60代後半のスローライフ

                      

無駄金を使ってしまった(~_~;)

2024-05-26 23:36:52 | 海外生活 お金の問題




こちらに帰ってきてから、気づいたこと、バスの中でも、道を歩いていても、やたら、黒人の数が増えたこと。フィットネスクラスでもそうだ。
私が、2004年にこの街に来た頃は、白人が殆どだった。
今や、ありとあらゆる人種がいる。
主にロンドンから引っ越してくる人が多い。何しろ、ロンドンのPropertyの価格は、恐ろしく高くて、余程、良い収入のある人々(金融関係-ロンドンのCITYと呼ばれる所で働いている人々など)以外は、家を買ったり、家賃を払うのが大変なのではないかと思う。

ここ、イーストボーンは、最近、人口が、すごい勢いで増えてきた。
パンデミックで、家で仕事をする人も増えたので、イーストボーンで家を買って、週に1回くらいロンドンに通勤する人などが増えてるせいではないだろうか?

私が日本に行ってる間に、階下のJames とSmanthaは、引っ越して行った。
さよならも言わずに。私が貸してあげていたDVDも、とうとう返さずに、去って行った。
たった1年で引っ越して行った。
引っ越してきた時は、彼らも、すぐに引っ越してしまうような気がしていた。
彼らが払っていた家賃は900ポンド、その前の(2022年12月まで)ジョージが払っていた家賃は600ポンド、ジョージは大家さんに追い出され、暫くの間、ホームレスになっていた。

そして今は何と、階下のフラットの家賃は、1100ポンドに値上がりしたらしい。
日本円に換算すると約22万円だ。たった1ベッドルームなのに。(1LDK)
新しい入居者は、黒人男性と白人女性(どこの国の人かは、わからない)
どんな人達だろう?ちょっと不安を感じる。フレンドリーな人達だと良いのだけど。
大きな音で音楽をかけたり、騒がしいパーティをしたり、夜中まで騒ぐ人達だったら、いやだな。。。(~_~;)

銀行に去年、1年、Fixed Rate(3.5%)で定期預金をしていたら、結構な利子がついた。
今年は、利率が4.6%に上がった。(家のローンを払う人にとっては、大変だ。)
しかし、定期預金にするにも、全て自分でオンラインでやらないといけないと言われた。
少しの貯金だけど、今の銀行は不親切なので、別の銀行に、口座を開くことを考えて、先週は、その手続きに行ったりして、結構、忙しかった。

銀行の利子が、良かったので、ついつい、気が大きくなって、20年間、一度も買い替えていなかった、もうかなり、ボロボロになったカーテンを買い替えようと思って、土曜日、Dunelumに行って買い替えた。

ラウンジだけにしとけばよかったのに、寝室のも買い替えた。
2か所のカーテンで、400ポンドを超えてしまった。
ボロボロでも、まだ使えるカーテンだったのに。
ちょっと後悔している。
日本円に換算すると、8万円ちょっとの出費だ。
ただのカーテンで。ニトリなら、半分以下の値段だろうな?

これで、予定していたCornwallへの旅行は、取りやめにした。
何しろ、以前、泊まったホテルは、今の3倍くらいの金額に値上がりしている。
2泊したら、500ポンド以上もする。(10万円)
Somersetには、夫の新しい孫ちゃんにも会っていないので行く予定しているが、ホテルに泊まるのは、無理だなと諦めた。
スイミングプールとお風呂付のホテルに泊まって、ゆっくり湯船に浸かりたいと思っていたけど、そんなことは、やはり贅沢だなと思い知らされた。

それに今年こそは、納屋を買い替えたい。
私の嫌いなものがいっぱい出てくるし、雨漏りはするし、汚くて、ネズミも出るし、野良ネコが納屋に入っておしっこしたりして臭いし。

スーパーに買い物に行ったら、同じ値段でも、量が少なくなっているものが多い。
これは、やはり値上がりしているということだ、
中でもオリーブオイルの値段は、恐ろしく高くなっている。
昨年の暑さで、オリーブが不作だから、という理由が大きいと思う。

