世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

●“独立なくして民主主義なし” 国家と金融資本と仏

2019年02月05日 | 日記

 

ナショナリズムとグローバリズム (ワードマップ)
クリエーター情報なし
新曜社

 

グローバリズムが世界を滅ぼす (文春新書)
クリエーター情報なし
文藝春秋

 

対立の世紀 グローバリズムの破綻
クリエーター情報なし
日本経済新聞出版社


●“独立なくして民主主義なし” 国家と金融資本と仏心


以下は、日刊ゲンダイに掲載された中村敦夫についてインタビュー記事と、同氏の演劇について紹介された毎日新聞の記事だ。

年齢は違うが、筆者と中村氏の思考経路は、かなり似ている。


神道嫌いの筆者の場合、ついつい仏教に目が向くが、中村氏の場合、得度しているので本格派だが、筆者の方はなまくらだ。

ではまず、日刊ゲンダイのインタビューから読んでみよう。

現在の永田町の政治は、政治屋が政治家気取りで、立法府を占拠していると言って、過言ではない。

地盤看板カバンの3拍子を受け継ぐ政治屋一家に牛耳られている。


彼らの多くは、主義主張など、選挙ポスターやブログ・ツイッターの中で語るが、現実は、党の指示通りに行動する操り人形なのだ。社長の命令に従う社員に過ぎない。


 ≪中村敦夫氏が警鐘 「安倍政権は高速道を逆走している」
 注目の人直撃インタビュー
 5月に元号が変わるが、戦前、戦後の昭和、平成、そして、新元号を迎える時代の流れを冷徹に見つめてきたのが、この人だろう。「あっしには関わりないことで」という木枯し紋次郎のイメージが強烈だが、俳優、小説家、国会議員、劇作家と、変幻自在の表現者として、社会にメッセージを送り続けている。そんな中村敦夫氏が鳴らす「時代への警鐘」――。  

 ――戦争のときは4、5歳ですね。どんな記憶がありますか?  多分、僕なんかが戦争の記憶がある最後の世代だと思います。もちろん、戦場に行ったわけじゃないけれど、空襲の記憶はある。当時、読売新聞に勤めていた父の実家がある郡山(福島県)に疎開していたんだけど、あそこには、飛行場があってね。狙われたんでしょう。空襲警報が鳴り、B29が飛んでくる。大きな防空壕に近所の人と飛び込んでね。毎日、そういう訳の分からない危機感がありましたね。

■平成の次は大混乱の恐ろしい時代へ  
 ――5月に改元がありますね。中村さんは戦前の昭和、戦後の昭和。そして、平成、その次と生きてこられた。激動の時代ですよね。どのように時代を総括されていますか?国家観、憲法観、それぞれの時代で随分変わってきたんでしょうね。

 昭和は侵略戦争、太平洋戦争、敗戦、経済復興、バブル経済と激動でしたね。戦争という犠牲を払ったけど、先進国に追い付いていく時代。ところが、昭和の終わりくらいから、それまでの経済成長の在り方、資本主義の行方が怪しくなってくる。オーソドックスなモノづくりから金融経済にシフトしていく。その結果、平成になると、世界を操る権力構造が随分、変わってきましたね。それまでの発展途上国がぐんぐん伸びてきたパターンと違って、資本はグローバルになり、金融中心になると、国籍そのものが重要さを持たなくなる。多国籍化したものに権力がシフトしていく。  

 ――しかし、いまは、その金融の覇者、米国が一国主義を唱えている。

 そう。私は平成の後半の特徴は、金融中心のグローバルな資本主義も崩壊し、世界中が混乱していく過程に入ったな、と思ってます。いま、それぞれの国でおかしな現象が起きているでしょう。ナショナリズムが台頭し、反グローバリズムのようなことを言う勢力が強くなってきている。矛盾ですよね。資本主義を肯定しているのであれば、グローバリズムに行き着くしかないのに、何を言っているのか。それじゃあ、昔のような資本主義に戻れるのかというと、もう戻れませんよ。私は得度してますが、諸行無常という言葉がある。仏教の一番大切な教えです。物事は絶えず変化していて、同じところにとどまらない。そういう見方をするといろんなことが分かってきます。

