世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

●沖縄県民投票率52%反対7割超え NHKは1/4で印象操作

2019年02月25日 | 日記

 

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●沖縄県民投票率52%反対7割超え NHKは1/4で印象操作


見事な沖縄県民の勝利である。

日本に民主主義が生き残っている地域の代表権としての、面目や躍如と云うことだ。

安倍のNHKは、“有権者の1/4が反対”と云う見出しで、あきらかな印象操作に手を染めていた。

沖縄の人々は、NHKの受信拒否を堂々と主張する資格がある。まさに、腐れきったNHKを、解体に追い込む手立てはないものだろうか。

それにしても、沖縄の人々の公正公平の民主主義的思考経路には感服する。

戦後、最も遅れて米国の占領から独立した沖縄県が、民主主義や憲法の精神を、一番理解していると云う状況を、日本人は考えるべきである。

いや、民主主義に遅れて参加したことで、民主主義が色あせていないともいえる。

筆者の感覚では、日本人のもっとも優れた感性は、「恥の文化」だと理解してきた。

今の日本本土や、自由主義陣営の、自由と民主主義を標榜する国々こそ、この「恥」に対する文化が希薄になっている。

イスラム教や仏教儒教、そして武士の世界にあった、良くも悪くも「恥の文化」が、あまりにも消え失せているのが、今の世界の趨勢だ。

多くの日本人や共同体も、この「恥の文化」を忘れ過ぎたきらいがある。

無論、この「恥」は、悪意に利用されると、宗教的狂信を誘うものなので、注意が必要だ。

「正義」を貫く場合、理念を貫く場合、政策を打つ場合、事業を継続する場合、社会福祉を考える場合、世間と自分との間にある損得の程合い、そのようなものの間に、「恥」の観念が存在する。

「恥」は目に見えるものではなく、それぞれの人々の心に内在するものだから、成文化出来ない“心の法理”であり、それぞれの人々は、この“心の法理”に準じて思考し行動する。

無論、思考することなく行動する人もいる。行動しながら思考する人もいる。思考してから行動する人もいる。思考もしない行動もしない人もいる。

 人それぞれとは言うものの、行動原理に、一定の法則がない社会共同体は、どこに行くのか判らず、あまりに不安定だ。 :ゆえに、本来不必要だが、憲法や法律や条例が出来てゆく。

しかし、そのような外形的抑制を、人間や政治権力に与えても、その抑制は投網のようなもので、小さな網の目を見つけて、悪意に動く人々が後を絶たない。

世界の民主主義、アメリカ、イギリス、日本の民主主義にも、多くの網の目があり、まさに今、その網の目を潜り抜けた人々や政治権力や経済共同体が、民主主義を壊している。

ただ、このような現象は、民主主義であるとか、自由主義経済においては、飽和と同時に起きてしまうものであり、彼らを悪と決めつけるよりも、宿痾的なものと受けとめる方が正しいだろう。

おそらく、沖縄県は、民主主義な社会になった歴史が若いのが原因の一つだになるだろう。

現実に、米国占領時代が終わったと云う実感を持てない程、米軍の沖縄県におけるプレゼンスが、依然大きいことも、原因の一つだ。

琉球併合と云う歴史的事実も、沖縄県民の本土に対する疑念を常に持たせているもの原因の一つだ。

第二次大戦の敗戦期において、沖縄を本土決戦の時間稼ぎに利用した歴史的事実がある。

≪沖縄守備軍(第32軍)の任務は、南西諸島を本土として守りぬくことではなく、出血消耗によって米軍を沖縄に釘付けし、国体護持・本土決戦に備えることでありました。≫【沖縄県HPより】

この沖縄戦は、沖縄県民の4人にひとりが死亡する戦いであり、県民全員が、日本軍に強制的に協力させられた歴史でもある。これも、民主主義を強く意識する原因になっているだろう。(この辺の事情は、朝日の事実を伝える記事があったので、同時掲載しておく。

