ギャラリー酔いどれ

売れない絵描きの世迷い言&作品紹介

おめでとうございます

2008-01-04 09:58:36 | Weblog
 画は拙作にて


 「蓮如上人像」


 「油彩F8号」です。



 右上段は「歎異抄」第一段冒頭、


 左上段は「歎異抄」奥書 になります。



*蓮如上人(1415年~1499年)
若年は不遇で本願寺を継職したのは43歳のとき。
衰亡していた本願寺を再興した本願寺第8世。
蓮如の布教は、教義を消息(手紙)の形で分かりやすく説いた
『御文(おふみ)』(『御文章(ごぶんしょう)』とも)を中心に行なわれた。
「歎異抄」を非公開つまり秘本にしたのはこの方。
85年の生涯。


          蓮如上人御文章(御文)

          一帖の十一 電光朝露

それおもんみれば、人間はただ電光朝露の
夢幻のあひだのたのしみぞかし。
たとひまた栄華栄耀にふけりて、
おもふさまのことなりといふとも、
それはただ五十年乃至百年のうちのことなり。
もしただいまも無常の風きたりてさそひなば、
いかなる病苦にあひてかむなしくなりなんや。

まことに死せんときは、かねてたのみおきつる妻子も財宝も、
わが身にはひとつもあひそふことあるべからず。
されば死出の山路のすゑ、
三塗の大河をばただひとりこそゆきなんずれ。
これによりて、ただふかくねがふべきは後生なり、
またたのむべきは弥陀如来なり。
信心決定してまゐるべきは安養の浄土なりとおもふべきなり。

これについてちかごろは、この方の念仏者の坊主達、
仏法の次第もつてのほか相違す。
そのゆゑは、門徒のかたよりものをとるをよき弟子といひ、
これを信心のひとといへり。これおほきなるあやまりなり。
また弟子は坊主にものをだにもおほくまゐらせば、
わがちからかなはずとも、
坊主のちからにてたすかるべきやうにおもへり。
これもあやまりなり。

かくのごとく坊主と門徒のあひだにおいて、
さらに当流の信心のこころえの分はひとつもなし。
まことにあさましや。
師・弟子ともに極楽には往生せずして、
むなしく地獄におちんことは疑なし。
なげきてもなほあまりあり、
かなしみてもなほふかくかなしむべし。

しかれば今日よりのちは、
他力の大信心の次第をよく存知したらん
ひとにあひたづねて、信心決定して、
その信心のおもむきを弟子にもをしへて、
もろともに今度の一大事の往生をよくよくとぐべきものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

[文明五年(1473年)九月中旬]



☆明けましておめでとうございます。

本年も何卒宜しく御願い申し上げます。

寒気は厳しくも穏やかな年明けですが、

今年は内外とも激動の年になるかと思われます。

気持ちを引き締めて参りたいと考えております。

年頭に当たり皆様のご健勝と、

ますますのご活躍を祈念申し上げます。