何しろ、昨年、マジョルカ島に行った時は、オリーブの木が殆ど枯れていたから。
Extra virgin Oil、1リットルで、7ポンド(1400円)もした。
もう、オリーブオイルは買えないなと思った。
それに、オリーブオイルは、かなり品薄になっていて、今後、売り切れる可能性もありそうだと思った。
買い置きをしておいたオリーブオイルだけど、私の留守中に、夫が使ったので、かなり在庫が減っていた。今後は、菜種オイルなどにする時期が来たのだなと思う。
オリーブオイルはぜいたく品になってしまった。
ワインの2倍の値段だ。

昨日は魚屋に行って、いつものように、イカを買った。イカは売っていない事が多いので
売ってる時に買わないと!と思ったのだ。
しかし、すごく高くて、びっくり。後悔してしまった。
殻付きのホタテ貝が1個 1ポンドで売ってたので、これをもっと買えば良かった。(~_~;)
4個だけ買ったけど、美味しかった。グリルに乗せて、酒と醤油を垂らして焼いた。

買いもの、慎重にしなければ。良く考えて、食料品、日用品などは、私が出費することになっている。夫は光熱費、ガソリン代など。夫は、ほぼリタイアの生活になったので(今年70歳になる)学校の教師の仕事はストレスフルなので、特定の学校にしか仕事に行かなくなった。

日本の家の火災保険も値上がりしたし、今月は固定資産税やら、いろんなものが差し引かれて、
結構、経済的に圧迫される月になりそうだ。

最近の晩御飯
Free Range Chickenのソテーレモンソースかけ(肉は、100gずつ)
白いご飯より、玄米が食べたいなと思うこの頃。日本に居た時は、ずっと、無農薬玄米を食べていた。



海岸の魚屋で買ったホタテ貝


久々に作ったエビフライ



一昨日は、ご飯が余っていたので(少し臭くなりかけてた)カレーピラフにした。



昨日は、久々のパスタ、シーフードスパゲティを作りました。
ガーリックをたっぷり炒めて、たまねぎ、マッシュルーム、セロリ、そしてトマト缶2個入れて、イカとムール貝をいれて、Seafood のフレーバーが、やはり美味しい。イカは高かったけど、めちゃ美味しかったです。白ワインがとても合います。







このところ、気が滅入っています。お天気は素晴らしいのに。
息子は一切、電話に出なくなりました。
というか、孫が、息子の電話を持っているので、わざと出ないのだと思います。

地球の終わりも来ているという予言が出回っているのも、恐ろしいし、物価は上がるし、何よりも戦争やら、天変地異で、世の中、どうなるのか、考えるだけで、気が滅入ります。
古き良き(?)時代は、明らかに終わったのだと言う気がします。

縄文時代は、1万年も続いたのですね。そういう時代が、大災難の後にまた、やってくるそうですが、私などは、淘汰されて、生きていないでしょう。長生きしたいと思いません。
でも、苦しみながら死ぬのは、嫌だな。恐怖の中で死ぬのも嫌だなと思います。
やはり、覚悟が必要なのでしょうね。

この世の終わりに遭遇した時は、一瞬で肉体から抜け出して、苦しみがないことを願います。
昔、「裸足のゲン」の漫画を読んで、原爆によって焼きただれて、水を求めながら死んでいった人々の描写を見て、恐ろしさで体が震えたものです。

昨日は久々に夫と一緒にテレビみました。日本が舞台の BBC i playerでのドラマで、渡辺謙さんも出演、プロデューサーとしても関わっておられるようです。
時代背景は1980年代かと思われます。

