世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

バカを論破するのは不可能(ニーチェ) 野田、岡田に正論を説くのは無駄骨

2012年05月06日 | 日記



ニーチェの警鐘 日本を蝕む「B層」の害毒 (講談社プラスアルファ新書)
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講談社



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バカを論破するのは不可能(ニーチェ) 野田、岡田に正論を説くのは無駄骨 


 現代ビジネスのHPで昨日のアクセスランキングの1位に『ニーチェの警鐘 日本を蝕む「B層」の害毒』著者:適菜収 なぜ日本人は騙され続けるのか?がランクインしていた。あまりに現在の日本国民に語りかけているようなニーチェの言葉に、興味を惹かれた人々が多いことは未だ救いかな?と少し嬉しくなる。哲学や文学を軽んじる世界は滅びるよね。野田の美辞麗句な処世訓に鼻白む人の増えることを望む。なにが”美しい花”だ。馬鹿か!

 今日のコラムは、最高検察庁と国策捜査を支持した人間どもを糾弾する予定だったが、休みの最後の日くらい、哲学的話題も良いだろうと、ニーチェの話の一部を引用した。ニーチェは随分昔に読んだのだが、殆ど頭にも心にも、言葉の意味が残っていなかった。30年以上の歳月で、納得できそうな気がしてきたので、色々購入してみようか等と、単純に触発されている。

 適菜収氏の解説本を読んでも、それでも難しさはある(笑)。しかし、以下の著書の抜粋を読み、参考の目次一覧を覗いてみると、日本愚民の問題点は、今に始まったことでもないし、日本独自のものでもない、と痛感する。なにか多少救われるよな、更に深刻になるような、奇妙な気分だ。気が向いたら、皆様も一冊くらい読んでみることをお薦めする。


≪ 『ニーチェの警鐘 日本を蝕む「B層」の害毒』著者:適菜収 なぜ日本人は騙され続けるのか? ツァラトゥストラってなに?

 ニーチェについて簡単に説明します。  ニーチェは一八四四年にプロイセン(今のドイツ)で生まれました。  幼少期から才覚を示したニーチェは名門のプフォルタ学院に進み、ボン大学で古典文献学の権威フリードリヒ・ヴィルヘルム・リッチュル(一八〇六~ 一八七六年)に師事します。その後、リッチュルの推薦により、二五歳の若さでスイスのバーゼル大学の古典文献学教授になりました。当時のニーチェは博士号 も教員資格も取得しておらず、異例中の異例の抜擢でした。つまりニーチェは、世の中から天才として扱われていた。その後、体調を壊したこともあり、大学の 教員を辞め、スイスやイタリアを周遊しながら執筆活動を進めていきます。
 一八八九年に発狂。一九〇〇年八月に肺炎で亡くなります。  『ツァラトゥストラ』 は、この周遊生活の中で書きあげられました。
 「ツァラトゥストラ」は、ゾロアスター教の開祖ザラスシュトラ(紀元前一一世紀~紀元前一〇世紀頃)のドイツ語読みです。英語で読むと「ゾロアス ター」になります。  しかし、ゾロアスターの思想とニーチェの哲学は関係ありません。  ゾロアスターと『ツァラトゥストラ』の主人公であるツァラトゥストラは別人です。
 では、ツァラトゥストラとはなにか?  ニーチェは著書『バイロイトにおけるヴァーグナー』について次のように述べます。  「読者はあの本にヴァーグナーという語が出て来たら、それをかまわず私の名前か、あるいは『ツァラトゥストラ』という語かに読み かえてしまってよろしい」(『この人を見よ』)  つまり、ニーチェはツァラトゥストラに自らの哲学を語らせたのです。  『ツァラトゥストラ』の冒頭は物語になっています。後半になるにつれ、物語の要素は薄くなり、ツァラトゥストラが一方的に自分の哲学を語るように なります。
 この冒頭の物語は、近代大衆社会およびB層の問題を考えるうえで非常に重要です。  そこでは《終末の人間》が描かれているからです。  《終末の人間》は典型的なB層です。
 私なりの抄訳ですが、しばらく『ツァラトゥストラ』の世界にお付き合いください。
 
