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●「安倍の長い夜」 雨天決行!“安倍やめろ” もろもろデモ参加
戦争法案廃案、安倍政権退陣等々を主張するデモが、多くの主催者によって行われる。色々あるので、どれに出るも、勝手だが、議事堂周辺に行ってしまえば、その人の流れの中に身を委ねることにする。だから、どこの主催のデモグループにいるかなんて、判らないし、判らなくても良い。早いグループは13時から集合するらしいので、13時から17時くらいの間、議事堂を遠巻きに囲む形、存在しているだけで充分、官邸への威圧にはなる。
それでも、安倍は強行する。それでもいいのだ。その時の国民の絶対的反対を押し切り、アメリカの言いなりになった「日本」には、安倍の隷米姿勢に、多くの人が反対の意を示した。その証拠が残ることが、歴史的に重要だ。以下に、議事堂周辺のデモ企画の情報を張り付けておく。そして、アメリカケツ舐め国家となった、日本と云う国の国会にNOを突きつける行動の痕跡を残そう。様々な団体が10万人目指す。15万人も集まったら、警備も半分お手上げだろう。それでも、警備する積りなら、怪我人続出。警視庁の責任だな。ネトウヨも安保法案賛成でも500人くらいで頑張っていたが、街宣車先頭で同日同時刻、顔出す勇気があったら、優しく扱おう。くれぐれも、罵倒などしないように。
ビデオニュースは、ここ20年で、どうして此処まで、出鱈目がまかり通るデモクラシーが成立しているのか、時系列で検証していた。自分の人生日記のようなものと重ねながら視聴したが、中々良い番組だった。早起きしないといけないので、ここらで失礼。
≪ ロフトプラスワン20周年記念ライブ
見えてきた日本の難点の正体
■20年前の1995年、日本は大きな時代の転換点を迎えていた。
阪神・淡路大震災に始まったこの年は、地下鉄サリン事件とオウム真理教に対する警察の一斉捜査、村山談話、そして高速増殖炉もんじゅのナトリウム漏洩事故など、国の根幹を揺るがすような大きなニュースに明け暮れた。
この時、日本の何かが確実に壊れ始めていることを、われわれの多くが感じたはずだ。 その後日本は1997年の山一、拓銀の経営破たん、1999年のガイドライン法制(周辺事態法、盗聴法、国旗・国歌法など)から小泉改革と、もっぱら壊れる方向へと突き進んでいく。
そして今、安倍政権の下で、壊れた日本を象徴するかのように、憲法をも顧みない安保法案の審議が着々と進められている。そんな今だからこそ、われ われは時代の分岐点となった1995年当時にあらためて立ち返り、あの時掛け違えたボタンを、もう一度掛け直す作業が必要なのではないか。
■思えばこの20年、われわれはずいぶんとデタラメなことをやってきた。
2000年には病に倒れた小渕恵三首相の病室に5人の自民党幹部が押しかけ、意識不明の危篤状態にあった小渕氏がこれに「頷いた」との理由から、内々で後継首相に森喜朗氏を選出するという、クーデターまがいの信じがたい闇取引が、公然と行われた。
一方、それと同じ年にアメリカではゴア副大統領とブッシュ・テキサス州知事の間で争われた大統領選でも、最後に残ったフロリダ州の選挙結果が再集 計、再々集計と二転三転する中で、ブッシュ候補の実弟がフロリダの州知事を務めていたことから州の選挙管理委員会がブッシュ側に有利な裁定を下し、結果的 にブッシュ大統領が誕生するという、これもまた正当性に疑義のある大統領選出が行われてしまった。
2009年、日本では検察が突如として最大野党にして政権の座に就くことが確実視されていた民主党の小沢一郎代表に対する強制捜査に着手、小沢氏 を代表の座から引きずり下ろすという事件が起きた。しかも小沢氏にかけられた嫌疑は誰が見てもそれほと重大なものとは言えないものばかりだった。
これは一行政機関に過ぎない検察が、政権交代を目前に控えた時点で、首相就任が確実視されている野党党首に、さして重要とも思えない事件で強制捜 査を行うことで、政局や選挙に決定的な影響を与えるものだった。しかし、この検察の暴走とも思える行動についても、市民社会はそれほど重要視はしていない ようだった。
他にも例をあげれば枚挙にいとまがないが、どうも、日本でも世界でも、社会を回していく上での基本的なルールとして受け止められてきた民主主義そ のものが、危機的な状況に陥っているようだ。そして、民主主義と下支えする市民社会が正常に機能していなければ、社会が正常に回っていくわけがない。
問題はわれわれがこれまで「よかれ」と思って進めてきた様々な改革が、結果的に市民社会を弱体化させ、結果的に民主主義が正常に機能しないような社会をわれわれ自身の手で作ってきてしまったということではないだろうか。
一見、計算上はプラスに見えるような施策でも、それを実行した結果、社会の中の重要な機能が壊れれば、GDPなどの数字には出ない形で、社会は衰 退し劣化していくことになる。それは目に見えないものの場合が多いし、計測が難しい場合も多い。例えば、社会における治安の低下は、新たにセキュリティ対 策などが必要となることから、数字の上ではGDPを押し上げる効果を持つかもしれないが、実際にその中に暮らすわれわれの生活は確実に劣化し、精神的にも 荒廃していくことが避けられない。「治安が悪化したからセキュリティを強化する」のではなく、治安が悪化しないようにするために、われわれの社会にビルト インされている様々な機能をいかに維持し強化していくかを、優先して考えなければならないのではないかということだ。
■この20年、われわれは戦後の高度経済成長とバブル時代の栄光を忘れることができず、もっぱら経済のパイを大きくするために様々な改革を推し進めてきた。
社会を発展させていくためには、不断の改革は必要だろう。しかし、改革の名のものに時代遅れとなった古い制度や仕組みを捨てていく過程で、われわ れは故宇沢弘文教授が言うところの「コモンズ」(社会的共通資本)をも無自覚に流していってしまったのではないか。
今必要なことは、われわれにとってのコモンズとは何かを確認しながら、それを再構築したり、それに代わる機能を果たす仕組みを新たに作っていくことだろう。
今回、新宿ロフトプラスワンの開店20周年に合わせて行われたマル激トークライブでは、時代の分岐点としての1995年からここまでの20年を振 り返りながら、その間、日本が失ってきたコモンズとは何かを改めて考え直し、その再構築のために今われわれは何をしなければならないかなどを、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。 ≫(ビデオニュースドットコム)
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