ひとりの若い外国人男性(主人公)が、日本の新聞記者になるために、一生懸命、日本語を勉強したりする場面から始まります。
とても興味深いドラマでした。Tokyo Viceというタイトルです。
日本でも観られるかもしれません。

https://www.bbc.co.uk/iplayer/episodes/p0d8nykd/tokyo-vice

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イギリスに戻って来て思う事。

2024-05-22 06:55:35 | 海外生活




時差ボケなのか、やたら疲れやすい。
夕方には眠くなる。
息子には4月に会ってから、電話をしても、全く電話に出ない。
息子の長男(孫)が息子の電話をずっと持っているらしい。
入学祝いも渡したのだけど、お礼の一つどころか、電話にも一切出なくなった。
私と、口をきくのも嫌なのか、何だか傷つくけど、仕方ない。
そういうふうに息子のお嫁さんが教育しているのだから。
S宗教の熱心な信者のお嫁さんとお嫁さんの一家。
そういう人達なのに、礼儀というものを教えないのかなと思ったりする。
息子も感謝の気持ちどころか、最近では、「有難う」の一言も言わなくなってしまった。
電話もしない方がいいのだろう。電話に一切出ないと、やはり心が傷つく。

そんな淋しい気持ち、鬱々した気持ちが続いている中、久々に元生徒さんのトルコ人のE君が
昨日、来てくれた。麻婆豆腐を作って、一緒に食事した。
家族ではないのに、まるで家族みたい。
いや、家族以上になごんだ気持ちになった。
本当にいい子だ。
彼は今、歯科医になるため、スウェーデンの大学に入学することを目指している。
それにはスウェーデン語を習得しないといけない。
去年は試験に合格しなかったので、今年、試験の結果を待っている。
若いのに、知識の豊富なので、いろいろ教えてもらうことも多い。
若い人と話すのは、本当に楽しいものだ。
特に私には、家族がいても、いないのと同じだから。

しかし、夫がいて、好きな仕事が出来ることは、有難いと思っている。
ここに帰ってきて、つくづく思うことは、やはり、この国では、一人では生きていけないということ。夫がいないと、絶対に生きていけないなと感じる。
切れやすい夫だが、いつも私をサポートしてくれる夫がいないと、生きていけない。

日本に居る時は、今以上に、孤独だった。
でも、4月末までは、超多忙で、淋しいとか考えてる暇もなかった。
周りには友達もいないし、いつ何時、何かあっても、誰にも気づかれずに、孤独死するんだろうなと、つくづく思った。
でも、朝晩、お風呂の湯舟に浸かるたびに、何とラグジュアリーな時間を過ごしているんだろうと、感謝の気持ちで、いっぱいだった。このまま死んでもいいやと思ったくらい。
それほど至福の時間だった。
地震のことも心配だったけど、仏壇の置いてある寝室だけは、2年前に筋交いなどを入れて天井床と壁を改装して、少しは安心感がある。
それに、すごく良く眠れて、快適だった。悪霊も出なかった。
仏壇が置いてあるので、ご先祖様が守ってくれているのかなと思ったりした。
屋根は去年改装して、瓦の屋根の代わりに軽いスレートになったので、それも、少し、安心材料となった。

出来る限りのことをしたから、もうこれで、死んでも、諦めがつく。というか、出来る限りのことはした。引っ越しするお金もないし、この家が、自分の城なんだなと思えるようになってきた。
アコースティックピアノも置いてあるし、ピアノも1軒屋なので気兼ねなく弾ける。
今年はベッドも買ったので、起きる時はらくちんになった。
膝が痛いので、どうしても、床に寝ていると起き上がる時が大変だった。
ベッドを置いたお陰で、地震の時も少し安心だ。
家具も少し変えた。ニトリで安い低いチェストを買った。
そして、プラスティックの引き出しは処分した。

備蓄は簡易トイレと、缶詰を少し、そして2リットルの水を20本くらい用意した。
災害が来たら何とか3日くらいは持つ程度だ。
でも、家が崩れる可能性が高いので、その時は何も取り出せないかもしれない。
生き延びたいとも思わない。
大地震が来たら、あっけなく死ぬことが出来たらと思っている。
私の友人達も殆ど、同じことを言ってる。
この年齢で、家族もいないし、誰も回りに助けてくれる人がいない状況では、絶対に生き残るのは無理だろうと思う。
仮に生き延びて避難所で暮らすとなると、もっとストレスだろう。
そんな思いだけはしたくない。