■高速道を逆走している安倍政権  
 ――「これは絶対」なんてないのに、資本主義は成長拡大するものだという前提でもがいていますね。
日本は成長戦略とか言って、原発輸出にシャカリキだったが、失敗した。

 安倍政権は経済成長を神のように崇めているが、内容がないんですよね。いろんなことをブチ上げていますが、どれも不成立でしょ。金融政策で株が上がっただけで、いつ崩れるか分からない。バクチ経済です。≫実体経済で売り物がないから原発でも輸出するかということになる。とんでもない話ですよ。自分の国で始末に負えないものを他国に押し付けるなんて、商道徳に反するわけです。しかもことごとく失敗、破談じゃないですか。≪残るのは大阪万博にからめたカジノ構想ですか? おいおい、経済成長ってオイチョカブと同じかよって。そういう貧しい発想でしか経済を捉えていないんですね。いま、人類はどういう時代に突き進んでいるのか、という認識が決定的に欠落していて、高速道を逆走しているような時代錯誤を感じます。

■経済至上主義を止めなければ破滅の道
  ――中村さんは、かつて「簡素なる国」という本をお書きになりましたね。そこで「少欲知足」という仏教的価値観を提唱されていますが、まさしく、こうした考え方に真正面から向き合う時代になったんじゃないですか?

 このまま大きいことはいいことだという経済の哲学が膨らんでいったら、パンクするに決まっています。もう、その最終段階に来たと思いますよ。小さいことこそ、よいことだという逆転の発想が必要だと思います。≫≪仏教では貪欲というものが、人間社会の中で最悪のものだという考え方があります。ところが、経済成長主義というのは貪欲を奨励するわけです。つまり、貪欲でいろんなものが動く。貪欲が前提です。人間の欲望は限りないから、永遠に成長する。それが経済至上主義です。でも、欲望は限りなくても物事は有限ですからね。資源も環境も有限なんです。≫動物の一種に過ぎない人間が勝手なことをやれば、破局に向かうのは当たり前なんですよ。有限の資源を掘り尽くせばゼロになる。先がなくなる。

 ――争いも起こる。

 どういうときに経済成長するかというと、一番手っ取り早くて効果があるのは戦争なんですね。だから、どれだけみんなが戦争反対してもなくならない。必ず苦し紛れに戦争が出てきて、それまでの窮地を一時的に救う。米国は戦争を続けることで成長を確保しているし、そもそも戦争は経済政策なんですよね。≫誰もが戦争はよくないと分かりつつ、目をつむってしまう。なぜかというと、経済成長を神として崇めているからですよ。もう一つは、環境破壊。経済成長のためには環境破壊もしょうがないという理屈になる。でも、人間は動物だから、環境破壊をやったら終わりなんですよ。核兵器と環境破壊によって、人類は滅びる運命にある。このまま拡大経済を神として崇めていったら、終わりです。いや、すでに終わっていて、だから、バカなことを言う指導者が、各国で出てきているんでしょう。バカの行く末は大変ですよ。必ず、悲劇になります。恐ろしい時代になったものだと思います。  

 ――そんな中、中村さんの反原発の朗読劇「線量計が鳴る」が評判ですね。国民にも「このままでは行き詰まる」という悲劇の予感があるような気がします。

 凄いですよ、4月いっぱいまで公演が詰まっています。4月末までに70回くらい上演できるのではないですか。今まで反原発の市民グループが集会をやっても全然、人が集まらなかったのにね。

 ■政治家の9割は選挙活動が就職活動
 ――国民のひとりとしては政治の無力を感じる一方で、中村さんのような表現者の方が世の中を変える力があるように思います。情けない野党よりも芸術家の時代じゃないですか?

