世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

●23区格差、自立と人情と共同体 社会的共通資本のあり方

2016年03月08日 | 日記

 

貧乏物語 (岩波文庫 青132-1)
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岩波書店
現代思想 2015年3月臨時増刊号 総特集◎宇沢弘文 -人間のための経済-
クリエーター情報なし
青土社


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●23区格差、自立と人情と共同体 社会的共通資本のあり方

現代ビジネスの『「東京23区格差」のウラ側 〜足立・葛飾・江戸川「下町三兄弟」の幸せな毎日』と云う、ルポ記事を読んでみた。このルポを読みながら、筆者は、故宇沢弘文氏を思い出さずにはいられなかった。宇沢氏の「社会的共通資本」の概念と、足立・江戸川・葛飾の3区に共通項があるかどうか、今ひとつハッキリしないが、思い出してしまったのだから仕方がない(笑)。おそらく、宇沢氏の高尚な学問的社会的共通資本の概念と、下町の持つ共同体意識の概念が、筆者のどこかで、重なり合っている所為なのだと思う。

■「社会的共通資本」とは―――
日本の経済学者・宇沢弘文が提唱した概念。具体的には、森林・大気・水道・教育・報道・公園・病院など産業や生活にとって必要不可欠な社会的資本を示すが、2000年11月に宇沢が刊行した『社会的共通資本』(岩波書店)で「一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置を意味する。」と定義しているように、単なる「社会資本」を超えた意味合いをもつ。社会的共通資本は、大きく「自然環境」「社会的インフラストラクチャー」「制度資本」の三つに分けられ、それらに属する全てのものは、国家的に管理されたり、利潤追求の対象として市場に委ねられたりしてはならず、職業的専門家によってその知見や規範に従い管理・維持されなければならないとされている。  ≫(コトバンク:知恵蔵miniの解説)

宇沢氏が経済学の枠を超えたリベラルなイデオロギーの持ち主であったろうが、学者として指摘した、市場原理に基づく経済政策は、人間の価値を低下させる重大な問題点を含むので、人間的生き方の基本部分は、政治や資本の道具として利用させてはならないアンタッチャブル領域と明示した視点は、先見の明がある。否、先見の明などと評論したら、宇沢氏から、先見ではなく、人間が社会を構成する基本だ、原点だと、お叱りを受けることになりそうだ。“森林・大気・水道・農業・教育・医療・・報道・公園など”において、現在の日本は、宇沢氏が最も嫌った、

宇沢氏が、36歳の若さで“市場原理主義の巣窟”シカゴ大学の教授に就任し、新自由主義のリーダ・ミルトン・フリードマン氏(ノーベル経済学賞受賞)と対立したことが、経済学は何の為にあるのかと云う哲学的領域に達した原点であり、ノーベル経済学賞を受賞しそこなった、遠因でもあったろうが、宇沢氏が間違いを指摘し続けた“新自由主義的経済”が、アメリカと云う国の国民を分断させ、2大政党制の危機にまで至らせていることを目撃すると、アメリカも惜しい学者を失ったものだ。まあ、師弟関係にあった、ジョセフ・スティグリッツ氏が反市場原理主義の理論でノーベル経済学賞を得たのだから、宇沢氏は充分満足していたかもしれない。

小泉政権以降、日本の政治は濃淡はあるものの、この悪しき新自由主義経済の、悪循環スパイラルに入っている。“森林・大気・水道・農業・教育・医療・・報道・公園など”の社会資本を眺めるだけで判るが、農業・教育・報道は、共通資本から遠ざかり、国家官僚の行政支配や、民営化、TPP参加等々で、風前の灯火だ。報道機関に至っては、利益集団になり下がり、政権の提灯記事掲示板と化しているのだから、情けない。菅官房長官に潰されたと噂の「NHKクローズアップ現代」のHPが残っていたので、参考引用しておく。最後に、宇沢弘文氏を思い出させてくれた現代ビジネスのルポも続けて掲載しておく。

