう。


キャロルは、60歳。今年になってから来た生徒さん。
彼女の場合は、弟さんのビジネスのお手伝いをしていたが、弟さんがそのビジネスをほかの人に譲り渡し、リタイアしたことで、キャロルは仕事を失ってしまった。

余分な収入がなくなったので、ピアノも辞めざるを得ないといってた。
でも、また必ず戻ってきたいと言ってくれた。
こんな風に言ってくれても、殆んどの人は戻ってくることがないのが現状だ。


もう一人、去年から熱心に、時には週2日、集中して通って来てくれたベトナム人のマリア、
彼女も辞めてしまった。
4月からキプロス島に移住するのだと言ってた。
夏はイギリスに戻ってくるから、その時はレッスンに来たいと言ってた。


そして、最後にMちゃん、家族同然のようにしていた日本人とイギリス人のハーフの子。
彼女は、やはり8歳の時から通って来てくれた。
一番、熱心で、ピアノが大好きな子だった。
頭が良くて、礼儀正しくて、ずっとピアノを続けたいと言ってた。

今年の春、グレード5をdistinctionで、受かった。

私が日本に帰る前までは、又私が、日本から帰ってきて、レッスンに来るのを楽しみにしている様子だった。Theory5を教える予定だったが、私のレベルでは、教えるのが、なかなか難しくなってきそうだった。
でも、私と一緒に弾き語りで、歌を歌ったり、(Jpopなど)レッスン以上に、楽しい時間を過ごした。
家族を招いて、一緒に食事をしたこともあった。

そんな彼女から、突然、「考えに考えたけど、やっぱり、続けられないから、やめます」という電話があった。そんな予感は、どこかでしていた。
でも、やっぱりショックだった。
彼女は、6年間、熱心に通ってくれた。一緒に犬の散歩にも、ついてきてくれた。

そんな彼女も学業が忙しくなったことと、ボーイフレンドが出来たこと、家庭の事情もあり、やめることに決めたという。
残念だけど、仕方ないと、自分に言い聞かせるのだけど、どうにもこうにも、淋しくて仕方ない。

この仕事、お金をもらうだけの仕事ではない。
時には、色んな相談をされたり、こちらも、色んな勉強をさせてもらったり。

そうなんだ。私は、ピアノを教える仕事で、本当にいろんなことを教えられた。
一人ひとり個性がちがうから、難しいこともあるし、楽しいこともあるし、いろんなことを
乗り越えてきた。

親の遠距離介護のため、日本とイギリスを行ったり来たり、自分も病気になったり。
でも、乗り越えて来られたのは、この仕事があったから、とも思える。
仕事をすることが、自分にとって、心の支えになってきた。

そして、新しい生徒さんも、二人ほど来てくれることになった。

今までの生徒さんも、合わせて昔に比べたら増えた。
その分、その人に合ったレッスン内容にしないといけない。
レッスンの準備の時間も、その分、要するようになってきた。

だけど、やっぱり好きな事を仕事に出来るのは幸せだと思う。
頑張らないと。。。




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心が折れてしまいそうになるけれど。。。

2018-05-17 12:52:03 | 海外生活
先日から、近所の車マニアックが、朝から晩まで、エンジンを取り換えていて、ブルンブルンと騒音を立てている。
そればかりか、3日か4日前には、うちの前の道路に、有害なオイルをまき散らしていた。



誰かが通報したのか、カウンシルがやってきて、粉を撒いたようだ。
そのせいで、道路は、まるで雪解けの後みたいに真っ白になった。

近所の人々が、男に注意しても、知らん顔で、ブルンブルンと相変わらず、エンジンを鳴らしていた。

おととい、さすがに、あまりの騒音に、私は、カウンシルに通報のメールを送った。
返事が来るまで、10日くらい、かかるそうだ。

誰かが通報しないと、いつまでも、こんな騒音が続いてはたまらないと思ったからだ。

夫が帰ってきたら、警察にも通報した。
後で聞くところによると、近所の人も、警察に通報したそうだ。

皆が迷惑してるのに、これが、Posh Area (お金持ちの住むエリア)だったら、こんなこと起こらないのに、と近所の人も嘆いていた。

ナナメ向かいには、インド人のドラッグディーラーが住んでいる。
カウンシルフラットのテナントだそうだ。(生活保護をもらいながら、暮らしている。住居費も無料で
住んでいる)
以前は、よく警察が来て、騒動になっていたけど、最近は大人しいようだ。

車キチガイの方はというと、Tatoo Artistだそうだ。

この男は、全身、裸で車をいじっていたが、自分の肌が見えないほど、汚らしいTatooで埋め尽くされていた。この男、ほぼ、朝から晩まで、車のエンジンを改造したり、タイヤを変えたりしている。

幼い子供が二人いるが、毎日、ストリートで、おもちゃの車を走らせている。親譲りなのかな?
男は、子供たちには、目もくれないで、車の事だけに熱心なようで、子供に、声かけさえもしていない。
この子達が大きくなったら、どんな大人になるのだろうと、考えただけで心配になる。