そんな不安のある日本だけど、できれば、来年も帰りたいと思っている。
何しろ、日本に帰ってすぐに、近くの神社に行った時の、あの懐かしい気持ち。
自分の国、自分の場所なんだと言う気持ちがしてくる。
神社に、わずかに残っていた梅の花を見て、癒されて、また桜の季節を迎えることが出来た。
そして、朝晩、暖かい湯船につかり、自分にとっては、至福の時間を過ごした。
狭い風呂(湯舟)で、直ぐに湯船にお湯張りが出来る。
貧乏人にとっては、とてもエコロジカルなお風呂である。

今年は自分の服など、全く買わなかった。
その代わりベッドとチェスト、日用品を、かなり買った。
そのたびに、自分の城が出来上がっていくようで、かなり満足感があった。
日本に帰るのは、春だけなので、今の所、エアコンもない状態だ。

日本は、食料品がかなり、高いなと思った。イギリスでは食料品には消費税がつかないので、
日本より安いかも?
ただし、外食は、断然、日本では安い!
千円前後でランチが食べられるのだから、すごい。
イギリスでランチを食べたら、最低でも2千円以上する。
そのせいか、外国人観光客が多すぎて、ほとほと嫌気がさした。(~_~;)

外国人の方が優雅に日本旅行を楽しんでいる。
円安で日本人は旅行にも行けない。
ホテルは外国人価格になっているし。
私もホテルに泊まったのは、日本に帰って来た時、関空の近くのホテルに、そして、イギリスに帰る時、早朝の便なので、羽田空港近くのホテルに宿泊のみだった。
しかし、ホテルに泊まるのは、いいものだ。
何もしなくていいから、らくちんだから。

帰る前は大変だった。冷蔵庫は、1週間前から食品を買わないようにして、1日前までには、空っぽにしておいた。
洗濯機も、1日前には、カバーをかけて、日に当たる場所なので、プラスティック部分が、溶けないように段ボールをかぶせた。
家の中に洗濯機が置けたら、どんなにいいだろう。
残念ながら、うちには、そのようなスペースがないのだ。だから外に置くしかない。

帰ってきてから、新しい生徒さんが一人増えた。とても良い生徒さんだ。
この生徒さんは、39歳、お父さんが中国人でお母さんがアイルランド人だそうだ。
とても礼儀の正しい、まじめな感じの男性だ。
こういう生徒さんだと、レッスンが楽しみになってくる。

その他、大人の生徒さん達は、皆、教えるのが楽しくて仕方ない。
彼女たちも、私のレッスンを心待ちにしてくれた。
私が帰ってきてレッスンを受けるのを楽しみにしていてくれたそうだ。
とても有難いことだ。
私の一番、お気に入りの生徒さんは、ウクライナ人の16歳の男の子。
すごく熱心でスタジオジブリの曲が大好きな子。
また新しい曲をアレンジして教えるつもりだ。

いい生徒さん達だと、レッスン時間、1時間が、あっという間に過ぎていく。
こんな楽しいことをして、お金がもらえるなんて、何て、良い仕事なんだろうと、本当に感謝しかない。
若い時、無理して、頑張った甲斐があったというものだ。
苦しい時期、お金を工面して、レッスンに行ったり、勉強したりしたものだ。
子供が小さい頃で大変な時期だった。
でも、好きだから、やって来れた。
何をやっても、誰よりも、とろくて、どんくさくて、勉強も出来なかったけど、こんな私でも、少しずつ、積み重ねて来たから、ここまで来れたのかなと思う。

中高生の時は、英語の成績もイマイチだったけど、そんな私でも、大人になってから、近くの英会話教室に通い、お金がなくて1週間に1回のレッスンだったけどレッスンに行く時間が楽しみだった。
勉強するって楽しいことだと思う。特に大人になって、勉強するのは、本当に楽しいことだと思うようになった。