ルポの方の話が、お座なりになったが勘弁いただこう。個人的には、下町の人情も悪くないな、と思うのだが、知り合いがいない、見てみぬふりをする、冷やかな街も嫌いではない。「孤独死」を悲劇と捉えるのが、世間の空気だが、孤独死と「孤高の死」の区別を誰がするのだろう?個人的には、そう云う思いもある。今の日本人の多くは、日常において通俗的美辞麗句を口にして、争いから逃れ、個人的生活を愉しむ傾向が強くなっているが、一歩、自分の考えはどうなのだと、問いかける生き方にも興味を持って貰いたいものだ。

≪ 人間のための経済学 宇沢弘文 格差・貧困への処方箋
天使にふんしたこの男性。
実は世界的な経済学者。
今、その存在が注目されています。
ノーベル賞受賞経済学者 「彼の研究は時代を先取りしていた。」
親交のあった経済学者 「社会の病を治す医者。」
先月(9月)、86歳で亡くなった宇沢弘文さん。

行動する経済学者で、経済成長が引き起こす問題の解決策を、現場に飛び込み提案しました。
すべての人々が幸せに生きられる社会を考え続け、その思想は世界から高く評価されました。
経済学者 宇沢弘文さん 「経済は単に富を求めるものではない。」
今、宇沢さんの思想は、地域再生や被災地の復興の現場にも息づいています。
・格差や貧困が深刻で出口が見えない日本。
今夜は、宇沢弘文・人間のための経済学に迫ります。

「人間のための経済学 知の巨人・宇沢弘文」
NHKは、金融危機のさなかの2009年、宇沢さんへのインタビューを行っていました。
経済学者 宇沢弘文さん 「経済学の原点は人間、人間でいちばん大事なのは、実は心なんだね。 その心を大事にする。 一人一人の人間の生きざまを全うするのが、実は経済学の原点でもあるわけね。」
研究室を飛び出し、現実の問題と向き合うことを大切にした宇沢さん。
公害問題に悩む水俣では、患者を訪ねてはその苦しみを聞き、空港建設問題に揺れる成田では、国と住民の調停役を買って出ました。
理論にとどまらず、現実の世界に貢献しようと考えていたのです。
東京大学名誉教授 神野直彦さん 「社会の病を治す医者になるんだというふうに決意された経済学ですので、その病理をいかに治すのか、処方箋まで書こうとした。」
宇沢さんが経済学を志したのは、戦後まもなくのころ。
東京大学で数学を学んでいましたが一冊の本との出会いが人生を変えたといいます。
 「貧乏物語」。
経済学者、河上肇が書いたものです。
世界の経済大国・イギリスで、貧困が深刻になっていく問題を明らかにしました。
すべての人が幸せに生きる社会を作りたい。
宇沢さんは経済学の道へ進みます。
研究のため向かったのは世界経済の中心、アメリカ。
経済成長の条件を数学的に分析した理論を構築。
36歳でシカゴ大学の教授に就任しました。

ノーベル経済学賞を受賞したジョセフ・スティグリッツ教授。 宇沢さんに教えを受けた1人です。 ノーベル経済学賞 ジョセフ・スティグリッツ教授 「彼は最も大切な先生です。 研究だけでなく個人的にも教えられました。 1日中、数学や経済学について語りあったものです。 世の中を変えたいと経済学の世界に入った私には、刺激的でした。」
宇沢さんは大学で1人の同僚と激しく対立するようになります。 ミルトン・フリードマン。 市場競争を極めて重視する新自由主義の中心人物です。
・社会のすべてを極力、市場に委ね、競争させたほうが経済は効率的に成長すると主張していました。
・これに対し宇沢さんは、効率を優先し、過ぎた市場競争は格差を拡大、社会を不安定にすると反論しました。

 ノーベル経済学賞 ジョセフ・スティグリッツ教授 「教授の研究の大きな特徴は、格差の問題に注目したことです。 一方シカゴ大学には、格差は取り上げる問題ではないという人さえいました。 格差問題を全くかえりみない市場原理主義の考えと、教授は相いれなかったのです。」
・アメリカ社会が効率や競争ばかりを重視するようになったと感じた宇沢さん。
1968年、日本に帰ることを決意しました。
・しかし、日本で目にしたのも、経済成長が必ずしも幸せな暮らしにつながっていない現実でした。
・東大教授となった宇沢さんは帰国から6年後、急速に進む自動車社会に警鐘を鳴らします。
・当時、豊かさの象徴とされていた自動車。
・宇沢さんは、それが本来、歩く人のためにある道を奪っていると主張。
・事故の増加や大気汚染など、社会にばく大な負担を強いるという、新たな見方を提示しました。 経済成長と幸せな暮らしを両立させるにはどうしたらよいのか。
・宇沢さんが提唱したのが、社会的共通資本という考え方です。

