世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

今後の小沢一郎(1) 『日本改造計画』は、日本の政治家に示した政治の羅針盤

2013年10月21日 | 日記

 

日本改造計画
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講談社


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●今後の小沢一郎(1) 『日本改造計画』は、日本の政治家に示した政治の羅針盤

 ビデオニュース・ドットコムの“神保哲生・宮台真司”による、小沢一郎インタビュー及び“神保・宮台”の事後分析コメンタリーは、合計で2時間半に及ぶもので、時間がないことには、聞くこと自体相当大変だった。宮台の政局リソースには、民主党オリジナルに関与した新党さきがけ系譜の人材、高野孟や菅直人、福山哲郎などのソースの多くにバイアスが混在しているため、話を鵜呑みにするわけには行かない。しかし、神保・宮台二人とも、それなりの見識は有しているので、気がつかなかった角度で小沢一郎を考えるチャンスを提供してくれた。

 小沢支持者の中には、ビデオニュース・ドットコムの初期からの視聴者が数多くいたようだが、2010年の民主党代表選における“菅vs小沢”による、民主党代表選に関して、高野―宮台らが番組内で“菅支持”を打ち出したため、あの代表選が民主党を無力な政権に貶めた要因のすべてと思い込む人々からは、「あの時の、菅支持がすべてを台無しにした。お前たちは、その責任をどう取るつもりだ」等々のクレームが、今でも恨めしさを含め、ビデオニュース・ドットコムに寄せられているようだ。この辺は、馬鹿馬鹿しい、噴き上がり支持者の“坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い”なのだが、小沢支持者の民度が窺えるというより、日本人の民度自体を窺わせる事実である。

 此の民度の低さは、ビデオニュース・ドットコムや小沢一郎だけが被害者なわけではなく、今をときめくアベノミクスで売り出し中の安倍晋三の支持者においても然りである。第一次安倍内閣で靖国訪問を行えなかった事実を、ことある毎に安倍は「痛恨の極み」と繰り返し語っている。この言葉に心情的に嘘はないだろうが、米国から強烈な「行くな!」と云う楔を刺されている以上、どれほど一部の支持者の関心を引く為とは雖も、年内には必ず行くなど、噴き上がり右翼的支持者へのリップサービスをせざるを得ないわけである。行こうが行くまいが、そんなに日本にとって、どうでも良いことだが、噴き上がる支持者には、こう云うことで興奮してしまう人々が、結構多くいると云うのが、日本社会の現実だ。

 極めて一面的思考経路しか持ち合わせず、暇と時間を埋め合わせる為の、為にする支持と云う、ティーパーティー的輩は、五月の蠅的存在である。そこに、大多数のマスメディア情報鵜呑み族が加わって、有権者の半数以上を占めるのだから、論理的乃至は理論的思考や議論が、感情のフックに掛かってしまい、相手に対する人格論にまで至る、日本人の民度は民主主義において最も必要とされる、共同体の熟議とか、コンセンサス形成過程を阻害するので、デモクラシーの原理が成立しない。故に、山本七平「空気」の研究と云う著書が生まれるわけである。

 小沢一郎が辣腕、剛腕の評価(非難中傷?)を得た源泉も、この日本人のディベートによって、感情のフックが起動し、人格的対立に直結してしまう日本人の論理的思考不能な民族性に、常に苦しめられた政治史が、彼の後ろには、累々と足跡を残している。しかし、筆者はビデオニュース・ドットコムにおける、小沢一郎、神保哲生、宮台真司の三人の話から、“あぁそう言われれば、そう云うことにもなるな”と気づいた点がある。それは、宮台が「小沢さんのアイディアは、小泉がパクリ……」と云う部分からの類推から気づいた事である。この筆者の気づきが、小沢支持者には嬉しくない面もあるだろうが、他人の考えを聞く態勢で聞いて頂こう(笑)。