うちの近所の公園、のどかな風景







最近のおかず、白米より、玄米が食べたいなと思うこの頃、日本に居た時は、ずっと、オーガニック玄米を食べていた。



庭のマーガレットも咲き始めていた。
帰って来た時、ジャングル状態だったので、しんどいのを我慢して草刈りをした。



ルナビーンズを植えた。



庭の花も綺麗に咲き誇っている。
去年植えたイングリッシュラベンダーは、ダメだったけど、フレンチラベンダーは咲いた。





カンパニュラも綺麗に咲き誇っている。

バラも咲き始めた。





ルナビーンズ、恐るべし。一日で、すごく育って伸びてきた!(^^)/


麻婆豆腐のお替りをしたEくん、初めて食べる麻婆豆腐が、気に入ったみたい。



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イギリスに帰って来たものの。。。(~_~;)

2024-05-14 20:28:51 | 日本からイギリスに帰る

イギリスに帰ってきて、ほっとしたのも束の間、やっぱり、切れやすい夫の性格は治らない(-_-;)
ちょっとしたことで、また夫が切れやすくなる。
年取って、Nastyな言葉が減ったと思っていたのは間違いだったようだ。

特に、私が、日本から、こちらに帰って来たら、今までの気ままな一人暮らしの生活がなくなるので、気に入らない事があると、暴言を吐く夫。
本当に口汚い言葉を浴びせられると、ほとほと嫌気がさす。

かと言って、私には、実際に帰る場所がない。
日本に帰っても仕事もないし、一人で暮らしていける場所ではないし、家族もいない。
誰も近くに話相手になる友人もいない。
日本に帰って、暫くの間は、一人でも充実していて楽しかった。
暖かいお風呂に入って、美味しいものを食べて、用事を済ませて、人に会って、歯の治療もして。旅行には行けなかったけど、それなりに、充実していたような気がする。

親しくしてくれた近所の90歳のおばあさんは、最近、耳が遠くなって、殆ど私が話していることは聞こえない。時たま、高野豆腐の炊いたのを持ってきてくれたりするくらい。

一人息子は、あんなふうで電話にも一切出ないので、誰も、あてに出来ない。
自分の育て方が悪かったから、仕方ない。(~_~;)

友達も年々少なくなっていく。
年取って、皆それぞれ、体調が悪くなってきたり、電話で話すことさえ、難しくなるようだ。
特に中学時代からの親友のEちゃんは、私が帰ってくると、うちに来てくれたりしたけど、それも無理になってしまった。
脊髄狭窄症の手術してから、不自由な体になって、お風呂も一人で入れないので、デイケアに行ってお風呂に入れてもらうらしい。
今では座ることも、辛いらしい。だからベッドに横になっている時間が多いみたいだ。
子供さんたちに、強制されて手術を受けたことを後悔しているらしいが、断り切れなかったという。自分の体なのに。

私が訪ねて行くと言うと、「狭い家だから来ないで。座るところもないから」と断られる。
それは嘘でも何でもなく、本当にそうなのだから仕方ない。
彼女は、どんなことにも、めげない明るい性格だったけど、最近は鬱っぽくなることが多くなった。

しかし、なんか、イギリスに帰ってきても、つらいなあ。
もっと、ほっとすると思っていたのに。
でも、生徒さんが戻ってきてくれたのが救いだ。
仕事が出来ることは、やはり重要だ。
働けるうちは働きたいし、日本に帰っても仕事などない。
仕事があることに感謝。

イギリスと日本を行ったり来たりの生活もしんどいけど、もう少し頑張らなきゃ。
プレミアムエコノミーでも、腰が痛くならなければ、行ったり来たりできそうだ。
そして、このまま、平和な日本が続いてくれれば。

