森山未來くんの身体能力、表現力は本当に素晴らしい!と改めて感嘆しました。
ここ数年見るたびに総合力が増して、役者さんとしてますます魅力的です。
コメディもシリアスも、リアルな演技もこなせば、非現実的な役もこなし、二の線も三の線もイケて、歌も年々上達しているし、しかも頭の回転が速いのでアドリブも気が利いて面白いです。
そして、何よりもダンサーだけあって、体の隅々まで神経が行き届いた、素晴らしい身のこなし!!。
特に今回の舞台は驚きました。
カフカの「変身」って有名な小説ですよね。
私はたしか、中学か高校の頃に読みました。
ある朝突然、巨大で醜悪な虫の姿になってしまう青年のお話です。
この虫の姿を、未來くんは被りものなしに、体ひとつの動きで見事に表現していました。
柔軟性もあれば、たぶんかなり筋力もあるのでしょうね。
不思議な体制でぶらぶらとパイプにぶら下がったりするので驚きます。
ほんとうに不気味な虫のようでした。
そして、その虫のような動きに加え、抑揚を下げた声音や表情に、むしろ一層と彼が被った不条理さを感じます。
そう、その原作を読んだ学生の時には、たしか私は「自分がある日突然こんな体になってしまったらどうしよう」とか考えたと思うんですよね。
でも、これを見ながら、この状況は案外と虫になった本人よりは家族のほうがいたたまれないんじゃないかと思いました。
学生の頃はともかくとして、もし今の私があんな姿になってしまったら……あのどうしようもない「見捨てられた思い」や孤独、今まで支えてきた家族に対する報われぬ想いとか、不条理な想いとか、……私だったら、すべて、いっそ「どうでもいいこと」にして正気を手放してしまいそう。
この際だから、心ゆくまで発狂すれば良いだけのことじゃん? なんて思わなくもないです。
破滅願望あったりして(笑)
いや、だって虫になっちゃったんだから。人間の心を持ちながら生きるほうが地獄よね? だから、いっそさっさと人の心を手放す…言い換えるなら…狂ってしまったほうが楽かと思う。
で、狂ってしまえばもう苦しみはないからいいわけよ。
あ、これはあくまでも「私なら」って話ね。
この未來くんの演じるグレゴールは人の心を持ちながら、徐々に虫の自分を受け入れている様なのが見ていて苦しいです。
でも、やっぱり何よりも、この家族の気持ちって複雑なのね。
母親は自分の産んだ可愛い息子…なのに…でも、気持ち悪い……でも、見捨てられない…でも、やっぱり見たくない……と、葛藤するし、
お兄ちゃんが大好きだった妹も、最初は虫の世話係みたいになりながら頑張っていたのに、働き疲れていくうちにだんだんとイライラして、とうとう「あれを始末してよ」と言いたくなるような状況に追い込まれます。
虫だから、あんなに気持ち悪い虫なんだから、あれは人じゃないんだから……
始末しよう。そしたら無かったことになる……
人ならともかく、今は虫だし、善悪など考えなくてもいいや……
……というふうに、思ったとして…
それは完全にそう思い込めるのか……?
無理やり思い込んでも、何かを背負うことはないのか……?
たとえば、もし「変身」してしまったのが自分の家族であったら??
自分がそうであったら??
