堀田善衞(ほったよしえ)(1918~1998)と言う名を聞いて、私が知っていることと言えば、伏木出身のエライ作家で、「広場の孤独」で芥川賞をもらった、と言うことくらい。
以前から何度か紹介する、米田憲三先生の「文学の舞台を読む・高岡編」で取り上げられると聞き、去年から楽しみにしていた。今年正月3日に放映された「堀田善衞展」に向けての紹介番組(娘さんや宮崎駿親子が登場)を見て、更に期待感をつのらせていた。
いつもはウイングでの講座が、今回は特別に美術館で開かれ、その後館長さんの解説で展覧会を見るという贅沢な企画だった。
米田先生の言葉を借りると、堀田善衞氏は「とらえにくい、畏れを感じさせる、象の一部に触っているような」作家とのことである。没後10年を記念し、2008年に神奈川近代美術館で展覧会が開かれた。それを観に行き、高岡でもぜひ展覧会を開きたいと強く思った、と言われた。
堀田氏は、伏木で「鶴屋善右衛門」の屋号で回船問屋を営んでいた堀田家の3男坊。釧路荒野で捕えられたつがいの鶴が庭に放たれ、鶴屋の象徴だったと言う。
氏が小学生の頃、生家は没落、丘の上の小さな家へ転居する。そして金沢二中へ進学(当時高岡中学は三大ストライキ学校だったそうだ)し、アメリカ人牧師宅に下宿、英語で生活するようになる。
慶応の予科に入るため上京した日が、二・二六事件当日で、強烈な経験をする。軍隊が反乱を起こし、天皇がその軍隊を殺せと命令する、この経験と生家の没落とが重なり、中世の無常観につながる感覚を抱くようになる。
法学部から仏文科へ転科し、アテネフランセでフランス語を勉強、英語もフランス語もペラペラ、回船問屋に出入りしていた俳人、画家、能役者から自然に日本の伝統芸能を知り、琴、三味線、仕舞も習ったそうだ。ただ文学者と言うだけでなく、まさにコスモポリタンだった。
小説だけでなく、戯曲、伝記、評論、詩、書簡集など、作品は数多い。
34歳: 「広場の孤独」と「漢奸」で芥川賞を受賞。
(翌年映画化)
38歳: 日本文人会議より平和文化賞を受賞。
40歳: ラジオドラマ「日本の天」で芸術祭奨励賞を受賞。
42歳: ラジオドラマ「過潮」で芸術祭奨励賞受賞。
45歳: 団伊玖磨の合唱・管弦楽のためのに作詞した
「岬の墓」で芸術祭賞。
53歳: 「方丈記私記」で毎日出版文化賞を受賞。
59歳: 「ゴヤ」により、大仏次郎賞を受賞。
68歳: 「定家明月記私抄」
77歳: 朝日賞受賞。
「ミシエル 城館の人」で和辻哲郎文化賞を受賞。
80歳: 日本芸術院賞を受賞。
えら~くなられてからは、こっそり伏木へ帰り、お母さんの
くにさんと国分浜を散歩しておられたそうだ。
米田先生のご推薦の、ふるさと伏木を描いた作品として:
「鶴のいた庭」、「夜来香」、「黄塵」、「若き詩人たち
の肖像」、「奇妙な一族の記録」など。
展覧会場では、美術館長さんがまた熱を込めて語られた。堀田氏にほれ込んでおられる。
最初に、「鶴屋」の船額、子供の頃の家族写真、原稿、書簡、上海時代やヨーロッパ旅行の写真、スペインマドリッドでの書斎の復元、交流のあった作家達との写真などなどが展示されている。
圧巻は、ゴヤの版画の連作「戦争の惨禍」だ。マドリッドのプラド美術館で「裸のマハ」「着衣のマハ」「カルロス四世の家族」など宮廷画家時代の絵を観てきただけに、同じ画家とは思えない、残酷は戦争の場面の数々。
氏の評伝「ゴヤ」は、美術専門家も「これ以上の伝記は書けない」と称賛したそうだ。その中に、この版画作品が取り上げられているらしい。
最後に、スタジオ・ジブリ制作の「定家と長明」。堀田作品から様々な刺激を受けた宮崎駿さんが、「方丈記私記」と「定家明月記私抄」から鴨長明と藤原定家を主人公にしたアニメ映画を想定して制作したイメージボードのコーナー。ストーリーもできており、映画化が間近という感じでもある。乱世に生きる2人を主人公にするとは興味深い。
堀田氏自身は、無常観が自分の人格形成に影響したと言っておられるが、展覧会を通して感じたのは、とても精力的な作家だったのではないかと言うことだった。
