今宵も劇場でお会いしましょう!

おおるりが赤裸々に綴る脱線転覆の感想記!(舞台やライブの感想です)

『甦る中山岩太:モダニズム』(東京写真美術館)

2009年02月04日 22時07分05秒 | 美術館/博物館/展覧会
まるで絵画を見ているようです。
写真というからには、確かに現存していた物、実在した人々。
何処に光をあて、何処に影を見せるか…それによって物も人も全く独自の世界に生きているかのようです。
そして心のフィルターを通すことで幻想の物語が造り出されているような、そんな作品に触れて、今日はここに来て本当によかったと思いました。

写真のことはよくわかりません。こんなに熱心に写真を見たのも初めてです。
すべてモノクロの彼の写真には、世界や時代を飛び越すものを感じました。
この人の心の海には、タツノオトシゴがいる。
胎児のような姿、あるいはミイラのように乾いたそれは、たぶん雄と雌であろう二匹です。
他には貝や藻しかありません。
彼ら以外に活きたものが見えない海に、ある作品では二匹は漂い、またある作品では抱き合うように重なり合っています。

私はふと思いました。
「この人に会いたい」

でも、この人は既にこの世にはいないのです。
この写真たちを見ている時だけしか会えません。
なんだか涙が出そうになりました。

会いたくなる写真
会いたくなる絵
会いたくなる音楽
会いたくなる言葉

私はそういうのが好きなのかも。

『シャガールとエコール・ド・パリ コレクション』(青山ユニマット美術館)

2009年02月04日 22時04分56秒 | 美術館/博物館/展覧会
シャガールが愛妻ベラを描くとき、それは深い愛に満ち溢れ、大抵の場合、柔らかで優しい花束が添えられているのです。
シャガールは、彼の愛するミューズには、常に美しいものを捧げたいと思っていたのでしょうね。
そして、ベラのいる世界にはいつもその体に、または心に密着するようにシャガール自身が存在しています。

ベラはどんな女性だったのだろう?

「わたしはあなたであり、あなたはわたしである」とベラは言ったといいます。
シャガールの描いた「ダブル・ポートレイト」はその言葉を具現したものですが、重なったひとつの体に二つの顔があり、シャガールは人を見、ベラは花を見て、互いに別方向を見ています。
だけど心はひとつ。
彼女はもしかしたら普通の女性には真似できない、芸術家を受け止める力のある稀有な存在だったのかもしれません。

シャガールが彼女に出会わなければ、これらの愛の作品は生まれなかったことを思えば、その出会いは芸術家にとって、まさに奇跡のような出会いだったといえるでしょうね。
彼女は早くに亡くなってしまったけれど、彼の心ではいつまでも生き続け、二人の愛は永遠に失われることはありません。

この美術館の4階の中央の椅子にひとり座っていると、二人の愛に包み込まれたような心地がしました。


「エコールド・パリ」ではモイーズ・キスリングの「長椅子の裸婦」が印象的でした。顔が良いです。瞳が強く、猫のような女性。
同じ画家の「ダリア」も好きだな。


ところで、今日の文がカタイのは携帯で書いたからです
や~っぱ、PCのキーボードのほうが、だんぜん好きっ