ギャラリー酔いどれ

売れない絵描きの世迷い言&作品紹介

初春やⅡ

2008-01-16 10:37:31 | Weblog
  画は歌川 國芳(1798~1861) 

  号は一勇斎 作



  「捕鯨の図」です。




☆今朝はグッと冷え込みました。

捕鯨については、

◆http://tanakanews.com/a0731whale.htm
捕鯨をめぐるゆがんだ戦い
2000年7月31日  田中 宇 が詳しく示唆的です。

上記の記事にもありますが、

鯨肉も高くてね、今や高級品です。

鯨の過去帖までつくる日本人ですが、根源的な部分で、

西欧人とは、かみ合いません。そういうもんだと思うべきかと。

当ブログ 偏狭なる神 Weblog / 2007-09-12 ご参照。

「殺すなかれという戒律はキリスト教徒だけに適用する」

そうですから。

地球温暖化の件、

毎度ひねりを利かしてますね。

◆http://eco.nikkei.co.jp/interview/ より
養老孟司(ようろう・たけし)
東大医学部解剖学教室教授を務め、
95年退官。「唯脳論」「バカの壁」など著書多数。
昆虫好きの自然派で環境問題に造詣が深い。

■「ああすれば、こうなる」は成り立たない 
――環境問題は部分最適ではダメだと主張されています

環境問題を生物で例えるとわかりやすいかもしれない。
生物は細胞1つ1つが複雑に絡まり合って、
数万の化学物質が集まって1つのシステムを構成している。
外からエネルギーを取り込んで、自分自身を再生産している。
それが生きているということ。社会も同じだ。

1つの細胞を動かして全体がなんとかなるかというと、
そうはいかない。だから僕は薬を飲まない。
根本的にはシステム問題だから、対処療法ではだめだ。

本当に大切なのは、生き物と同じように、
環境問題もちゃんとそのシステムを理解すること。
残念ながら全体を把握するための学問は存在しない。

人間が陥りがちな「ああすれば、こうなる」式の思考は、
限られた条件の実験室のなかでは成り立つが、
自然を相手にした複雑系の世界には当てはまらない。
実際には「あちらを立てればこちらが立たない」ということばかり。
単線的に考えて局所最適を追求しても意味がない。
ホリエモンもそういった人物のいい例だ。

株価総額という、単純なことを目指して
徹底的に追求していくというのは得意。
しかし、社会全体からみて自分のやっていることが
役に立っているのかということの判断ができない。
全体から考えるのは面倒だからと、思考を止めてしまうのだ

■世界のどこかに無秩序がたまる
――どうすれば理解できるようになりますか

先ほど、文明は秩序を維持するということだと話した。
ところが、もともと地球全体で考えた場合、
文明社会は秩序を一方的に維持することはできない。
少しややこしい話になるが、熱力学の第2法則、つまり、
「エントロピーは増大する」という法則通り、
「秩序は同量の無秩序をどこかに作る」ことになってしまうのだ。

たとえば、部屋を掃除することを考えてみてほしい。
床の上が汚れているということは、床の上に無秩序に、
ランダムにゴミがちらばっているということ。
掃除すれば当然、床の秩序は高くなる。
しかし、掃除したことで
「世界全体の秩序が増したことになるのか」と考える。
掃除機の中も視野に入れると、秩序は増していないとわかるだろう。

しかも、掃除機を使うにはエネルギーを消費する。
エネルギーを使うということを物理的に説明すると、
高分子を低分子に変換しているということで、
きちんと並んだ分子が勝手に動き出すことを意味する。
そこに無秩序が生まれる。
つまり部屋を秩序立てて片付けたように見えても、
実は世界の無秩序を増やしているということだ。
 
もっというと、掃除機にたまったごみを捨て、最後に燃やす。
そうするとランダムに運動する分子がさらに増えて、空気が温まる。
つまり、温暖化につながる。その関係に普通は気づかないのだが、
実は掃除をすれば温暖化につながっているとも言えるわけだ。
秩序のかたまりである都会で生活していると、
秩序だけの世界を実現できると思い込んでしまうが、そうではないのだ。

――目の前が片付いたということだけを見ていてはわかりませんね

さらに悪いことには、われわれの意識というのは、
秩序的にしか働かない。無秩序的に考えるということはできない。
たとえば無秩序にしゃべることはできない。
五十音をランダムに言ったり、
まったくランダムな数字を言ったりすることができないことがその証拠。
意識は秩序そのものだとわかる。

ということは、先にお話した法則でいくと、
意識がある間中、
脳は無秩序をどこかに発信しているはずだということになる。
ごみの掃除と一緒で、脳の中に無秩序はどんどんたまるわけだ。

だから、人間は夜になると意識がなくなる。眠るというのは、
脳のなかにたまったエントロピーを片付ける、
脳の無秩序を元へ戻すという作業なのだ。

――眠っている間、脳は休んでいないのですか

働いている。わかりやすい比喩は図書館だ。
朝、客が入って、昼間にたくさん本が読まれると、
最後は本棚が空になって机の上に本が散らばる。夕方に閉館すると、
こんどは司書たちが元の本棚の位置に本を戻す。
朝と同じ状態まで本を戻せば、また図書館を開けられる。
脳も同じようにしているから目を覚ますことができる。