昨日は、日本から帰る直前に、取れてしまった歯の詰め物を詰めてもらうために、歯医者に行ってきた。
帰りのバスを降りて、とことこ歩いてると、家の近所のクリニックの前で、若い男とすれちがった。

この男、いきなり、低い唸るような声で、わたしに「チンク!」と叫んできた。
「チンク」とは、中国人を差別する言葉だ。

私は、一瞬、ショックを受けたけど、知らぬ顔をして、そのまま、男の顔を見ないようにして、家路に辿り着いた。
勿論、嫌な気分になったのは、言うまでもない。

見ず知らずの人から、差別用語を受けるのは、屈辱だ。
まして「ジャップ」なら、まだ許せるが、「チンク」とは、私は中国人でもないのに。

家に帰ってきて、夫にそのことを言うと、一緒に怒ってくれた。

のもつかの間で、夜、些細なことで、夫を怒らせてしまった。
夫がテレビを観てる時に、いろいろ質問して、またいつものように、突然、切れてしまった。
そして、またFの付く言葉で罵られた。

機嫌のいい時は、英語の意味などでも質問したら、ちゃんと答えてくれるけど、疲れていたのか、怒らせてしまった。
その時に、夫が言った言葉、「お前なんか、チンクと呼ばれて当然だ!」

私は、悲しくなった。

でも、今回は、「お前なんか日本に帰れ!」と言わなかったな。
昔なら、しょっちゅう、そう言ってたのに。
私が日本に帰ったら、この家のローンの手助けもしないから、損するからかな?
なんて思ってしまった。

家のローンの補助で、なけなしの貯金をいくらか、この家の為に、入れようと考えている。
でも、慎重にしなければ。ちゃんとお金を貸したこと、書類にしてSolicitorにサインしてもらわないと
なあ、と考えていた。

日本に帰っても仕事もないし。。
辛いことも多いけど、生徒さんも増えてきたし、好きな仕事が出来る限り、ここで根を張って、生き抜いていかないと仕方ないなと思う。

癒されるのは、庭に、毎日やってくるゴンキチ。
ゴンキチの姿を見ると、癒されるのだ。



隣の庭で、気持ちよさそうにお昼寝してる。

夕ご飯時になると、うちの庭にやってきて、「お腹空いたよ、ご飯は?」と言いたげに近づいてくる。



尻尾は細くなったけど、毛並みは、少しずつ元に戻ってきて、皮膚病も治ってきたようだ。

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行きは、よいよい、帰りは、こわい!(;´Д`) その3

2018-05-12 15:57:43 | 日本からイギリスに帰る
ホテルに着いて、この日は、やっとリラックスできると思った。
部屋に入った途端、暑いなあ、と予想もしなかった暑さに、驚いた。

天井を見上げると、南国にあるような扇風機が取り付けられている。



どうやって回すのか、念入りに見てみたら、スイッチがあって、扇風機を回すのに成功。(^_-)-☆

夕食、案の定、どこも食べに行くところがない。
パブが近くにあったけど、一人でパブに行く勇気がなかった。(~_~;)

こんなこともあろうかと、日本から持ってきたカップヌードルと、割りばしを取り出して、
簡単な夕食を済ませた。

荷物を整理して、お風呂に入り、すぐにベッドに横になった。
考えてみたら、22時間、ずっと眠っていない。
そのせいか、すぐに眠りについた。

扇風機があるお陰で、良い風が吹いてきて、気持ちよく眠れた。

あとは、翌朝、イーストボーンに行くタクシーを待って、家に帰るだけだ!!

ところが、このタクシーが、とんでもなくストレスだったのだ。
朝、ホテルの外で待っていても、タクシーが、時間になっても来ないので、どうなってるのだろうと
思っていたら、タクシーのドライバーから携帯に電話がかかってきた。

そのタクシードライバーの話す英語が、何を言ってるか聞き取れない。
イギリス人ではないようだ。あとで聞いたらスリランカ人とのこと。

どうやら、ハイストリートにいるが、ホテルが、どこにあるかわからないらしい。

散々、電話でのやり取りをしていて、どうにも手に負えなくて、レセプショニストのネパール人に、
電話を代わってもらった。

タクシーは、大型のバンでメルセデスだったが、リクライニングも出来なくて、おまけに
この運転手、最初から最後まで、ずっと携帯で、友達か誰かとスリランカ語を話し続けて、疲れた。

ぶっ飛ばして車を運転しているかと思えば、急ブレーキをかけるので、リラックスしして、乗って
いられなかった。

挙句の果てには、気分が悪くて、窓を開けてと言ったら、全開にして、風がびゅうびゅう、入ってくる。
「そんなに開けなくて、もう少し閉めて」と言ったら、全部、閉めるのかと、こちらの言うことが全くわからない。
言葉の問題でなくて、常識で考えたらわかるだろうが、ということでも、わからないようだ。