 政治が頑張らなければダメなんだけど、そう思って政界に飛び込んでみたらとんでもない世界だったのは事実です。みんな就職のために議員になるんだな。票になるなら何党でも構わない、次に当選できるのであればどこでもいい。そんな議員が9割ですよ。≫だから、僕が政治の話をしようとするとみんな嫌がるんだな。原発の危うさは分かっていても、票にならないから反対しない。そんな議員ばっかりですよ、与党も野党も。  

 ――ますます、中村さんには頑張ってほしいのですが、それにしても、中村さんはお元気ですね。健康法とかありますか?

 一番嫌いなのは努力。努力するとロクなことにならない。朝起きてマラソン始めたら心臓マヒ起こしたりね。目先のことでビクビク、くよくよせずに、時間を長くゆったり生きる。あまり過激な努力をしないことです。みなさん、自分を査定して、高く見積もりすぎる傾向があると思いますよ。そりゃ、そこそこ成功している人はいるだろうが、そんなに変わらないでしょう。金に汚いかどうかの違いだけです。私は動物の一匹として生まれてしまった。死にゆく運命です。生を受けたことは、そんな幸せな贈り物ではないが、当たってしまったわけだから、ゆったりと楽しめるものは楽しむ。死後の心配する人がいるけど、「あんたどっから来たんだ」ってね。人間の存在なんて暫定的な存在だと思う。いろんなこと分からなくていいんですよ。全部分かってうまくやろうという貧乏根性を捨てること。そうすれば、人生、別のことが見えてくると思います。  (聞き手=寺田俊治/日刊ゲンダイ)

 ▽なかむら・あつお 
1940年2月生まれ。東京外大インドネシア語科を中退し、俳優座へ。テレビ時代劇「木枯し紋次郎」が大ヒットし、人気俳優に。その後、司会者、キャスターなどを経て、参院議員。「ジャカルタの目」など小説家としても活躍した。2017年から反原発の一人朗読劇「線量計が鳴る」を全国公演中。上演回数は50回を超えた。菅官房長官(?)をパロディーにして、独立国家とは言えない日本の改憲を笑い飛ばした新作喜劇「流行性官房長官―憲法に関する特別談話」(KADOKAWA「憲法についていま私が考えること」に収録)も評判だ。 「日本は民主主義国家でも独立国家でもないのに、間違った前提で議論が進んでいることを描く不条理演劇です」
 ≫(日刊ゲンダイ)


まず需要な点は、資本主義の変貌だ。

モノづくりの製造業から、金融資本主義経済に移行し、グローバル化することで、国家の権力が薄れ、代りに金融資本が牛耳るグローバル企業群が抬頭している。

つまり、国家対グローバル企業群の闘いが深く静かに潜航して、激しい権力闘争をしている。

国家と金融資本(グローバル企業群)の、最大の差異は、再配分機能があるかないかということだ。

また、マネーには善悪の感情がないが、国家には、善悪を観念的にでも保持する存在と云うことだ。

しかし、平成に入ってから、金融資本グローバル企業も、中国という最大のフロンティアを失い、草刈り場を失い、結局、投機的投資以外に、これと云った大きな開拓地域を失いつつある。

