現代思想 2015年9月号 特集=絶滅 -人間不在の世界- | |
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● “国破れて山河在り” 米国はいつまで占領軍ヅラするのだろう?
見出しの句“国破れて山河在り”は、杜甫の『春望』の冒頭句で、「国破れて山河あり、城春にして草木深し」から由来する。中国・唐の絶頂期に活躍した杜甫にして、この句は生まれたのだが、当時は原発放射能汚染物質もなく、科学的有害物質もない時代なので、この句通りで済むのだが、現代においては、山河在りと流暢なことばかり言っていられないのだな、という感想も残される。
昨夜のNHKニュース9では、集団的自衛権行使容認で、法律が効力を持つ6か月後、海外に展開中の自衛隊において、何が変わるのか、具体的に話し始めた。何を今更と云うものだ。NHK籾井会長が、憲法を破壊する安倍政権の「安保法制」の正体を、法律の決議を待って、漸く重い口を開きだしたという流れのようである。つまり、情報が安倍政権によってコントロールされている証左なのだが、「反NHK」と云う動きを、早速避けようとする、姑息な情報コントロールが始まっていると見るべきだ。情報は、タイミングを見計らい、知っても後の祭りになる時点で開示してよろしい、という統合本部の許可が出たのだろう。今夜の話は、見出しの占領軍アメリカの話が根底にあるのだが、おそらく、この占領軍アメリカに行く前で力尽きる(笑)。続編を書く予定。
ここ数日の動きは、安倍が好きだけど下手糞ゴルフに興じている最中でも、反安倍の動きは静かに動いている。次の反安倍の決戦は、来年の夏(2016年7月25日で任期が満了。おそらく7月上中旬)なので、残りは10カ月。永田町的に見れば、直ぐそこで短いし、一般の国民が連続的に意識し続けると考えると、結構長い期間である。この辺が、意外に落とし穴があるのかな?と云う不安もないわけではない。なにせ、無理を通して道理を引っ込める蛮行を、見せかけであっても表向き民主主義国家で行われたわけだから、「道理」で安倍晋三らを追詰めると云うのは、殊のほか難しそうだ。
「無理」に対抗するのは、穏健に表現すれば「民意」だが、民主主義において「民意」は選挙を通じてという原則がある。「民意」だけは、選挙を通じなければならず、「権力の暴走・無理」は、選挙を通さずに行えると云う事実を我々は知ったことになる。このような場合、国民は騙し討ちに遭っても、一切の抵抗が出来ないわけで、非常に非民主的制度が、我が国の民主主義にはあったと云うことになる。衆議院の内閣不信任が国民に与えられた抵抗権であると云うのは、どう考えても間尺に合わない。数が少ないから、野党なわけで、その野党が不信任を出しても、党議拘束が常態化した永田町において、国民の抵抗権はないに等しい。
それでは、民主主義に、国民の抵抗権はまったくないのかと云うと、法的ではないフィールドに、残されている。報道、言論、個人的主張、そして、「デモ」である。権力側には、警察機動隊と云う暴力装置があり、楯として有効な機動隊の大型人員輸送車が三重の壁の役を担っている。あの過剰警備の状況を見ると、正直、官邸は異様にビビっていたのだと推測できる。デモの規模を知られるのが嫌で、最後にはヘリコプターの国会上空通過を禁じた情報まである。まあ、あの辺の上空は、横田幕府の管轄だから、何でもありだろう。いずれにせよ、民主主義であるのなら「デモ」は国民が政治的意志を表明する、日常的空間であり、デモクラシーの発露と云っても過言ではない。
≪ 「デモは民主主義の発露」違憲論議の口火、長谷部教授
6月の衆院憲法審査会で、安全保障関連法案を「憲法違反」とした憲法学者3人の表明は審議に大きな影響を与えた。その一人、自民推薦の長谷部恭男・早稲田大教授も大きな変化を目の当たりにした。 憲法審査会の自身の発言への想像以上の反応に驚いた。「法案に対する疑念が国民の間に大きく膨らんでいたから」と振り返る。だが「きっかけ」に過ぎないとも思う。
8月30日、国会議事堂前を12万人(主催者発表)が埋めたデモに足を運んだ。「普通の人間がポッと出かけられるデモなんて、今まで無かった。動員でもないのに、市民が自分の判断で声を上げることは、とても重要だ」と話す。