そして、人は決してこのように虫にはなりません。
虫になってしまったら、人としての心を手放してしまえばいいかもしれないけど、人は虫になれないんです。
この舞台は、見終わってすぐに「感想は?」と聞かれても、何とも言えないし、何も考えられないようなところがあって、頭の中でまとまりがつかないのだけど、
たぶん、日を経るがごとに、何かの拍子にふと思い出して何かを感じてしまうような、そんな、じわじわとした作品だと思いました。
それにしても、去年に引き続き、今年もホワイトデーは劇場でしたね。
去年の「春琴」はかなり見応えありましたが、今年の「変身」もマイムを使っての動きの面白い演出で、じわじわと見応えある舞台でした。
ここ数年見るたびに総合力が増して、役者さんとしてますます魅力的です。
コメディもシリアスも、リアルな演技もこなせば、非現実的な役もこなし、二の線も三の線もイケて、歌も年々上達しているし、しかも頭の回転が速いのでアドリブも気が利いて面白いです。
そして、何よりもダンサーだけあって、体の隅々まで神経が行き届いた、素晴らしい身のこなし!!。
特に今回の舞台は驚きました。
カフカの「変身」って有名な小説ですよね。
私はたしか、中学か高校の頃に読みました。
ある朝突然、巨大で醜悪な虫の姿になってしまう青年のお話です。
この虫の姿を、未來くんは被りものなしに、体ひとつの動きで見事に表現していました。
柔軟性もあれば、たぶんかなり筋力もあるのでしょうね。
不思議な体制でぶらぶらとパイプにぶら下がったりするので驚きます。
ほんとうに不気味な虫のようでした。
そして、その虫のような動きに加え、抑揚を下げた声音や表情に、むしろ一層と彼が被った不条理さを感じます。
そう、その原作を読んだ学生の時には、たしか私は「自分がある日突然こんな体になってしまったらどうしよう」とか考えたと思うんですよね。
でも、これを見ながら、この状況は案外と虫になった本人よりは家族のほうがいたたまれないんじゃないかと思いました。
学生の頃はともかくとして、もし今の私があんな姿になってしまったら……あのどうしようもない「見捨てられた思い」や孤独、今まで支えてきた家族に対する報われぬ想いとか、不条理な想いとか、……私だったら、すべて、いっそ「どうでもいいこと」にして正気を手放してしまいそう。
この際だから、心ゆくまで発狂すれば良いだけのことじゃん? なんて思わなくもないです。
破滅願望あったりして(笑)
いや、だって虫になっちゃったんだから。人間の心を持ちながら生きるほうが地獄よね? だから、いっそさっさと人の心を手放す…言い換えるなら…狂ってしまったほうが楽かと思う。
で、狂ってしまえばもう苦しみはないからいいわけよ。
あ、これはあくまでも「私なら」って話ね。
この未來くんの演じるグレゴールは人の心を持ちながら、徐々に虫の自分を受け入れている様なのが見ていて苦しいです。
でも、やっぱり何よりも、この家族の気持ちって複雑なのね。
母親は自分の産んだ可愛い息子…なのに…でも、気持ち悪い……でも、見捨てられない…でも、やっぱり見たくない……と、葛藤するし、
お兄ちゃんが大好きだった妹も、最初は虫の世話係みたいになりながら頑張っていたのに、働き疲れていくうちにだんだんとイライラして、とうとう「あれを始末してよ」と言いたくなるような状況に追い込まれます。
虫だから、あんなに気持ち悪い虫なんだから、あれは人じゃないんだから……
始末しよう。そしたら無かったことになる……
人ならともかく、今は虫だし、善悪など考えなくてもいいや……
……というふうに、思ったとして…
それは完全にそう思い込めるのか……?
無理やり思い込んでも、何かを背負うことはないのか……?
たとえば、もし「変身」してしまったのが自分の家族であったら??
自分がそうであったら??
そして、人は決してこのように虫にはなりません。
虫になってしまったら、人としての心を手放してしまえばいいかもしれないけど、人は虫になれないんです。
この舞台は、見終わってすぐに「感想は?」と聞かれても、何とも言えないし、何も考えられないようなところがあって、頭の中でまとまりがつかないのだけど、
たぶん、日を経るがごとに、何かの拍子にふと思い出して何かを感じてしまうような、そんな、じわじわとした作品だと思いました。
それにしても、去年に引き続き、今年もホワイトデーは劇場でしたね。
去年の「春琴」はかなり見応えありましたが、今年の「変身」もマイムを使っての動きの面白い演出で、じわじわと見応えある舞台でした。