しかし、ここ最近、日本の状況を見てると、不安要素が大きい。
今までみたいな具合には行かないような気がしている。

【河添恵子】ガチで消される前に見て下さい。グレー◯リセット。「奴ら」が執拗に打たせようとする「本当の理由」を全暴露!2024/5/13 厚労省会見室

https://www.youtube.com/watch?v=T2M2YHRZyXw&t=616s


グレートリセット、New World Order(世界統一政府)監視社会、人工削減(人口抑制)、
世界経済フォーラム、世界統一通貨、アジェンダ、こういう言葉をよく耳にするようになって、本当に不安を感じるようになってしまった。
おまけに地震などの災害、戦争の恐怖、
エコノミストと言う雑誌は、ロスチャイルドの媒体で、今後起きることを予告しているらしい。
このYoutubeを聞くと、何故か、納得できることばかり。
今のような時代を生きていくのは、本当に大変だ。
明るい未来が見えてこない。
私の友人達は、大地震が起きたら、こんな時代を、サバイバルして生き残りたくないと言ってる人が殆どだ。でも、もし、生き残って、飢餓や水不足で苦しみながら死ぬのは嫌だなと思う。

地震のことなど考えたら、日本に居る方が、やはり、いろいろなリスクは高いだろうなと思う。
田舎に住んでいて、家族や近所の人たちと仲良く暮らしていれば、生き残れるだろうけど。
私の家は傾いてるので、地震が来たら、絶対、崩れるだろうと思う。

日本が平和でありますように。
巨大地震など来ませんように、と毎日のように祈っている。
不思議と日本に居る時は仏壇のある部屋に寝ていて、何も不安が襲ってこなくて、ぐっすり眠れた。快適に。
暖かい湯船に浸かってリラックスできた。
ここにいる方が、何だか不安が募るのは、どうしてだろう?

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羽田空港のホテルに宿泊しています。

2024-05-12 05:11:25 | 日本からイギリスに帰る




帰る前1週間前から、冷蔵庫の中の処分が大変だから、食料品を殆ど買わないようにしていた。
それでも、マヨネーズとか醬油とか、余ってくるものだ。
それは、90歳になる近所の、おばあさんに、いつも、もらってもらってる。
他にも、ちょっとした食材なども、もらってくれる。
掃除は毎日少しずつ、片づけていった。
家の中に洗濯機が置けないので、裏の入り口に洗濯機を置いているが直射日光が当たって、溶けてしまうので、カバーをかけたうえ、段ボールで洗濯機を覆っている。
帰る前は、あれやこれや、やることが多すぎる。

住民票を入れてるので、転出届を市役所と年金事務所にも出さないといけない。
面倒だけど、去年は年金事務所に届けようと思ったら、マイナンバーがあるから、必要ないと言われ、その言葉を信じていたら、とんでもないことになった。

イギリスの日本大使館から在留届をもらって現況届を出すが、届いてないと言われ、何度も、書留で送った。電話も何度してやり取りしたことか。
年金をもらうときは、本当に大変だ。

今朝は早朝の便なので、昨日、関空から羽田に来て、空港近くのホテルに宿泊している。
ラグジュアリーなホテルだけど、高い!!
しかし、あまり遠くだと、早朝便なので、大変だ。
モノレールに初めて乗った。
すごく快適。
ホテルも快適だけど、何と、朝方、4時にブラインドが白いブラインドで明るくて目が覚めてしまった。それ以降、眠れない。









ホテルメトロポリタン、案内はすべて英語、日本語表示がなかった。
モノレールから徒歩1分だけど、見つけにくくて、2回ほど人に聞いた。

ラグジュアリーな室内、とても快適でリラックスできる。しかし、値段は、関西のホテルの2倍以上する。
翌朝の飛行機が早朝なので、便利の良いところをと選んだ。
モノレールの本数は多くて、Terminal 3まで2分くらい。



ホテルの回りの風景







Terminal3のレストラン街は、高かったので、のコンビニでおにぎりとか、ビールを買ってくる。
ホテルの近くにもレストランはあるけど、混みあっていて、すごい高い値段だったから、コンビニで正解だった。
おまけにホテルのルームはリラックスできるし、この方がずっと良かった。
Wifiも簡単につながった。



ホテルの廊下、飛行機のランウェイみたい(笑)



