世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

「NHK」を窮地に追い込む方法はないのだろうか? 世論操作の肝を握る公共放送

2013年10月16日 | 日記
聞かないマスコミ 答えない政治家
クリエーター情報なし
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●「NHK」を窮地に追い込む方法はないのだろうか? 世論操作の肝を握る公共放送

 筆者はNHKのニュース中で、最も行政統治機構や政府のプロパンガンダ情報をセンセーショナルに喧伝しているのは、夜の7時のニュースだと思っている。悪名高い夜9時からのキャスター大越が尤もらしく解説するニュースより短絡的に、視聴者の記憶や思考経路を操作、誘導している番組はないと考えている。話題性からいくと、あの大越絡みの方が罵詈雑言を吐きやすいが、実は夜の7時のニュース番組のプロパガンダ性は断トツである。

 おそらく、多くの一般生活者は、おぼろげに耳に入ってくる言葉を記憶する。善良そうな男女のアナウンサーが、心配そうな顔をつくろい、政府や霞が関に都合のいい情報を、センセーショナルな効果音を背景に、まさに本当のように流暢に垂れ流すのだから、一般人はひとたまりもなく騙される。東京などは、それこそ特別な区域であり、地方の中年から高年層の就寝時間は、驚くほど早く、21時から22時なのである。つまり、選挙の折、投票率が最も高い人口層の人々は、大越のニュースを観ないうちに寝るか、風呂に入るのである(笑)。

 「ついに我が国の債務が1000兆円を超えました!赤ちゃんまで含めた国民一人当たり800万円の借金です!」日本政府の財政赤字の話題は、上述の調子で、10年、15年の間、NHKのニュースから、センセーショナルに流され、真実以外のなにものでもない処まで“財政赤字の神格化”がなされたのである。殆どの国民は、この“財政赤字の神格化”を疑おうとはしていない。厳然たる事実として受けとめているのである。評論家であった故大宅壮一が「一億総白痴化」とテレビを評した言説が証明されたわけである。

 多少調べてみると、大宅壮一は、茶の間置いておくテレビが、延々と番組を続けることで、そこに居る家族の目と耳を釘づけにしている状況を目の当たりにして、「一億白痴化」してしまうと言ったようで、「総白痴化」の総は後付けのようだ。1957年2月の“週刊東京”に≪ テレビに至っては、紙芝居同様、否、紙芝居以下の白痴組が毎日ずらりと列んでいる。ラジオ、テレビという最も進歩したマスコミ機関によって、『一億白痴化運動』が展開されていると言って好い。≫と書いている。「一億総懺悔」、「一億総中流」と同じように「総」をつけた方が、インパクトがあると云うことで、その後つけ加えられたようである。イスラエル建国に尽力し、初代・第三代首相に就任したダヴィド・ベン=グリオンも、テレビは無教養なメディアと考えていたらしく、イスラエルでテレビの普及が始まったのは、彼が退任した1960年代以降だったそうである。

 問題は、日本人のメディア・リテラシー(情報を評価・識別する能力)が未開人に近いことはつとに名高い(笑)。先進各国では、本来のディア・リテラシー(情報を評価・識別する能力)の教育を行っているが、日本でも教育に取り入れられたと云うので調べてみたが、ビデオカメラで撮影で自分達のニュース番組を作るとか、どうも本来の情報の真偽を見極める力と云う趣旨を履き違えているようだ。馬鹿じゃなかろうか。中高年ともなれば、メディア・リテラシーと云う言葉すら聞いた事があるか自体怪しいし、その意味を理解している国民は数パーセントしかいないのが、我が国の現実なのだから、そこで信頼の権化NHKが国民洗脳ニュースを真面目な顔で流せば、そりゃひとたまりもない。

 共同通信社と時事通信が核となっている(電通の回し者かW)公益財団法人の新聞通信調査会の2012年8月の情報信頼度調査によると、100点満点で、NHKテレビが70.1点・新聞が68.9点・民放テレビが60.3点・ラジオが58.6点・インターネットが53.3点だそうである。

 経団連系の経済広報センターが実施した「情報源に関する意識・実態調査」では、信頼できる情報の1位が新聞の57%で、2位がテレビの23%、ネットが13%となっている。インターネットを使っている人が対象の調査のようだが、「政治・社会」の情報収集は新聞とテレビ(ともに80%)で、ネットは趣味娯楽などの情報収集に使うそうである(笑)。朝日新聞が今年の8月に、わざわざ記事にするくらいだから、我田引水調査だったのだろう。

 自分らの成績を、自分らで調べ、その結果を鉛筆舐め舐め捏造する唯我独尊で、我田引水で、情報操作の臭いが少ないと思われる電通総研・日本リサーチセンター編「世界主要国価値観データブック 」がある。電通が絡んでいるので、多くの調査項目の一つとして、適当に調査されているようだが、新聞雑誌などメディアへの信頼度を調査した結果を見ると、日本が断トツにメディアを信頼している。勿論、それでも信頼度は47.9%だが、主要国の中では飛び抜けた%になっている。ちなみに、2位が中国の35.5%、3位が韓国の23.4%。この東アジア3国がプラス数値を出しているのみで、仏、独、米、英、豪の5カ国はすべてマイナスの信頼度になっている。英国、豪州に至っては70%以上が信用してないようだ(笑)。