 

・社会的共通資本とは医療や教育、自然など人が人間らしく生きるために欠かせないもの。 ・これらは市場競争に任せず、人々が共同で守る財産にします。
・その基盤を確保した上で、企業などによる市場競争があるべきだと考えたのです。

経済学者 宇沢弘文さん 「市場で取り引きされるものは、人間の営みのほんの一部でしかない。 医療制度とか、学校制度とか、そういうのがあることによって社会が円滑に機能して、そして一人一人の人々の生活が豊かになる。 人間らしく生きていくということが可能になる制度を考えていくのが、我々経済学者の役割。」

人間らしく生きる社会とは何か。 宇沢さんはみずから、ある実践をしていました。 リュックサックの中にいつも入れていたのはランニングシャツ。 大学と自宅の間を走って往復。 自動車に頼らない生活を心がけていました。 宇沢さんの生き方は多くの人たちの心に残っています。
弔問に集まった、かつての教え子たち。 政策立案や日本経済の第一線で活躍する人材になりました。
京都大学名誉教授 松下和夫さん 「宇沢先生は厳しい先生だったんですけれど、やさしいんですね、ものすごく。 主流派経済学者は、すでに出てるデータだけを見て処理するわけですが、(宇沢先生は)現場に出て行ってぶつかっていた。」
元環境省・大学教授 一方井誠治さん 「宇沢先生が心配していた環境の悪化を(環境省の)現役時代に止められなかった。 宇沢先生の遺志を継いで、なんとか少しでも貢献して死んでいきたいと思っています。」

今、宇沢さんの家族は遺品の整理を続けています。
宇沢さんが病に倒れたのは東日本大震災の10日後です。
パソコンに残されていたのは「東日本巨大地震」という空のフォルダ。
何を書こうとしていたのか。 家族は思いを巡らせています。

妻 宇沢浩子さん 「(被災地の)絆を取り戻してあげたい、みんなで地域で一緒に暮らすことが楽しいというところまで助けていきたいなと思った。 それはまとめさせてあげたかったなと思います。」

 経済学者、宇沢弘文。
人間のための経済学を追究し続けた人生でした。
・「人間のための経済学 知の巨人・宇沢弘文」 ゲスト内橋克人さん(経済評論家)

●宇沢さんはどんな方だった?

対談する相手が口を開きますね。 すると表情がね、とても穏やかになるんですよ。
そして相手、語り手の言いたいことを引き出していかれる、とても優しい方なんですけれどね、それだけではありませんね。
厳しく優しい方なんですね。
ですからご自身が信じていらっしゃること、信条となさってることですね、これについて、正確でない発言、それについては厳しく問いただす、そういう先生だったと思いますね。

 ●厳しさは、宇沢さんを語る上で欠かせないもの?

そうですね。 そして、その厳しさとは何かということが、大変、今ね、話さなければならないと思うんですね。
つまり厳しいっていうことは、誰に対して厳しいのか、誰に対して優しいのか。
例えば自然災害がある、被災者、被災した人がいますね。
しかし、自然災害だけではなくて、権力とか、経済、あるいは政治ですね、それによる被災者、政策の間違いによって被災する、そういう人々、いわば社会でそういう人々がさげすまれたり、あるいはまた忘れ去られたりする、そういう人々に大変に心を寄せられる。
本当に寄り添った経済学ですよね、それを追究された。
つまり、いつも社会的、政治的、経済的被災者に寄り添う経済学だったというのがね、私の率直な追憶のことばですね。

 ●人間のための経済学であった?