タイトルは、「伏木中学校の歌」。校歌らしくない、素敵な詩なのでどんな曲かと思ったら、先日、伏木中卒業生のようこ姫さんや、勤務した方たちで歌ってくださった。
「風はどこから吹いて来る」
風はどこから吹いて来る 丘を吹く風 海の風
風はどこから吹いて来る 丘を吹く風 海の風
港の町に育つ仕合せは 風の故郷と行く先を
マストの鴎とともに知る 倉庫の陰で働く人も
ウインチ巻いて荷揚げの人も みんな行く手を知っている
広い世界で働こう 広い世界を知り抜こう
たとえわれらの町の長い冬 海の色は暗くても
その暗い重さはわれわれの 心の錨 学んで知るは
羅針盤
さあ船出しよう エンジンかけて
広い世界で働こう 広い世界を知り抜こう
風はどこから吹いて来る 丘を吹く風 海の風
以前から何度か紹介する、米田憲三先生の「文学の舞台を読む・高岡編」で取り上げられると聞き、去年から楽しみにしていた。今年正月3日に放映された「堀田善衞展」に向けての紹介番組(娘さんや宮崎駿親子が登場)を見て、更に期待感をつのらせていた。
いつもはウイングでの講座が、今回は特別に美術館で開かれ、その後館長さんの解説で展覧会を見るという贅沢な企画だった。
米田先生の言葉を借りると、堀田善衞氏は「とらえにくい、畏れを感じさせる、象の一部に触っているような」作家とのことである。没後10年を記念し、2008年に神奈川近代美術館で展覧会が開かれた。それを観に行き、高岡でもぜひ展覧会を開きたいと強く思った、と言われた。
堀田氏は、伏木で「鶴屋善右衛門」の屋号で回船問屋を営んでいた堀田家の3男坊。釧路荒野で捕えられたつがいの鶴が庭に放たれ、鶴屋の象徴だったと言う。
氏が小学生の頃、生家は没落、丘の上の小さな家へ転居する。そして金沢二中へ進学(当時高岡中学は三大ストライキ学校だったそうだ)し、アメリカ人牧師宅に下宿、英語で生活するようになる。
慶応の予科に入るため上京した日が、二・二六事件当日で、強烈な経験をする。軍隊が反乱を起こし、天皇がその軍隊を殺せと命令する、この経験と生家の没落とが重なり、中世の無常観につながる感覚を抱くようになる。
法学部から仏文科へ転科し、アテネフランセでフランス語を勉強、英語もフランス語もペラペラ、回船問屋に出入りしていた俳人、画家、能役者から自然に日本の伝統芸能を知り、琴、三味線、仕舞も習ったそうだ。ただ文学者と言うだけでなく、まさにコスモポリタンだった。
小説だけでなく、戯曲、伝記、評論、詩、書簡集など、作品は数多い。
34歳: 「広場の孤独」と「漢奸」で芥川賞を受賞。
(翌年映画化)
38歳: 日本文人会議より平和文化賞を受賞。
40歳: ラジオドラマ「日本の天」で芸術祭奨励賞を受賞。
42歳: ラジオドラマ「過潮」で芸術祭奨励賞受賞。
45歳: 団伊玖磨の合唱・管弦楽のためのに作詞した
「岬の墓」で芸術祭賞。
53歳: 「方丈記私記」で毎日出版文化賞を受賞。
59歳: 「ゴヤ」により、大仏次郎賞を受賞。
68歳: 「定家明月記私抄」
77歳: 朝日賞受賞。
「ミシエル 城館の人」で和辻哲郎文化賞を受賞。
80歳: 日本芸術院賞を受賞。
えら~くなられてからは、こっそり伏木へ帰り、お母さんの
くにさんと国分浜を散歩しておられたそうだ。
米田先生のご推薦の、ふるさと伏木を描いた作品として:
「鶴のいた庭」、「夜来香」、「黄塵」、「若き詩人たち
の肖像」、「奇妙な一族の記録」など。
展覧会場では、美術館長さんがまた熱を込めて語られた。堀田氏にほれ込んでおられる。
最初に、「鶴屋」の船額、子供の頃の家族写真、原稿、書簡、上海時代やヨーロッパ旅行の写真、スペインマドリッドでの書斎の復元、交流のあった作家達との写真などなどが展示されている。
圧巻は、ゴヤの版画の連作「戦争の惨禍」だ。マドリッドのプラド美術館で「裸のマハ」「着衣のマハ」「カルロス四世の家族」など宮廷画家時代の絵を観てきただけに、同じ画家とは思えない、残酷は戦争の場面の数々。