 1993年に刊行された小沢一郎の著書『日本改造計画』は、英語・中国語にも翻訳され、日本の最も注目すべき政治リーダーの戦後日本のイメージを間近に世界中が理解する機会を与えた。日本の政治家が自分の政策や国家ビジョンを書物にする、日本初の書物であり、その後多くの政治家が、小沢の本を真似て(パクリ)、政治家出版ブームが起きた。しかし、他の政治家のビジョン本は販売数で、『日本改造計画』の足元にも及ばず、愚作であったことは言うまでもない。その辺のエピソードはさておき、『日本改造計画』の内容を見てみよう。

 『日本改造計画』は小沢が自民党を離党して、新生党を立ち上げ、細川連立内閣が成立するという政治の激動期に書かれたものだから、当時でも70万部以上が売れ、おそらく現時点で100万部以上のミリオンセラー政治本になっている。この『日本改造計画』は、新自由主義的な経済改革、自由貿易の推進、地方分権の推進、規制緩和・撤廃、軍事も含めた国連中心主義国際貢献と其れに基づく日米同盟、政権交代のある二大政党制を可能とする政治改革(小選挙区制導入)、などが提唱されている。最後に、このような日本を作り上げるには、国民の自立を前提とする民主主義の確立であり、「改革には常に痛みが伴う」(小泉純一郎がパクる)と断じている。或る意味で、小沢が温室培養の地位にあった自民党を飛び出した目的でもあり、21世紀に向かって日本は“斯くあるべし”と云う壮大なロマンを含んでいた。

 当時のやり手官僚やジャーナリストの意見なども取り入れ、日本の統治システムの問題点や改革すべきことを考慮に入れながら、21世紀の日本の理想的日本の姿を思い描いていた。読者としては、21世紀の日本の姿を思い描いていたレベルで読めるのだが、小沢一郎は、そのビジョンを現実の永田町で、生身を晒しながら、その実現に奔走しようとしたのである。『日本改造計画』は21世紀の日本政治を先取りしたものなので、そこに書かれたいることは、一定の範囲で予測可能なものであったし、且つ、その処方箋も限られていたので、その後政権を握った小泉政権に始まり、鳩山、菅、野田、安倍政権により、盗み食いのように、パクられ続けられることになる。

 或る意味で、このような“パクリ現象”は必然的に起きた傾向もあるが、1993年当時における政治家として、その予見能力は卓越していた事実を否定する事にはならない。その後、“パクリ現象”に悩まされた所為かどうか判らないが、2006年に『小沢主義(オザワイズム) 志を持て、日本人』を出版している。この中で注目すべきは、日本は官僚社会主義の統治システムを基盤にしたまま、自由経済・市場開放を行おうとしているために、「格差社会」を生みだすリスクを抱えたと考え、「小さな政府」から「大きな政府」の中間に位置する「中規模の政府」的イメージを持ったようである。この辺は、当時の社民党と云う政党のことも考慮に入れたいたかもしれない。

 「今後の小沢一郎(2)」を連続で書けるかどうか判らないが、続き、と云うことで本日の「今後の小沢一郎(1)」とする。『日本改造計画』執筆から20年が経過し、当然日本を取巻く環境は激変しているわけだし、アメリカの覇権機能に確実に翳りが見られることや、世界的に起きている、各国政府の財政危機や未曾有の大震災・原発事故の収束主導体など、『小沢主義(オザワイズム) 志を持て、日本人』の手直しでは追いつかない喫緊の課題が、日本列島を連続的に襲ってくる台風同様に押し寄せている。出来得れば、このコラムを読んでいる方々も、『日本改造計画』、『小沢主義(オザワイズム) 志を持て、日本人』等々を購読の上、その著書を叩き台に、其々が自分の「日本の進むべき道」をイメージしてみることは、非常に大切なことだと思う。

小沢主義 志を持て、日本人 (集英社文庫)
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