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世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

●“中立国”になるのは至難だが 目指す価値と器量はある

2015年08月26日 | 日記
「昭和天皇実録」の謎を解く (文春新書)
クリエーター情報なし
文藝春秋


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●“中立国”になるのは大変だが 目指す価値と器量はある

常日頃、日本人の愚民度ばかり書いて嘆いている筆者だが、今までの政治的発言をする日本人とは、相当異なるポジションで、自分たちの、思い通りの言葉を発した行動には、正直、目から鱗な面がある。その意味で、少々、自己反省もしている。昨日は、個人的には銭ゲバに変身する朝だったが、今回は完璧な相場観で、空売りの手じまいが出来た。中国発なのか、アベノミクス発なのか、そんなことはどうでも好く、三度目の正直でカラ売りが、ついに当たった。これで、二度の空売り損金を取り戻し、倍以上の釣りが来たんだから、世界同時株安様々である。ゆえに、余裕があるせいか、自己反省も素直に出来る。現金な中年男だなと、つくづく思う(笑)。

明治以降のエスタブリッシュメントなど云う近視眼な妄執人の言葉など、彼らの思考には、入らない。そこが、口惜しいや、凄くイイ。常々、生活感覚だけで生きている、日本の大人たちの感性と同一視していたきらいがあったのは事実だ。ただ、筆者も、ボランティア的立場で、某国立大学の学生連中と話す機会があるのだが、理論的に納得できる話、Aと云う質問にAと答える大人。時には、判らないことは、判らない大人を演じているが、彼らには、寸借のない感情の発露がある。自己本位であっても、最低限の民主主義のルールと、平和の価値を理解している。そこまでは、感覚的に理解していたが、自分たちの言葉で、自分たちの気持ちを行動に移せるとは、流石に思っていなかった。

アメリカの時代が今後も続くのなら、その国の支配に唯唯諾諾でも構わないだろうが、平和を壊して、“Show the flag”立場を鮮明になんて生易しい話ではなく、当方の覇権主義の先兵になれ!って言われているのだから、「嫌だよ」と云うのは、自然人として普通だ。彼らは、社会的立場での発言に拘泥せずに済むポジションがあるからとも言えるが、現実に行動している事は、驚きとしか言いようがない。このNHK包囲デモなどにもマスメディアの報道もなされ、マスメディア自体が、矛先を変えつつある。「アメリカにNOと言える日本」なんて、白々しい慎太郎語録があったが、相棒のSONYは今や凋落のシンボルだ。

自己利益、大きく言えば、先々の国益を考慮すれば、アメリカ一国主義の限界は完全に見えているのだから、次なる世界への展望を含めてこそ、日本の国益であり、日本人の正常な立ち位置だと言えるだろう。その展望に先鞭をつけるべき言論人やマスメディアは、こぞって米国依存か、隷米主義者なのだから、アメリカとの距離を議論する情報は、ニッチな新書やネット社会でかろうじて息づいているだけだ。誰が考えても、首都東京の上空が、他国(アメリカ軍)の「横田管制」が空域を管理しているなんて冗談がある筈もない。この制空領域は議事堂も最高裁判所も官邸も入っているのだから、バッカジャないのか。

それでも飽き足らず、自国の国債を永遠に買い続けろ、売ったら殺すぞ!その上さらに、中国包囲網の先兵になれ。“Show the flag”だと脅され続けているのだから、ヘタレ国家、国民と言われても不思議なことではない。しかし、日本人は、かなり安倍晋三のお陰で、政治への無関心は、知らずに“場”行のバスに乗ってしまうことを、若い世代の人が感じてくれている事は心強い。何も、アメリカから離れて、中国にシッポを振ろうって話ではない。自分の国のことは、自分たちで考えて決めたい。極めて単純な正義だ。中国やBRICSの生き方、ASEANの人々の生き方、そう云うものに、もう少し目を向ければ、沖縄のことも理解出来るし、共感できる。今だけが生きていく時ではない。日本と云う国は、永遠に続くのだから。最後に、内田樹氏のコラムを引用しておく。