〈 ツァラトゥストラは三〇歳になると、故郷を捨てて山に入った。
 そして自分の精神と孤独に向き合った。それが一〇年間も続く。  しかし、ついに、彼の心は変わった。
 ある日の朝、彼は夜明けの太陽に向かってこう語りかけた。 「太陽よ。もし、あなたが照らすものを持っていなかったら、あなたは 幸福と言えるのか?」  太陽は一〇年間、ツァラトゥストラの住居を照らし続けてきた。しか し、もしそこに誰もいなかったら、太陽だって退屈だろうというわけだ。 「わたしもまた自分の知恵に飽きてしまった。まるで蜜を集めすぎたミ ツバチのように。この能力を人間に贈り与えなければならない」
 というわけで、ツァラトゥストラは山を下りることにした。
 「わたしは人間たちのところへ、下界へ下りていく」  山を下りる途中で森に入ると、突然、老人の聖者が現れ話しかけてき た。 「いまさら山から下りて、眠っている者どもに対してなにをしようというのか?」
 ツァラトゥストラは答えた。 「わたしは人間を愛しています」
 老人の聖者が反論する。 「わしは神を愛している。人間を愛することはない。なぜなら、人間は 不完全なものだからだ」  ツァラトゥストラは一人になってから、つぶやいた。 「あの聖者は森の中に長年暮らしていたから、《神が死んだ》ことを知 らないんだな」 〉

大衆はサル以下である

ツァラトゥストラは久しぶりに会った町の人々に悪態をつきます。

 〈 ツァラトゥストラは森からもっとも近い町に到着した。 広場には大勢の人がいた。これから綱渡り師の公演が始まるようだ。  ツァラトゥストラは、さっそく人々に語りかけた。 「あなたたちに《超人》について教えましょう。《超人》から見れば、 人間なんてサル以下の存在なんですよ。昔、あなたたちはサルでしたが、今ではサル以下です」
 ツァラトゥストラはさらに語る。 「《超人》は大地そのものです。大地から離れた希望を信じてはいけません。そして、大地から離れた人の言うことを信じてはいけません。そこには毒があります。大地から離れた人間は、さっさと死ねばいいんです」 「あなたたちも似たようなものです。だから、わたしはあなたたちに 《超人》について教える。それにより、あなたたちは《幸福》《理性》《徳》《正義》《同情》といったものを徹底的に軽蔑するようになるのです」 すると、群集の中の一人が叫んだ。 「そんな綱渡りみたいな話、もう聞き飽きたよ!」  群集は、ツァラトゥストラのことをあざ笑いました。
 それを聞いていた綱渡り師は、自分のことを言われたのかと勘違いし 曲芸にとりかかった。 〉  

ツァラトゥストラは、人間を一本の綱に喩えます。  人間は動物と《超人》の間に張られた危険な綱を渡るべき存在であると。  《超人》とは自らの高貴な感情と意志により行動する人間、健康で力強い人間です。
 ツァラトゥストラが愛するのは、今の世の中から離れていく者=没落していく者です。
 くだらないものを、くだらないと拒絶する者です。
 人間はもっと高いところを目指さなければならない。
 ツァラトゥストラは《綱を渡るべき人間》について具体的に挙げていきます。

〈 今の世の中が肌に合わない人。
 今の世の中を軽蔑している人。
 空想の世界より大地に身をささげる人。
 大地が《超人》のものになるように認識する人。
 《超人》のために家を建てる人。
 自分の徳を愛する人。
 自分から徳の精神になりきろうとする人。
 自分の徳を宿命とする人。
 あまりに多くの徳をもとうとしない人。
 気前がいい人。 博打で儲けたときに恥じる人。
 自分に約束したことを、それ以上に果たす人。
 未来の人たちを認め、過去の人たちを救う人。
 自分の神を愛するがゆえに、自分の神を責める人。
 ささやかな体験によって滅びることのできる人。 }
 魂が豊かな人。
 自由な精神をもつ人。
 雷を告げる人。 「見なさい。わたしは雷、そして《超人》を告げ知らすものです」 〉

 ツァラトゥストラが《高みを目指すべき人間》についてたくさん並べてみたものの、群集にはなんのことやらさっぱりわからない。まあ、当然のような 気もしますが・・・。  そこでツァラトゥストラは、今度は反吐が出そうな《終末の人間》を例に挙げてみることにしました。

〈 民衆はものごとを理解しない。
 彼らに聞く耳をもたせるにはどうしたらいいのだろうか?  太鼓をたたいたり、懺悔を迫る説教師みたいに、がなり立てればいい のか?  それとも、もっともらしくドモリながら話せばいいのか?  いや、違う。
 彼らは自分たちの《教養》を誇りにしている。  それなら、彼らの誇りに向けて話しかけよう。 彼らは軽蔑されることを嫌がっている。  
それなら、もっとも軽蔑されるべき《終末の人間》について話そう。  〉