しかし、幸い渋滞もなかったので、2時間ちょっとで、家に着いた。

長い道のりだった。
イギリスから日本へ行く道のりは、楽だったけど、帰りは大変だった。

これが、また来年も、繰り返されるのかと思うと、ぞっとするけど、やはり、日本には、一年に一回は、帰りたいと思うのだ。
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行きは、よいよい、帰りは、こわい!(゚Д゚;) その2

2018-05-12 12:53:37 | 日本からイギリスに帰る
日本から、ヘルシンキまでの10時間10分、隣の席に座った女性が、ずっとお喋りを続けるので、
私は、ほとほとFed Upしていた。

Finnairで出た食事、昔、乗った時は、結構、美味しいし、量も普通に多かったと思うけど、今回は
とても少ない量で、節約してるのかな、なんて思った。

別にお腹がいっぱいにならなくても平気だけど、今まで、ずっとアシアナエアライン(韓国)を利用して
いただけに、その差には、ちょっと驚いた。

アシアナエアラインの食事は、とても美味しくて、お腹いっぱいになったし、
野菜も新鮮な野菜が、たっぷり出てくるし、洋風料理と韓国料理を選べた。
私は、いつも韓国料理を選んだけど、暖かい料理に味噌汁まで、付いてきて美味しかった。

それでも、フィンエアは、最短距離でヨーロッパに行く便なので、それは、やはり魅力だった。
ロンドンまで約3時間だ。
もうちょっとの辛抱だ。

ヘルシンキ-ロンドン間の飛行機は空いていた。

私のナナメ前と横の席を中国人のグループが陣取っていた。
彼らの、騒がしいことと言ったら!( ̄▽ ̄;)

私の前の席は、やはり中国人の中年のカップルだったが、静かだった。やれやれ、良かった!

お腹がすいてきた。
先ほどの食事は、とても量が少なかったので、何か食べたくなってきた。
ヘルシンキのエアポートでは、水と小さなパンを買った。
ここは、何でも物価が高い上、まずそうなサンドイッチも、買う気がしなかった。

バーガーキングがあったけど、食べていく暇などなかった。

機内の食事メニューを見てみる。
Koreanのカップヌードルが5ユーロか6ユーロだったけど、お腹がすきすぎて、今夜、ホテルでも
食べる所がない可能性が多いので、何か少しでも食べておこうと思った。

現金は使えないので(ユーロも持っていないので)イギリスのデビッドカードで支払いを済ませる。

フライトアテンダントがお湯を注いで、持ってきてくれた。
ナナメ前の中国人男性も、同じものを食べている。

私の座った席は、通路側だけど、窓側と真ん中もあいてるので、食事をすませると、窓際に座った。



どこだろう、これは? どこかのエアポートみたいだけど、どこの国なんだろう?

景色に見とれていて、本を読むひまもなく、ロンドン上空に近づいてきた。

うわ、雲が覆ってる。今までずっと晴れていて雲ひとつなかったのに!(;゚Д゚)



( ,,`・ω・´)ンンン?
なんだか、嫌な予感がしてきたぞ!

雲の中に入った!と思ったら、強烈なタービュランスが、やって来た!

こわい!こわいよ!助けて!(~_~;)
体を曲げて、しっかりと前の席をつかんだ。

落っこちる!落っこちる!
神様! 助けて!
未だ死にたくないよ!

私、ジェットコースターが大嫌い!
若い時でも、恐くて乗れなかった!

心臓がどきどきしてきた。(-_-;)
一難去ってまた一難!

先日、USJで起こったアクシデントのニュースを思い出した。
高い所に、逆さづりにされて、さぞかし怖かっただろうなあ。。

それにしても、落ちる時の恐怖ときたら。。

雲から出ると、また普通のフライトに戻ってほっとした。
そしてまた雲の中に入る!
うわ!落ちる!タービュランスが、また来た!

いつになったらヒースロー空港に着くの!?

どうやら、空港は、発着の飛行機で満員で、着陸できないで、同じ所を旋回しているようだ。

隣の席に座っている中国人たちが、ゲエゲエ吐いていた。

私は昔から、車酔いしやすいたちだけど、この時は、運よく吐き気は、襲って来なかった。



上空からテムズ川が見えてきた。
もうすぐだ!
そして、間もなく着陸のアナウンスが流れてきた。

着陸した!!(^^)/

乗客は、皆、無事に着いたことで拍手するのではないかと思っていたが、それはなかった。

この日はヒースロー空港の近くのホテルで宿泊した。
日本をたってから○○時間、という「こんなところに日本人」というテレビ番組の事を思い出した。

本当にトラベラーは、死ぬような思いで、毎回、旅してるんだよな、と思った。

着いた日は、驚くほどの暑さだった。
ホテルの部屋は暑くて、半袖でも暑いくらいだった。

このホテル、ネットで見つけた。
他のホテルより少しだけ空港から遠いけど、住宅街の中にあって、庭まである。
ここで、一晩、くつろげそうだ。







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