 ≪ 8月23日SEALDsKANSAI京都でのスピーチ
 8月23日(日)15:30から京都円山公園で開催されたSEALDs KANSAIの集会で「安全保障関連法案に反対する学者の会」を代表して連帯の挨拶を述べた。
 ふだんは即興でやるのだが、この日は少し長めの時間をもらったので、原稿を作っていった。それをだいたい頭に入れて話した。現場でした話と細かいところは違うけれど、だいたいこういう話。
 安全保障関連法案に反対する学者の会を代表して、ひとことご挨拶を申し上げます。
 この円山公園での「戦争法案に反対する若者の全国一斉行動」にお集まりくださったすべてのみなさんに学者の会を代表して、感謝と連帯の気持ちを表したいと思います。
 そして、この間、一貫して忍耐強い、手作りの反対運動を全国規模で展開し、現に行われている国会審議にも強い影響力を及ぼし、さらに国内だけでなく、海外メディアからも注目されるに至ったSEALDs の学生諸君の献身的な活動に対しても、心からの敬意を表したいと思います。
 みなさんのご努力のおかげで、安保法制に対する反対の運動は、国民的な規模の 「うねり」にまで高まりつつあります。
 僕が知る限り、過去にこれほど大きな規模の、国民的な政府への異議申し立ての運動が、いかなる既成の政治勢力や政治組織とも無関係に、自発的に、自分たち の手作りで、無名の学生たちがひとりひとりの個人的な発意に基づいて、文字通り「身銭を切って」創り出したことはありません。
 戦後70年をふりかえっても、このような運動のかたちははじめてのことではないかと思います。
  SEALDsのこの運動のかたちは、戦後70年にわたる平和主義と立憲デモクラシーの蓄積という土壌からはじめて生まれた「地場の平和主義、自前の立憲デモクラシー」のかたちだと僕は評価しています。
  日本の平和主義と立憲デモクラシーは、残念ながら、戦後日本人が手作りしてきたものではありません。敗戦国として、戦勝国アメリカに「与えられた」もので す。ですから、それを「押しつけられた政治体制」だと言い張る人たちがつねにいた。そして、それがついには日本の政官財メディアの世界、それらの世界の指 導層の中での支配的な意見になるに至った。
 安倍政権を支持し、安保法制の整備に賛成し、自衛隊の海外派兵を国威の発揚のチャンスであり、また絶好のビジネスチャンスであると信じている人たちが、いまの日本の指導層を形成しています。政界、財界、官界、メディアにおいては、すでに多くの領域で「戦争をしたがる人たち、戦争をするためには、平和憲法が最大の妨害であり、立憲デモクラシーという政体が非効率だと思っている人たち」がトップに立っています。
 みなさんは、そのような否定的な状況の中から立ち上がった。
 僕が一番うれしく思うのは、そのことです。
 みなさんが語る言葉は政治の言葉ではなく、日常のことば、ふつうの生活実感に裏づけられた、リアルな言葉です。 その「ふつうの言葉」で平和主義と立憲デモクラシーが語られている。
 これまで、ひとまえで「政治的に正しい言葉」を語る人たちにはつねに、ある種の堅苦しさがありました。なにか、外来の、あるいは上位の「正しい理論」や「正しい政治的立場」を呼び出してきて、それを後ろ盾にして語るということがありました。
  でも、SEALDsのみなさんの語る言葉には、そういうところがない。自分たちとは違う、もっと「偉い人の言葉」や「もっと権威のある立場」に頼るところがない。
 自分たちがふだん学生生活や家庭生活のなかでふつうに口にしている言葉、ふつうに使っているロジック、それにもとづいてものごとの正否を判断している常識、そういう「手元にある道具」を使って、自分たちの政治的意見を述べている。こういう言葉づかいで政治について語る若者が出現したのは、戦後日本 においてははじめてのことだと思います。
 僕が学生時代に経験した政治闘争から学んだことのひとつは、政治闘争は「持続」しなければならないということでした。いっときの高揚感や興奮によって、夢中になって、寝食を忘れて、家族との語らいも、友だちとの付き合いも、大学での勉強や、日々のふつうの学生生活を犠牲にして行う政治活動は長続きしない。 持続できない運動は弱い。そのことを僕はかつて学びました。
  そのときに得た教訓は「自分が日常的に、何の気負いもなく語れるような政治的意見でなければ、どんなときにも、どんな抑圧や規制にも耐えて、持ち続けることはできない」ということでした。
 それこそ、朝起きて歯を磨いて、顔を洗って、ご飯を食べて、というような日常的なルーティンのなかに組み込まれて、自分にとってごく自然で、当たり前のもの、呼吸するように自然に口から出てくるような言葉だけが、どのように歴史的条件が変わっても、風雪に耐えて語り続けられる。
 「呼吸するように語る言葉」とは「それを口にすることを止めたら自分自身が死んでしまう言葉」だからです。 SEALDsのみなさんのスピーチを聴いて、僕が感じたのは、この人たちはどんな局面でも、どんな人を相手にしても、今ここで言った言葉をそのままきちんと繰り返すことができるだろうということです。
 それは彼らにとっての「自然な言葉」「深く身体の中にしみこんだ言葉」「身体の奥底からにじみ出てくる言葉」だからです。
 そのような言葉づかいで戦後日本の平和主義と立憲デモクラシーを擁護し、顕彰する言葉が語られる時代が来たことを、日本人のひとりとしてほんとうにうれしく思います。
 僕たちは安倍政権の登場、特定秘密保護法の制定、集団的自衛権行使容認の閣議決定、そして、戦争法案の強行採決衆院通過というかたちで、この2年間戦後日本の平和主義と立憲デモクラシーが破壊され、踏みにじられ、否定される現場に立ち合ってきました。
 それは平和主義と立憲デモクラシーの敗北、その失敗を示すものでした。
 しかし、それと同時に、SEALDsの運動は平和主義と立憲デモクラシーが、この日本の土壌深くに根づき、こうしてみごとに開花したことを知る機会を提供してもくれました。
 これは戦後日本の平和主義と立憲デモクラシーの堂々たる勝利と成功のしるしだと僕は思っています。
  つまり、僕たちはいま、2015年の夏に、戦争法案の参院審議のさなかにあって、日本の平和主義と立憲デモクラシーの「死」と「再生」の劇に立ち合っているということです。
 法案が廃案になれば、それは平和主義と立憲デモクラシーの勝利です。決定的な勝利です。日本に外から「押しつけられた」と言われてきた 平和憲法の理念が、ついに日本人自身によって選びとられ、その理念を自分のものとして語ることのできる「身体」を持ったということです。
 それが事実なら、これは私たち日本人にとって戦後政治史上最大の勝利となるはずのものです。
 そのような決定的瞬間に歴史的瞬間に、いま僕たちは立ち合っています。
 今日この場に参加したすべてのみなさんが、あと何年かしたあと、「2015年の夏に、日本は決定的な岐路にたっていた。そのとき、私は歴史の方向を変える運動に身を以て参加していた」と誇りを持って回想できることを願っています。 ありがとうございました。  ≫(内田樹の研究室より) http://blog.tatsuru.com/


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