そうですね。 つまり、人が人らしく生きていける。 これ、とても難しいことですよね。
そして今は、ますますそれが難しい時代に入ってますよね。
世界化、経済の世界化、あるいはまたですね、利潤の追求の厳しさ、そういう競争の激しさ、そういう中でね、ますます人が人らしく生きていける。
これはね、それを裏付ける制度がなければならない。 最初に神野さんがおっしゃってましたね、お医者さんだと。 世界の病理を治す、癒やすお医者さんである。
その医師、名医、優れたお医者さんとは誰かといえば、絶えずこう、臨床、患者さんと向き合って得たいろいろな問題、それを基礎に変える。
基礎と臨床、現実と原理ですね。
その間を、本当に短いサイクルで、絶えず往還、往来なさる。
ですから、学理から見てどうなのか、そこを問われる。
そして現実を大事になさる。
こういう学理追究者だったと思いますね。

 ●社会的共通資本という考えに込められた宇沢さんの思いとは?

これはね、単なる公共財を意味してるんじゃないと思うんですね、経済学という。
そうではなくて、利益追求の対象にしてはならない、誰のものでもない、みんなのものだというね、こういうひと言で言えば、これはとても概念は難しいと思いますけれども、そうした新しい経済の在り方、つまり社会を転換しなければとても実現はできない。 そういう経済、あるいはその制度、これをどうあるべきかを、本当に具体的に、しかも理論的に追究なさった、珍しいけうの先生だったと思いますね。

 “多面的に見よ” 
宇沢氏の教え 学校で使われる社会科の教科書。
宇沢さんが長年監修してきました。
宇沢さんと一緒に仕事をしてきた、編集者の尾栢寛昭さんです。
宇沢さんから学んだのは、社会の表側だけでなく、その背後に目を向ける大切さだと言います。
東京書籍 尾栢寛昭さん 「20世紀の文化、これは私が編集長をやっていたときに作ったもの。」 サッカー・ワールドカップの写真。 尾栢さんは同じページに、子どもたちの労働によってサッカーボールが作られている写真も載せました。 華やかなイベントの裏にある社会の現実にも、思いをはせてほしいと考えたからです。
東京書籍 尾栢寛昭さん 「こういう写真を1枚示すことによって、違うものの見方ができてくる。 社会に対するものの見方というのを、このままでいいということでなく、さらに良くしていくためにはどうしたらいいのかという観点を常に持っていてもらえればいいなと思う。」

・“宇沢イズム”どう実現 教え子たちの模索 地域再生の現場にも宇沢さんの考えは息づいています。
都市政策が専門の、千葉大学大学院岡部明子教授です。
14年前に宇沢さんと出会った岡部さん。 社会的共通資本の考えに基づいた街づくりを模索してきました。 岡部さんが、その実践を続けている場所があります。
千葉大学大学院教授 岡部明子さん 「あれが、かやぶきの家です。」 築100年以上の古民家。
長年、地域に残るこの風景には、経済性だけでは計れない価値があると考えました。
 住む人がいなくなり放置されていた家。 岡部さんは学生と、傷んだ屋根の修理に取りかかりました。 作業を続けるうちに、単に風景を残す以上の効果が現れてきました。
・学生と住民の間に交流が生まれ、地域の課題を共に話し合うようになったのです。
・今ではこの家は、地域の外からも人を呼び込む拠点となっています。 男性 「いいですよ、最高。 昔のことを思い出す。 自分たちの気持ちの誇りになります。」
経済原理のもとで見放されつつあった建物でも、地域を育む共有財産になりうると岡部さんは感じています。
千葉大学大学院教授 岡部明子さん 「宇沢先生から教えていただきました『社会的共通資本』。
なかなか理論ではとらえどころのないものなんですけれども、この建物を見てそういうこと(社会的共通資本)を考えたときに、ふと本質の一端に触れた気がしました。」

・被災地の復興に宇沢さんの精神を生かそうという人もいます。 宮城大学で街づくりを研究する風見正三教授です。 宮城県東松島市は、津波で大きな被害を受けた集落の高台への移転を進めています。
風見さんはここに建てられる小学校の計画作りを任されています。
宮城大学教授 風見正三さん 「学校の教育というのも社会的なひとつの共通の財産なので、みんなでつくっていく仕組みをここから始められたら、東北から新しい道というか、未来が始められる。」
実は風見さんは6年前まで、大手建設会社で大型商業施設の開発などを手がけてきました。 そこで目にしたのは、開発の陰で寂れていく地元の商店。
次第に、利益だけを追求する都市開発に疑問を抱くようになりました。

