Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

本 「認知症がやって来た! ママリンとおひとりさまの私の12年」

2019-07-06 | 

  中島京子さんの「長いお別れ」を読んでから、娘が次々と認知症に関する本を図書館から借りてくる。私が興味を持って読むからもあるが、本人も惹かれるものがあるのだろう。その中から何冊か紹介します。

 まず、酒井章子著「認知症がやってきた!ママリンとおひとりさまの私の12年」 SHC(産業編集センター)出版。

 著者の酒井さんは現在60歳、母親のアサヨさん 👇 は92歳である。

  母アサヨさんは門司市生まれ、結婚後奈良県在住、夫の死後一人暮らしをしていたが近所から苦情が出るようになり、大阪に住む娘の章子さんが引き取った。👇は、インタビュー記事からです。

 「2年ほどは、通いで面倒をみていました。私も認知症のことなんて全く分かりませんから、『楽しく過ごしていれば病気が進みにくい』という主治医の言葉に飛びついて、『とにかく楽しませたれ』と、実家に行くたびに母をあちこちに連れ出していました。
 そんな時、ある女性が手書きの絵ハガキを母親に送っていたら、認知症がよくなった――という新聞記事の切り抜きを友人が送ってくれたんです。私にとっては、驚天動地の大事件! 自分もせっせとハガキを書いて、奈良に送るようになりました。
くすっと笑える内容にするのがポイントらしいので、母と外出する際にいろんな写真をとっておいて、雑誌風の見出しや本文を添えたオリジナルポストカードをまとめて作っておくんです。これが、やってみたら結構楽しくて、90枚くらい作りましたかね。」

 その後、大阪市のマンションで一緒に暮らし始めますが、ものすごい罵声を浴びせられる毎日だったそうです。『アンタはドロボーや、私の金が目当てや!』『誰に育てられたんか、素性を疑うわ!』。そしてベランダに出ては大声で、『ドロボーに閉じ込められているんです、おまわりさん、助けて~!』って叫ぶのだそうです。

 そして徘徊が始まる…。
 「私から逃げようとして外に出るんですが、そっと尾行してみると、健脚の母は放っておけば10キロ以上も歩く。夕方に家を出て、気づけば朝日が出ていたなんてことも何回もありました。徘徊が始まった当時、すでに80代だった母ですが、足腰は丈夫で体は健康そのもの。徘徊中はアドレナリンが出ているのか、疲れ知らずでタッタカと歩いて行きます。昼夜を問わず外へ出るようになり、1時間2時間は当たり前、3時間4時間でようやくちょっと休憩という感じで、一晩中歩いて、朝を迎えるということも月に何度かありました。

 ブログを始めて日々の出来事を記録するようになったのですが、4年間で1844キロメートル、1730時間も歩いていました。その前後の3年間を加えたら、7年間で3000キロメートル以上歩いた計算になります。
 
私が気づかないうちに外に出てしまう場合もあり、警察には何度となく保護してもらいましたが、『しっかり見ておきなさい』なんて叱られることもなく、『最後は警察が見つけてくれるから大丈夫』と思うことで、肩の荷がどれだけ軽くなったことか。ただただ、感謝です。

  助けてくれたのは、警察だけじゃありません。母は、デート中のカップルでも、携帯で通話中の人でも、構わず呼び止めて道を聞くので、こっちはヒヤヒヤしどおしでした。ところが、どの人も声をかけられると、足を止めて助けようとしてくれるんです。知らないおばあちゃんがひつこく道を聞いたりしたら、迷惑そうにされるか無視されると思ってたんですけど、そんなことする人は一人もいなかった。大阪の街が、こんなに優しい人ばかりだなんて、最初はちょっと信じられないくらいでした。それに、母に「ありがとうございます」って言われると、どの人もうれしそうにしてるんですよ。実は、みんな親切をしたがってるんやと思いました。

 他人に迷惑をかけまいとする意識が強すぎると、介護を家族だけで抱え込んでしまう心配もあります。家族だけでなんとかするなんて、ムリムリ。認知症になったら迷惑をかけないことなど不可能なんです。だったら、『お任せします』とゆだねてくれた方が、世話をする側も楽。実は、『迷惑かけたくない』と頑張るのが一番迷惑なんですよ。母自身も、3年ほど前から自分で何とかしようとするのをやめて、私に任せてくれるようになったんです。すると、介護がものすごく楽になって、母自身も穏やかに過ごせるようになりました。」 

  「途中、老人ホームでプロに面倒を見てもらった方が、本人のためにもいいんじゃないかと思うこともありました。でも、徘徊と暴言があまりに激しく、デイサービスをクビになったことがあるほどですから、受け入れてくれる施設があるとは思えませんでした。『母親が子供にかかり切りになるのは、だいたい10年くらい。育ててもらったお返しに、私も10年間は頑張って介護をしよう』と、心の中で期限を決めたおかげで、なんとか乗り切ることができました。れからは、できないことが一つ、また一つと増えていきました。今は着替えにもトイレにも介助が必要ですが、素直に受け入れてくれるので本当に楽です。病気としての認知症は前よりも進んでいるのでしょうが、はた目には、ただのカワイイおばあちゃん。認知症かどうかということは、老いが進む中では大した問題ではなくなっていくようです。大好物の薄皮つぶあんぱんをかじって、『おいしいわあ~』とニコニコしている姿は無邪気としか言いようがありません。『童女』という言葉がぴったりです。」

「アルツハイマー型認知症は、人によって表れる症状が違うといわれるのですが、うちの母は全部、出ました。いろんな人の症状を一身に集めたような感じで、まさに「フルコース」だったんです。だから、この経験をまとめたら、認知症のことは一通り分かるような本ができると思いました。これから認知症に接する人たちの役に立つんじゃないかと考えたんです」


 ドキュメンタリー映画「徘徊 ママリン87歳の夏」は、4年前の作品。認知症の母を支える娘による12年にわたる抱腹絶倒の介護奮闘記! 
ママリンを支える娘・アッコによる12年にわたる介護の全記録! 真面目になんかやってられへん!  笑ってしまえ!  大阪、北浜。ギャラリーを営む私のところにやってきたのは、認知症になった母ママリン。 昼夜問わずすさまじい徘徊を繰り返し、暴言・暴力で大暴れしたかと思えば、ただの可愛いボケばーちゃんになり・・・ ままならない現実を笑いに変え、知恵と工夫とアイデアで乗り切った、抱腹絶倒の介護奮闘記? *ママリン徘徊の記録 ・家出回数 約2,340回 ・徘徊距離 3,000km以上 ・最長徘徊時間 12時間/1日 ・最長徘徊距離 15km/1日 *「徘徊 ママリン87歳の夏」とは 認知症の母・アサヨさん(当時87歳、愛称ママリン)の徘徊と、想定を超えた行動に振り回される娘・章子さん(当時55歳、愛称アッコ)の一夏を追ったドキュメンタリー映画。二人の漫才のようなやり取りが笑いを誘い話題になった。2015年に劇場公開後、全国各地でのホール上映は300カ所を超える。

 以上ネット記事を中心に紹介しました。