氏の評伝「ゴヤ」は、美術専門家も「これ以上の伝記は書けない」と称賛したそうだ。その中に、この版画作品が取り上げられているらしい。
最後に、スタジオ・ジブリ制作の「定家と長明」。堀田作品から様々な刺激を受けた宮崎駿さんが、「方丈記私記」と「定家明月記私抄」から鴨長明と藤原定家を主人公にしたアニメ映画を想定して制作したイメージボードのコーナー。ストーリーもできており、映画化が間近という感じでもある。乱世に生きる2人を主人公にするとは興味深い。
堀田氏自身は、無常観が自分の人格形成に影響したと言っておられるが、展覧会を通して感じたのは、とても精力的な作家だったのではないかと言うことだった。
タイトルは、「伏木中学校の歌」。校歌らしくない、素敵な詩なのでどんな曲かと思ったら、先日、伏木中卒業生のようこ姫さんや、勤務した方たちで歌ってくださった。
「風はどこから吹いて来る」
風はどこから吹いて来る 丘を吹く風 海の風
風はどこから吹いて来る 丘を吹く風 海の風
港の町に育つ仕合せは 風の故郷と行く先を
マストの鴎とともに知る 倉庫の陰で働く人も
ウインチ巻いて荷揚げの人も みんな行く手を知っている
広い世界で働こう 広い世界を知り抜こう
たとえわれらの町の長い冬 海の色は暗くても
その暗い重さはわれわれの 心の錨 学んで知るは
羅針盤
さあ船出しよう エンジンかけて
広い世界で働こう 広い世界を知り抜こう
風はどこから吹いて来る 丘を吹く風 海の風
堀田さん・・・私知らなかったんです子供(主人も)伏木中学卒業生入学式・卒業式・・・何度も「伏木中学の歌」聞いてきてるのにね~作詞者まで気にしてなくて。でも 本当にすばらしい歌詞で私も気に入ってます。音楽の先生○越先生も1年の1学期中間テストにはこの歌詞が問題だったみたいよ~「国語のテストみたいだったって」子供が言ってたの思い出しました。私も歌えますよ~
堀田氏のことが少しわかったような気がします。
ありがとうございました。
伏木中学校の歌も『彼の思いを込めた歌』、こんな素晴らしい歌のなかで学生生活を送る生徒達は幸せです。私も聴いてみたいです。
くわしい説明ありがとう。どんな人で何を展示してあるのか分からなかったです。が、こんなすばらしい人が我が郷土におられたのですね。
行ってきます。
ふつうは校歌と言えば、最後に♪○○中学校♪と歌いますからね。南星中のはきれいなメロディーの校歌でした。我が子の学校の歌は覚えますね。音楽の先生が国語のテストみたいのをされた気持もわかりますよ。郷土のことを知ってほしいとの思いでしょうね。
伏木から世界へ飛び出した堀田氏の思いを、若い伏木っ子に伝えたいという願いが表れていますね。講座を聞き、展示を見て、今まで知らなかったことがすっきりわかったような気がしました。本も読みたいし、続編も書きたいと思っています。
ゴヤの版画は町田市美術館の所蔵でした。
プラドにもナポレオンの侵略の際の絵画は何点かありましたね。
美術館で厚生会の割引券とシニア割引が使えますよ。私は講座を聴いた後なので、借りなかったけど、先日会ったKaさんが音声ガイドを借りたら詳しい説明があったと言っておられました。
何も知らないと言うことが判りましたよ。
詳しくありがとう。
私は、自分の感覚だけで書いていました。
私も知らないことばかりでした。これだけ書いてもまだ書きたいことが…。あなたが可愛がってもらったくにさんのこと、お父さんの勝文さんのこと、などね。本を読むにかぎりますね。伏木人(あなたも含めて)の気骨を改めて感じています。
ブログを読んでくださりありがとう。またコメントまでいただき感激です。
友人に伏木生まれ、伏木在住の方が何人かいらっしゃるので堀田善衛さんの話をよく聞きます。お母さんを知っているとか、「伏木中学校」の歌に決まった頃、勤めていたとか…。
「北陸中日新聞」に載っていたのですか。メロディーは覚えていないけど、ホントに素敵な歌詞ですね。