その後、宇沢さんの社会的共通資本の考え方を知った風見さん。
本当に住む人のためになる地域開発とは何かを考えようと、会社を辞め、研究者の道に進んだのです。
小学校の設計で心がけているのは、できるだけ多くの人を巻き込むことです。
宮城大学教授 風見正三さん 「子どもたちや教員、校長先生、そういう人たちの意見を踏まえながら、何十回、百回と続けていきながらひとつの形にかえていった。」
さらに自然保護団体と協力し、学校の近くに遊び場も作りました。 作業したのは地元の人たちです。
宮城大学教授 風見正三さん 「宇沢先生がいちばん言われたのが現場主義。 現場の人たちにすばらしい知恵があって、それを脚光を浴びさせながら市民が主体的に街をつくっていく。 私たちの学校だと思ってくれることが、宇沢イズムの実現だなと思います。」

人間らしさ求めて 見直される宇沢弘文
 ●取り組みが多様な分野にまたがり、その影響が広がっている?

そうですね。 宇宙的といいますか、非常にユニバーサルですよね。
ですから、それぞれの分野に種をまかれた。 本当の理解者を見つけては、教えて、育てていかれたわけです。
そういう方々が今、現実社会、それぞれのところで種をまいていらっしゃる、実行していらっしゃるわけですよね。
そのことが、これからの本当の意味の社会転換に結び付いていく、これを望んでおられたと思いますね。

 ●今の日本にとって宇沢さんの考え方が持つ意味、意義はどこにある

大きいですね。 宇沢さんはね、国富、国の富ですね、GDPとかその他、これが大きくなるっていうことと、一人一人の国民が豊かになるということは違う。
これがますますかい離していく、離れていく。 そこに日本経済の、日本社会の病理があるということを、はっきり分析なさっているわけですよね。
そういう意味からいえば、本当の意味で一人一人が豊かになっていく。
そのために、人口減少社会、あるいはそのGDPそのものが減少していく。
もはや大国ではなくなった、一人一人が豊かになるためにどうするのか、その制度はどうあるべきか。
これは一人一人の、つまりお弟子さんといいますか、現実社会でおやりになってる方々が、種をまいてるわけですね。
その人々は、ある意味では、宇沢先生の存在、知らないかもしれない。
社会的共通資本ということばを知らないかもしれない。
それと知らず、しかし、全くそういう意味からいったら、継承者、実行者、実際にしていく人々、こういうふうにいえると思うんです。
そういう人が1人でも増えてほしいと、社会転換、目指すべきですね。
(脈々と受け継がれていく、古くて新しい考え方?)
そうですね。 まさに古くて新しい、これからさらに先を見たときに、サーチライトの光を前に照らしたときに、その前に見えるのが宇沢さんの姿。 こういうふうに思います。
 ≫(NHKクローズアップ現代:2014年10月30日(木)放送の書き起こし記事より)筆者注:テレビ画面の解説も入るので、多少読みづらさあり。



≪ 「東京23区格差」のウラ側 〜足立・葛飾・江戸川「下町三兄弟」の幸せな毎日
カネはないけど人情がある
東京23区はまるでひとつのクラスのようで、カネ持ちセレブや秀才がいれば、ヤンチャもいるし、できない子もいる。でも、他人に勝つだけが人生じゃない。三兄弟は、そのことをよく分かってる。

