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出でよ小沢一郎! 政治家である前に、人間であることを見せつけろ!
もう菅直人の茶番劇につき合う事には辟易としているのは、なにも筆者だけではないだろう。自民公明等々支持者も支持政党なき人々も、反小沢に凝り固まった洗脳国民も、菅直人と云う内閣総理大臣に辟易としているに違いない。口先ではなく、心ある議員連中全体に「菅直人」では、今回の未曾有な国難を捌く事への、不安と不幸を肌身で感じているに違いない。
つくった本人が本部や会議の名前を覚えてさえいない「会議は踊る」状態に輪をかけた「復興構想会議」も茶番の様相を呈している。「復興実施本部」に至っては、亀井静香に丸投げし、メンバーすら集められない状況になる始末だ。もう「子分のいない親分」状態も極まった。
「復興構想会議」のメンバーを集め、菅の意中の人物ではなかった五百旗頭議長は、意趣返しさながらに、端から「増税だ」と一発かまし、顰蹙を買い、自ら会議の頓挫を試みたようだ。岡田幹事長は「増税は俺の仕事だ」とばかり、早速難癖をつけたのだが、岡田までが財務省の走狗だと自白してしまった。
挙句に、この「復興構想会議」が茶番であることを、如実に証明したのが朝日新聞のスクープ記事にみられる。朝日によると、「菅政権は被災を受けた東北各地の農地・漁港を集約して、東北を一大食糧基地にするための法案を今国会に提出する方針」だというではないか。図面までが出来あがっている。これでは復興利権の奪い合いを「霞が関と云う野獣の群れ」に生肉を投げ入れたのと同じ行為と言えるのだろう。
図面をざっと見ると、菅が以前言っていた、「通勤漁師」と云う、漁師の心意気をスポイルしてしまうような、土着性に乏しい、縄文の心を無視した、無機質な海の町の誕生を意味する。机上の空論の典型と言えるだろう。 まぁ震災に強い町の構想の原点は「漁師町」としての機能より、その海の老若男女の文化を重視した町づくりが原点であることを肝に銘ずるべきである。菅の通勤漁師構想は、サラリーマンの息子らしい、都会人らしい発想だが、心がない。この復興に関しては、あらためて語ることにする。
そうそう、今回のテーマは小沢一郎の話だった。今や、菅直人降ろしは、国民の大関心事になりつつあるし、メディアは「火消し役と煽り役」が入り乱れ、好き勝手な政局予想を立てはじめている。筆者もその渦中に入り込もうとしたが、ちょっと立ち止まって考えることにした。
この国難にあって、政治に何が求められているかも重要だろう。菅直人では国民を最大不幸、奈落の底に向かい、結果、無理心中させられる事態になる事は十二分にわかった。菅を降ろそうという動きは、正常な神経の持ち主なら当然の行動なのだ。 ただ、菅を降ろした後の政治態勢が不明瞭だ。この不明瞭な政治態勢を残したまま、政局に突入する勇気と云うか決意を示せる、政治家もメディアも存在していない面が、今回の政局の特徴だ。
筆者は、今回の災害と原発事故の前までは、小沢一郎が、その政治家としての経験と権力闘争の中で、如何に政治の実権を握り、「国民の生活が第一」を実現するのか、と云う視点に立っていた。 しかし、その政治をみつめる視点は僅かずつだが変容している。それは、小沢一郎の政治家としてと云うか、人間小沢一郎を国民の為に捧げる機会が、見えざる何らかの力によって啓示されたのだと云う思いに至っている。
権力闘争は一時棚上げでも良いのではないか。小沢一郎此処にありを見せつけるだけで充分な状況が、我が国に訪れ。小沢一郎に訪れ、我々国民に訪れたのだと思う。 正直、此処ここに至って、小沢一郎の内閣総理大臣を望むのは、一時休息しても構わないと考えている。
今回の国難においては、菅民主党政権から政権を奪う事が喫緊の課題であり、かたちや手段を選ぶ必要はないと考える。菅が作った各種専門学校のような学級委員会を消滅させ、接続可能な一元化した組織をつくり、一気呵成に復旧・復興、原発処理に当たる事が、いま小沢一郎に求められている事だと感じる。被告人も党員資格停止も、此処に至っては枝葉末節のような国難だ。
政局ではないが、国難だ。党利党略に終始する姿勢は、民主であれ自民であれ、党の存亡の危機に陥るだろう。それだけの国難だ。そのような低次元で、国難を語ることが恥ずかしいような状況を作り上げることが重要なのだろう。最悪、トップが仙谷でも谷垣でもかまわない程、事態は切迫している。霞が関の役人を今使わずして、何時使うのか?財務省に完璧に牛耳られた日本国家を取り戻す勢力の結集が課題だ。
朝日や読売が叫ぶ大連立ではない。既存政党同士の烏合糾合の大連立など、事態をさらに悪化させるだけである。 これ程の国難を乗り切る方法には、一本の精神棒が必要なのだ。震災及び原発処理を一括で命令処理する、それこそ本来の大本営が必要なのだ。責任も権限も一括して与えられた組織が必要だ。小沢一郎は、この際、この国難部分の組織のトップに就き、すべてを陣頭指揮するのが、天から与えられた天命と云うものだろう。
その天命を全うした後、小沢一郎の命運がどうなるかは、お天道さまが見守っている。小沢一郎自身の意図だけで決まらないし、腐れマスメディアや評論家が決めることではない。筆者が決めることでも、ましてない。ただ、最終的に、刑事被告人の立場までが、胡散霧消するような結果が生まれる事は、想像に難くない。
小沢は全身全霊で、この難局を乗り切り為に、政治家のすべてを投げうつ覚悟を、昨日の懇談会で表明している。否、直接的言葉は無かったが、その覚悟は充分に伝わってきた。 小沢一郎のこの決意と決起が頓挫する事を望んでいる勢力が呆れるほど永田町を取巻いているのも事実だ。マスメディアも然りだ。
しかし、小沢一郎の今週からの動きに面と向かって逆らえる勢力は、それぞれ思惑絡みで分散しているので凄味がない。ひと塊りのライバルとなる勢力はない。自民党だって内実はバラバラの極に達している。この際は、民主党、自民党などと云う枠組を越えた勢力が、一時同床異夢でも集合するしかないだろう。
勿論、この小沢一郎の重大な決意が頓挫する事もある。不幸なことだが、世の中では、常に正しいことが正しく実現するとは限らないものだ。その時は、その時だ。今テクニックを弄している暇はない。誠の心だけを旗印に立ち上がれば良い。 この国難を傍観できない小沢一郎であればいいのだ。
結果、一敗地にまみれても、筆者は小沢一郎を支持する。そして、永遠に政治家として、否人間として、小沢一郎を尊敬する。取るべき道を間違わずに選択して、国破れ山河ありの結果となっても構わない。虎は死して皮を留め、人は死して名を残す、それでも小沢一郎は偉大な政治家・日本人として、生き続ける。
何を言っている!負けてどうする、と云う反論がアップする前から聞こえてくる。(笑)しかし、筆者はそれでも良いと思う。筆者の中では、小沢一郎は政治の世界で頓死したかもしれないが、人間として偉大に生きたと思うだけで充分だ。つまりは人間の生き様をどのように解釈するか、人それぞれに有する哲学の相違に過ぎない。勿論、小沢の決起が成就し、八面六臂の活躍を期待しているのは当然だ。先ずは政局を語る前に、小沢の決意を受け、筆者なりの心の準備を語っておいた。
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