いずれにしても、法的拘束力があろうとなかろうと、これが沖縄県の民意である。

やばいと思った安倍官邸は、今週にも、玉城知事と安倍首相が面会するらしい。

NHKニュースはあいかわらず、この選挙に法的拘束力はないと伝える。

そして、普天間の危険除去だと念仏を唱える。

しかし、日米地位協定に基づき、米軍は普天間基地を返還するとは言っていない。

つまり、法的に普天間基地を米軍が返還する法的拘束力はないが…も伝えるべきである。

辺野古新基地の軟弱地盤の工事も、自然保護の手当も、日本政府に、かくたる自信があって行っているものではない。

”やり出したらヤメラレナイ”、日本人の性癖の中で、グタグタと言い訳や網の目をかいくぐり、姑息に強権を発動するばかりである。

日本政府が、自民でも、他の野党でも、同様に、米CIAの暴力や陰湿な工作に怖れるのなら、沖縄の、最後の手段が独立であることは言うまでもない。


≪玉城知事「政府は民意受け止め、工事中止を」対話求める
 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設計画をめぐり、名護市辺野古沿岸部の埋め立ての是非を問う県民投票が24日、投開票され、「反対」が72・15%の43万4273票だった。玉城デニー氏が昨年9月の知事選で得た過去最多の39万6632票を超えた。「埋め立て反対」の県民の強い民意が示され、移設工事を強行してきた安倍政権の対応が問われることになる。投票率は焦点だった50%を超え52・48%だった。

 玉城氏は25日未明、記者団に「政府は、辺野古の埋め立てを決して認めないという断固たる民意を真正面から受け止め、『辺野古が唯一』という方針を見直し、工事を中止するとともに、普天間飛行場の一日も早い閉鎖・返還に向け、県との対話に応じるよう、強く求める」と述べた。  「反対」は全41市町村で最多だった。「賛成」は19・10%、「どちらでもない」が8・75%だった。

 沖縄県民がワンイシュー(一つの論点)で「辺野古ノー」の民意を示したのは初めて。結果に法的拘束力はないが、反対票が投票資格者総数(115万3591人)の4分の1(28万8398票)を超えたことから、県民投票条例の規定により、玉城氏は安倍晋三首相とトランプ米大統領に結果を通知する。

 県民投票は「賛成」「反対」「どちらでもない」の3択で、一つを選んで投票用紙の欄に「○(まる)」を書き入れる方式で実施された。

 玉城氏は、今回の結果を後ろ盾として、辺野古移設を強行する安倍政権に工事中止を迫る考え。3月1日に首相官邸と米大使館を訪れ、結果を伝える予定にしている。

 沖縄では2014年の知事選で、辺野古移設反対を訴えた翁長雄志氏が当選。だが、安倍政権は移設工事を推し進めた。これに対し、若者らが署名を集めて直接請求。玉城氏の知事選当選後に、県議会で条例が成立して県民投票が実現した。都道府県単位の住民投票は、米軍基地の整理・縮小と日米地位協定の見直しをテーマにした1996年の沖縄県民投票以来23年ぶりとなった。

 政府は県民投票の結果を受けても、移設工事を中断する考えはない。菅義偉官房長官は記者会見で「問題の原点は普天間飛行場の危険除去と返還だ。粘り強く工事を進めていくという考えに変わりはない」と明言している。

 県知事選に続き、「民意無視」の批判を受けるのは確実で、衆院補選や参院選で続く審判への影響は必至だ。埋め立て区域で、軟弱地盤の改良が必要となった工事も長期化する見通し。政府が辺野古移設の「原点」とする普天間飛行場の返還時期も見通せない。 本土に住む人、考える番  世論調査に答えたものでも、街頭でアンケートに答えたものでもない。18歳以上の沖縄県民一人ひとりが投票所に足を運んで一票を投じたのが、今回の結果だ。

 1996年の県民投票は「米軍基地の整理・縮小と日米地位協定の見直し」がテーマで、賛成が89%を占め、有権者の過半数に達した。この時は前年に少女暴行事件があった。賛成票を投じやすいテーマでもあった。

 今回は、安倍政権が辺野古の海に土砂を投入し続ける中での県民投票だ。「工事は止まらないかもしれない」。多くの県民はそう考えながらも「意思表示をしなければ」と動いた。

 米軍普天間飛行場から辺野古までの直線距離は40キロ程度。辺野古に移っても、米軍機は沖縄の上空をこれまでと変わらず飛び回るうえ、子や孫の代まで使われると、沖縄の人たちは肌感覚でわかっている。

 だからこそ、23年ぶりの県民投票を、沖縄の歴史に残る重要な機会と受け止め、将来への責任を背負いながら「反対」に投票した人が多かったと思われる。「将来、子どもたちに『県民投票の時にお父さん、お母さんはどうしたの?』と聞かれたら、堂々と答えられるようにしたい」。取材で何度か聞いた言葉だ。