 ■スタバはないけど
2月のある昼下がり、江戸川区小岩の駅前には、のどかな陽光が降り注いでいた。どの町にもある牛丼屋や携帯電話ショップに混じって、ひなびたアーケードには個人商店もまだまだ残っている。
ある婦人服店の軒先には、ダウンのコートがぎゅうぎゅうに吊り下げられ、赤いマジックペンで「3000円」と書かれた値札が風に揺れていた。店主の老婦人がこう話す。
「安いでしょ。古着じゃありませんよ。みんな新品です。問屋から安く買ってきて、利益はほんのちょっとだけ。儲からなくたっていーのよ。 消費税が8%に上がっても、値上げしてません。とてもじゃないけど、お客さんからは取れませんから。とにかく安くしないと悪いでしょ。少しくらい辛抱しなくちゃね。 あらま、さっきのお客さん、商品忘れて帰っちゃった。ちょっと店番しててくれる?追っかけて渡してくるから。常連さんなんだけど、ボケてきちゃったのかしら」
そう言うと、彼女は初対面の記者に店を託して、走り去ってしまった。
商店街を抜け、駅から離れるにつれて、「何でもご相談ください」と書かれた質屋の看板や、ショッキングピンクで彩られた「タイ式マッサージ」といった看板が目につくようになる。
銀色のグリルをギラリと光らせながら、足立ナンバーの黒いミニバンが、「ブルン!ブルン!」と排気音も高らかに通り過ぎていった。ブロック塀に貼られた政党のポスターが、半分はがれて揺れている。
道の突き当たり、芝の土手を登ると、一気に視界が開けた。東京であることを忘れそうな広い空に、川面がまぶしい。目の前を流れる江戸川の向こうは、もう千葉県だ。
東京23区には、多くの都民が「そういえば行ったことがない」そして「正直に言って、あまり行きたいと思わない」と口を揃える場所がある。それが、東京都の東端にまるで防波堤のように陣取る、北から足立・葛飾・江戸川の3つの区、すなわち「下町三兄弟」である。
地方に住む人には、東京、しかも23区内ならばどこもそう大差ないのではないか、と思う人もきっと少なくないだろう。しかし都民の間では、23区には歴然たる格差がある。
この「下町三兄弟」は、他の区から「あの辺はもはや千葉でしょ」と、東京扱いしてもらえないことすら日常茶飯事の、哀しい地域なのだ。
特に六本木、麻布といった成金タウンを擁する港区や、ベンツやポルシェばかり走り回る目黒区などの住民は、「北千住なんか、昭和のヤンキーの巣窟」「葛飾? 寅さん以外に何かある?」「江戸川って、どうやったら行けるの?」と、好き放題言っている。
事実、葛飾区は地下鉄が通っていない「陸の孤島」といまだに言われるし、今どきどの県にもあるスターバックスコーヒーは、江戸川区にはなぜか出店していない。

 ■呑んで、寝ちまう
今回、本誌記者はこれら3つの区を自らの足で歩いて、住民たちの話を聞いた。はたして足立・葛飾・江戸川に住む人々は、本当に格差の下側の世界で、不遇をかこって暮らしているのだろうか——。
まずは、最も気になるのが台所事情。'12年度の総務省の調べによると、東京都内でトップの港区民の年間平均所得が900万円を超えているのに対し、最下位の足立区は323万円と、ほぼ3分の1。23区の西側を代表する住宅街の杉並や世田谷と比べても、150万円ほど差をつけられている。
ちなみに、葛飾区民の平均所得は下から2番目の330万円、江戸川区が下から5番目の347万円である。お世辞にも、「カネ持ちエリア」とは言えない。
こうした懐具合を反映して、当然のことながら物価は安い。冒頭に紹介した婦人服店の「コート1着3000円」も、ユニクロなんて目じゃないほどの安さだ。足立区北千住の街角にいた、50代男性が言う。 「あまり知られていませんが、イトーヨーカドーの1号店はこの近くにある北千住店なんですよ。もっとも、足立区民にはイトーヨーカドーよりも、その廉価版の店舗にあたる『ザ・プライス』のほうが親しまれています。1号店ですら、何年か前に『ザ・プライス』に衣替えしましたからね」
実際に『ザ・プライス』北千住店に足を運んでみると、コシヒカリ5㎏が1000円強、鶏もも肉100gが87円、牛乳1Lパック157円などなど、都内としては確かにかなり安い。
「他にも足立には、竹ノ塚駅の近くにある『さんよう』や『おっ母さん』など、ご当地の激安スーパーがいっぱいありますよ」(前出・50代男性) ・商店街も元気だ。葛飾区新小岩駅の南口を出ると、真正面に口を開けるのが、全長400mを超える大アーケード「ルミエール商店街」。その中にある八 百屋の店先で、段ボール箱に山と積まれた泥付きの野菜は、キャベツ1玉78円、ほうれん草1束98円など、やはり23区内とは思えない赤札価格だ。60代 の女性客が言う。
「このお店には、毎日来てますよ。主人には7年前に死なれたんだけど、商店街に来れば顔見知りがいっぱいいるし、一人でもさびしくないの。年金暮らしだから贅沢なんてできないけどね、この商店街はどこも安いから大丈夫。 それに買い物に出かけると、歩いて、笑って、人と話すでしょ。だから健康にもいいのよ」
下町におけるもうひとつの「人間交差点」は、至るところに店を構える銭湯だ。入り口の唐破風が立派な千住のとある銭湯は、まだ日のあるうちから、近 所の住民たちで大賑わい。脱衣所には、テレビをぼんやり眺める人、眉根を寄せて新聞を熟読する人、手拭いで真ん丸いお腹をパチン、パチンとリズムよく叩いている人……。
「オレが子供の頃は、この辺にはもっといっぱい銭湯があったよ。家に風呂なんかなかったからね。まあ今は家にも風呂はあるけどさ、オレはこっちのほうがいいんだな。番台のババアとも古馴染みだしな。 最近は、知り合いがどんどん死んでくのが悲しいね。だからサッと風呂入って、酒呑んで早く寝ちまうんだ」(70代男性)