まぁ、何とかASEANなどにフロンティア地域を担わせようと必死なのだが、購買力のない市場には、爆発的エネルギーを期待することは出来ない。

そういう意味で、中東もアフリカも金融資本達が望むようなエネルギーを望むことは出来ない。

つまり、金融資本グローバル企業も、喰うべきものを失いつつあるのが現状だ。

ゆえに、日本程度の国の4千兆円市場を開放させて、一時凌ぎをするに至っている。この辺は、東大農学部教授鈴木先生のブログが参考になるだろう。

https://www.jacom.or.jp/column/cat647/

このような流れで、最近では、世界各国で反グローバリズムが抬頭してきている。国家の反撃だ。

しかし、この反撃が“妙ちきりん”だ。

どう贔屓目にみても、金融資本グローバル企業と同居するナショナリズムを目指すと云うのだから、相当にご都合主義なのだ。

金融資本主義を成長させれば、グローバリズムになるわけで、国家と云う概念を消し去る力なのだから、今さら、半分、元に戻すと言っても自己矛盾が見えてくる。

正直、ここまで来たのだから、潔く、資本主義から脱却しない限り、グローバリズムはとめられない。

止まらなくなった金融資本は、どん詰まり状態の中で、望むのが戦争経済だ。

経済論理から考えると、まもなく戦争による破壊と再構築と云うジレンマに陥るに相違ない。

諸行無常だからといって、変るのが、焼け野原は、正直困る。

それを避けたければ、金融資本主義のループから抜け出すことだ。

そのためには、単独で意思決定する能力を備える必要がある。

具体的に言えば、日米安保からの脱却だ。

このような安保体制にある限り、日本には意思決定能力がないと断言出来る。

脱却する条件は、我々の日本と云う国のあり方が決定されなければならない。

ビジョンなき行動は自死を招くわけで、ビジョンがあり、それに向かう国民の強い意志力が試される。

それでは、そのビジョンとは、どういうものか、これは中々難題だ。

個人的に、ビジョンらしきものは感覚的にあるが、いま、話せる段階に、この国は位置していない。

ビジョンを話す前に、猪突猛進な暴挙が起きないことを祈っておこう。

 ≪……仏教では貪欲というものが、人間社会の中で最悪のものだという考え方があります。ところが、経済成長主義というのは貪欲を奨励するわけです。つまり、貪欲でいろんなものが動く。貪欲が前提です。人間の欲望は限りないから、永遠に成長する。それが経済至上主義です。でも、欲望は限りなくても物事は有限ですからね。資源も環境も有限なんです。≫

上述の中村氏のこの言葉が、ぐさりと胸に刺さるのだが、竹中や菅の胸には響かない。安倍の耳には聞こえさえしない。まさに、馬の耳に念仏だよ。

*以下、毎日の記事は参考掲載のみとします。


≪喜劇で描く「9条改憲は滑稽」 中村敦夫さん
 ■新作「流行性官房長官」
 俳優、作家、脚本家など多くの肩書を持つ中村敦夫さん(78)が新作喜劇の台本を発表した。題名は「流行性官房長官-憲法に関する特別談話-」。首相の懐刀とも女房役とも言われる官房長官が主人公だ。改憲を目指す安倍晋三政権を思い起こさせるタイトルだが、9条改憲がいかに滑稽(こっけい)か、劇場で立体的に示すのが狙いという。【沢田石洋史】

 舞台は東京・永田町ではなく、なぜか東京湾の倉庫街。地下3階に設定された記者会見場には、ギターを抱えた歌手が椅子に座り、一筋のライトを浴びている。歌手が「長官のテーマ」を奏でる中、分厚いノートを小脇に抱えた官房長官が登場し、記者たちを前に口を開く。この官房長官、方言で自分のことを「わだし」と言い、「~でガス」と話す語尾に特徴がある。劇中、実在する政治家の名前は出てこない。

 <これより、官房長官として、超特別記者会見を始めるでガス。定例会見とは異なり、官邸から遠く離れた東京湾、(中略)極秘の談話室で展開する重大発表でガス。一年に、二度はあっても三度なしという……ハアハアー、ハクション!>

 流行性感冒(インフルエンザ)にひっかけた「流行性官房長官」は、今秋発売された本「憲法についていま私が考えること」(日本ペンクラブ編、角川書店)に収められている。作家、評論家、詩人ら44人が寄稿した。その多くは評論やエッセーだが、中村さんはなぜ喜劇を書いたのか。

 「安倍さんの目指す改憲にリアリティーがないからです。自衛隊を憲法に書き込まないと『かわいそうだ』との趣旨の発言をしていますが、それならば領海を守る海上保安庁や、国内治安にあたる警察や消防も憲法に明記されていないから、かわいそうだ。日本の防衛問題を考える上で、本質的な議論が行われていない。この滑稽さを浮き彫りにするには、喜劇が最もふさわしいと考えました」