 県民投票実現に向けた署名集めから条例制定と改正、そして投票。沖縄は行動することによって、重い民意を示した。今度は、本土に住む人たちが、この歴史的な結果を受け止め、自分たちに何ができるか考える番だ。(那覇総局長・伊東聖)
 ≫(朝日新聞デジタル)


≪沖縄県民投票 「反対」が有権者の4分の1超
沖縄のアメリカ軍普天間基地の移設計画に伴う名護市辺野古沖の埋め立てへの賛否を問う県民投票は24日に投票が行われ、「反対」の票が多数となり、条例で知事が結果を尊重し、総理大臣とアメリカの大統領に通知することになっている有権者の4分の1を超えました。これを受け、沖縄県の玉城知事は日米両政府に移設計画を断念するよう働きかけを強める方針ですが、県民投票の結果に法的な拘束力はなく、政府は引き続き移設工事を進める方針です。

普天間基地の移設計画に伴う名護市辺野古沖の埋め立てへの賛否を問う県民投票は「反対」の票が多数となり、条例で知事が結果を尊重し、総理大臣とアメリカ大統領に通知することになっている有権者の4分の1にあたる、およそ28万8000票を超えました。

これを受けて、名護市辺野古への移設阻止を掲げる沖縄県の玉城知事は埋め立てに反対する県民の意思が明確に示されたとして、日米両政府に移設計画を断念するよう働きかけを強めるとともに、移設阻止に向けてあらゆる手段を講じていく方針です。

ただ県民投票の結果に法的な拘束力はなく、政府は普天間基地の早期返還を実現するために、引き続き移設工事を進める方針で、政府と沖縄県の対立が一層深まることも予想されます。

今回の県民投票で「反対」への投票を呼びかけた「県民投票連絡会」の共同代表の呉屋守將さんは「反対」の票が有権者の4分の1を超えたことについて「普天間基地の返還合意から23年という長い月日を、県民は本土の皆さんとともによくここまで闘ってきたと思う。基地の押しつけによって長年分断されてきたことに終止符を打ちたいという県民の意思の表れで、安倍政権には一日も早く埋め立て工事をやめていただきたい」と話しています。

県民投票の実施を求めて署名活動を行った「辺野古県民投票の会」の元山仁士郎代表は「結果を素直に喜びたい。今回の県民投票で『初めて基地について話した』、『投票所に足を運んだ』という話を聞いた。沖縄の民主主義が大きく発展する一歩になったと思う」と話していました。
 ≫(NHKニュース)


 ≪沖縄戦とは何か、深く知るためのQ&A
 沖縄はきょう、72年目の「慰霊の日」を迎えました。沖縄戦による日米両軍と民間人らを合わせた死者は約20万人。この日に組織的戦闘が終結したとされ、沖縄県民の4人に1人が亡くなったとも言われます。現地で何があったのか、知っていますか。(朝日新聞が発行する中高生向けの教育特集「知る沖縄戦」から引用したQ&Aです)

Q1、なぜ沖縄が戦場になったの?
 
みんなのお父さんやお母さんが生まれるずっと前、日本は米国やイギリスと戦争をしたんだ。太平洋戦争だ。太平洋の島々を奪った米国は、次に沖縄を占領して日本本土を攻めるための基地、つまり前進基地(ぜんしんきち)として使おうと考えた。これに対し日本は、日本本土に攻め込まれたら困ると考えて、沖縄になるべく米軍をひきとめて時間をかせぐ「持久戦(じきゅうせん)」の作戦をたてた。

Q2、「沖縄戦」ってどういうものなの?
 
沖縄で最初の大きな被害は1944年10月の「10・10空襲(くうしゅう)」だ。死者は軍人と民間人あわせて668人とされる。45年になって、航空機で軍艦(ぐんかん)に体当たりする日本軍の「特攻(とっこう)」攻撃も始まった。特攻による死者は数カ月間に約2500人ともいわれている。
 米軍は45年3月末、空襲や海上の軍艦からの砲撃につづき、慶良間(けらま)諸島に上陸。4月1日には沖縄本島中部の西海岸に上陸した。このころから約3カ月にわたる戦いを一般に、沖縄戦と呼んでいる。
 沖縄本島の上陸地から本島北部にかけては約2週間で、米軍に占領された。日本軍がおもに待ち構えていた本島中部では、約40日間にわたって激しい戦いがあった。しかし、追い詰められて、首里(しゅり)城地下にあった司令部を捨て、日本軍は本島南部へしりぞく。大きな戦いはその後約1カ月間続いた。

Q3、住民は巻き込まれなかったの?  

