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Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

勝興寺と土山御坊を訪ねる

2016-10-30 | 旅行

 10月も明日で終わるが、予定を入れ過ぎて忙しい月だった。
 10/12(水)は退公連の「秋の研修旅行」の日。この会の研修旅行は、「歴史とお風呂」の組み合わせが私にはお気に入り。時間の許す限り参加している。今までも、八尾の坂の町アートや魚津の松倉城址と街巡りなど、昨年は滑川・上市方面へ木曽義仲と芭蕉の絆に触れる歴史ロマンを訪ねた。
 今年は、郷土史家高木秋生先生を講師に招き、浄土真宗の布教に生涯を捧げた蓮如上人の足蹟を辿る1日だった。伏木・勝興寺と福光・土山御坊(どやまごぼう)を訪ね、お風呂は福光「ぬくもりの里」。

 (ちょうどこの頃、パソコンの調子が悪くて苦戦していた。Windows10に変えてからも強引に自己流で使っており、機械が悲鳴を上げたに違いない。カメラの画像がsdカードから入らない、写真の編集の途中で止まってしまう、などなど。そのうちに、この日の写真がすべて消えてしまったのだ。勝興寺の修理中の大広間や土山御坊跡など、たくさん撮ったのに…。ネットの写真でご容赦ください)

 雨模様の予報はどこへやら、日差しの暖かい朝、高岡駅南に集合しバスで勝興寺へ。👇は、唐門(重要文化財)。      
 
 12年前に本堂の修復工事が行われた時も、やはりこの会から、工事中の足場に上がり見学させてもらったものだが、この日は、大広間や書院の修復工事現場を見学することができた。👇は屋根だけだが、大広間、書院など内部のかなり仕上がっている部分も見せてもらえた。
 
 高木先生の資料によれば…
 勝興寺の歴史は、文明3年(1471年)に蓮如上人が越中布教の拠点として、福光町土山(どやま)に御坊を建立したことに始まる。その後、明応3年(1494年)に高木場(南砺市高窪)へ遷り、「勝興寺」と称するよになった。これは、順徳天皇の御陵を護持していた「殊誓願」を再興継承したからだそうだ。
 その後、小矢部市安養寺に移り、寺内町を持つ大きな伽藍が形成され、さらに増強した。天文15年(1546年)小矢部市南蟹谷の松尾神社の荘園を買収し代官講になる。この頃から領主的支配権を握るようになる。
 戦国時代には、越中一向一揆の旗頭として活躍し、朝倉氏や武田氏、本願寺や京都公家と関係を深めていく。何回かの移転を重ねて、伏木古国府の現在地に移ったのは天正12年(1584年)のことだそうだ。
 
 予定時間をかなりオーバーして、福光土山に到着。公民館の皆さんが体を空けて待っていてくださった。
 👇は、土山公民館。土山御坊がなくなった時土山の人たちは自分たちの手で寺を建てたそうだ。そのご仏壇や親鸞聖人、蓮如上人のお軸を大切に保管し守っておられる。👇は仏壇。
 
 👇は、ふだんのお参りの時の写真だろう。
 
 私たちは👆のお部屋で、地元の方たちからお話を聞いた。親しく、詳しくお話しくださり、たくさんメモもとったのに、日数が経つとさっぱりつながりがわかりません…。
 蓮如上人は、1415年京都で生まれた。文明3年(1471)、越前国吉崎の地で、「虎狼(ころう)のすみか」といわれる御山(おやま)を、門徒たちは引き平らげ、木材を運び、御坊を中心に寺内町を造り上げた。

 越中の拠点として、土山での布教もその頃か?豪族の杉浦氏が蓮如上人のために建てた御坊とも言われており見る見るうちに大きなお寺になったそうだ。この後は土山御坊は、越中国瑞泉寺(井波)や善徳寺(城端)とともに越中一向一揆の最重要拠点として発展していく。
 👆にも書いたが、その後、高木場(南砺市高窪)に移転し、が、火災により焼失、小矢部市末友へ移転する。これが安養寺御坊です。ここがまた、木舟城主石黒成綱の攻撃を受けて焼亡し、天正12年(1584年)に富山県高岡市伏木古国府の地に再建されて現在の勝興寺となったそうだ。

 御坊は寺であり城であったのだろう。でも、今の土山の人々はとても穏やかに仲良く信心深く暮らしておられるように見えた。公民館のすぐ横が旧小学校校舎で、土建会社の資材置き場になっているのが現実的だった。