 こうしてツァラトゥストラは、民衆に向かって再び語り始めます。

民衆が選んだもの

〈 皆さん、まず自分の目標を定めてください。まだ間に合います。
 しかし、いつの日か人間は可能性を失ってしまう。
 そして、軽蔑すべき《終末の人間》の時代がやってきます。 「愛とはなにか。創造とはなにか。あこがれとはなにか」などと生ぬる いことを言いだす。
 そのとき、大地は小さくなります。  《終末の人間》は虫けら同然です。  《終末の人間》は、ぬくぬくとした場所に逃げ込み、隣人を愛し、か らだをこすりつけて生活している。  やたらと用心深くなり、適度に働き、貧しくも豊かにもならない。  支配も服従も望まない。そういうのは、わずらわしいと思っている。
 みんなが平等だと信じている。誰もが同じものをほしがり、周囲の人 間の感覚と異なると思えば、自分から進んで精神病院に入ろうとする。
 ケンカもするけど、すぐに仲直りする。そうしなければ、胃が痛くな るからだ。  一日中、健康に注意しながら、ささやかな快楽で満足する。
 これが《終末の人間》です。
 ツァラトゥストラがここまで話すと、民衆がニヤニヤしながら叫ん だ。
 舌打ちをする者もいた。 「オレたちは、そういう《終末の人間》になりたい。オレたちを、そう いう《終末の人間》にさせておくれよ! 《超人》はあんたに任せるからさ」  ツァラトゥストラは悲しくなった。
 民衆はわたしをバカにして笑っている。笑いながら、わたしを憎んで いる。彼らの笑いの中には氷がある。  わたしは、山の中であまりにも長く暮らしすぎたのだ。
 だから、彼らにはわたしの言葉が届かない。 〉

 ツァラトゥストラの意図に反して、民衆は《終末の人間》を選んでしまったのです。  ニーチェは自分の言葉が民衆に届かないということを、物語で描いているわけですね。  『ツァラトゥストラ』は一八八三~八五年に刊行されましたが、そこで描かれた人々はB層そのものです。  民主主義や平等が大好きで、グローバリズムと隣人愛を唱え、健康に注意しながらささやかな快楽で満足する。  自分たちが《合理的》《理性的》《客観的》であることに深く満足している。  こうした軽蔑すべき《終末の人間》の時代を、われわれは生きているのです。

ひとりで生きる人たちのために

〈 ツァラトゥストラは考え込みます。 「わたしはまだ、民衆の心に語りかけることができない・・・」
 ツァラトゥストラは星の光を頼りにして夜道を歩き始めます。  空が白みかけたころ、ツァラトゥストラは深い森の中にいることを 知った。
 もはや道は見つからなかった。  ツァラトゥストラは森の中で眠り込む。  ツァラトゥストラは長い時間眠った。  朝が過ぎ、そして昼になった。
 彼はようやく目を覚まし、立ち上がった。  そして喜びの声をあげた。  一つの新しい真理を発見したからだ。
 わたしは悟った。  わたしには道連れが必要なのだ。  自分自身に忠実になった結果、わたしに従うようになる人。
 そして、わたしの目的に向かって一緒に進む道連れが必要なんだ。
 だから、民衆に話しかけても仕方がない。 わたしは、畜群の牧人や番犬となるべきではない!  それよりも、わたしは民衆や畜群から盗賊と呼ばれたい。
 奴らは自分たちを善人だと思っている。自分たちを正しい信仰の持ち 主と呼ぶ。
 そして、奴らは、奴らの諸価値を破壊する者を憎むのだ。
 しかし、それこそが《新しい価値を創造する者》なのである。
 彼は道連れを求める。  畜群も信者も求めない。
 共に創造し、新しい価値をつくりあげる人を求める。  共に創造し、共に収穫し、共に祝う人をツァラトゥストラは求める。  それ以外は、いらない。
 わたしは二度と民衆とは話すまい。  そして仲間に対して語りかけよう。  ひとりで生きる人たちのために、語りかけよう。  これまで聞いたことのないことに対して聞く耳をもつ人たちのために。  わたしは彼らに《超人》への階段のすべてを示す。 〉