 ついでに、各国のテレビに対しての信頼度調査項目もあった。今度は1位が中国で42.6%、続いて日本の37.9%、韓国の27.6%と続く。しかし、新聞雑誌に対する信頼度同様、仏、独、英、米、豪はかなり低い信頼度になっている。面白いのは、国営放送や公共放送のある国の場合、国民から一定の信頼は得ているようだ。それよりも、主要国の中で東アジアの日本、中国、韓国の三ヶ国だけが、そこそこメディアを信じていると云う現象は、やはり自由主義とか民主主義におけるメディア・リテラシーが如何に大切なものかと云う点で、非常に未熟な発展途上の様相を呈している。中韓と似たりよったりの日本人の“メディア・リテラシー”となると、何だかな~と云う気分になってしまう(笑)。

 ジャーナリズムが正当に、正常に機能しない事には、“メディア・リテラシー”そのものが不在になるわけで、民主主義国家を標榜するには、まこと心もとないものがある。逆に観察するのであれば、欧米社会で発展したデモクラシーと云う国体そのものが、アジアに不向きな制度である可能性さえ感じてしまう。政府が好き勝手に作ってしまった借金を、「国民よ、オマエらの借金だぜ~」と云うのは、土俵が違うだろう。そう云うことに気づかない、何ともお人好しな国民だ。

 日本政府の借金は、1000兆円―短期国債分106兆円=894兆円―地方債務201兆円=693兆円―建設国債251兆円=442兆円である。勿論、あくまで政府の借金であって、日本の場合は円建て国債なのだから、政府が国民から借りている借金であり、国民の借金ではない。“債権者である国民”を財務省の東大話法は、債務者にしてしまう驚きのレトリックを駆使しているのである。おそらく、政府の借金だとしても、GDPの80~90%の国債残高なのだろう。ただ、円建て国債であり、外貨準備云々の心配もないわけだから、米国国債(ドル建て)同様、自国通貨なのだから、デフォルトは論理的にあり得ない。

 ただ、米国債の場合には、米国自身が保有しているわけではなく、中国、日本など、国外の資金によって賄われているから、米国債の信用が落ちれば暴落であり、日中は大損することになるし、米国だけの意志で操作する限界もある。逆に日本の国債は、国内で殆ど消化されているので、政府と日銀の談合如何で、現在のように、まだまだ好き勝手が可能である。しかし、日米のどちらについても、意図的にデフォルトさせることは可能だろう。その場合、国債発行の論理的破綻ではなく、政治的意図による破綻の場合は、経済学の範疇からは推し量れないだけのことである。

 見出しの“「NHK」を窮地に追い込む方法はないのだろうか? 世論操作の肝を握る公共放送”なのだが、これがことの他難しい。筆者個人だけなら、テレビを見なければ良いわけだし、視聴料の催促がうるさければ、テレビを廃棄してしまえば良い。問題は、政治や社会の出来事のあらましだけで知りたい人々が、知る権利とか最低限の教養として、NHKのニュースを、ついつい見てしまうことである。メディア・リテラシーの素地も、訓練も受けていない、それらの善良な人々ほど、このNHKニュースや日曜討論などを視聴し、“そうなんだ”と納得するのだから手の打ちようがない。

 彼らを愚民だと罵っても、コチラが変人に思われるだけで、兎角この世は棲みにくい(笑)。福島原発事故で、あれだけ多くの嘘八百を垂れ流され、不満を口にしたとしても、娯楽番組やスポーツ中継の誘惑には負けるわけである。クーデターでも起きてNHKが制圧されれば、番組内容は変わるだろうが、ますますプロパガンダの色彩が強くなるだけである。テレビと云うもの、ぼんやりと聞いているだけでも、政治社会問題の情報を掻い摘んで、理解しやすい語りで、操作された情報が流されるのだから、手っ取り早い情報のキャッチアップには、“虎の巻”の威力を発揮する。

 民間放送局に体質を変えさせたとしても、大きさと質の問題で、一番スポンサーが広告を出したい放送局になるだけかもしれない。新聞の場合でも、ざっと見出しに目を通す場合が多く、その問題関連の負の情報は、小さな記事として扱われるので、隅から隅まで、丹念に自力で読み咀嚼するのは容易なことではない。おそらく、50年前くらいの日本では、物事を理解する為には、“本を読む”が、物事を理解する唯一の正攻法だったのだろうが、時代はそれを許さなかった。果たして、テレビから毒を抜く方法はあるのだろうか。その方法の不在を前に、思考が停止する筆者だが、いまだに、この日本人のメディア・リテラシーの向上への処方箋は見えてこない。


生きるための経済学―“選択の自由”からの脱却 (NHKブックス)
クリエーター情報なし
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