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10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (千葉matsu)
2016-10-31 16:44:29
昨日はお疲れ様でした、飲んで食べてお風呂に入って久しぶりに同級生同士で楽しみをさせてもらいました、今では東京から一泊二日でもあまり疲れたと思わなくなったね、時間が2時間半だからかもしれません、ところで蓮如上人のお寺は金沢と福光の間に二俣というところにもありますがそのところが土山御坊と言うのですか?近くにぬくもりの里の温泉もあります。
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Unknown (清姫)
2016-10-31 18:28:12
千葉matsuさん
遠方からの参加ご苦労様でした。元気なお顔を見てホッと安心しましたよ。
私も風邪をひいたからかかなり疲れが残りましたが、今日太鼓のお稽古に行ったら元気を取り戻しました。
いやあ、よくご存じですね。土山の人たちは、二俣の話もされましたよ。瑞泉寺の連城と言う人(蓮如上人の叔父にあたる)が二俣に本泉寺を創立し、蓮如上人は叔父さんに請われて二俣へ来られたそうです。次に土山の杉浦氏が、蓮如上人を二俣から土山へ誘ったのだそうですよ。
また、赤尾道宗が月に一度五箇山から瑞泉寺へ蓮如の教えを聴きに通ったと言う「道宗道」が復元されています。
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Unknown (茶々姫)
2016-10-31 18:55:48
勝興寺は良くいきましたが詳しく聞いたのははじめてです。前に聞いたのを忘れたのです。先日なはさんとその前にあるお寺の報恩講にお参りしてきました。
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Unknown (風子)
2016-10-31 22:38:42
勝興寺の屋根修復の見学は今年いっぱいで終わるそうですね。
私も先日、ひなの会の皆さんの案内で伏木を回ってきました。福光土山はどのあたりになるのでしょう?
温泉、特に今頃の温泉は紅葉が始まりかけて、露天風呂が気持ちいいですね。
パソコンの調子が悪いのは困りますね。
今日はイオンモールを歩いていて、同窓生・大門のTaさんにバッタリ出会い嬉しかったです。
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Unknown (千葉matsu)
2016-11-01 07:37:15
高岡の曳山、城端の曳山祭りが今度世界文化遺産に登録されますね、とても郷土の誇りに思います、今日の新聞に載っています昔から何となくそんなものだと思って毎年見ていましたが今から思うと曳山の彫刻や屋台の作りは大変な伝統ものなんですね。これを機会に沢山の人たちに見てもらいたいものです。
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Unknown (清姫)
2016-11-01 17:40:50
茶々姫さん
今回は七不思議などではなく学術的なお話でした。建材や建築法の説明もあったのだけど…。国宝に申請するそうですね。
そう言えば、報恩講のことチラッと聞きましたね。16日でしたか?
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Unknown (清姫)
2016-11-01 17:59:40
風子さん
平米公民館の行事ではありませんか?ポスターを見たような気がします。ひなの会の説明なら詳しいでしょう。
土山は、法林寺温泉から医王トンネルを抜けて行ったような…。帰りにぬくもりの郷でお風呂でした。湯谷温泉も近くにあるようです。
ぬくもりの郷は以前行ったきりですが、あんなに広かったかしら?露天風呂だけかと思っていました。
TAさんもイオンに来られるのね。
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Unknown (なは)
2016-11-01 18:03:17
清姫様
暫くパソコンを開きませんでした。お世話になった方が亡くなられて今日もおひとり、6日間で三人の方のお参りに行ってきました。なんだか疲れました。
勝興寺さんの修復工事も完成に近いのですか。私も一度行ってきました。大掛かりな仕事ですから、まだ終わりというところまで行っていないのでしょうか。
随分歴史のあるお寺ですね。信仰心の深い人たちに守られてあっちこっちへ移築されたのでしょうか。
親鸞様は布教第一で「一寺ももたず」といわれていたという話をよく聞いたものですが、最初のうちはどのお寺も仏様の教えを聞くために作られたのでしょうね。
次第にお城のような役割も果たすようになるのですね。
ピント外れのコメントになりました。
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Unknown (清姫)
2016-11-01 18:04:48
千葉matsuさん
1日、早ければ金沢で話題になったのにね。
北日本新聞を買ってきましたよ。1面に大きく、富山県の3つの祭りの写真が載っています。大黒様と布袋様の山のようですよ。新聞の写真をうまく撮れればアップしますね。
だいぶ前から噂は聞いていたのですよ。
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Unknown (清姫)
2016-11-01 18:17:37
なはさん
ブログを再開されたようですね。またコメントを書きますね。姫ちゃんのも書こうと思うのだけど、今は自分ので精一杯ですね。
葬儀や通夜の参列も続くと疲れますね。私の今度の同窓会も、それぞれ奥様やご主人を亡くされた方が3人参加されました。
土山公民館での話を聞くと、蓮如さまの教えを聞くために集まった村民の信心が根付いていると思いました。土山御坊が焼失した後は、お寺がないのを悲しみ村民で建てたそうですよ。(コレ、追加しますね)
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