戦争はふつう、軍隊と軍隊、軍人と軍人が戦うものだが、沖縄戦は、10代前半の子どもも含む住民が、足りない軍人の代わりや手伝いをさせられたりした。軍人も、武器をもたない住民も、まぜこぜになったまま地上戦がつづいた。日本軍が南部に追い詰められてからは特に、米軍の無差別な攻撃に、軍人も、住民も次々と命を奪われていったんだ。こうしたことで、沖縄戦では、軍人よりも住民の命が多く失われたといわれる。かつて日本が統治していたサイパンやテニアン、サハリン、満州などでも地上戦があったけど、いまの日本で、そんな体験をしたのは沖縄だけだ。
 沖縄戦の教訓(きょうくん)として「軍隊は住民を守らなかった」と語りつがれている。日本兵に命を助けられた人はもちろんいる。でも、日本兵に命を脅かされたり、スパイとみなされ、実際に命を奪われたりした人たちがたくさんいる。

Q4、地上戦ってなに?  

太平洋戦争の間、日本本土では、飛行機から爆弾を落とされる空襲で大変な思いをした人がたくさんいる。一方、沖縄には米軍が上陸し、住民が暮らしていた場所で、米軍と日本軍が戦った。空からの攻撃にくわえ、陸からは銃(じゅう)や大砲(たいほう)、火炎放射器(かえんほうしゃき)で襲われ、海からは艦砲射撃(かんぽうしゃげき)で狙われた。爆弾が大嵐のように降り注いだことから「鉄の暴風」とも言われる。米軍は「ありったけの地獄をあつめた」戦場とよんだんだ。
 地下に日本軍の司令部があった首里城も跡形もなくなった。地形も変わってしまったくらいなんだ。とくに多くの住民が犠牲になった沖縄本島南部の喜屋武(きゃん)半島では、1カ月間に約680万発、住民1人あたり50発ほどが撃ち込まれたともいわれているよ。

Q5、どれくらいの人が戦ったの  

米軍はおよそ55万人、日本軍はおよそ10万人。武器の量や性能をあわせた戦力の差は米国が日本の10倍以上だったそうだ。そのうえ日本軍の10万人のうち、2万数千人は、沖縄にいる一定の年齢の男子を急きょ兵隊として集めてつくられた「防衛隊(ぼうえいたい)」や「義勇隊(ぎゆうたい)」、いまの中学生や高校生くらいの生徒たちでつくる「学徒隊(がくとたい)」だったんだ。
 防衛隊の年齢は17歳から45歳というけれど、実際にはもっと幼い子どもや高齢の人もいたといわれる。軍隊の訓練も受けず、武器もないまま戦いに参加させられることもあった。学徒隊では「ひめゆり学徒隊」や「鉄血勤皇隊(てっけつきんのうたい)」が代表例だ。

Q6、いったい何人が亡くなったの?  

米国側は1万2520人。日本側はその15倍、18万8136人が亡くなったとみられている。このうち沖縄県出身以外の日本兵は6万5908人。沖縄県出身の軍人・軍属(ぐんぞく)(正規の軍人、防衛隊や学徒隊など)は2万8228人。一般の住民は9万4千人。沖縄県民全体では12万2千人以上、県民の4人に1人が亡くなったといわれている。
 ただ、いずれも推計した数字だ。戸籍も焼けてしまって、亡くなった人の数ははっきりわかっていない。家族全員が死んでしまった家もたくさんある。名前もわからなくて戦没者の名前を刻んだ「平和の礎(いしじ)」に、○○さんの「長男」とだけ彫られている人さえいる。子どもだった人のなかには、両親が亡くなって自分の生年月日も、名前さえわからない人もいるんだよ。
 米軍の砲弾や銃弾を受けただけでなく、自ら命を絶つ「自決(じけつ)」で亡くなった人や、餓死や栄養失調、マラリアで死亡した人もたくさんいる。沖縄から疎開(そかい)(避難(ひなん))したのに亡くなった人もいる。沖縄戦前年の1944年8月、九州へ向かっていた船「対馬丸」が米軍に攻撃されて、多くの児童が海で溺れて亡くなったんだ。

Q7、自決って?  