去年泊まったホテルよりはるかに便利でサービスも良かったし、もし次回、羽田に宿泊することがあったら、このホテルにしようと思う。

それに、友人からLineのメッセージで、オーロラが見えるかもということ。
そういえば、私がいつも観てるNewYorkサバイバルさんが、太陽フレアのことを言ってた。
他のYoutuberも、太陽フレアのことを言ってたので、ちょっと心配になった。
飛行機に支障がないか?
オーロラは、週末にかけてロンドンで見れるかもしれないとのこと。

とにかく、寝てないけど、眠れそうもない。4時に明るくて目が覚めた。
ブラインドがあまりに明るくて眠れないので、レセプションに電話したら、もう一つれす奥に
暗いブラインドがあるとのこと。
そんなの、わからなかった。こん
それを知ってたら。というか、もっと寝る前にブラインドのことを聞くべきだった。

ホテルは快適なホテルだけど、周りにはコンビニも、手ごろなレストランも少ないので、一駅、モノレールに乗ってコンビニのおにぎりとカレーパンを買ってきた。
コンビニでは、まったく食べ物を買っていない。
コンビニを利用したのは、プリントアウトする時と、コピーをする時くらいだった。
やっぱり、添加物の多いものが食べたくなかったので。

今回は、ずっと玄米食だった。
玄米食にすると、非情にお腹の調子が良かった。
今まで、ガス(おなら)がよく出たりしたけど、玄米食にしてから、全くそれがなくなった。
パンも食べなかった。パンが食べたいとも思わなかった。

淋しい日本滞在だったけど、4月末までは、大忙しだった。
日本滞在中、でかけたのは、東京から来た知人を案内して大阪城や、奈良に連れて行った時くらい。あの二日間は、一日、1万7千歩、歩いて、足が痛くなって、また足底筋膜炎になったら、どうしようと思い、毎日、マッサージに通った。マッサージ代が高くついたけど、そのおかげで、足底筋膜炎にならなくて済んだ。

一人で、あちこち行くこともなかった。
フィットネスも土曜日のヨガと日曜日のズンバのクラスだけ。

年を取ると、遠出できないなと感じた。
レンタカーを2日だけ借りて、コーナンに行き、ベッドを買った。
膝が痛くなってきたので、ベッドを買って正解だった。

今週は、エージェントから2件の問い合わせがあり、生徒さんも増えそうだ。
いつまでも、仕事ができることに感謝。
生徒さんたちにもメールを打った。
殆どの生徒さんたち、ほぼ全員が戻ってきてくれる予定だ。
有難いことだ。

スタジオジブリの新しい本も手に入れて、少しアレンジして教えるつもり。
健康でいられて、そして仕事ができるということは、本当にありがたい。

若い頃は、最低賃金の仕事ばかりして、自分のやりたい仕事は殆どできなかった。
それを考えると今は幸せだ。

息子のことも、もう、こちらから連絡しないようにしよう。
淋しいけど、電話して、全く電話に出ないと余計に淋しくなるから。

無事に帰れますように。
夫が空港に迎えに来てくれるという。
それも楽しみで、何といっても夫に会えるのが一番、安心だ。
夫のスマホがとうとう壊れたらしい。
夫の誕生日にスマホをプレゼントすることを考えてる。
そして夫の新しい孫にも会わなくちゃ。
少なくとも夫の家族は、私を拒絶しないから。

翌朝、早く目が覚めたので3時間前にホテルを出たけど、ちょうど良い時間だった。
GWが終わったにも関わらず、大勢の人の行列だった。
さっさと搭乗口を通り抜け、ラウンジに直行した。
朝ごはん食べてないので、お腹が空いていた。
早速カレーとサラダを、お皿に入れて、飛行機が見える席に座った。





飛行は順調で、タービュランスもなかった。
いつものように、通路側に座って、1時間に1回くらいトイレに行って、ストレッチをした。
アラスカ周りで14時間、来るときは、15時間だった。
そのせいか、全く眠れなかったのに、座骨神経痛になることもなく、疲れも少なかった。