デモのうねりを「カウンターデモクラシーの発露」と感じる。「現実の民意と議会の多数派の意図が大きく乖離(かいり)する時、外側の民意に配慮するのはまっとうな民主主義だ」
安倍政権の手法は「立憲主義への重大な挑戦」と考える。「長年繰り返し確認されてきた憲法解釈を一内閣の判断で変える。集団的自衛権の行使が認められないという9条の解釈を変えられるなら、どんな憲法解釈も変えていいことになる」
政府は「安全保障環境の変化」を強調する。しかし、「具体的にどう変わったのかの説明がない」。ホルムズ海峡の機雷掃海や米艦防護について「現実には必要性がないと政府が認めている。必要性も合理性も無い法案だ」と指摘する。
法案が成立しても、選挙も訴訟もある。まだ希望は捨てていない。 ≫(朝日新聞デジタル:後藤遼太)
安倍自民公明党と云う「憲法違反政権」へのカウンターはデモクラシーの発露、原点とも言える「デモ」が最大の武器である。問題は、この中途半端な期間を、どのように燃え盛る炎を絶やさずに、聖火のようにリレーし続けるかなのだろう。筆者は、少なくとも来年の参議院選までは、徹底的に、安倍自民公明党に照準を合わせ、こき下ろすことを心がけよう。あるコメントに、野田政権もクーデターじゃないかと云うのがあったのだが、あれもプチクーデターではあった。しかし、憲法違反を堂々と白昼にするまでには至っていない。今回の安倍の場合、本格クーデターだ。
野田の場合は、当時財務省次官の勝栄二郎と裏取引をしたようだが、無論証拠は挙がっていない。結果論から見た場合、選挙に弱い野田佳彦は、その後常にトップ当選の常連となり、議員の永久身分を手に入れた。勝はどうなったか?IIJと云う、コンピュータプログラムの総本山のような企業の社長に収まった。ムサシを指揮指導する関係筋に収まって、今度はマイナンバー制度導入で、総額数十兆円のマーケットを手に入れたことになる。IIJは黎明期のIT企業の草分け中の草分けだ。官庁には深く静かにIIJの手が入っている。東京地検特捜も、やるなら、こういう疑惑をやりゃ良いのだが、エリート霞が関の牙城は堅い。やっぱりデモが一番だな(笑)。
今夜はこの辺にしておくが、翁長知事も国連で頑張って演説しているし、共産党志位委員長が、重い腰を上げて、本気で永田町政治に参戦する決意をしたことは、予測はついていたが、一応歓迎だ。民主党や維新の対応が、これからの見ものだが、安倍自民公明党政権のクーデター政権と云うレッテルを、貼られるのが嫌だと思うなら、徹底的に貼りつづけ、昭子夫人が発狂して旦那の悪癖を暴露するまで糾弾してやる覚悟がいるだろう。しかし、あくまで法治の範囲で行うことだ。
「これからは経済だ」、なんてトンデモナイおバカなことを言い、ゴルフに興じ、落ちていくしかない日本経済、世界経済を、携帯料金安くして、若者を呼び込もう。舐めちゃいかんよ、アベチャンよ。そりゃ、安いのは良いことだ、どんどんおやりなさい。ただし、アンタの政権のクーデターがご破算になることは決してないのだよ。アンタは、最後は敗戦の時同様に、法廷で裁かれるんだよ。安倍政権の法解釈は「違憲、よって無効」国民が、農場に連れていかれるか、アンタが豚箱に入るか、そう云う気分で闘わせて貰おう。違憲訴訟も、今までは事象が起きてから(死傷者が出る)などがあったが、今回の政権の違憲問題では、最高裁も立ち位置を変える可能性すらあることも付け加えておこう。
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何度聞いても痺れる。
永遠に変わらない人間の情感が伝わってくる。
共産党がいよいよ他の野党と選挙協力するようですね。
民主党はどうでもいい。
小沢一郎がどう動くか見ものですね。
私は自民党政権は壊れると睨んでいます。
やはり杜甫の詩は胸を打ちますね。
脱力した……。
この人の本性は、これなんだと、いよいよ分かった。
しゃべり方も幼稚で、滑舌が悪いから、いちいちテロップが要るんだもの。
「へっきょれきへえわひゅき」とか、やめて欲しい。
私は李白より杜甫が好きだ。この人は本当に命を削って詩を書いた。芸術とは、生きるとは、どんなに苦しい事かと思い知らされる。