■少子化? どこの話?
カネ持ちこそあまり住んでいない足立・葛飾・江戸川だが、意外と有名企業もある。 前出の50代男性が教えてくれたイトーヨーカドー以外にも、今は港区青山に本店を構えるお菓子メーカー・ヨックモックも足立が発祥の地。現在は合併 したおもちゃメーカーのタカラとトミーなど、葛飾区にはプラスチック系のメーカーが数多く残る。古くから住んでいる住人には、こうした工場勤めの人々が多い。大田区や板橋区と並ぶ町工場の集積地帯なのだ。
有名人もちゃんといる。俳優の故・蟹江敬三や元モーニング娘。の後藤真希は江戸川区出身。ビートたけしや元キャンディーズのスーちゃん(故・田中好子)、またNHKの朝ドラ『あさが来た』で主演を務める女優の波瑠は、足立区出身である。
一方で、学歴や社会的ステータスという点で言うと、文京区や世田谷区などの住民はおよそ半数が大卒なのに比べ、「下町三兄弟」の大卒者の割合は2割前後と23区で最低。同じく、管理職や会社役員の割合も、最も少ないといわれている。
さらに、昔から「ガラの悪い地域」と見られがちな東京東部にあって、とりわけ足立区の刑法犯認知件数は、'06年〜'09年のワースト1位だった。 葛飾区はまだしも、江戸川区も足立区とほぼ同等の「犯罪多発地域」とされている。江戸川区小岩の飲食店で働く、20代女性がこう告白する。
「私は生まれも育ちもこの近所ですけど、夜道を歩いてると、正直怖いときもあります。居酒屋が多いから、酔っ払いも多いでしょ? この前もそこで『ちょっと、ちょっと』と声をかけられて、振り向いたらおじさんがアソコを出してニヤニヤしてました。マジでキモくないですか?」
今となっては、山手線の内側や、杉並・世田谷などのいわゆる「山の手」に住む人々の間では、
「足立ナンバーの車が割り込んで来たら、ヤンキーだからすぐ譲るべし」 「いまだに小岩のコンビニには、パンチパーマのチンピラがウンコ座りでタバコを吸っている」 「足立区にある公園に行ったら『池に犬を投げ込まないでください』と書かれた立て看板があった」
などといった「都市伝説」まで、まことしやかに語られる始末だ。
しかし、東京23区の様々なデータを綿密に調査して話題の、『23区格差』(中公新書ラクレ)を著した池田利道氏は、「今や、そうしたイメージは当たりません」と話す。
「実はここ数年、都内で最も犯罪件数が多いのは、一般的には静かな高級住宅街と思われている世田谷区です。また、面積あたりの件数で言えば新宿区がダントツに多い。一方で、足立区の犯罪件数は減っているのです。
治安の悪さを揶揄するような噂は、住民の『自虐』も含めて、面白おかしく語られているだけというのが実情ではないでしょうか」
こんな興味深いデータもある。日本で最も出生率の低い東京都の中でも、全国平均と遜色ない出生率を誇るのが足立・葛飾・江戸川なのだ。
足立区立第十四中学校は生徒数850人以上と、この少子化の時代にあっては異例のマンモス校。江戸川区にも、700人越えの中学校が珍しくない。前出の池田氏が解説する。
 「足立・葛飾・江戸川の3区について特筆すべきは、東京の他の区とは『家族のあり方』が全く違うということでしょう。 若者も高齢者もひとり暮らしが少なく、子持ち世帯や3世代同居の世帯が他区に比べて圧倒的に多い。決して家の面積は広くないのに、1世帯の人数が多いんです」
確かに、葛飾区四つ木などの荒川の土手下、いわゆる「海抜0m地帯」には意外にもマンションやアパートは少なく、心なしかこぢんまりとはしているものの、戸建ての家ばかり建ち並んでいる。軒先にチャイルドシートが取り付けられた自転車が停まっている家も少なくない。
「足立・葛飾・江戸川の3区は、東京の中でも最後のほう、'60年代 以降に開発された区です。今もこの3区には鉄道があまり乗り入れていませんが、昔はもっと少なくて、足立には東武伊勢崎線、江戸川には国鉄総武線しか通っ ていない時代がありました。つまり、もともとは東京都市圏に含まれていなかったわけです。 しかもこの一帯は、以前は田んぼとして使われていた。米作りというの は一人の力ではできません。家族のみならず、近隣の人とも助け合わないと成功しない。そうした風土が無意識のうちに受け継がれているから、ご近所や家族の つながりが密で、子育てもしやすい環境が残っているのだと思います」(前出・池田氏)