そして、何と言っても嬉しかったのは、荷物を取って、降りた途端、すぐに夫が出迎えてくれたことだ!
その日はアイビスホテルに宿泊、夫は、道路が封鎖されていて、回り道をしたせいか4時間もかかったと言ってた。ホテルでは、疲れ切っていたせいか、ぐっすり眠れた。ここも快適なホテルだった。


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認知症の叔母に会いました。

2024-05-08 23:19:09 | 日本に帰国中

先日のブログで、温かいコメントや、アドバイスをいただき、本当に感謝しています。
有難うございました。皆様のコメントやアドバイスが心に染みました。

1年に1回、日本に帰った時には、母方の親戚(一番、若い年齢の叔母)に電話していた。
母に一番近い年齢の叔母は、もうすぐ90歳、夫を亡くし、何年か前から認知症になり、今はケアホーム(有料老人ホーム)にいる。

私は今年は、思い切って、そちらに訪問してもいいかと聞いた。
返事は、いいよとのこと。認知症になった叔母もつれてきてくれるとのこと。
皆に長いこと会っていないので歓迎されるかどうか、不安だった。

長い間、母のお葬式の時以来、親戚の誰とも会っていなかったので、今更と思ったけど、子供のころは家族のように仲良くしていた母の妹3人(私の叔母)、そして母の弟(私の叔父)は、子供のころ、私と弟をよくアイススケートや、ボーリングなどに連れて行ってくれたものだ。
生涯、独身のままだった叔父。
淋しい人生だったろうな。今も不思議に思う。
性格も悪くないし、仕事もまじめにする叔父が何故、結婚できなかったのだろうと。

私が生駒に住むその叔母のところに行くと、他の兄弟姉妹(私の叔父叔母)も来ていた。
私が来るというので、呼んでくれたそうだ。
一番、会いたかったのは、認知症になったという90歳になる叔母。
一番若い年齢の叔母が、車で、迎えに行って連れてきてくれたそうだ。

玄関を開けると、あと一年で、90歳になる叔母が出てきた。
私のこと、忘れてるかなと思ったけど、「〇〇ちゃん!〇〇ちゃんやね?」と言ってくれた。
お互いハグし合って、叔母は手をしっかり握りしめてきた。
そして、涙をぼろぼろ流して。
私も思わず、泣けてきた。
長い間、訪れることもなく、申し訳なかったという気持ちも、こみあげてきた。

認知症になった叔母がこんなに喜んでくれるなんて。
皆で、話してても、叔母は耳が遠くて聞こえないようだったけど、嬉しそうに笑っていた。
ホームでは誰とも会話することないそうだ。
昔から、我慢強い性格だった叔母。
淋しいのも我慢してるんだろうな。

認知症とはいえ、私に「〇〇ちゃん、あんなに頼りなかったのに。」
「そうそう、私って、本当に頼りなかったよね」
昔の私のことを、良く覚えてる(笑)

耳が遠くて殆ど聞こえないということもあるのだろう。
私にも同じ質問を何度も何度もしてきた。
「今、どこに住んでるの?」「子供は?」と、何度、同じ質問をされただろう。

それに彼女は、私の息子が今も、まだ小学生だと思い込んでいる。
それでも、会えてよかった。喜んでくれてよかった。
覚えてなかったらどうしようと思ったけど。

短い時間だったけど、一緒に過ごせて、良かった。
お別れの時は、また叔母は泣いて、お互い手を握りしめて、バイバイした。
今度、いつ会えるだろう。
来年、また会えるだろうか?
思い切って、訪ねて来てよかったと、つくづく思った。

来年も、また訪ねようかな、という気持ちになった。
私と会うことで、こんなに喜んでくれる人がいるなんて、私も嬉しい。
泣いてる叔母を見るのは、ちょっと辛かったけど。
元気でいてね。また会いに来るからね。

各駅電車に乗って、日帰りの旅のようだった。
空いていて、車窓からの眺めを楽しむこともできた。









冷蔵庫の中身を整理しないといけない。残り物を使って、食べ物が余らないように。



久々にピアノの曲をUpしました。
Someone to watch over me

https://www.youtube.com/watch?v=X8hh1CT_XM0



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