 官房長官は、政権に忖度(そんたく)する記者だけを集めて会見し、「ポンちゃん」のあだ名を持つ首相が、なぜ改憲を目指しているかをレクチャーする。

 <さて、本日のテーマは、日本国憲法でガス(ギターがジャジャジャーン)。久しぶりに超でっかい話になる。私個人は正直言って、この問題はややこしくて嫌いでガス。いくら議論したって、落としどころがないからでガス。それなのに、ポンちゃんが「改正! 改正!」って叫ぶもんだから、とんでもない騒ぎになっちまったんでガス>

 この官房長官、一種の「護憲派」なのか、改憲の必要は全くないと説明する。なぜなら、改憲の目的が既に達成されているとの主張を持っているからだ。日米安保条約の違憲性が争われた「砂川事件」の最高裁判決(1959年)を引き合いに出す。

 <その理由は、「条約のように高度の政治性をもつものは、裁判所の違憲立法審査権には原則としてなじまず、内閣と国会の判断にゆだねるべき」ってことだった。君ら、ここは重大だ。この瞬間に、日本の司法界は、強大な権限を自ら投げ捨てたんだからな>

 なぜ最高裁が「三権分立」の原則を崩したのか。官房長官は「判検交流」制度について解説する。裁判官が法務省に出向し、行政訴訟で国側の代理人を務めることによって、行政と裁判所の間で癒着が生じるというものだ。正気と狂気を併せ持つ官房長官。<三権分立は空中分解し、裁判所も検察も内閣の言いなりになった。大日本帝国、万歳! 君らもやれ! 万歳!>と声を張り上げると、ギターを持った歌手が続けて言う。

 <あーあー驚いた、あーあー知らなんだ、危ねえぞこれ、どうすんだこれ!>  官房長官と歌手の掛け合いで約25分の芝居が進行する。

■永田町での日々 喜劇そのもの
 72年にテレビで始まった時代劇「木枯し紋次郎」でブレークした中村さん。スターの座をなげうって、98年から6年間、参院議員を務めた。永田町での日々は喜劇そのものだったと振り返る。例えば、在職時に著した本「国会物語 たったひとりの正規軍」に、こんなエピソードが載っている。当選後初めて参院本会議場に入り、議長を選ぶ際、中村さんが議員バッジを「権威主義のシンボル」とみなして胸につけなかった場面だ。

 <私が(採決用の)投票箱に近づいた時、にわかに会場が騒がしくなった。中央の自民党席が私を指差して大声で野次(やじ)っている。よく聞いてみると、「バッジをつけろ!」「つけねえ奴(やつ)は出てゆけ!」「気取ってんじゃねえ!」。中には、興奮して歯をむき出し、顔を真っ赤にしている者もいる。私は一瞬、自分が猿の惑星に舞い降りたのではないかと錯覚した(一部略、以下同)>

 同じく98年に、閣僚が本会議場のひな壇に並んだ時の感想はこうだ。個性的な顔が多い内閣だった。
 <まるで妖怪漫画の雰囲気である。もし、国民が私たち議員席に座り、『これが国難に対処する内閣メンバーです』と紹介されたら、我を忘れて外へ逃げ出すのではないかと思った>

■国会は世襲議員の特殊な世界
 今の国会、内閣をどうご覧になってますか?
 「1998年と2018年、全く変わりませんね。世襲議員が多い特殊な世界です。国会議員にはある程度の知的レベルが必要ですが、持ち合わせていない人が多い。小選挙区制度の弊害ですね。野党が弱いと、与党の候補はみんな当選してしまう」

 無駄な公共事業や権力の腐敗を追及し、「政界の一匹オオカミ」と呼ばれた中村さん。当時、「三つの旗」を掲げていた。環境主義、行政改革、憲法9条にのっとった平和外交だ。なぜ、9条なのか聞くと、俳優座時代の米ハワイ大留学(65年)にさかのぼるという。