バカを論破するのは不可能

 要するにバカになにを言っても無駄なのです。
 「非学者論に負けず」ということわざがあるように、バカは論破できません。
 貝に権利を認め、誠実に語りかけても意味がない。なぜなら、彼らは自分の殻に閉じこもっているからです。  ニーチェもツァラトゥストラと同様、民衆に語りかけることを諦めます。
 「私は多年人々と交際してきて、私が心にかけている事柄についてはけっして語らないというほどにまで、諦めるにいたり、慇懃と なった。いや、私はそういう仕方でかろうじて人々とともに生きてきたのだ」(『生成の無垢』)  そしてニーチェは、自分の言葉が届くところに向けて語りかけようとします。
 しかし、聞く耳をもった人間はごく少数です。
 ニーチェもそれを知っています。
 「今日誰もが私の説くことに耳をかさず、誰も私から教えを受けるすべを知らないということは、無理もないというだけでなく、むし ろ至極当然のことだと私自身にも思える。(中略)私の著書を読んでもかいもくわからない純なる愚者となると、これは多すぎる!」(『この人を見よ』)
 「ああ! 私のツァラトゥストラはまだまだ長い間、読者を捜さねばならないことであろう!」(『この人を見 よ』)
 今の世の中が肌に合わない人。
 今の世の中のどこかがおかしいと感じている人。
 今の世の中を深く軽蔑している人。
 そういう人はニーチェの言葉に耳を傾けてみるべきでしょう。
ニーチェの警鐘 日本を蝕む「B層」の害毒 著者:適菜 収 (講談社刊) 40~53ページより抜粋

適菜収(てきな・おさむ) 1975年、山梨県に生まれる。作家。哲学者。 早稲田大学で西洋文学を学び、ニーチェを専攻。卒業後、出版社勤務を経て、現職。著書に、ニーチェの代表作「アンチクリスト」を現代語に訳した「キリスト教は邪教です!」(講談社+α新書)、「はじめてのニーチェ」(飛鳥新社)「ゲーテに学ぶ賢者の知恵」(メトロポリタンプレス)、「 ゲーテの警告 日本を滅ぼす「B層」の正体」(講談社+α新書)、「世界一退屈な授業」(星海 社新書)などがある 『ニーチェの警鐘 日本を蝕む「B層」の害毒』

●目次
はじめに 神は死んだ! 3
第一章 どうして今の世の中はおかしいのか? 大きな底が抜けてしまった 14 全国に発生した変な知事 16 安住淳とEXILE 19 なぜ言葉が軽くなったのか? 21 「B層」とはなにか? 25 五五年体制とユートピア思想 28 ニーチェが嘆いた大衆社会 31 日本人の人生観 34 アザラシ「あらちゃん」に住民票 36 ツァラトゥストラってなに? 40 大衆はサル以下である 43 民衆が選んだもの 47 ひとりで生きる人たちのために 50 バカを論破するのは不可能 52
第二章 ニーチェの警鐘 大衆とはなにか? 56 キリスト教は邪教です! 59 社会的弱者の負のエネルギー 62 B層はなぜ無知を自慢するのか? 64 人権思想が地獄を生み出す 66 民主主義の本質は反知性主義 69 いつから人は平等になったのか? 71 復古主義と国家主義の本質 74 社会主義者の精神構造 76 客観的という嘘 77 神とはなにか? 80 民族が落ちぶれるとき 81 『1984年』の世界 83 正しい格差社会へ 85
第三章 B層グルメとBポップ B層が聴く《Bポップ》 88 総理大臣の教養 92 なにを読めばいいのか? 94 ニーチェの読書論 97 ダメな芸術とはなにか? 100 B層はなぜ高くてまずいコーヒーを飲むのか? 103 食べログもミシュランも 信用できない 107
第四章 知識人はなぜバカなのか? 軽蔑すべき《知識人》の時代 114 「B層自分の説明書」 115 フロイト、ユングはオカルト 118 吉本隆明と《B層の原像》 122 テロリストの論理構造 126 誤読されてきたニーチェ 129 ニーチェ読みのニーチェ知らず 133 長崎は今日も雨だった 138 ラノベ作家とコムサ・デ・モード 141
第五章 B層政治家が日本を滅ぼす B層政治家の見抜き方 148 B層が求める「わかりやすい敵」 151 有権者は成熟しない 153 三流大学を目指す必要はない 156 イラクの場所を知らない政治家 158 民主党が独裁を肯定する理由 162 ナショナリズムと帝国主義 168 選挙には行きません 172 おわりに 区別をすること 178 参考文献 181 ≫以上(現代ビジネス:オトナの生活:賢者の知恵より)





ゲーテの警告 日本を滅ぼす「B層」の正体 (講談社プラスアルファ新書)
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