■まさに、住めば都
葛飾区の京成立石駅周辺は、言わずと知れた居酒屋密集地帯だ。店によっては、昼過ぎから早くも杯を傾けるオヤジたちがいる。近年は若者にも人気の 「コの字カウンター」の店は、宵の口ともなれば老若男女がぎゅうぎゅう詰め。中には子連れの客さえいるが、子供も一緒になって店自慢の「煮込み」をつついているから微笑ましい。
ある居酒屋の、60代の男性店主が言う。
「この辺りにはね、人情ってのが生きているでしょう。浅草(台東区) みたいに、内心はお高くとまってるような『人情』じゃなくて、お節介というのかな。困っている人がいたら見て見ぬふりはできないっていう、そういう人情で すよね。どんなに東京が変わっても、ここだけは変わらないでいてほしいよ」
また、前出の、小岩に住む飲食店勤務の20代女性は、「イヤなこともいっぱいあるけど……」と前置きしてこう続けた。 「でも私、この町がやっぱり好きなんですよ。渋谷で別のバイトが終わって、小岩駅で降りたら『ああ、帰ってきた』ってホッとしちゃうんです。面白いところなんか全然ないし、道にゴミはいっぱい落ちてるし、古い店ばっかりなんだけど……どうしてなんですかね?」
カネや地位なんてなくても、見栄を張らなくても、この町でなら生きていける。東京砂漠の東には、「下町三兄弟」というオアシスがある。  ≫(現代ビジネス:オトナの生活・賢者の知恵「週刊現代」より)

宇沢弘文の経済学 社会的共通資本の論理
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世界に分断と対立を撒き散らす経済の罠
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千葉大学大学院教授 岡部明子さん 「あれが、かやぶきの家です。」 (武尊43)
2016-03-08 15:22:32
この方の話を読んで思い出しました。
鉄腕ダッシュのダッシュ村。トキオと住民が一緒になって創る共生と生活の匂い。あの頃が一番面白かった。
若しかしたら、ディレクターなどに宇沢先生や岡部先生の教え子が居たのかも知れませんね。
宇沢先生の人々が共同で守る財産がダッシュ村だったのでしょう。それを効率を優先し、過ぎた市場競争である格差の拡大として、社会を不安定にしてしまったのが、イチエフの事故だったんですね、、。
そういえば宇沢先生が大学と自宅の間をランニングで通っていらした、という逸話の部分を読んで思いだしたことも有ります。小出浩章先生も自転車で通い、エアコンも使わないでいましたね。
 今の新自由主義を否定的に見ている人は、共通した思想が有るんでしょうね。
私は西麻布生まれ。周りに居た人間の冷たさを感じて育った人間です。だから中々この先生方のような生き方までは出来ませんが、内心位は同じ思考で生きていきます、、。
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