世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

東西冷戦構造にとって代わる対抗軸の発芽 “99%の資本” VS “99%の人間”

2013年01月13日 | 日記
日本をダメにしたB層の研究
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東西冷戦構造にとって代わる対抗軸の発芽 “99%の資本” VS “99%の人間”


 なにごともゆっくりがモットーの筆者のデスクに、今年の卓上カレンダーが袋から出され、日の目を見ることになった。一番目につき、気になった数字は“2013年”と云う西暦の年数だ。特に感じが悪いなと思った根拠はない。ただ2012年に比べて、スッキリしない数字だなと思っただけである。西暦なのだから、特に日本だけが感じの悪い数字なわけではなく、全世界と云うことなのだろう。グローバル経済の蔓延が資本主義の本来の姿を歪めて行先を失っている様に見える。

 筆者の直感だが、冷戦構造の終焉によりイデオロギーの対抗軸を失った人類の悲劇が坦々と進捗している風である。対抗軸を失った自由主義、民主主義、資本主義が、本来自覚しなければならなかった、自分達の精神的支柱の曖昧さを、あらためて問われている時代なのだろうと思われる。このままの勢いで、これから先に思いを馳せると、国境なき経済活動と国境意識が鮮明になる国家と云う二項対立が生まれつつある予感だ。やはり世界と云うものは、二項対立的要素を求める存在なのだろう。その二項欲求は、民族対立、宗教対立と云う具体的且つ局地的ものでは満腹しないようである。

 これも筆者の直感だが、21世紀に鮮明になるのが、グローバル(ボーダレス)経済と国境を持つ国家と云う二項対立構図なのではないか等と思うのである。この直感のポイントを俯瞰的に見つめて行くと、経済と云う商行為と国家の間に、利益損得の乖離がみられる。歴史的には、上の二つの項目は合致していたのだが、単なる資本主義から変貌を遂げた、世界グローバル金融経済と云う代物は、経済行動と国境ある国家と云う観念に変調を起こさせているのだと思う。つまり、政治と経済が、あまりリンクしない世界が現れていると云う事になる。

 このような二項の対立と云うか、幾つかの側面で利益相反する関係性の中で、その舵取りは、かなり難解なものになっているのだろう。卑近の例で見るなら、経済界が隷米であるにも関わらず、対中外交への柔軟さを求めている自己矛盾などは好例だろう。経団連を、単なる銭ゲバおっさんらの集団と切り捨てる事も可能だが、このような醜態を見せる経済界の姿は、国家と経済行為の乖離を象徴的に現している。

 彼らの経済行為は、殊更に99%の貧困を生みたくてやっている行為でもないだろう。1%の利益の為に行為しているように見えるが、金融資本主義と云うものが、資本に忠誠を誓うものだとすると、99%の資本に忠実に動いているだけと云う見方が可能である。つまり、彼らは資本家と云うより、資本の奴隷とならざるを得ない存在なのだ。故に彼らに人間としての思考能力がないのは当然の帰結で、特に責めるべき対象ではないのかもしれない。彼らは、少なくともその地位における広報ロボットなのである。

 最近筆者は、小沢一郎の正しい筈の政治理念を支持し、それに応じる気配のない国民のすう勢を観察しながら、どうも何処かがおかしいと思っていたが、上述のような大きな課題が日本のみならず、世界的に起きていると想像する時、時代性で問題があるのかもしれないと思うことも屡だ。あくまで直感的世界観なので、小沢一郎の政治理念や行動に具体的に言及するレベルではないが、多少、時代との擦り合わせの修正が求められているような気になる。

 その点で、安倍晋三の行っている政治など批評にも値しない。安倍の右傾化自体、言葉遊びのように思える。ナショナリズムを標榜するような言葉を発する割には、国家の独立性に消極的だ。米国依存の体質を変える気はさらさらないのに“逞し国”とか“強かな国”とかの言葉が宙を舞っている。相当バラバラの感は拭えない。対中戦略の方向性も曖昧で、米国自体が安倍のスタンスの見極めが出来ずに、安倍自民党への対応で苦慮している。安倍自身が、自分の情緒的直感と公的立場における言動が綯い交ぜになっている事実の整理が出来ていないのが問題なのだろう。

 おそらく、世界は資本家不在の資本とボーダーが存在する国家と云う存在の鬩ぎ合いの時代になったのだろう。結果的に、1%対99%の人間の頭数の対立であり、資本的には99%対1%の対立である。現時点では、未だ99%資本が優勢を保っているわけだが、99%の人間が優勢になる時代が来るのか来ないのか、21世紀はそう云う時代になるのだろう。筆者のように、ことを突きつめて考えない男には分析は困難だが、着想は悪くないと思っている。今後の学研の徒らによる分析がなされる事を期待しよう。ただ一つたしかなことは、99%の人間達が、意味もなく、限度も知らずに、経済的成長こそ人間の唯一の“善”と思い込んでいる限り、99%の資本と云う正体不明の存在に勝てる可能性はない。


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