 「私は戦中を知る最後の世代ですが、大学時代は60年の安保闘争にも無関心なノンポリでした。しかし、ハワイ大には肌の色や文化の異なる人が一堂に集まり、島国の日本しか知らなかった私は度肝を抜かれた。『あなたはどう思う?』と自分の意見を表明することが求められる。自分自身の国際化が進み、日本のことを考えました。日本国憲法には民主主義、基本的人権の尊重といったアメリカ合衆国の価値観が色濃く反映されている。『アメリカ的』がいいなと思いました」

 しかし、米国がベトナム戦争に突入すると、米国的価値観を単純に支持できなくなった。

 「正義のための戦争ではなく、経済政策としての戦争という側面がありました。ならば、どんな価値観を持てば、戦争をしない国になれるのか。その答えが、9条を『語る』ことではなく、『実現する』ことにありました」

■まずアメリカからの独立を
 再び劇中。官房長官は「外交政策の転換」の必要性を説く。

 <米兵に少女が暴行されても、逮捕、裁判もままならない。わが政府ができるのは、ポーズだけの抗議の繰り返しだ。こうした治外法権の網が広く日本にかけられ、愛国主義者であるわだしは、正直気分が悪い>

 防衛問題を考える上での基本がここにあるという。

 「日本は戦後、自信を喪失したまま、アメリカの属国であり続けています。だから、安倍さんは、米大統領選でトランプ氏が当選を決めると、いち早く駆けつけた。まだ現職だったオバマ氏に対して失礼な行為であり、外交儀礼に反する。奴隷根性であり、非常にみっともない。自衛隊を憲法に書き加える前に、まずアメリカからの独立を果たすべきです。日米安保条約と日米地位協定の運用が、憲法の上位に立っている現状を変えなければいけない」。地位協定は在日米軍の法的地位などを定めたもので、米軍人が事件を起こしても裁判権は米側にある。60年に発効してから一度も改定されていない。

 その安倍内閣。森友・加計両学園問題に加えて閣僚の問題発言が相次いでも、高い支持率を誇っている。中村さんの分析はこうだ。

 「資本主義国は安い労働力を途上国に求めてきた歴史があります。しかし、それらの国が経済的に発展すると、労働力不足に陥る。だから、国内の中産階級を崩して格差社会にし、安い労働力を生み出す。これが、バブル崩壊後、日本がたどってきた道です。格差に不満を持つ人たちは、外敵を作り、ナショナリズムに救いを求める。彼らが『美しい国』を唱える安倍さんを支える構図で、世界各国で同じような状況が生まれています」

 新作喜劇の終盤、官房長官は狂気に陥り、支離滅裂になる。
 <我々に必要なものは、日本の文化、国情、気質、体質に合った古き良き国家を取り戻すことでガス。まずは教育改革。すべての幼稚園で教育勅語を教える。登校時、校門前での君が代斉唱を義務付ける。大日本帝国万歳! 君らもやれ! 万歳!>  なお、劇中の「ポンちゃん」は「アンポンタン」に由来しているという。
________________________________________

なかむら・あつお
1940年、東京都生まれ。東京外国語大中退。63年、俳優座入団。72年、テレビ時代劇「木枯し紋次郎」の主役に抜てきされトップスターに。83年、小説「チェンマイの首」を発表し、ベストセラー。84年、情報番組「地球発22時」のキャスターに。98年、参院議員に初当選。2007~09年、同志社大大学院で環境社会学を講義。16年、自ら台本を書いた反原発朗読劇「線量計が鳴る」の全国公演を始める。25日の横浜公演で50回目。来年4月まで公演日程が埋まっている。この台本と戯曲をもう1本収めた「朗読劇 線量計が鳴る」(而立書房)を10月に刊行。
 ≫(毎日新聞)


欲望の民主主義 分断を越える哲学 (幻冬舎新書)
クリエーター情報なし
幻冬舎

 

操られる民主主義: デジタル・テクノロジーはいかにして社会を破壊するか
クリエーター情報なし
草思社

 

民主主義の死に方:二極化する政治が招く独裁への道
クリエーター情報なし
新潮社
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

よろしくお願い

https://blogimg.goo.ne.jp/img/static/admin/top/bnr_blogmura_w108.gif