自らのことを自分の意思で決めるという意味もあるけど、軍人が自ら命を絶つ、つまり自殺することを「自決」といったんだ。当時の日本軍には「戦陣訓(せんじんくん)」という教えがあって、「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかし)めを受けず」、つまり捕虜(ほりょ)になるくらいなら死を選べ、という考えが大切にされていた。沖縄の日本軍のトップ、牛島満(うしじまみつる)司令官は、本島南部においつめられて「自決」している。大けがを負って洞窟内に寝かされたたくさんの軍人に、毒が入った飲み物が配られて死に追いやられたことを「集団自決」ということもある。
 一方で、住民の「集団自決」もあった。米軍の激しい攻撃が続くなかで、家族や近所の人たちが壕の中や森でまとまって命を絶つといったことが、慶良間諸島や伊江(いえ)島、沖縄本島各地で起きたんだ。
「集団死」と呼ばれることもある。日本軍は、住民も、役所も、兵士と同じように命をかけて国を守れという「軍官民共生共死(ぐんかんみんきょうせいきょうし)」という指導方針をとって、住民が米軍に投降(とうこう)することもゆるさなかった。そうしたことが背景にあったんだ。

Q8、歴史教科書で問題になったの?  

住民の「集団自決」については高校の歴史教科書を更新するときに、文部科学省と教科書をつくっている会社とのやりとりで「日本軍が強制した」という記述が削除されたことがある。それに対して「集団自決」を体験したり、体験を聞いたりしてきた沖縄県のたくさんの人たちが、大切な歴史を消さないで、と声をあげた。結果、「軍によって集団自決に追い込まれた住民も出た」「軍により、戦闘の妨げになるなどの理由で県民が集団自決を強いられたり」といった表現が復活して盛り込まれたんだ。
 削除された背景の一つとして、ノーベル文学賞作家の大江健三郎(おおえけんざぶろう)さんが書いた「沖縄ノート」という本をめぐる裁判があった。日本軍が「集団自決」を命じた、という本の記述について、当事者の元軍人らが命じていないと訴えたんだ。結果的には、最高裁判所が、個々の元軍人が直接命じたという証明はないと判断する一方で、「軍官民共生共死の一体化」の大方針の下で日本軍が深くかかわっていることは否定できないと結論を出した。全体として、日本軍の強制や命令とする見方もありえる、ともいっている。

Q9、沖縄戦はどうやって終わったの?  

日本軍のトップだった牛島司令官が自決したのは6月23日(22日説もある)でこの日をもって、日本軍という組織での戦いは終わった。このトップは自決の前に「最後迄(まで)敢闘(かんとう)し悠久(ゆうきゅう)の大義(たいぎ)に生くべし」と命令を出したと言われている。つまり、降伏するのではなく、死ぬまで戦いつづけろ、と。
 6月23日は、沖縄で「慰霊(いれい)の日」として休日になっている。ただ、実際はトップの自決も知らずに、おびえながら逃げたり、隠れたりしつづけていた人もたくさんいて、6月23日以降に亡くなった人も多い。久米島では8月にかけて、日本軍が住民を殺している。米軍が沖縄戦を終えた、と宣言したのは7月2日。沖縄など南西諸島の日本軍が全面降伏(ぜんめんこうふく)に調印したのは9月7日だ。

Q10、その後の沖縄はどうなったの?  

米軍は日本全体を占領(せんりょう)し、基地を各地につくった。1952年にサンフランシスコ講和条約(こうわじょうやく)が発効(はっこう)し、日本は独立したんだけど、沖縄は切り離され、72年の本土復帰まで米軍統治下におかれた。その間、日本各地の米軍基地はどんどん減らされたけど、沖縄ではあらたにつくられたり、広げられたりした。その結果、日本にある米軍専用の基地のほとんどが沖縄に集中している。
 一方、いまも地中には、沖縄戦で亡くなった何千もの人の骨が埋まったまま。撃ち込まれた爆弾で、たまたま爆発しなかった不発弾(ふはつだん)も約2千トンが地中に残っていて、戦後何十年もたってから爆発して亡くなった人もいる。
 不発弾が爆発する。遺骨(いこつ)も墓におさめられない。米軍基地もたくさんある。「まだ戦(いくさ)は終わっていない」という人が多い理由はこうしたことにあるんだ。トラウマといって、何十年たっても、米軍機をみたり、戦争のニュースを聞いたりすると怖い体験を思い出して眠れなくなったり、気分が落ち込んでしまったりする人もいる。    
  ◇  
より深く知りたい方は、朝日新聞教育特集「知る沖縄戦」で。ご希望のみなさまに、10月末まで無料でお配りしています。問い合わせは朝日新聞コミュニケーションセンター(06・6222・2000)へ。(木村司)
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