寝ているとき、脳は休んでいると思われているが、
実は休んでいない。脳の中の無秩序を片付けている時間なのだ。
この脳の働きを裏付けている最大の証拠は、
寝ていても起きていても、
脳が使っているエネルギー量は変わらないということだ。
 
こうして、脳の中にたまった無秩序は寝れば元に戻る。
ところが、人間は起きているあいだ、
頭を働かせて「脳の外の世界に」秩序を作る。
文明や都市はこういった意識の結果なのだ。

脳の外に作られた秩序の反動で世界のどこかにたまった無秩序は、
寝ても元に戻るはずがない。文明や都市の秩序が増えるほど、
エントロピーがどんどん増えていく。
その典型が炭酸ガス、温暖化問題だということに、
そろそろ気づくべきだろう。

■無秩序を減らすには秩序を減らすしかない 
――エントロピー増大を抑える方法はありますか

われわれがタダでたくさん手に入れることができているエネルギーがある。
太陽だ。植物はそれを上手に使って生産をしている。
経済成長が大事だというが、植物は黙っていたってずっと成長している。
一番効率のいい太陽エネルギーの変換の仕組みだ。

生物はこれに依存して生きてきた。この仕組みの全体を生態系という。
人間の社会システムもそこに組み込まれざるを得ない。

そう考えると、経済の成長至上主義はおかしい。
植物は放っておいても、社会システム全体に負担をかけずに成長している。
どれだけの成長が適切なのか。
「ほどほどの成長」というバランスが自然に取れているのだ。

もう一度言うと、エネルギーを使えば社会の秩序が上がり、
必ず自然界に無秩序を生み出す。無秩序を減らすには秩序を減らすしかない。
そのためには、自然界をありのままに任せるということが必要だ。

ところが人間はそれでは納得しない。
行くところまで行ってぶっ倒れる。
石油も同じで、なくなるところまで使い切る。
もっと植物を見習えといいたい。

■年数カ月は参勤交代を 
――日本は自然と共生できる社会に戻ることが可能でしょうか

日本は本来、世界中でもっとも有利な国だ。
なぜなら、最も重要な資源である水がとても豊かにある、
自給自足しやすい国なのだ。本気で日本が食糧生産を始めたら、
十分食べていけるはず。
石油をたくさん使わなくても社会を回していける知恵を本来持っていることを、
もっと見つめなおす時期だ。

江戸時代が典型的だが、
モノがうまくシステムのなかで循環していれば良い。
それが持続可能性ということだろう。
ただ、いまは江戸時代に比べて人口が多すぎる。
自然環境をできるだけ破壊しないでこれだけの人口を維持するには、
相当な無理が出ても当然だ。

自然との調和を考えれば、人口は減らざるを得ない。
だから現に減っています。本能的にはみんなわかっているからだ。

――養老さんは著書などで「サラリーマンは参勤交代せよ」
とおっしゃっています

まずは、このままの社会が続くわけがないということを
理解することが大切だ。ただ、都会に住んでいては、
生態系とバランスの取れた「ほどほどの成長」がどういうことか、
実感としてわからない。私は、
1年に何カ月か田舎で生活を送る「参勤交代」を、
強制的にすればいいと思っている。

都会にいると冷暖房完備で、歩くところはどこも平らで硬い地面。
階段のピッチも決まっている。
銀座に石が落ちていてつまづいて転んで怪我したら
東京都を訴える人もいるだろう。
ところが山の中で虫を取っていて転んだら、転んだ方が悪い。
「ああすれば、こうなる」というわけにはいかないことがよくわかる。

田舎に行くと山道や田んぼのあぜ道など地面は複雑ですべて違う。
歩くだけでもそのつど頭を使っている。
都会は面倒だから頭を使わないで歩けるようにした。
しかしそれでは、人間が鍛えられずに劣化するとしてもやむをえない。

――個人や経済至上主義社会にも「エコの壁」があるように思えます

お話してきたことは、みんなが自然に気がついていることばかりだ。
こういう世界が長続きしないのは、日本人の8割が本当はわかっている。

数年前、自分たちが生きている時代より
子供たちの方が悪い時代を生きると答えた人が8割いた。
現在のような状況が続かないだろうということは気づいている。
そういう意味で、日本の国民は、民度が高い。
「変わらなきゃ」という認識は強いのだ。

[2007年6月4日/Ecolomy]

・・・

とのことであります。

お江戸は超リサイクル社会でした。

江戸時代の人口は三千万人余でほぼ安定。

極めて示唆的なのではないでしょうか?

明治以降の日本は有史以来稀で、いびつな時代なのでは?

偏狭なる神を奉ずる人々との接触以降おかしくなりましたね。